第23話 悪魔【アモン】の舌炎(後編)
全部を知っているわけではないが、その名前だけは偶然聞いたことがあった。
スマホのアプリゲームをプレイしている今の若者の間では、認知度は高いのではないだろうか。
しかし、その名が悪魔の一人だと知っている者はぐっと絞られていくだろう。
ソロモンという名にぴんときても、ではなんなんだと説明できる者は限られる。
普通に生きていく上で、歴史上の偉人と比べれば、知らなくても困りはしないのだ。
まさきも、限られた者からは弾かれる大多数の一人である。
たまたま聞いたことがあるだけだ。
炎を操ることも当然知らなかった。
文献や資料を調べていたら……と思うが、しかしそれを鵜呑みにするのもどうか。
人間界に出回っている情報は、彼女を見て書いたものではない。
あれはあれ、目の前にいる彼女は彼女、だ。
逆に、持っていた知識に引っ張られて、知らない事実に対応できない可能性の方が高い。
そういう意味では、まさきの無知は少なくとも、彼女が付け入る隙にはならない。
「その悪魔が、アルアミカの体を奪って、どうしてサヘラの命を狙おうとするのかしら」
「誤解が一つあるわね。もう一方は、その子の命をどうして狙うのか、だけど、別に教える義理もないでしょう? ただ、誤解は解いておきたいわね。覚えもないのに悪者扱いされるのは居心地が悪いもの」
でしょう?
とまさきを見つめて、彼女が微笑んだ。
まるで、これまでのまさきの境遇を見ていたかのように。
「奪ったのではなく、借りているのよ。これは等価交換なのだから」
「等価交換?」
オウム返しをしたのはサヘラだった。
「そ。私はこの子にあるものを貸して、だから私は同じ分、この子の体を借りているの。逆に、私が体を借りた分、私も貸さなくちゃならない。そういう契約なのよ」
なにを、とは問わなかった。
この大規模な炎が、魔女アルアミカのものなのか、悪魔アモンのものなのか、分からないほど無知でもなかったのだから。
「魔女は私たちから借りた魔法を使う度に、私たちに体を売っているのよねえ」
ふっ、とフルッフが目を覚ました時、街を焼く炎の渦中にいた。
「な――ッ」
戸惑いながらも咄嗟に魔法を使い、自身の周囲に風を纏わせ炎を近づけさせない。
燃焼し減っていく酸素をかき集め、自身を覆う風の中に送り込み、呼吸に支障が出ないように調整する。
既に倒れている、もしくは新たに倒れていく亜人街の住人がいる中、フルッフが状況把握のために街を観察する。
……自然発火ではない。
もしそうなら発火地点が発覚した時点で手分けして鎮火するはずだ。
急激な発火と一気に燃え広がった早さがなければ、街全体を覆うような、現状の手遅れにはならないだろう。
セイレーンや人魚がいるのだからビル一棟が燃えたところで鎮火はそう難しくはない。
なのに被害が広がっている……となれば発火地点から街全体を覆うまで一瞬だったのだろう。
鎮火する間もなかった。
そんな芸当ができるのは、悪魔だけだ――。
「……ッ、また勝手に、体を使われたのか……ッ」
元々、悪魔とはそういう契約だったとは言え、悪魔に体を貸している最中の記憶がないのが最大のネックである。
今回のように、気付くと周囲の状況が掴めないことは何度もあった。
身に覚えのない言いがかりめいた悪意を、知らぬ他人からぶつけられたことは数え切れない。
どれもこれもが悪魔の仕業なのだ。
魔女が忌み嫌われているのは先代が営んでいた殺し屋稼業のせいも多分に含まれているが、半分ほどは悪魔のせいでもある。
彼女たちが魔女の体を使って好き勝手やった後処理を、記憶のない魔女に押しつけている。
以前にも、亜人街では小火騒ぎが何度かあった。
彼女自身はまったく自覚がなかったが、発火させた犯人はアルアミカ――の体を使っていた悪魔、アモンである。
「いい加減にしてくれよ、人を傷つけるようなことはしないって言ったじゃないか!」
過去、フルッフの体を使って他人を襲撃した事実を後に知ったことがあった。
腕っ節に自信がある亜人を狙っていたとは言え、やっていることは顔を隠さない通り魔である。
白昼堂々と街を歩けなくなったフルッフの生活は、ただの魔女以上に難しくなってしまった。
『そっちの復讐も兼ねてたんだけど……ちがうの?』
頭の中に直接響いてくる声は、幼さがまだ抜けていなかった。
長寿の悪魔に向かって幼いとは矛盾しているようだが、確かに彼女は比較的歴史は浅い部類の悪魔になるだろう。
アモンとは多少の年齢差がある。
「ただ襲撃したって意味がないんだ……殺さなくても、そんなの先代たちと同じことをしてる。そうじゃないんだ、後ろから殴って相手を痛めつけても復讐心はなくならない。うんと後悔させてやらなくちゃ、こっちの気が済まないんだ」
『……フルッフの言うことはむずかしい』
「暴力だけが復讐じゃない、ってことだ。……ぼくのために手伝ってくれたのは助かるけど、腕っ節の強いやつが殺し屋に依頼なんてしないよ。他人の手を使って自分の手を汚さない、汚い性根のやつが標的なんだから」
『注文が多いなあ……そもそもフルッフの手伝いはついでだし、こっちが優先。強い亜人を探してたんだけど……中々いないね。ねえ、フルッフは何歳までに子供を産みたい?』
突然、想定外の質問をされて、フルッフの声が急にレ点のように跳ね上がった。
「こ、子供!?」
『強靱な亜人と魔女が交わって子供が生まれれば、強靱な肉体と魂を持った魔女の血族が生まれるわけでしょ。その子なら、お兄ちゃんの受け皿になれるかもしれないよね……』
「子供、子供……。どっちの遺伝子が強いんだ……? 黒髪? 赤髪?」
『あれ? 相手がいるの?』
妄想の世界に入りそうになっていたフルッフが、響いた声を聞いて理性を取り戻した。
「……いない。男なんて、クズ野郎ばかりじゃないか」
『男なんて、には同意しないけど、クズばかりってのには同感』
悪魔と言えど、彼女も一般的な感性を持つ。
昔から、想い人はたった一人だ。
思い浮かんだ彼も中々、罪作りな年上だったが。
『何十人もはべらせてる時点で、お兄ちゃんもクズ野郎かもね……』
「それで、フォルカロル」
フルッフの呼びかけに、悪魔が寝不足の目を擦るように、
『んぅ?』
「こんな大火災を起こして、アモンの目的はなんなんだ?」
『過剰だとは思うけど、たった一人の女の子を殺すため。最小限の労力で、たとえば心臓一突きでもして殺せばいいのに、街ごと燃やしたのは大雑把で面倒くさがりの年増なだけあるよ』
「一人の女の子を……? なんのために」
『お兄ちゃんを助けるため』
……それきり言葉が続かないので、詳しく説明をする気はないようだ。
「加勢は……いらないか。アルアミカじゃなくて、アモンだし。ぼくらはこの炎を消していこう。里から飛び出してきたぼくらには帰る家はここにしかないんだから、一緒に燃やされたらたまったもんじゃないよ」
『じゃあ、好きなだけ魔法を使ったらいいよ』
「ぼくの体を長く借りたいだけだろ」
『当たり』
分かっていながらも、魔法を手放せない体になってしまっている。
悪魔の指先は、既に魔女の喉元、奥深くまで入り込んでいた。
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