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 それから一時間が経過した。初めは慣れなかったサンドイッチ作りは、パンを切る、具材を切る、具材をパンに挟むの工程を何巡も繰り返していれば手早く作れるようになっていた。さながらサンドイッチ職人の誕生だ。

 目の前にはランチボックスに敷き詰められた山のようなサンドイッチがある。だが、ジェーンは一向に手を止めない。

 いったい何人、いや何十人の子どもがいるんだろう。麻衣は怖ろしくなった。


「モウジュウブン」


 それからさらに一時間後、やっとジェーンからストップの声がかかった。目の前にはランチボックスがピラミッドのように積み重なっている。こんなに一体、誰が食べるというんだろう。


「そろそろできたかしら。出発するわよ」


 マザーがパンパンと手を叩くと、それまで縫物をしていた女性たちが立ち上がり準備を始めた。ジェーンも手早くランチボックスを大きなバッグに詰めている。


「モッテ」

「え、え、これ全部?」

「ハヤク、コレ」

「待って、今詰めるから、置いてかないで」


 慌てて用意してくれたバッグにランチボックスを詰めて、ジェーンの後を追った。


 みんなで外に出て、どこに行くんだろう。ジェーンは子どものお弁当って言ってたけど、もしかしたらさっきの住宅街にお弁当を届けるのだろうか。麻衣は先ほどの臭いを想像して、顔をくしゃりと歪めた。


 外に出ると、二十人ほどの団体がぞろぞろと歩いていた。家の中には女性しかいなかったが、外には男性がいたようだ。

 そういえば、と瞬の姿を探す。サンドイッチ作りを始めてから瞬のことを気に留めていなかったが、何をしていたんだろう。きょろきょろと周りを見渡すと、前方の歩いている集団に瞬の姿を見つけたので、駆け寄った。


「瞬くん、見つけた」

「麻衣さん。お疲れさまでした。サンドイッチ作ってたんですか?」

「そうだよ、これ全部」

「頑張りましたね」


 大きなバッグを広げてみせると、瞬は褒めてくれた。

 瞬はというと、ベルトをくくり付けた重そうな段ボール箱を背負っている。周りの男性たちもみな重そうな荷物を抱えていた。


「これ、何?すごく重そう」

「飲料水です。セブ島は台風が多くて飲み水が無くなることがあるので、運べるうちにストックしてるんですよ」

「ふうん」


 セブ島の水道水は飲むことができないので、ところどころに給水所があるという。台風があるとその給水所がよく壊れるので、こうしてストックしているようだ。


「これからどこに行くの?さっきの住宅街?」

「あれ、ジェーンから聞かなかったですか?」

「サンドイッチは子どものお弁当って言ってたんだけど、どこの子どもかわからなくて」

「これから行く学校の子どもたちの分ですよ。この辺の学校には売店が無いんです。まあ、あっても買えない子が多いんですけど。かといって家でお弁当を作ってきてくれる家庭なんて無くて、午後はお腹が空いたまま授業を受けるか家に帰って仕事を手伝うかってところで。麻衣さんが作ったサンドイッチは、学校に通う子どもたちのお弁当になるんですよ」

「そうだったんだ・・・」


 学校の子どもたちに配るのならば、大量に作ったのも合点がいった。

 何人いるのかわからないが、もうすぐお昼だ。お腹を空かせた子どもたちの姿が目に浮かび、食べてもらうのが待ち遠しくなる。


「その飲み水も学校に置くの?」

「そうです」

「この団体は、その学校の支援をしてるの?」

「いえ、今日はたまたま学校の支援の日ですけど、他にもいろんな活動してますよ。今日の活動は、麻衣さんも参加しやすいかなと思って声を掛けたんです」


 瞬は何の気なしに言っていたが、まるでもっとつらい活動があるかのような言いぶりだった。きっと、実際はそうなんだろう。

 確かに、道中のあの臭いで顔を歪めるようであれば、つらい、汚い活動だったら尻込みしてしまっていたかもしれない。

 情けないが、瞬の心遣いがありがたかった。


 長い登り坂を上っていくと、少しの遊具が置いてある広場と建物が見えた。あれが学校のようだ。木造でできた学校の造りは新しく、長い平屋が連なっていた。

 広場に到着すると、木陰を探してレジャーシートを広げる。ジェーンがシートの上にランチボックスを並べていたので、麻衣もそれに倣った。

 作業をしているとチャイムのような鐘の音が鳴り、一人二人と学校から子どもが駆けだしてきた。


『マザー!』


 小学校低学年ぐらいだろうか。元気よく走ってきた子どもが、ドリンクカップを準備していたマザーに思いっきり抱き着いた。後からやって来る子どもたちも次々にマザーに抱き着いていく。

 あっという間にマザーは子どもたちで埋もれてしまった。


『今日は何のサンドイッチー?』

『今日はハムと卵だー!』

『みんな、落ち着いて。ほら座って。食べる準備をしましょうね』


 子どもたちとマザーは英語で話していた。フィリピンはタガログ語という公用語があるが、英語教育に熱を入れていて英語を話せる人が多いらしい。麻衣も旅行中、英語を話せる人の多さに驚いたことだった。

 マザーが穏やかに声を掛けると、子どもたちは『ハーイ!』と元気よく返事をして、おとなしく座り始めた。次から次へと学校から出てくる子どもたちの様子に、麻衣は呆気に取られていた。いつの間にか、周りには五十人以上の子どもがいた。


 みんなきちんと座って、胸の前で両手を合わせている。


『じゃあみんな、せーの、』

「「「「「イタダキマス」」」」」


 その合唱は、さながら日本の昼食の風景のようだった。既視感のあるその光景に、麻衣は首を傾げる。


「ねえ、何でいただきますって言うの?日本語だよね?」


 隣にいた瞬にこっそりと尋ねる。


「それは、」


 と言いかけたところで瞬は口をつぐんだ。


「マザーから直接聞いた方がいいですよ」


 素直に返ってこない答えに、お預けにされたようで言葉に詰まった。だが、瞬がただの意地悪でこんなことを言わないことはわかっている。そのくらい、麻衣は彼の性格というものをすっかり信用していた。


「さてと、僕たちも食べましょうか」

「えっ、私たちも食べていいの?」

「お腹空かせて、食べてるところ見るだけって罰ゲームですよ。いっぱい食べましょう」

「やったー!私、すごくお腹空いてたの!」


 ランチボックスからサンドイッチを取る。

 ひたすら作り続けたサンドイッチは素朴な味だった。お店で売っているようなおしゃれな味ではないけれど、食べ続けようとする手と口は止まらなかった。



 食後は休憩時間だ。元気な子どもたちは大人を振り回し、元気いっぱいに遊んでいる。

 麻衣は子どもたちの服を縫っているマザーに近寄った。


「あの・・・さっきの食事のとき、どうして子どもたちはいただきますって言ってるんですか?」


 瞬の言うとおりマザーに尋ねた。突然に不躾な質問かと心配したが、マザーは針を指で止め、くるくると玉止めをしてにこりと笑った。


「私がそう教えたのよ。食べ物に感謝してほしくてね」

「感謝、ですか?」


 玉止めした先の糸を切り、マザーは何かを思い出すかのように遠い空を見つめていた。そして、語り掛けるようにゆっくりと口を開いた。


「どんなに貧しくて食べることに困っていても。逆に、これから裕福になって食べることに困らなくなっても。食べ物に感謝するという気持ちを忘れてほしくないの。命をいただいている、ということを当たり前だと思ってほしくなくてね。外国語には、食事をする前の挨拶や感謝が込められているような簡単な言葉が無いのよ。だから日本語だけど、いただきますをみんなに使ってもらっているの」


 マザーが話している間、その優し気な瞳から麻衣は何らかの既視感を感じていた。それは昨日、瞬が夢を語ってくれたときの真剣な眼差しに似通っていた。


「日本語は美しいわよね。これは私のエゴになってしまうけど、どうしても活動に取り入れたかったの」


 その言葉からは、強い意志を感じた。きっと、昨日の彼のように心の奥に秘めている熱があるんだろう。その奥深くの熱に触れたかったが、まだ会って間もないという遠慮が麻衣を阻んだ。


「素敵、です」


 瞬のときのように、そう言うことしかできなかった。


「ありがとう」


 マザーはそれを受け止めて、ボタンを縫い付けた服を女の子に着せていた。女の子は喜んで笑っている。


『お姉ちゃん、こっち!お花で遊ぼう!』

「えっ、私?」

「行ってらしゃい」


 マザーは手を振っている。それに見送られて、麻衣は女の子に手を引かれていった。連れていかれた先には原っぱに咲いている花々がある。


『綺麗でしょ。いろんな花があるんだよ』


 女の子は色とりどりの花を摘んで、束にしていた。

 周りに咲いている花たちは、南国らしく赤や黄色などの原色が強い。国の個性が出ているみたいだな、と思う。

 そうだ、と思いつき麻衣も花を摘み始めた。


『お姉ちゃん、何それー?』

『見ててね、これをこうして・・・・』


 茎で輪っかを作り、花を通し続ける。小さい頃、たくさん花遊びをしていてよかった。子どもの頃の遊びは、やった分だけ体が覚えていてくれるようだ。

 できた、と完成した花冠を女の子の頭に乗せた。それと同時に、歓声が上がる。


『きゃー!可愛い!』


 花冠を乗せた女の子はとても嬉しそうに顔をほころばせている。


『何それ!いいなあ!』

『私にも作って!』


 近くにいた女の子たちも駆け寄ってきた。きらきらとした笑顔でそう迫られると弱いものだ。


『ちょっと待っててね、たくさん作るよ!』


 張り切って花冠を作り、人数分を作り終えた。それを頭に乗せた少女たちは嬉しそうに互いに見せ合いっこしている。ふふんとすまし顔をしている彼女たちは、さながらモデルのようだった。


『お姉ちゃん、ありがとう』


 女の子は満面の笑みを浮かべていた。笑顔は世界共通の言葉だと感じるほどに、嬉しそうな気持ちが伝わってきた。


『どういたしまして』


 そのとき、鐘の音が鳴り響いた。そのとたん、周りの子どもたちは一斉に学校の中へ駆け出して行った。


『戻らなきゃ!』

『これ、ありがとう。ばいばーい!』


女の子たちは頭に花冠を乗せながら走っていく。それを麻衣は手を振って見送った。


 嵐のように子どもたちが去った後には、今までかき消されていた風の音も聞こえるほど、静けさが生まれていた。


「疲れましたか?」


 声に振り向くと、瞬がいた。今来たような雰囲気ではなかったので、一部始終を見られていたようだ。

 大人だけが残された原っぱには、先ほどまでの騒がしさはない。片付けをしている物理的な音だけが響いている。


「うん、帰る前に一仕事した感じ。でも・・・・」


人も音も少なくなったが、寂しさは感じなかった。


「楽しかった」


 心の中に残る充実感。ありがとう、と言われたときの大きな笑顔。胸の奥で、ぽかぽかと温まっている心。

これがたまらなくてマザーはここにいるのかな、とおこがましいながらも自分なりの考えを導いた。


「それはよかったです」


 その言葉は意外ではなかったようで、瞬はすんなりと受け止めてくれた。


「誘ってくれてありがとう」

「僕よりずっと早く打ち解けてましたよ。麻衣さん、才能ありますね」

「何の才能?」

「ボランティアの才能」


 何それ、と麻衣が笑った後、わかりません、と瞬も笑った。

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