第6話

 畑中隆の娘が年頃になり、外聞を気にするようになったのが、始まりだった。

「まあ、そりゃあ、そうだろう。遠く離れている場所とは言え、国は同じだ。時々未解決の事件で、自分の父親の名が出てくりゃあ、嫌でも気になる」

「その娘さんを気遣って、文代の幼馴染が訪ねて来たんだ」

 ブンちゃん、スズちゃんと呼び合う仲だったその幼馴染は、小学生の男の子と共に古谷に訪れた。

「その人は、霊視を頼みに来た。畑中隆がある滝の前に置いていたと言う、遺物を持って」

 生憎、古谷の当主義人よしとは留守だった。

 だが、偶々仮眠を取りに立ち寄っていた、セイがその場にいたのだ。

 中々面に出さないが、その時本当に、疲れていたのだろう。

 客間に軽く挨拶をして、そのまま寝間に向かおうとした若者は、テーブルの上に出された一組の靴を見て、固まってしまった。

 文代が気づいてその場を取り繕い、何とかその場から離したが、幼馴染親子が帰った後、心配して寝間に足を向けた夫人に、若者は言った。

「あの人が、この地を去ってから、掘り返そう」

 その短い言葉が、靴の持ち主の今の姿を、容易に分からせた。

「オレと、石川の旦那とで、この人が視た場所を探し出し、適当な言い訳をして、警察に垂れ込んだ」

 瑪瑙の説明に頷き、蓮が続けた。

「二つの白骨死体の発見は、森岡の御隠居から聞いた。身元の確認に呼ばれたらしいが、戸惑っていたな。娘の遺体にしちゃあ、大きすぎるってな」

「ああ、森岡篤史の方は、妻に間違いないと言っていたが、ご隠居は違うと言い切っていた。現当主の方の言が通って、すぐに引き取られていったと聞いた」

 畑中隆の方は、娘の真澄ますみが来た。

 夫人は、旦那が行方知れずになって以来、体を壊して入退院を繰り返していると言う。

「セイは、脱出してからすぐに、古谷に連絡をくれた。もしかしたら、そちらに森岡の手が伸びるかもしれないと。係わりが漏れたのが、あの別宅で分かったんだろう」

 肩越しに振り返った瑪瑙は、未だ眠っているセイを見下ろした。

 熱が出て来たようで、先程腕に巻いていた保冷剤は今、額に置かれている。

「その件が原因だとしたら、セイの存在を森岡にばらしたのは、その古谷夫人の友人、ってことか?」

「立場的に、それはない筈なんだが。あり得るとしたら、畑中の娘に、気休めに漏らした、ってところだろう」

 どちらにしても、うかつな話だ。

 感情的になった娘は、森岡篤史に直接怒りをぶつけてしまったかもしれない。

 その末に、こういう騒動が起こってしまったのなら、娘の身にも何か起こっているかもしれない。

「あり得るな。あの別宅での騒ぎの後、誰か複数を探す気配が、見受けられた」

 鏡月が頷いた。

 蓮が呆れたように首を振った。

「父親の死を知って、取り乱している娘に、そういう類の気休めは、禁句だろうに」

 捕まったのが古谷夫人の幼馴染でも、畑中の娘でも、同じような危険度だ。

 スズと言う女が、畑中家とどんな係わり方をしているかは分からないが、森岡家にしてみれば、どんな些細な事でも、秘密を握る者を放って置く理由がない。

「どちらにせよ、騒いでくれた奴らには、感謝しねえとな。そうでねえと、こいつはここまで早く、あの別宅を出ようとは、思わなかっただろうからな」

「ああ。覚悟していた匂いは、してこない」

 蓮の指摘に頷き、鏡月がしみじみと言った。

 どういう意味かと首を傾げる瑪瑙に、眠っている若者の頬をつねりながら、全盲の若者が言った。

「あの別宅に入り浸りの長男坊は、色好みだ。薬で抵抗がなくなった相手なら、多少見目が悪くとも、手を付けたくもなるだろう」

「……」

 それは、危なかったと瑪瑙も思った。

 これは、側近に知られる以前の問題だ。

 まかり間違って手を付けられていたら、いや、手を付けられそうになっていたと言う事だけでも知れたら、古谷家を中心にした者たちも、怒り狂うだろう。

「そうやって、怒り狂うと言う事を、一度教えてやりゃあ、考えるかもしれねえが」

「いや、どうだろうな。どうしてこれで怒り狂うのか、分からんだろうから、そこまで深くは考えんかもしれん」

 その説明も難しいと、二人の若者は仲良く唸った。

 今現在、自分たちを乗せたワゴン車は、家路についていた。

 瑪瑙の案内した場所の奴らの住処は、簡単に立ち入れない領域だったのだ。

「……中々、手強い奴が相手みたいで、オレも難儀してるんです」

 そこで見張っていた男が、明るく笑って見せた。

「まあ、こいつらが出てきて悪さする分は、ここと街とで抑えてますから、大丈夫です」

「ほう、式を最大限で、使っているのか?」

 鏡月がのんびりと尋ねると、男は首を振った。

「街では、篠原さんと金田さんが、何やら画策していたようですよ。御存知じゃないんですか?」

「金田って、始の事か?」

 蓮が目を見張り、直ぐに据わらせた。

「あいつ、健一を絡ませねえ事で、オレに話が漏れねえように、しやがったな」

「だとしたら、可哀そうだな。あの子、暴れるの好きなんだろ? 河原刑事は、自分の義理の息子の一人を、巻き込んでたってのに」

 瑪瑙が種明かしをし、ここで張っている男を見る。

「誉さんは、向かってくれたのか?」

「ああ。間に合ってくれたと思う」

 頷いて言い、男、石川一樹は真顔になった。

「どうするんですか? これを破れと言うなら、全力でやってみますが?」

「……手伝えと言うならば、私も全力を尽くします」

 運転席から降りた女も、真顔で切り出したが、蓮は小さく笑って首を振った。

「やめとこう。そんな大事にしちまったら、大本命が逃げちまう。ここに籠っている間、ここの奴らは、誰にも手出しできねえだろうから、時間稼ぎは出来るって事だ」

 後はと鏡月を見ると、若者はにんまりと笑って頷いた。

「そろそろ、ネタを流すか?」

「そうだな」

 蓮も、不敵に笑い返して頷いた。

 これを世間に流すことで、二つの抑止力が働く。

 一つは、森岡家の面々の、金力への抑止で、もう一つは、今集い始めているだろう、物騒な面々への抑止、だった。


 セイが山の住処に戻ったと知らせが来たのは、夕飯時を過ぎた、九時過ぎだった。

 看病にゼツと瑪瑙を残して古谷家を訪れた、雅とメルが少し顔を緩めて報告した。

 その場の全員に安堵の空気が漂う中、律が躊躇いがちに問う。

「怪我は、本当になかったのですか?」

「ええ。あったとしても、寝れば治るでしょう」

 雅は答えたが、その声音には別な響きがあった。

 それで納得した狐に目を細め、凌は静かに切り出した。

「あの怪我が、寝ただけで治るのか?」

「あの怪我とは?」

 雅が優しく問うのにも、男は静かに答えた。

「右腕の、あんな怪我でも、だ」

「旦那」

 静かな律の制止は無視し、凌は言い切った。

「あれは、多少の治癒能力では、どうしようもないレベルの怪我だったぞ。何もしなければ、切断しなければならないレベルだ」

「……そうですか」

 雅は、優しく笑ったまま頷いた。

「そんな状態のあの子を、あんな頼まれ方で、見逃したんですか、あなたは?」

 そのまま続けられた言葉は、完全に毒があった。

「見逃した時点で、あなたがあの子を心配する資格は、欠片もありません」

「……」

「ミヤ、顔が怖い……」

 メルが、控えめに友人を宥める。

「いや、その通りだが、お前さん達には、あるのか?」

 静かに、凌が尋ねた。

「あんな状態で、必死に頼まないといけない程、逃げてでも何かをやり遂げなきゃならないと思う程、あの子を思い詰めていたのは、お前さん達じゃないのか? 資格がないのは、オレだけじゃ、ないだろう」

「……役不足は、百も承知です」

 目を伏せたロンの隣で、エンが静かに返した。

「オレたちが良かれと思っても、それが重荷になってると言う事も、あなたに言われずとも分かっています。だが、あなたもオレたちを責められる立場でないのは、承知のはずだ」

 水月の膝の上で、子供が小さく笑った。

「……修羅場が、こんな所で訪れるとは」

「おいおい、面白がってて、いいのか?」

 小さく返す水月の声も、笑っている。

「下手すると、この家が壊れるぞ」

「心配ない。この寺は、檀家が多い」

「……そう言う問題では、ありません」

 小声で窘め、律は昔馴染みを見た。

 誉の方も、困惑して見返す。

 二人は、雅とメルの後ろに座る、若者を同時に見た。

 挨拶もなく、そのまま座っていた蓮は、その視線に気づいて無言で目を逸らす。

 話の切り出しはしないと言う、無言の主張だった。

 律は溜息を吐き、殺伐とした空気に割って入った。

「で、あの子は何処にいたんですか?」

 少し強い口調での問いかけに、その空気は一応和らいだが、無くなったわけではなく、一貫して固い。

 そんな中、問われた若者は、直ぐに答えた。

「森岡が所有する、山の中だ」

「まだ、逃げきっていなかったって事じゃ、ないですよね? 何をやる気だったんでしょうか?」

「さあな、詳しくは分からねえが、一つ言い切れることはある」

 エンの問いに返し、蓮は不敵に笑った。

「どこかの誰かの件も、そろそろ明るみに出す時期に、なったって事だ」

 言い切った若者の目は、しっかりと律の目を見つめていた。

「少し早いとは思うが、限界が来ちまってる。こいつらが動く前に事を治めるなら、もう明るみにするべきだ」

「……お前さんは、どこまで知っている?」

 律がゆっくりと尋ねると、蓮は笑いながら答えた。

「あんたが知ってる程度の事ぐらいなら、調べはついてる」

「……そうか。本当は、うちの後継者がもう少し力をつけてから、暴いていければと思っていたのだが。そうする必要はないほどに、証拠は揃っているのか?」

「ああ」

 若者は答え、律の後ろに座る女を一瞥した。

「証人がいりゃあ、更に確実になるんだが。その件、こっちに預けてはくれねえか?」

「何の話ですか?」

 戸惑うエンから、律の後ろに目を移した凌が、頷いた。

「どこかで見た顔だと思ったが、最近だったな。先週の事件の、顔写真だ」

 死亡されたとされている、女の顔。

 古谷文代と後ろに座っていた女は、顔を伏せて三つ指をついた。

「申し訳ありません」

 その姿を見下ろしながら、律が紹介した。

「……森岡涼子さんだ。十年前、うちの雇い主の引退の折の立食パーティーの場で、保護した」

 そうしてようやく、長く黙っていた事件の全貌を、話し出した。


 十年前、森口律の雇い主は、引退することになった。

 政界では揺ぎ無い力を誇って来たものの、その力の源が弱まってしまった為の、引退だ。

 万全の注意を払ってその準備をし、引退を表明するまでで数年かけ、公表後の送別パーティーが、数日にわたって開催されていた。

 その二日目に、それに気づいたのは、警備でピリピリとしていたせいだけではない。

 代替わり後、初めて夫婦二人で出席したはずのその公の場で、旦那である森岡篤史は、妻である涼子を取り残したまま、挨拶に回っていた。

 女は調子が悪そうに立ち尽くし、しかし毅然とした態度で挨拶には答えていた。

「……森岡篤史は、真面目で妻想いの婿養子です。先代と同席した公の場でも、自然な気遣いのできる人だったと言うのに、その時はそんな様子が欠片もなかった」

 初めの違和感は、律の雇い主も感じたらしい。

 二人はおかしいと頷き合い、瞬時に無言の取り決めをした。

 律はすぐさま涼子に近づき、自分の控室に連れて行ったのだった。

 控室で待っていた若者は、手持無沙汰で居眠りしていたが、ノックをして扉を開けた時に飛び起き、律を見て目を丸くした。

「どうしたんですか。まだ、会場の方にいる時間でしょう?」

「ああ、この人の介抱を頼む」

 短く言われ、きょとんとしたセイは、直ぐに表情を改めて女を見た。

 すぐに身柄を引き受け、ベットに横たえる。

「病気ですか?」

「厳密には違う。つわり、だろう」

 青ざめたその顔を見て、セイが目を見張る。

「森岡涼子さん?」

「よく知ってるな、お前さんの住処より、遠い位置の家柄のはずだが」

「顔だけなら、把握してます。代替わりがあって、旦那さんと二人きりでの公の場は、今回初めてのはずですよね? 旦那さんは?」

 訊かれて、律は少し躊躇って慎重に言った。

「見当たらなかった。お前さんも、探してみてくれるか?」

「? 私が、ですか?」

「ああ。それらしい男はいたが、見間違いかもしれない。見つけたら、連れて来てくれ」

 妙な言い分に首を傾げつつも、セイは会場へと出て行ったが、数十分後に戻って来た時は、眉を寄せていた。

「いませんでした。どういう事でしょうか? 奥さんを一人、放って帰る人じゃ、ない筈ですけど……」

「……そうか。似た男は、いなかったか?」

 更なる慎重な問いに、セイは顔を強張らせた。

「……双子の兄弟のような男なら、いましたけど、あれが、森岡篤史でしたか?」

 強張らせるだけではなく、青ざめた顔に律は首を振って笑った。

「いいや、すまん。不安がらせたか? 私と同じ見立てだ。良かった。全快したようだな」

「そうなんですか?」

 戸惑うセイはそのままに、律は真顔で涼子を見た。

「あれは、誰ですか?」

 見返した女の顔が、泣き顔になった。

「気づいたんですか、あれが、篤史でないと?」

「ええ。似てはいますが、あれは、別人でしょう?」

 涼子は何も言えずに、何度も頷いた。

 そうして、手で顔を覆う。

「何があったんですか? 本物の旦那さんは、どうしたんですか?」

「どうすればいいのか、私にも分からないんです。子供たちも、あの後どうなってしまったのか……お願いです、助けて下さい。せめて、子供たちがあの男の手にかからない様に……」

 泣きながら懇願する女をセイに任せ、律は近くの部下に声をかけた。

「すぐに、森岡家に探りを入れて、子供たちの安否を確認しましたが、遅かった」

 顔写真を手に確認して来た部下が、顔を強張らせて報告した。

「……全く別人の子供が、二人住み込んでいます。この子たちの姿は、見受けられません」

 報告を聞いた律も雇い主も、深く唸ってしまった。

「よもや、この時代にこんなけったいな話が、身近に起こるとは」

「長生きしてみるものですね」

 感心する夫婦の傍で立ち尽くす律に、部下がその後の伺いを立てる。

「どうしましょう? 保護の準備が必要なら、手配しますが」

「そうだな。まずは、ご夫人の身の安全の確保が先か」

 頷いて部下を動かして控室を覗くと、ベットに横たわる女の枕元に座るセイが振り返った。

 律の固い表情を見て、いい結果ではないと察したらしい。

 夫人を見下ろし、小さく言う。

「ご主人の弟を名乗るあの男が、訪ねて来たそうです。目の前でご主人を刺したところまでは見たけど、その後の消息は分からないと。最近までこの人は、部屋に軟禁状態だったそうです」

「そうか」

 短く言った狐に、若者は夫人を見下ろしたまま尋ねた。

「ここの雇用期間、少し減らしてもらえませんか?」

「駄目だ」

 短い拒否に、セイは顔を上げて律を見た。

「契約したからには、三年間きっちり、うち専属で働け」

「ですが、これは、片手間で解決できる問題じゃあ、ないです」

「片手間ではしない。うちは、使える者が多いのが売りだ。何人かそちらに当てれば、問題ないだろう」

 セイの顔が、戸惑った。

「あなたが、この件の探索ごとに、係わるんですか? 畑違いじゃないですか」

「畑違いではあるが、出来ない事じゃない」

 とはいえ、得意ではないのは事実で、何とか調べが進み始めた数か月後、あの事件が起きたのだ。

 古谷氏の座敷部屋に集った面々の数人が、妙な顔になっている中、律は話を続けた。

「その時も、セイから手伝いの申し出を受けましたが、畑中家の保護までは、この地から離れた所の方がいいだろうと、断りました」

「お前なあ」

 凌が、呆れた顔で口を挟んだ。

 律の前に座る水月が、無言で呆れ顔になっている気持ちを察し、代弁する気持ちで言う。

「物事を勢いで引き受けて、頑固になるところは、ガキの頃から治らないな」

「……勢いで、この件に係ったわけではないです」

 ただ、あの時はまだ、あの若者を動かしたくなかっただけだ。

「例の異国での映画撮影を装った件、あの当時はまだ、三年契約の途中でした。療養を兼ねた契約のつもりが、居候が増えた上にその一人が、逆効果な行動をとってしまいまして、これではここでの療養は無理だと、地元に帰したんです。満了となるはずの後数か月は、大人しくしていろと言っておいたのに……」

 そう言えば、その文句を本人に告げる余裕が、今までなかったなと律は思い出した。

 が、それ以上その事を気にする前に、隣で妙な顔になっていたオキが、問いかけた。

「それ、あの時期の話だな? お前の所に立ち寄った時に、家事手伝いの名目で、セイが雇われていた時期」

「ええ」

「療養、って、どう言う事?」

 ロンの指摘で、言ってはいけない事を滑らせたと気づき、狐はつい顔を顰めた。

「言葉の綾です。永く一人で動いていたようなので、疲れているだろうと、簡単な仕事を割り振っていただけです」

「……」

 水月が顔を上げて、弟子を見た。

 が、相変わらず何も言わない少年の代わりに、今度は誉が声をかけた。

「増えた居候と言うのは、この子の他に、何人いたんですか?」

「……一人です。カスミの旦那、あなたの娘さんです」

「知っている。あの節は、すまなかったな。まさか、日本に売られてきていたとは」

 真面目に答えるカスミだが、本当に知らなかったのか、怪しい。

「金持ちの間を転々と売られ歩いて、あんたらの目に止まったらしいな。その間に、シュウ・レイカと会ったらしい」

 そのシュウ・レイカと連絡を取って会ったのが、あの現場に入り込む理由となったらしいと、蓮は簡単に伯母の事情を話した後、小さく笑った。

「そうか、あんたのとこにいたから、あの三年、仕事で顔を合わせなかったのか」

「そういうことだ」

 含みのある会話で、二人が事情を把握する中、カスミが真面目に意見した。

「療養と言うのなら、リハビリも兼ねていた方が、良かったのではないか? あの場で選出すべき役者は、本当ならば適度なプロのはずだったのに、考え過ぎて超ド級のプロを選出してしまっていたぞ。あれが、いい感じの綻び具合になったから、私としては楽しかったがな」

「……旦那、話を戻してもいいですか?」

 これ以上、この話をしていては、荒波が立つ事態になると、律は少し口調を強めてカスミを牽制した。 

 不審がられているのをひしひしと感じながら、咳払いして話を戻す。

「一年前、久し振りに森岡家の件で、あの子から連絡がありました。本腰を入れて、この件を調べ上げると。連携できる事態なら、また連絡すると言われましたが、こういう事態になるとは」

 調べ上げるだけなら、うまくやれる子だから、まさか森岡家に捕らわれていしまうとは、思わなかった。

「ここに、森岡夫人がいるって事は、あいつの事が漏れたのは、畑中真澄の方から、なんだな?」

 蓮の問いかけに、狐は無言で頷いた。

「あの別宅に、その娘もいたんだな?」

「……娘が、何も言わずに姿を消したと、部下から知らせがあった。すぐ後にその居場所は特定できたがそれと同時に、あの子が連れて来られたと」

 こちらは片手間の状況で、直ぐに飛んでいくことが出来なかった。

 だが、部下たちを危険に晒す訳にはいかず、待機を命じた。

「娘の方は、見つけた時には尋問が終わった後だったらしい。助け出した後、治療を続けてはいるが、未だ良い報告はない」

 森岡夫人が顔を伏せた。

 そんな夫人を見向きもせず、律は蓮を見つめた。

「あの子の方は、じきに回復するのだな?」

「ああ。だが、あいつはこの連中を心配させちまったから、説教の一つと謹慎処分くらいは、仕方ねえ。当分は、動けねえと見てもらった方がいい」

 その代わりと、若者が笑った。

「オレが知る情報を、あんたの情報と共に、マスコミに流す」

「では、こちらもうちの雇い主の昔の特権を利用して、動こう。その折に、警察の力も借りるが、いいか?」

 律の切り出しに、高野が笑った。

「勿論です。こちらで準備できるものがあったら、何でも言って下さい。非合法のものでなければ、揃えます」

 話が、まとまりかかるのを、慌ててメルが遮った。

「待てよっ。警察やマスコミに流すだけで、収まる話かよっ?」

「そ、そうよっ。怪我無く帰ったとはいえ、あの子もひどい目に合ったんでしょ? そいつらには、相応の罰を、あたしたちの手で、与えてやらないと、気が済まないわ」

 凌が唸るのは、複雑な心境を、言葉に表せないからだ。

 強い意志を感じる連中に、法に準じている面々が顔を合わせ、何とか宥める言葉を探していたが、静かな声がその無駄を省いた。

「酒井鳴海。こいつは、酒井匡史まさしの従兄弟と言う触れ込みであの家にいるが、実際は違う」

 蓮が言い、興味を引いた後にゆっくりと続けた。

「こいつは、ちと質の悪い男の狐でな、こいつを叩かねえ事には、恐らくは刑事事件としては、ややこしい事態になっちまう」

 事実をさらけ出しても、情を最大限に利用して、厄介な事態になるであろう。

「それでは、こっちの雇い主の時間的に、困るんだ。まだ、健在だが、微妙な年齢になっちまったし」

「なら、その男の狐は、早急に片付けなければならないんですね?」

 エンが穏やかに笑うのに笑い返し、若者は首を傾げた。

「出来るのかよ? そいつ、蘇芳と寿の、弟だぞ?」

 エンが、目を見張った。

 オキも、目を剝いて律を見る。

 が、ロンは鼻を鳴らして返した。

「だから、どうだって言うの? 寿ちゃんの事はよく知ってるけど、今は別に親しくないわ」

「そうだよっ、そんな性悪な弟、早く片づけるに越したことは、ないだろっ」

 蓮は、溜息を吐いた。

 そして、黙ったまま座る雅の背中を見た。

「……おい、言って置かねえと、いけない場じゃねえのか?」

 女が、肩越しに振り返る。

「何を言えと? メルの言い分は、納得のいくものじゃないか」

「本当に、いいのか?」

 数人が躊躇う気配を察し、凌が溜息を吐いた。

 憎まれているのなら、とことんそうしようと覚悟した声で、男は続けた。

「お前さん、寿の娘だろ?」

 数人が息を呑む中、誉が目を剝いて声を出した。

「え、じゃあ、ミヅキの旦那の、娘さんっ?」

 はっとした数人が、一斉に律の前に座る少年を見た。

「……あんたがいなくなってから、素直な連中が、増えたんじゃないのか?」

 いい事だが、この場では有り難くない素直さだ。

「お前が困って嘆く様が見れただけ、今回は重宝な経験だったな」

 秘かに嘆いた水月の膝の上で、カスミは小さく返しただけだった。

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