第9話 怪人とヒール役

「あ?」


 彼の視線がこっちに向いた気がして、慌てて身を隠す。

 ……どうするつもりだろう。


 魔法少女は他の場所で戦っている途中だ、助けは期待できない。

 しかし、子供を前にして親切な姿を見せるわけにもいかないだろう。


 怪人の役目を全うしなければならない。


「……これで出てこねえなら、あいつは終わり、か……」


 まさきには聞き取れなかった独り言を呟いた後、リザードマンが抱えていた少女を瓦礫の山から転がした。

 二度のバウンドを繰り返して、地面に落下する。


「っっ、い、ったぁ……っ」


 うずくまる少女の背中へ、山の頂上からリザードマンが、


「怪人役ってのはつれえもんだ、任された仕事を徹底して、完璧に全うしても、評価ってのはオレら側でしか上がらねえ。そりゃそうなんだけどよ、ヒール役を買って出てるんだから嫌われて当然だわな。もしも嫌われなかったら、オレらは失敗してることになる」


「ちょっ、あいつ、なにを……!」


 夢見る子供に対して失言が多いまさきよりも酷い。

 リザードマンが、役柄など、魔法少女と怪人の本当の関係性について、明かしていく。


「えっ……え、え?」


 少女の方は訳が分からず疑問符を浮かべる……この場においては分からなくて良かったと言える。

 魔法少女と怪人の本当の関係性を知られてはまずいのだから。


 首の皮一枚繋がった――にもかかわらず、リザードマンは止まらない。

 重なっていた山を跳ねて、ガラガラと瓦礫を崩しながら、リザードマンが着地する。


「オレたちは、金を積まれてるから従ってるだけだ。こっちで暮らすためには仕事は不可欠、今は引く手あまただが、昔はこれくらいしか仕事がなかったもんだ、文句の一つも言えねえ窮屈なもんだったぜ。まるで奴隷だ。従えないなら出ていけ、だもんなあ。元の世界に、戻りたくても戻れねえ、だから生活さえできねえってことを知った上で脅してやがる――だが、便利な社会になったもんだな。亜人全体の評価をちと下げちまうのは心苦しいが、それでも予備軍ってのは確かに潜んでんだぜ――」


 怪人役は、比較すれば他の仕事よりも給金が高い。

 待遇も良く、そうせざるを得ない危険性を、人間側も知っているためだ。


 だが、中にはいるのだ。

 金ではなく、待遇でもない……挙げた二つである程度は抑えられる、亜人の反逆からはみ出る者がいる。


「怪人役が役ではなく、本当の怪人のように暴れ回る奴がいないと、断言はできねえ」


 リザードマンの手と爪が、セーラー少女を地面に縫い付けた。


「あッぁう!?」


 咄嗟に目を瞑った少女が、ゆっくりと目を開けると。

 大口を開けたリザードマンが迫っていた。


「いやっ、いやっっ、やだやだ! こないでぇっっ!!」


「本来、オレらは生物を殺してその場で食べる種族だ。人間界にある加工された肉も嫌いじゃあねえが、やっぱり、殺した直後の生の肉ってのが最高なんだよ」


 近くにいた黒猫が、毛を逆立てて威嚇するが、リザードマンの指先で弾かれる。


「黒猫か。嫌な奴らを思い出すぜ……!」

「…………食べないで。わたし、おいしくないよ……?」


「それはオレが食ってから決める。怖いか? 嫌か? だったら情けなく大声で助けでも呼ぶんだな。どうせ誰もこねえよ。ここは舞台から少しはずれた道だ。大声なんて届かねえ。気付く奴はいねえ。お前が助かる可能性は万に一つもねえよ。まあそれでも、泣いてみたら聞いてる奴の一人くらいは、いるんじゃねえか?」


「……こんな、とこで、死ねない……ッ、みんなの願いを背負って、ここまできてるんだからっ!!」


「――ん? お前、なんだか匂いが……」


「助、けて……っ、助けてっっ!!」



 聞こえていた。

 だから、まさきは立ち去ろうとしていた、足を止めたのだ。


「……担当の魔法少女がなんとかしてくれるでしょ。わざわざ、わたしが出ていく必要はないんだから――」


「助けて! 助けてっっ! わたしには、まだ死ねない理由があるの、だから――」


「……知らないよ、わたしの担当じゃない。ここで助けたって、わたしに報酬は入らないし、色々な人に迷惑がかかる。みにいはどうでもいいけど、今が大切な時期の先輩二人に気苦労をかけたくないもの。そうよ、担当してる魔法少女が悪い。どさくさに紛れて子供を襲ったあのリザードマンが悪い。カメラに映ってるわけでもないんだから、ここで逃げたって、わたしは誰にも咎められない――」


 確かに、証拠は残らない。

 責めてくる人物はいないだろう――自分以外は。


 ここで助けを求める少女を見捨てて、果たして自分は許せるのか?


 許せるかどうかではなく、許さなければ、自分だけでなくチームが困る。


 問題の多いチームが、さらに問題を重ねれば、どう扱われるかは分かっている。

 既にギリギリの、イエローカードなのだ。


 だから、迷うこともない。

 たった一人の少女の犠牲で済むなら、安いものだ――。



「ガァラァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!」



 背後で雄叫びが聞こえ、まるで、非情で傲慢な選択をしたまさきを、責めているようにも聞こえた。

 そして思い出す――かつてのまさきも、同じような状況で、助けを求めて、その小さな願いに応えて、さらんが助けてくれたのではないかと。


 もしもあの時、さらんが助けにきてくれなければ……、今思えばあり得ないのだが、今の状況はきっと、昔とは違う。


 これは台本から逸脱した展開だ。

 誰もが先を読めず、最悪の結果だって平然と起こる無法地帯。

 一つの選択ミスで一人の命の結果が左右される。


「ごめんなさい、ごめんなさい……おばあちゃん、みんな…………っ」


 セーラー少女は死を悟って、だからこそ、笑った。

 満面の笑みを、浮かんできた知り合い全員に向けて、


「魔法少女も、忙しかったみたいっ!」



 ――――こつん、と、リザードマンの頭に小石がぶつかった。

 首が動き、爬虫類の鋭い目が、現れた侵入者へ向けられた。


「……お前」

「見損なったわ。結局あんたも、根っからのリザードマンだったわけね」


「オレも元から、根っからのリザードマンだっつの。つーかそれ、差別じゃねえか? そういうイメージがあるのは認めるが……。先人たちのしわ寄せを、今オレたちが甘んじて受けてるわけだ……好待遇を作ってくれたのも先人だ、とりあえずは、とんとんか?」


 こつんっ、と二投目の小石が投げられ、リザードマンの眉間に当たる。


「その子から離れなさいよ、ロリコン野郎」

「不名誉なあだなはご免だな。オーケーオーケー、離れてやるよ」


 両手を上げてゆっくりと少女から下がるリザードマンから目を離さない。

 彼の動きに注意しながら、まさきが少女の元へ駆け寄った。


「あなた、だいじょう――」

「あっ! ま、前前!!」


 一瞬、目を離しただけで、リザードマンが大口を開けてまさきに迫っていた。


「ッッ!?!?」


 セーラー少女を抱きしめてその場から遠ざかるように転がる。

 一瞬遅れて、大口が閉じられる、ガッチィッッ! という音が、まさきに冷や汗をかかせた。


「なにを、すんのよ……ッ!?」

「言ったじゃねえか。怪人役は、怪人になる可能性があんだぜってよお。お前は、体験するのは初めてだろ? 台本じゃねえ、本気の戦いってのはよ」


 リザードマンの一挙一動に、まさきの体が反応して震え出す。

 動物園の檻の中にいる動物を見てもなんとも思わないが、自然の中、枷がつけられていない同じ動物を目の前にすれば、反応は百八十度違うものだ。


「優秀な魔法少女ほど、アドリブには弱いもんだ」


 優秀と評価されるのは、台本から逸脱しない魔法少女だ。

 逆に、台本から離れれば離れるほど、問題児と揶揄される。


 そういう意味ではまさきは逆に、センスは秘めているのかもしれないが、それは大前提に、戦いの恐怖に慣れていなければならない。


 そもそも本気の戦いを経験していないのが魔法少女だ。


 ――正義のヒーローが、戦い慣れていない。


 所詮は持ち上げられただけのハリボテの英雄である。

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