第8話

 カスミは、その三人が現れたのを見て、真面目に呟いた。

「先に入ったのは、誤算だったな」

 答えるロンは、げっそりとした声だ。

「何の話よ?」

「いや、ミヅキの娘とエンが閉じ込められたのなら、この密室で濡れ場の一つも、覗けたかもしれんだろう?」

 そう言う理由でここに来たわけではないのにと、ロンが嘆くのを見つけ、エンも二人に気付いた。

「な、何であなた方がここに? どういう事ですか?」

 先程この地につき、周囲を散策した後、凌の手がその結界らしきものに触れた瞬間、別な風景が現れた。

 いや、風景は先程と変わらないが、木々のみが広がった山の中に、二人の男が立ち尽くしていたのだ。

 その二人が、見知った男達だと気づいて戸惑うエンの隣で、雅も戸惑って辺りを見回した。

 その隣に、数拍遅れて凌が転がる。

「な、何で、あいつが……」

 結界に手を触れた途端、別な術が動いた気配に気づき、凌は身を引いた。

 二人の男女に、鋭く声をかけて制止しようと手を伸ばしたが、その背を誰かに蹴飛ばされたのだ。

 振り返ってその誰かの顔を確認した男は、驚きでその蹴りの勢いに耐える余裕を失った。

 何でここで、あの若者が登場するのかと、混乱する凌を見下ろし、カスミは真面目に呟いた。

「あなたが、逢引の手伝いをするとは、意外です」

「何を、言ってるんですか」

 初めて見るカスミの本来の姿に、雅が目を丸くする横で、エンが目を据わらせた。

「ん? そういう心算で、ここに入ったのではないのか? あの子が張った罠に、お前が気づかんはずは、ないが?」

「は? 罠?」

 ぽかんとする息子に、カスミは意外そうに目を見開いた。

「何だ、本当に気づかずに引っかかったのか? 女連れだから、てっきり逢引き目的だとばかり思っていたが」

「あなたと、一緒にしないであげてくれる? この子、誰に似たのか、とんでもない甲斐性なしよ」

 力なく窘め、ロンは男を睨んだ。

「あなた、罠だと分かってて、あたしの頼みを受けたの?」

「どのくらいの精度の罠なのか、興味があったのだ。中々、面白いな。術を破る力を、そのまま別な術の発動に切り替えるとは」

 その言葉に、凌が溜息を吐いた。

「成程、妙な気配があったと思ったら、これは、囮だったのか」

 僅かに感じる気配が、淡すぎるのが気になっていた。

 まだ未成年の子供に化けているから、気配を抑えているのかと思ったが、不自然な抑え方に感じたのだ。

 破って見れば、その疑問も解消できると思ったのだが……。

「まんまとやられた。随分と狡猾な手を使う子に、育ててくれたものだな」

 しかも、さっきここに蹴り入れた若者、あれは……。

「久しぶりの再会でしょう? もう少し喜んでもいいのでは?」

 真面目な顔で言う甥っ子に、凌は複雑な顔を向けた。

「あんな笑い方する奴じゃ、なかったはずだが。いつからあんな、極悪な笑顔を……」

「何百年、あなたと離れていたと思っているんですか。その間に擦れる所は、擦れてしまったのでしょう」

 カスミの答えに、叔父が溜息を吐き、ロンも複雑な顔をする。

 若い二人は、その分からない話を聞き流しながら、周囲を見回した。

「……罠と言う事は、あの狐は、初めからここにいないと言う事ですか?」

「いても、逃れているだろうな。あれはいわば、ある一定の力の者を捕えるための物だった。あの狐では、容易に切り抜ける類の物だ」

 昔、古谷の御坊が、他の術師たちと張った壁と同じ物だと、カスミは言い切った。

「……そんな意味のない物を、あの子が張ったんですか? 一体どうして?」

 あの時の壁が、当の狐の行き来を封じられなかったのは、セイも知っていたはずだと言うエンに、父親は真面目に答えた。

「カムフラージュだったからだろう。狐を閉じ込めたと安心していると、狐本人にも思い込ませるための」

 狐の方は、声をかけた男たちが、変わらぬ信仰心で崇めてきたことで、自信を持っていたのかもしれない。

 気配だけをこの中に残し、別な場所に身を隠していた事を、若者には知られていないと思い込んで、そろそろと動き始めたのが、一か月前だった。

「丁度、畑中隆が見つかったからな。その期に、この地を抜け出して、安全な場所に逃げようと思っていたのか、もう大丈夫と思い込んで、別な獲物を見繕っていたのか。どちらにしても、油断はしていたようだな」

 何故なら、その一か月前の動きで、狐が何処にいるのか、セイにも分かったからだ。

「お前たちがここに捕まるのは、今はそうでもないだろうが、あの時は予想外だろうな。ここまで、時間をかける事さえなければ、この罠は解除していたろうから」

 考える若い二人の横で、凌が眉を寄せた。

「カスミちゃん、まさか、その狐が今いる場所に、心当たりがあるの?」

 ロンが問いかけると、叔父が続けて問いかけた。

「お前が、五人の男に連れ去られた事と、関係があるんだな?」

「ええ」

「……まさか、あなたの前に、犠牲になった人がいたって事ですか?」

 エンが目を細めると、カスミは真面目に頷いた。

「正確には、なりかかった、だがな。そうでなければ、あのタイミングで、あの連中が子供を連れ去ろうとは、考えんだろう。それまで、大人しく我慢していたと言うのに」

 それは誰なのか。

 それを考えると、狐の居場所も容易に分かると、カスミは言い切った。


 三が日を過ぎるまで、連中は律儀にも動かなかったらしい。

 その間に、大人しくしながらも地道に調べていたのだろうが、セイの方が上手だったようだ。

「お蔭で、こちらの事情も随分進んだが、問題は残ってしまったな」

 年末まで地元に戻り、年始に再びこの地にやって来た律は、部下の報告を聞いて頷いた。

「どうしますか? そろそろ、移動しないと、世間的にも怪しいかと」

 萌葱が控えめに問いかけると、白狐はすぐに答えた。

「それは問題ない。向こうで畑中家の面々の話も、明るみになっている。私が言っているのは、大元の問題だ」

 森岡篤史とその長男だ。

「え、次男は?」

 浅葱の問いにも、律はすぐに答えた。

「それについても、こちらの刑事と折り合い済みだ。未成年は得だな。匿名での被疑者として立件可能だ」

「ああ、いる風を装って、起訴する流れですか」

 世論が森岡家の面々の起こした事件に、批判を浴びせているお蔭で、古谷家の経営する保育園での件も、刑事事件として扱える機会が出来た。

「未成年と言っても、すぐに成人する年だ。死刑は難しいが、協力していた連中も、それ相応の罰は受けさせられるはずだ」

 二人の狐が唸りながらその説明を聞き、萌葱が慎重に切り出した。

「あいつは? このまま、知らぬ振りで、移動するんですか?」

「それも、問題の一つだな」

 律が眉を寄せて頷いた。

「私としては、あんな弱い者を、あの子に手を下させたくない。だが、罪状を考えると、放っては置けない。かと言って、お前たちに手を下させるのも、冗談ではない」

「私たちだって、見るのも嫌ですよ」

 浅葱が、顔を顰めて返した。

「あいつ、私が誰かも気づかず、あの連中の中に放り込んだんですよ。餌としてっ」

 十年前、畑中家も森岡家の面々によって、壊れた。

 助け出した時には、妻は体を病み、娘は精神を病んでいた。

 妻の方は現在回復して普通に働いているが、年頃になった真澄は、未だに入退院を繰り返している。

 森岡涼子を落ち着かせるのが一番の目的で、真澄に扮した浅葱を時々訪問させていたのだが、一か月前に畑中隆の居所が知れ、やむなく娘の代わりに身元の確認にこの地に入った。

 森岡家に捕らわれた浅葱が、真澄の姿を取られたと報告して来た時、律はしばらく様子を見る事を選んだ。

 知らぬ振りで助け出して保護したのだが、初めにその狐を見た時、戸惑いを面に出さないようにするのに骨がいった。

 狡猾で、それなりに力があると聞いていた蘇芳の弟が、予想以上に弱い気配で姿を見せたのだ。

 あの山で、五人もの子供を従える程の力を秘めていたとも、思えない程の衰えようだった。

 おかしいと考えた律は、正月に挨拶ついでにセイに会い、事情を詳しく訊いた。

 酔っ払いの喧騒の中、ソフトドリンクを飲みながら、若者は白状した。

「……少し前に、瀕死にまで追いつめたんです。結局取り逃がしてしまったんですが」

「いつだ?」

「……こいつらを引き離した後、すぐです」

 その時、セイは自棄状態だった。

 若者なりに周囲に気付かれぬように計画を練り、自らを囮にして狐に近づくことに、成功した。

 だが、あと一歩のところで邪魔が入り、取り逃がしてしまったのだと言う。

「あの時、止めを刺せていれば、ハンデも考えなかったんですが……」

「いいじゃねえか。あの件があったから、お前は、薬への対抗策を見つけられたんだろ?」

 軽く返した蓮を、若者は恨みがましい目で睨んだ。

「あんたは偶に、とんでもない場面で私の前に現れるよな。葵さんと同じで」

「そりゃあ、お互い様だろうが。お前も、ここで現れて欲しくねえって時に、姿を見せるじゃねえか」

 未だ、セイよりも小柄な若者が、苦々しく返す。

 そう言う場面の一件を知る律が、控えめに声をかけた。

「その節は、すまなかったな」

「……その件は、オレにとって幸いな件になったんだ。あんたが気にする事じゃねえよ」

「そう言ってもらえるなら、有難い」

 頷いてから、残る問題に唸った。

「ハンデが消えてしまった今、どうあの狐の対処をする気だ?」

「一つ、考えている方法はあるんですが、成功するかどうか……」

 そう前置きして話し出した方法は、予想以上に突飛のない物だったが、それを成功させるか否かよりも、ここの連中が本格的に動く方を心配する必要があった。

「……それも、杞憂に終わりそうだが」

 報告では、気になる連中は、ある罠に引っかかってくれたらしい。

 後は、セイの言う方法が成功するか否かだけが、問題だった。

「その計画に、手伝いは必要ですか?」

 萌葱が問うと、律は首を振った。

「そろそろ、セイがやってくるはずだ。お前たちは、あの狐の傍に寄るな。少しでも障りになるものは遠ざけておきたい」

 昔、雅の前で、鳴海に手を下すのを躊躇ったと聞いた。

 その躊躇いは、同じ立場の萌葱や浅葱がいても、起こってしまうだろう。

 今度は逃さない。

 そんな気概で挑むつもりの若者を、静観するつもりだった。

 二人を部屋に戻らせ、律は一度水月の待つ自室へと戻った。

 が、部屋を見回して青ざめてしまう。

 冬休みの勉強を前に、唸っているはずの少年の姿が、どこにも見当たらなかった。


 森岡篤史と酒井匡史は、双子の兄弟だ。

 子供の頃、親に捨てられて施設に入り、それぞれ別な家庭に貰われていったのだが、その後は正反対の人生を歩むこととなった。

 篤史は地道に働き、生い立ちの負い目を前向きに考え、その勤勉さを気に入られて森岡家の婿となった。

 匡史は高校に入った頃から荒れ始め、養い親にも愛想をつかされると、どんどん悪い方へと転がって行った。

 高額の借金を抱えて、この地に来た匡史は篤史の大出世を知り、どす黒い憎しみを抱いた。

 森岡家に訪問した時、自分の妻子を連れて来ていた所からも、計画的だったと思われる。

 招き入れられた家から、匡史とその家族は出てこなかった。

 その日以来、豹変した篤史は妻にすら無関心となり、隠居した森岡浩司に不信を持たせた。

 鳴海が、その家族に気付いたのは、その頃だ。

 が、場所が場所なだけに、慎重に動く必要があり、篤史とは数度接触しただけで、老人の疑いをどう晴らしたのかまでは知らない。

 だが、その方法は容易に想像できる程、鳴海好みの人間だった。

 自分を隠せて、適度に頭が悪い男が、一番扱いやすい。

 昔、言いくるめられて山に住まって閉じ込められた男たちの様に、鳴海の力のなさをカバーして、餌を集めてくれる存在は、中々見つけにくい。

 篤史に近づいた狐は、近場の病院への援助を提案した。

 その時には、すでに父親と変わらぬ乱暴者となっていた長男が、問題をもみ消せる場を作ってやろうと、切り出したのだ。

 証人すら残さぬようにと、鳴海は昔なじみの大男たちを呼び寄せた。

 こうして行われた悪行や狩りは、狐の最高の餌を作り上げてくれていたのだが……三年前、その病院の経営者が、経営不振を理由に土地を丸ごと売りに出し、買い取ろうと森岡家が動く前に、他の会社が丸ごと倍の値で買い取ってしまった。

 森岡家が雇っている裏の社会の連中を使って、手離させようと画策したが、出来なかった。

 その会社には、別な強大な組織がついていたのだ。

「……松本組は、手堅い企業と手を組んで、確実に大きくなっている会社だ。裏の社会にも通じていたと言う噂はあるが、一切かかわっていないと聞く」

 その松本建設が、この病院の再建の依頼を受け、動き出している。

 半端な荒い手では、この連中を退けることは出来ない。

 その上、地元の警察に、無くなった病院での不審を訴えた患者の保護者がいると、情報が入ったのだ。

 そんな不審を抱くに至った経緯が、身を隠しながら証人を消していた大男たちにあると知って、鳴海は呆れた。

 連中の一人が、愉快犯の資質を持っていたようで、何人かの証人の体の一部を、家族に送りつけていたのだ。

 疑いをかけて来た警察が、そう簡単に口封じさせてくれるとも思えず、鳴海はややむを得ずこの餌場を閉じた。

 代わりに森岡満を丸め込んで、その役柄を手に入れたのだが、それも長くは続けられなかった。

 脇の方から徐々に追い詰めていこうと思っていたのに、相手の手が思ったよりも広い範囲に及んでいたのだ。

 まさか、偶然襲った園児が、あの術師絡みの子供で、こんなに早くあの若者に見つかる羽目になるとは。

 何とか逃げ出して気配を殺して来たが、森岡家の周囲から逃げるには、全力で逃げる必要があった。

 それをした途端、あの極悪な若者は、容赦なく襲ってくるだろう。

 山で楽しく過ごしていた者たちを、たった一人で虐殺した極悪な若者だ。

 自分にも、容赦などすまい。

 本来の目的の者にも近づけぬまま、鳴海はまずは逃げる事を考えていた。

 どの位の日にちが経ったのか。

 あの後、森岡家がどうなったのかは知らないが、ここまで大掛かりな団体に目をつけられては、只ではすむまい。

 保護した者たちは一様に、人間とは思えない気配で、淡々と自分の治療を続けていた。

 化けた相手が良かったのだろう、皆淡々とはしているが親切で丁寧な所作で、介抱を続けてくれていた。

 正直、こういう時は、女に化ける事しかできないのは得だと思う。

 が、同時に屈辱感が募る。

 姉たちは苦も無く男に化け、力を誇示できるのに、自分はそれが出来ない。

 ただ、気に入った娘を手に入れようとしただけで、こんな事になるのは不公平だとも思っていた。

 絶対に力を取り戻し、今度こそは自分がいかにあの娘にふさわしいか、思い知らせてやろう。

 そんな気持ちを胸に秘め、鳴海は静かに起き上がった。

 深夜に近い時間帯のようで、予備灯の光だけがほんのりと室内を照らしていた。

 防寒措置のある部屋を出て、そのひんやりとした空気に触れ、そう時は経っていないのだと気づく。

 連れて来られてからずっと、場所の移動はなかったから、森岡家に近い場所であるのも分かっている。

 だからこそ、慎重に歩きながら外を目指す。

 意外にも警備は薄く、すぐに外に出た鳴海は、目を細めた。

 広がる森の静けさが、異様に感じる。

 この時期、冷たい空気は当然だが、別な冷たさが同時に漂っているように感じた。

 その空気の中で、何か固いものを滑らせる音が、ゆっくりと響いた。

 今では、全く聞かない類の音だ。

 一昔前ならば、聞き慣れた……そう、刀を鞘から静かに引き抜いた音、だ。

 そう気づいた時には、体が動いていた。

 鳴海が立っていた場所を斬りつけた少年が、後ずさる狐を振り返る。

「成程な、逃げるのは、得意のようだ」

 その剣の籠った笑い顔を見て、鳴海は思わず声を上げた。

「お前は……まだ、そんな恰好をしているのかっ」

 片眉を上げ、少年は返した。

「お前、自分の姪っ子と、その親の区別もつかんのか? 大した狐だな」

「な……」

「言い訳を見つけて、ここに来れたのは幸運だった。律が来る前に、片を付けてしまおう」

 少年の手元で、長い何かが光った。

 それが、細い造りの日本刀だと、気づく余裕は無い。

 鳴海は必死でその攻撃も避け、森の中に駆けだした。

 動いていなかった体が悲鳴を上げるが、死ぬわけにはいかぬと走り続ける。

 何度か斬りかかられたが、それも辛うじて逃れ、森の奥へと入って行った。

 恐怖に身を震わせながら、それでも何とか少年を振りほどけたかに見えた時、安心して立ち止まり息を整えるその首を、後ろから攫んだ者がいた。

「一応、追われる恐怖を、味わってもらえたのかな?」

 無感情な、若者の声だった。

 悲鳴を上げて振りほどこうとするその手に構わず、若者は無感情に別な方向に声をかける。

「すみませんでした。こんな夜中に、しかも、宿題の途中に」

「いい、いい。明日、志門にでも、教わりに行く。頼んだのはオレなんだから、お前が謝ることはないからな。律の拳骨は、オレが責任を持って受ける」

「全然、気が休まらないんですけど」

 若者の顔が、少し苦笑したが、鳴海を見下ろした時にはそれはかき消えていた。

「やっと、捕まえられた」

「き、貴様、しつこいぞっ。そんなに、あの娘が私にとられるのが怖いのかっ?」

 少年が目を見開き、無感情のままの若者を見返した。

「そうなのか? お前さん、あの子が好きなのか?」

「好き嫌いでいいんですか? それなら、好きですよ。そうでなければ、ここまで気兼ねしません」

「まあ、そうか」

 だが、鳴海が言った言葉は、そう言う意味ではないようだと、少年が首を傾げる。

「やはりかっ、残念だったなっ。私がもう少し力を戻した暁には、あの娘を迎えに行く。それまではせいぜい……」

「やっぱり、日本語じゃないだろう、これ」

 真顔で、セイが遮った。

 水月が、唸って答える。

「日本語ではあるが、使い方が違う気がするな」

「何だとっ?」

「まずな、お前さん」

 目を剝いた鳴海に、少年はゆっくりと切り出した。

「力を取り戻すには、この状況を脱する必要があるはずだ。出来るのか?」

「当たり前だっ。いいか、あの娘がこの地にいる気配がある。こいつは、あの娘の前で私をいたぶれない」

 まさかの、慈悲頼みかと、水月が呆れ返る。

「……ちょっと、語弊があるな。別に、血縁云々に関しては、そう気にしてないよ」

 言いながら、セイは歩き出した。

 鳴海の首を攫んだまま、更に森の奥へと進んでいく。

 無言のまま、少年も後に続く。

「あんたは、今まで会った中で最弱の狐、なんだよ」

「なん、だとっ」

「いつも、弱い者いじめしている気分が、じわじわと湧いて来るんだ。だから、身内がいるだのなんだの、言い訳をしてつい、取り逃がしていたんだ」

 最悪な事態が待っているのが分かるのに、自分では嬲り殺すことになってしまうと考えると、つい躊躇ってしまう。

「かと言って、他の人に封印を頼むのは、酷な位の微妙な力量だ。だからこそ、怒りでの八つ当たりか、ハンデのある時に、勢いで攻撃しようと考えてしまう」

 鳴海が震えているのが伝わるが、それは恐らく怒りのせいだ。

「これ以上放って置くのは、流石に嫌なんだよ。だから、あんたが考えることほどじゃないけど、凝った計画を立てさせてもらった」

 昔ですら顔を顰める事を、平然としでかしていた狐を、どう罰するかを考えた。

 その答えが、その先に転がっていた。

 壮年の男が、気絶しているように見える。

 木々の間に転がされた男の前に来ると、セイは膝をついて狐を引き寄せた。

「な、何をするっ」

 思わず声を上げる鳴海を、大柄な方の男の体に押し付けた。

「弱い獣の妖怪は、強い体を求めて取り憑くこともあると聞いたんだけど、どうだろう?」

「き、貴様っ、この期に及んで、私を愚弄するかっっ」

「そうでもしないと、あんたも私を倒せないんじゃないか?」

 無感情に言って、セイは首を傾げた。

「こちらとしては早く、あんたとは決着をつけたいんだ。どちらかの生死をかけて」

 怒りで赤くなる狐を見下ろし、水月が言った。

「お前さん、力が戻るまでに、この子があの娘を完全に射止めたら、どうするんだ? 一度他の男の物になった女を取り返すのは、簡単ではないぞ」

 若干不思議そうにセイが見返すが、水月は気にせずに続けた。

「不自由でも、強い男に取り憑いて、敵を消してしまってから、力を付けたらどうだ?」

 その言葉に、狐が動いた。

 自ら男に抱き着き、すぐにその体に取り憑き始める。

 体ごと溶け込むさまを見下ろした水月が、小さく何か呟いたが意気込んだ鳴海には聞こえなかった。

 気絶しているせいか、まだ動きやすい。

 起き上がった鳴海は、その傍に膝をつく若者を睨んだ。

「望み通り、決着をつけようではないかっ」

「ああ。もう終わった」

 短い言葉は、意外な物だった。

「何を、訳の分からない事を……」

 苛立って身動きした狐は、気づいた。

 両手の動きが、封じられていた。

 封じている物を見て目を瞬く。

「何だ、これは?」

「知らないのか? 手錠、だよ。今朝、森岡家に捜査の手が入って、この人は逮捕された」

 殺人他余罪ありの容疑だ。

「証拠も着々と集まっているから、この人は有罪確定だ。軽い刑でも無期にできると、いや、して見せると意気込んでいる人もいるから、そうなるはずだ」

 男の名は、森岡篤史改め、酒井匡史。

 数年越しで犯罪を隠し通し、犯罪の温情を作り上げてきた張本人だ。

「お前さん、自分に過剰な自信をつけすぎたな。本来、取り憑くときは生霊の状態にまで、体の厚みを薄くする必要があると聞く。そのまま入り込んでは、同化しただけに過ぎない」

「化けるだけとは違って、そう言う取り憑き方は、あんた程度ではすぐに解除できないと聞いた。その姿で罪を問われて裁かれろ。人間に犯した罪を、人間の裁きで罰を受けて、命を使い果たすんだ」

「貴様、騙したなっっ」

「騙してはいない。言っただろ? ここでもう決着をつけたいと」

 言いながら振り返ると、そこに待機していた男二人が頭を下げた。

「後は、頼む」

「はい」

 刑事の二人は、難なく男を捕え、立ち上がらせた。

「……精神鑑定で、無罪を勝ち取ってくれても、一向に構わないぞ」

 刑事に連れられて行く背に、セイはやんわりと呼びかけた。

「その時は、本当に、精神を殺してやるから。その方法なら、力は関係ないよな。そう考えると、出てくる方が、楽しみだ」

 つい、そのやんわりとした声に振り返った鳴海は、悲鳴を上げてしまった。

 それを見てしまった刑事たちも、顔を引き攣らせてしまう。

 一人その顔をまじまじと凝視した水月は、感心して言った。

「まさに殺し文句だな」

 この地の名士の一つを陥れた事件は、ようやく幕を閉じた。

 数人の不満と、数人の蟠りを残したまま。

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