第28話 第二段階【SUMMON】

 悪魔から体の主導権を返してもらったフルッフは亜人たちの中に混ざっている状況に悲鳴を上げそうになるも、周囲の視線が自分ではない誰かに集中していることに、冷静さを取り戻した。


 伊達に場数を踏んでいるわけではない。

 周りの意識が自分に向いていない中で気付かれずにその場を離れることは造作もなかった。


 亜人たちの間をすり抜けながら、話し声を聞いて状況を把握する。


 ……なるほど。


「ばれたのか。いや、フォルカロルにばらされたのか」


 悪魔の言葉一つで信じるのも他人ながらどうかと思ったが、多分、元々疑惑はあったのだろう……疑惑とまではいかなくとも、疑問か。


 伏せられた、小さくも数多いプロフィールがここで最大の信用に足る要素となってしまった。


 なにかを隠している人物が一際怪しく見える人間心理が、悪魔の言葉でさえも、亜人たちは鵜呑みにしてしまったのだろう。


「フォルカロルも別に、嘘を言っているわけでもないけど……」


 エルフとして過ごしてきた小さな魔女は今、痛感しているところだろうか。

 攻撃する側から、される側に回った時に、さて、彼女はなにを思うのだろう。


「ぼくら魔女は、そうやって傷ついてきたんだよ。痛みが分かれば、君も立派な魔女なのだろうね」



「……また助けてくれたね、黒猫さん」


 昔から、幾度と助けてくれた友達。


 どうして都合良く現れるのか、見返りもなく助けてくれるのか、今になれば分かる。


 サヘラが、魔女だからだろう。

 この黒猫は、生まれた時からサヘラに仕えている、使い魔なのだ。


「言ってくれればいいのに……」


 にゃおん、と答えられても、サヘラには、彼? 彼女? がなにを言っているのか分からなかった。


 言葉が分からないのは、魔女ではないから? 

 そんな期待も未だに残っている。


 街の大人たちに追い回されたが、黒猫の道案内で喧騒も遠ざかる知らぬ場所に辿り着いた。

 茂みの中、四つん這いで通り抜けた草木のトンネルの先には、両手を広げてもまだ余裕があるほどの長方形のスペースがあった。


 ただし先は行き止まり。

 空は見えるものの建物の外壁で囲まれてしまっていて、見つかりにくいが逃げ道も引き返す方向にしかない。


 ひとまず危機は脱したことに、全身の緊張が解けて肩の荷が下りる。

 なにも解決はしていないどころか、こうして姿を見せないことこそが火に油を注いでるのだが、姿を見せたところで変わらないだろう。


 燃え上がるとしたら後者に思えた。


 だけど、だからと言ってここで籠城をしてもなんの解決にもならない。

 それに、目ざとい子供ならこういう秘密基地はすぐに見つけそうなものだ。


 いや、既に誰かの秘密基地なのかもしれない……。


「どうしたらいいの……っ」


 壁を背にして座り、膝を抱え込んで、気持ちは頭を抱えている。

 サヘラの腰に黒猫が寄り添ってくるが、構ってあげられる余裕もなかった。


「魔女じゃないって、証明できれば――」


 その可能性だけは、まだ捨て切れなかった。


 みんなは簡単に信じたが、魔女の言うことだ、まず疑うべきは、

『魔女が嘘を吐いている』――だろう。


「魔女にしかできないこと……それができなかったら、わたしは魔女じゃないよね」


 確か……、と記憶を遡らせると、一つ、あった。


 森に落ちていた一冊の本に書かれていた召喚術。

 小さい頃、見よう見まねで友達みんなでやってみたことがあった。


 まさきがもしもこの場にいたならば、

「こっくりさん遊びみたいな感じかしら?」と言っただろうか。


 今思えば、魔方陣と呼ばれるその儀式こそが、悪魔を呼び出す方法なのだろう。


 その時は魔方陣を地面に描いてもなにも反応せず、デタラメな本だと興味を失って捨てた記憶がある。


 もちろん、サヘラも一緒に混ざって魔方陣を描いたので、本当に魔女であるなら発動しても良かったはずだ。

 しなかったのは、つまり、そういうことだろう。


 ――魔女ではないから。


 だから改めて、魔方陣を描き、結果としてなにも起こらなければ、サヘラは魔女ではない証明になる。


「でも、魔方陣なんて覚えてないよ……っ」


 しかし、黒猫が木の枝をくわえてきて、器用に地面に線を引き始めた。


 力が弱く、薄らとしか残らない痕をなぞるように、サヘラが追って、足を引きずり線を濃くする。

 繰り返していくと、子供の頃に描いた魔方陣にそっくりの模様が完成した。


「これ、で……いいの?」


 もはや黒猫主導だ。

 にゃっ、と鳴いて跳ねた黒猫が、サヘラの手の甲を爪で切った。


 いたっ!? 

 と声を漏らしたサヘラは慌てて片手で切られた手を押さえるが、傷口から漏れた一滴の血には間に合わず、地面に落ちてしまう。


 ……直後、魔方陣に吸い込まれた。


「え」


 魔方陣が白く光り輝き、空へ繋がる円柱となって伸びていく。


 光に押しやられて、魔方陣の外で尻餅をつく。


 自分の居場所はここだと宣言するかのような光の神々しさに、サヘラは数秒目を奪われるも、じきに騒ぎを聞きつけた大人たちが集まってくることに思い至って描いた魔方陣を足の裏で擦って消そうとする。


 しかし、



『消えるわけないでしょ、バッカね、あんた』



 光の中に薄らと見える人影から話しかけられたのだと、間を置いて理解した。


「え、誰……?」

『ミシャンドラ』


「みしゃ……?」

『――で、契約するの、しないの? どっち』


 つま先をとんとん鳴らし、声の主が急かしてくる。


『契約するなら助けてあげる。それがアタシの仕事だし』


「……助けて、くれるの?」


『そりゃそうよ。助けてほしいから呼んだんじゃないわけ?』


 違う。

 これが悪魔を呼ぶ方法だとしたなら、魔方陣が発動しない、つまり呼ばないことこそが目的だった。


 ……しかし実際はこうして呼び出せてしまえた。

 サヘラの思惑は、予想していたとは言え、まんまとはずれたことになる。


 つまり、呼び出せたことが証拠となり――サヘラは魔女だ。


 言い逃れなんてできないくらいに。


「……もう、戻れないのかな……?」


 みんなの輪の中には。


 サヘラ自身、魔女に抱く嫌悪が強かった。

 だから向けられる感情がどういうものなのか分かってしまえるからこそ、みんなの差別的な視線を浴びるのが怖かった。


 戻りたいけど、戻りたくない……そんな矛盾した感情がサヘラの足を止める。


 引き返すことも進むこともできない立ち止まった少女に手を伸ばすのは、意外にも悪魔だった。


『差別されるのが怖いなら一緒にいてあげるわよ』

「…………ほんと?」


 悪魔を呼び出す者はそれなりに心の弱さを露呈させている。

 でなければそもそもこんな方法に縋ったりなんかしない。


 アルアミカも、フルッフも、義務的に悪魔と契約をしたわけではない。

 魔女の中には、いるかもしれないが……そういう者にほど、悪魔は選り好みをする。


 悪魔だって、感情がある。

 必要とされなければ力なんて貸したくない。


 魔法を貸し、肉体を貸し……、

 ――対等の等価交換ではあるが、精神的に上に立ちたい欲求を優先しているのだ。


 頼れる者が誰もいない、一人ぼっちの女の子が、悪魔を召喚する――。

 そういう方が、呼び出された方も、燃えるというものだから。


「……助けて。みしゃ、み、み……?」


『ミシャンドラよ! ……ったく、いいわよ、じゃあ契約成立ね』


 魔の手が、サヘラの手を強く掴んだ。

 サヘラはまるで、救われたような笑みを見せていた。



「……バカな子」


 サヘラの口からこぼれた口調は、悪魔ミシャンドラのものだ。


「契約をしたらもう、こっちのものなのに」


 それでも、まあ――。



「この子を苦しめた奴くらいは、ぶっ殺してやろうっと」

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