第36話 アラクネ【魔法少女さらん】
流行が早い世間の荒波に飲まれて忘れられてしまう。
増え続けるタイムラインに押し潰されていくように、改めて見つけ出されることもないまま忘れられていく。
彼女自身に浮上する気があればまだ分からなかっただろう。
だが、引退すると決めてから、彼女のモチベーションは上がらない。
勝つ気のない選手に勝利の女神は微笑まない。
運が回ってきてもそれを取ろうとしなければ他人に渡されていく。
恐らく、この謹慎こそが、最後に背中を強く押してしまったのだろう。
本物の天才であるさらんが、りりなという凡才を潰したまま、共に業界を去ることを。
そんな天才が目をかけたまさきは、魔法少女に対して熱量もなく、チームに迷惑をかけるばかりでりりなに負担を与え続けている。
一つの大きな事件がきっかけだったわけではない。
積み重ねだ。
それが、塞がらない溝を、広げ続けてしまっていた。
「お前らなんか、大嫌いだったんだッッ!!」
どんっ、とクッションの上から突き落とされ、まさきが地面に尻もちをつく。
「あんた……」
まさきにとってのさらんが、みにいにとってのりりなであることは想像できていた。
みにいの様子から、りりなが引退することに折り合いをつけているのだと思っていたが、そこに一つもわだかまりがないわけがない。
まさきでさえ強く拒絶反応が出たのだ。
みにいだって変わらないだろう。
みにいからすれば他人のせいで師匠の最後のチャンスが踏みにじられたのだ、怒るのも無理はない。
恨むのだって、受け入れなければならないだろう。
「……ご」
「謝ったって、変わらないぞ」
咄嗟に口から出そうになって、すかさず引っ込めた。
謝罪に意味はない。
少なくとも、みにいには。
信用がなければ言葉だけを言っても、ただ逆撫でするだけになってしまう。
ぎりぎりのところで保っていた二人の線は、今に至って完全に決裂した。
「あ。そんなに仲が悪いなら、赤い空の洗脳は意味なさそうな感じ?」
と、二人の会話に割って入ったのは、腕を組んだサヘラだ。
もとい、ミシャンドラ、である。
他に気になるものがあったようだが、まさきたちを見つけて面白そうだからと見物しに降りてきたようだ。
どうやら、にやにやと、一部始終を見られていたらしい。
「いいよ続けて」
「もう終わった」
みにいの言葉に、露骨にガッカリするミシャンドラを尻目に、
「話、さ……まだ……」
まさきがすがるようにみにいを引き止めようとするが、
「仕事をしろよ」
と言われ、言い返せなかった。
引き止めて、言葉を交わして、関係改善の兆しが見えるのか?
悪化する一途しか見えなかった。
それに、みにいはもう全てを吐き出したようで、まさきに対してこれまでのような苛立ちはないように思えた。
許したわけでないのは明白。
もう相手にする気もないと、意図的にまさきの存在を自分の世界から消した。
それは、恨まれるよりも、まさきにとっては心にぐんと重くのしかかる……。
「後衛に徹しろよ。もしもここでお前が出しゃばるなら……本当に、お前には――」
「なんにも、伝わってなかったんだなって……思うことになる」
「みにい……」
「気安く呼ぶな。友達じゃないだろ、仲間でも、チームメイトでもない」
みにいの言葉は全てを否定する。
「最初から、他人だっただろ」
……言い合いをしている最中にそう言葉に出されることはあってもただの悪口、売り言葉に買い言葉……あくまでも冗談のニュアンスは潜んでいた。
その時は、表向きそう言ってはいてもまだ仲間だと思ってくれていたのだろう。
でも、今回は違う。
心の底から、みにいは言ったのだ。
――他人だと。
みにいの世界に、森下まさきはもういない。
謝罪や贖罪で入ることも許されない。
それくらい堅牢に、閉め出された。
「足止めだ」
みにいは切り替えて、言った。
「あたしに従えよ。お前が言ったんだぞ、あれを助けたいって」
「……うん」
「あたしの答えは変わらない。最後まで責任を持ってやれ」
まさきは頷いた。
それ以降、二人の視線は一度も合わなかった。
アルアミカの肉体を背負うさらんは、耳元で囁かれるアモンの案内に従い、町中を走り回っていた。
アラクネの糸をぴんと張りながら、一筆描きのように魔方陣の模様を形作っている。
「そこ、左に曲がりなさいっ」
まさきとみにいが足止めをしているため、時間との勝負である。
つまり足を止めない。
先の道を確認することもなく、さらんが勢いそのままに道を曲がると、
リザードマンの乱闘現場に出くわしてしまった。
「最悪ねえ……っ!」
乱闘に紛れてアラクネの糸が切れてしまえば、これまでの努力が水の泡だ。
しかし、悪魔でさえ怯んだこの現場を、さらんは臆すことなく進んでいった。
「安心していいよ」
背中で息を飲む悪魔に向けて、
「だってりりながいる」
「仲裁役の子は……だって他にかかりっきりでしょうよ」
「一つの物事だけを見ているりりなではないさ。チームのリーダーを任されている身の上だ、選定される理由がある。つまりね、りりなは世話焼きなんだよ」
自分の役目を果たそうとしながら他のメンバーの状況を逐一確認するほどだ。
そのため集中力が分散してしまい、自分の持ち場の役目を満足に果たせない場合も多々あったりするが……気にかけてもらった側は助かるのも事実だ。
「今だって、仲裁をしながらまさきたちの現場と今のわたしたちの現状も把握しているだろうね。ああ、インカムでりりなに向けてではなく、こうして会話を送っているから把握できているのだろうけど、りりなは仲裁しながら器用に場をぐるぐる回ってる。巡回みたいにね。だから大丈夫さ。このまま進んでも――りりながなんとかしてくれる」
さらんは簡単に言うが、仕事量が一人だけ倍以上もある。
街の騒ぎの仲裁なんて、一人でもきつい量であるのにもかかわらず、だ。
難題でありながらも、りりなの功績が、次第に街を沈静化させていた。
「本人は自覚がないみたいだけどね……あれだって立派な天才だよ」
走り抜けたさらんの背中に気付いた赤い瞳のリザードマンたちが、覆い被さるように跳躍して、さらんに狙いを定めた。
そんな彼らの体が真横から吹き飛ばされる。
見えたのは、巨大な木槌。
振り回すのは、木槌からでは予想のできない線の細い桃色の少女である。
「さらんっ! いって!!」
背後からかけられた声によって、糸を握る手に自然と力が入る。
「アモン、そろそろかい?」
「もう完成してるわよ」
咄嗟に足を止めて、靴の裏が地面を滑ったものの、数メートルで止まることができた。
「早く言ってほしいものだね……」
「少し、躊躇ってねえ……今更意味なんてないのに――」
「心配してくれているのかい?」
「それは――もちろんよ」
アモンからすれば、ソロモン降臨の失敗を何度も見てきた。
つまり、ソロモンの負荷に耐えられず廃人になった依り代の末路を見届けているのだ。
アルアミカと契約を交わし、下界の者に心許している一端があれば、たとえ他人だろうとも末路を知っていれば感情移入をしてしまう。
切迫した状況であるとしても、失敗が半分の可能性を越える実験の引き金を引くのは、悪魔でも躊躇う。
いや、種族が悪魔というだけで、この一件に関わった全員を集めてしまえばアモンだって女の子として混ざるだろう。
「ミシャンドラを止める方法はこれだけなのだろう? なら、やめる理由はない」
その方法も、絶対とは言い切れない。
本音を言えば、アモンの世界ではミシャンドラは幽閉され、なにもできないに等しいのだ。
危険性はない。
亜人街や人間界でミシャンドラが暴れようと、アモンは困らない。
ミシャンドラに破壊されるとしても、見て見ぬ振りをすることもできた。
「アモン、こっちには、救いたいものが三つある」
一つは世界。
一つはサヘラ。
――では、もう一つは?
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