第4話

 年齢的に、そろそろ就業してはいけない時刻が、近づいていた。

「最近、こんな状況で、給料もらっていいのかってくらい、暇なんだよな」

 今日解散する間際、そんな事をぽつりと言ったのは、中二の少年だった。

 家の事情でささぐれ、町をさ迷っていた時に、ある人にスカウトされた。

 喧嘩っ早いその少年は、他に集められた少年たちと共に、その人の頼みでバイトをしていたのだ。

 基本、学校に行く時間帯を終えた時刻から、二十時前後まで。

 時給は、高校生バイトより多い位の金額だ。

 仕事内容は、集められた少年たちが得意とする分野で、本来は嫌がられる行動のはずだが、やり方によっては有り難がられることを、思い知ったバイトだった。

「明日は給料日だ。土曜日にでも集まって、打ち上げでもしないか?」

 明るく問いかけたのは、高校生の少年だ。

 喧嘩三昧の毎日だったが、最近は妙に笑顔が増えた。

「勿体ねえから、安い食いもん持ち寄るってのなら、やらんでもない」

「忘年会の時期に、そんな辛気臭い打ち上げ、出来るかよ」

 そもそもそんな年齢でもないと、突っ込みを入れたいが、まとめ役の少年は苦笑したまま、会話を聞いていた。

 中一の少年だ。

 この中では最年少で、まだ成長期真っただ中だ。

 少年は、義理の親が受けた依頼を手伝うため、バイトに見合う人材を探した。

 相手を見繕う事から始め、逃げて来るまでの手配も、この少年が請け負っていた。

 もし不手際があって、誰かが補導されたとしても、その依頼者がどうとでももみ消すと請け負ってくれているから、気楽な仕事だったが、今のところ補導者を出すことなく、無事今日の就業を終えた。

「じゃあな、しん。気をつけて帰れよ」

「はい、お疲れ様です」

 少年たちが呼びかけ、それに答える少年は、最初の彼らの反応を思い出しながら、その変化にしみじみする。

 初めは、この瞳の色や容姿で、目を付けられた。

 成長途中の体と、色が違う双眼。

 絡まれるようにわざと容姿を隠さず街に繰り出し、引っかかった少年たちを根気よく説得した。

 時には乱暴な話し合いになったが、友人との殴り合いに比べれば、どうと言う事はない。

 拳での話し合いの後、刑事である義理の父が間に入り、そのバイトを切り出す。

 本来の依頼者は、バイトの報酬だけを、出してくれている。

 だから少年たちは、その依頼主を知らない。

 数年前から街の子供たちを狙う、カツアゲや暴行が増え、それを憂いた大人が団結し、自腹を切る覚悟をしたのだと言う話は、どこからも流れないだろう。

 秋の体育祭が終わった頃から始め、今はもっぱら、ある群衆を相手取ることが多かった。

 作業は簡単、そいつらが標的にした被害者を、横合いからかっさらって喧嘩を売り、事を大きくして逃げる。

 時給制だから、そいつらが現れない日でも、報酬はもらえる。

 世間の役に立っていると言う自信がついて来たのか、少年たちの荒んだ目は、日に日に明るくなった。

「後は、就職に触らないくらいには、学業に専念しようと言う気概が出てくれれば、これも更生に使えるんだろうな……」

 他校の先輩方を、手を振って見送りながら、速瀬はやせ伸はそんな事を思っていた。

 義理の父の河原かわらたくみは、自身がぐれた時期があるせいか、不良と呼ばれる少年少女に優しい。

 母を幸せにしてくれているその人の役に立つなら、昔の悪い所を利用することなど何でもないと、そう思っている少年は、家に戻る途中に当の男からの連絡を受けた。

 本日の成果を報告する前に電話を受け、不思議に思いながらも携帯電話に出ると、男の声は緊迫して言った。

「もう、そっちは終わっているな?」

「ええ。今日は、平和に終わりました」

 その短い報告でも、何らかの誉め言葉を返す男が、今日はそれを抜いて続けた。

「よし、すまんが、これから向かって欲しい所がある」

「え、もう他の人たちは、帰しましたよ」

「お前だけでいい、時間を稼げ」

 まくし立てるように言い、場所だけ言って切ってしまった。

 少し前まであった短気さが子供にも滲むことが、この数か月ほどはなくなっていたから、何か良からぬ事が起こったようだと、伸は察した。

 家に向けていた足を、すぐさま言われた住所の方へと向け、走り出した。

 目的地の門の前に、黒いワンボックスカーが横付けしているのを見つけ、伸は足を緩めて少しゆっくりと近づく。

 背負っていたリュックを下ろして、手に提げながら門を潜ると、そこには数人の人がいた。

「……速瀬君?」

 すぐ前に立っていたのは、その家に住む少年だ。

 高校一年の、伸の学校の先輩でもある。

 背後を怪しい男に取られたまま、伸を見止めて目を見張った。

「ど、どうしたのですか? こんな時刻に?」

「あ、お取込み中ですか?」

 玄関先で、家の者が誰かともめている気配があるが、それに気づかぬ振りで伸は笑顔を向けた。

「実は、宿題で解らない所がありまして、古谷先輩になら訊けるかなと。ほら、金田かねだはあてになりませんから」

 目を瞬いてそれに答えようとした古谷志門しもんが、顔を引き攣らせた。

 伸の背後に、音もなく近づいた男が、舌打ちして言った。

「後片付けが面倒だが、仕方ねえか」

 その手にある拳銃の銃口は、少年の後頭部にあった。

 躊躇いなく引き金を引いたが、軽い音が響いただけだ。

「残業分だけでは、割に合わないな、これ」

 伸が小さく笑い、リュックサックを振り上げた。

 意外にも威力があり、男が声もなく沈む。

 玄関を背に立つ少年の後ろで、男が目を剝いた。

 その瞬間、志門も動く。

 振り向いて男の持つ拳銃を攫むと、鳩尾に反対の手を叩きこんだ。

 これも、意外に強く、男は目を剝いたまま失神した。

 屋内でももみ合う音が続き、自動車内で待機していた男が舌打ちする。

 運転席から、すぐ傍の少年に向けて、銃を発砲した。

 声なく立ち竦んだ少年が倒れる前に、家内に声を投げる。

「早くしろっ。ガキと女だけでもいい」

「随分、堂々とした誘拐犯だな」

 低い男の声が、答えた。

 男のすぐ傍で。

 振り返る前に、男の拳銃を持った手首を攫まれた。

 そのまま小さな窓から引きづり出され、首を攫まれて宙づりにされる。

 目の前に迫ったその顔に、男は喉の中で悲鳴を上げた。

 岩のようにでかい、大男だった。

 首に手にかかる手の指も、その一本一本が太い。

「私の主の大事な息子に、何をやらかす気だった?」

 その姿を見た志門が、つい力なく呼びかけた。

ほまれさん、いらしていたんですか……」

 一瞬安堵してから我に返り、撃たれた少年を見た。

 伸は、目を瞬いて立っていた。

 その目の先の石造りの門に、何かが刺さっている。

 それが何なのかに気付き、志門が信じられない思いで、それを投げられたと思しき方角を見た。

「若? お戻りに、なったのですか?」

「いや、すまん。ぬか喜びさせる気はなかったんだが、使える飛び道具の持ち合わせが、なかったんだ」

 誉が、つい男の首を絞める手に、力を込めた。

 声の方を見る大男に、長身の男が苦笑した。

「こら、締め過ぎだ。死なせたら、流石にまずかろう」

 暗くなった道路を歩いてくるのは、銀髪の男だった。

 誉程大柄ではないが、少年たちが見上げる程の大男だ。

「あなた、この辺りを、縄張りにしていたんですか、いつから?」

 無造作に男を落とし、誉が睨みながら男に問うが、問われた方はそれに答えず、刺さった刃物に手をかけた。

「おいおい、どれだけ念入りに研いでるんだ。こんなに深々と、石に刺さるとは。実用性が高いな」

「あんな距離から、石に突き刺せるのは、あなたぐらいです。相変わらず、馬鹿のような力ですねっ」

「馬鹿はひどい」

 言いながら、誉の知り合いらしい男は、刃物を引き抜いた。

 その下から、石の欠片と共に、何かが零れ落ちる。

 見下ろした伸が、思わず目を凝らした。

 右手を開いて、そこに乗っている数個の銃弾と、見比べてみる。

 二つにへしゃげる様に分かれているが、落ちているその何かも、銃弾のなれの果てだった。

 呆然とする少年の傍に近づき、志門が新たな男に問いかける。

「その苦無の持ち主の方と、お知り合いですか?」

「知り合いじゃなかったんだが、数時間前に、知り合いになった」

 言いながら笑い、顔を玄関先へと向けた。

 引き戸が開かれ、男が出て来る。

 警棒を片手に下げたその男は、倒れている者たちを一人一人見回し、立っている少年たちと男たちを見た。

 そして、背後に呼び掛ける。

「警察が来る前に、戻りましょう。まだ、時期が早すぎます」

 答えて出て来た人物を見て、銀髪の男が目を細めた。

「……ん? どこかで見た顔だな」

「気のせいです」

 四十過ぎの女と、十歳前後の子供を背に庇い、男が素っ気なく答えた。

 それからようやく、二人の男に挨拶する。

「ご無沙汰していますお二方。誉さんに至っては、数十年顔を合わせていませんね」

「あなたも、ここにいたのか。志門に害のあるこの事態、見逃すわけにはいかないんだが?」

「すみません。私が来た時には、既にその子は、家の中にいなかったもので」

 来たのは、伸よりも後だったと答える男に、誉が呆れた顔になった。

まじないをかける必要のある人を、連れ去られるまで放置していたのか?」

「縛るわけにもいかないのが、人間との共存の難しい所です。私たちの様に、物事だけで動ける生き物ではないのです」

 素っ気なく言い、男は再び背後を振り返った。

「警察が来るまで、あの人たちには知らせないでください。そのつもりはなさそうですが、念のため」

「承知しております」

 見送りに来た和服姿の男が、その背後に妻と娘を庇いながら、頭を下げる。

「お手数を、おかけしました」

「いや、こちらこそ、対応が遅れてすまなかったな。命の危険の度合いが高い方を優先してしまって、小さい子供に入らぬ恐怖を、植え付けてしまった」

 少し微笑んで綾乃を見下ろし、そのまま親子を連れて立ち去ろうとするのを、銀髪の男が止めた。

「律、お前、今日は一人なのか?」

「いいえ。一度宿に入ったのですが、この人たちがここに向かったと報告を受けまして、急いで来たところです」

「そうか、なら、ついでに会って行ったらどうだ? お前はそうでもないようだが、そいつの方は、会いたかったようだぞ」

 何を言っているのかと眉を寄せ、直ぐに気づいて振り返った。

 無数の足音が、こちらに近づいて来る。

「律っ?」

 身を隠す間もなく見つかり、律は空を仰いだ。

 見知った男が数名、古谷家に到着した。

 と同時に、サイレンを鳴らさず、パトカーが到着する。

「伸、無事かっ?」

 パトカーから転がり落ちるように出て来た男が、少年の姿を見止め、駆け寄って来る。

「……あんな指示で、あんな危ないことさせて、無事かも何もないです。特別手当つくんですよね?」

 目を細めて答えながら、伸は男の手に掏り取った銃弾を乗せた。

「後は、よろしくお願いします」

「済まなかったな、疲れてるだろうに」

 高野信之に労われ、曖昧に答えた伸は、走って来た者たちの中に、知り人を見つけた。

「……お前、確か、リヨウの……」

 オキが目を見張り、伸も慌てて頭を下げた。

「あの節は、本当にご迷惑を……」

「いい、いい。腕は何ともないんだな、もう?」

「はい。意外に、治るのが遅くて難儀しましたが、もうすっかり」

 恐縮しながら答える少年の後ろで、河原巧が苦い顔だ。

「……動かすなと言っても、聞かなかったからだろうがっ」

「利き手なんだから、仕方がないでしょう?」

「開き直るな」

 小憎らしい事を言う少年の頭を攫み、軽く揺さぶりながら叱る男を見やりながら、松本勝が銀髪の男に声をかける。

「凌、若の手掛かりが、ここにあると言うのは、確かか?」

「社長、運動不足が過ぎるぞ」

「やかましい。幾つだと思ってるんだ。オレはこう見えて、もう中年だ」

「心配しなくとも、そう見えてる」

 まだ息切れ気味の上司に軽く返し、苦い顔になった律を見返した。

 まだ、逃げ道を探している気配がある狐に苦笑し、オキを見る。

 その後ろには、血相を変えた甥っ子と、事態を把握しようと目を細める、甥っ子の息子の姿もある。

「お前さんたちが探している子は、利き手が左なのか?」

 唐突な問いに、エンが首を傾げながら答えた。

「どちらと、考えて使っているようには、見えないです」

「? 答えか? それは」

「昔から、手に関しては無頓着なんです。しばらく、付いていなかったもので」

「エンちゃん」

 ロンが、声を抑えて呼びかけた。

「今はそう言う話、止めて頂戴。少しでも情報が欲しいのよ」

「いや、よく分かる答えだ。そうか、だから、どうでもいい、か」

 あの電話の後、凌はすぐに地元に戻り、忍を家に帰した。

 その間に調査したことの裏付けを取ってもらい、ある事実を知って古谷を訪ねた。

 まさか、既に拉致寸前にまで、事が動いているとは思わなかった。

「森岡夫人の幼馴染が、まさか古谷家に嫁いでいたとは、知らなかった」

「言う必要ないと思っていた。森岡家とは元々、面識はないからな」

 家の嫁の方の、交友関係にまで首を突っ込むのは、礼儀に反するだろうと言われて頷いたが、その顔は律の顔を伺っていた。

「なあ、そのご夫人は、どこの誰だ?」

「言う必要性を、感じないのですが」

「古谷家の面々を、巻き込む事態になったのに、必要性がないか?」

 その言葉に、律は警察関係者を見た。

「檀家の方への、信頼問題になりますので、大袈裟には騒がせません」

 高野が頷くと、松本が呆れて返した。

「ここまで大事になっては、それは無理だろう?」

「若がいなくなったと、連絡を受けて後より、この家の周りには、皆さまの動きに触らぬ程度の薄さの、壁を張っております。騒ぎになる心配は、ありません」

 息切れ気味の声が、オキ達の後ろから答えた。

 山から駆け下りた男たちに、ようやく追いついた塚本だ。

「あの方が、今取り扱っている事案には、古谷家が係わったものも、ありましたので」

「それは、この女性が係わった事案か?」

 律が、慎重に問うと、塚本は微笑んで否定した。

「違いますので、ご安心を」

「そうか、ではやはり、係わりがないと言う事だな?」

「はい」

 初対面のはずなのに、妙に息があっている。

 目を細めながら、どこから崩すか考える凌は、古谷の面々とここに集まった男女と少年を見回した。

「……ん?」

 その傍で、松本が何かに気付いて、目を細めた。

 が、考えた末に、何も言わぬと決めたようだ。

 その様子に気付き、凌がもう一度面々を見回した。

 そして、一人足りない事に気付いた。

「社長、あんたんとこの、元祖は、ここに入り浸りじゃないのか?」

「あ、ああ。気軽な人だから、いない事の方が多いと聞いてる」

「はい。数日前より、どこかで頼まれごとをして、そちらに行っております」

 古谷家の当主が、やんわりと付け加えた。

「若も瑪瑙めのう殿も、不在の日を狙われるとは、まだまだ日ごろの行いが、よろしくない様で」

「いや、日ごろの行いは、関係ないだろう」

 凌は笑い、続けて問いかけた。

「この家絡みの件とは、何だ? 刑事事件か?」

「本来でしたら、ご遺族が訴えるものですが、それでは少々分が悪いようでして、私の方で訴え出る手はずを、取っている事件でございます」

「刑事事件で扱えなくなった事件なんです。だから、この件は、その件で有利に持って行く材料に、使ってもらいます」

 高野は、塚本と目を交わして頷き合った。

 これは手強いと、凌が小さく唸った時、全く別方向から助け舟が現れた。

 誰かの携帯電話が、高らかに受信を告げた。

 驚いて電話を取り出したのはオキで、振り返った律が肩を落としながら言う。

「マナーモードにしておいてください。これが内密の仕事中だったら、命がありませんよ」

「分かってる。今は、連絡待ちだから、こうしてるだけだっ」

 責め口調に反論しながらその相手を確認し、オキは目を剝いた。

「セイ?」

 全員が目を剝き、応対した男を見た。

「無事かっ? ……ん? 何で、お前が、この電話を持ってる?」

 気が抜けた声で相手に返し、周囲に顔を顰めて首を振って見せた。

 落胆する一同の中に、戸惑う顔を見合わせる者が、数人いる。

 そんな空気の中、オキが目を見開いた。

「そ、そうなのか。ち、ちょっと待て。オレは、休んで欲しいと思うが、こいつらがどう言うか……」

 目を見開いたまま顔を上げ、ロンに声をかけた。

「蓮だ」

「え、何で、あの人が、セイの携帯を?」

 エンが目を見開き、思い当たった。

「まさか……」

「ああ、保護したそうだ」

「怪我はないのっ?」

 詰め寄るロンに、オキは身を引きながら答えた。

「ああ。大丈夫だそうだ。今、疲れて眠っているそうだ」

 凌は目を細めて見たが、気にする事なくオキは言った。

「すぐに連れて来いと言うならそうするが、どうすると訊いてる。オレは、起きて自分の足で戻って欲しいが……」

「いや、連れて来るように伝えてくれ」

 エンが男を遮った。

「いや、しかし、眠っていては、事情も何も話せんだろう?」

「寝起きに訊く。それが一番、話を誤魔化される心配がない」

「それに、蓮ちゃんにも、事情を聞いておきたいし」

 一体、どこで見つけたのか。

 それを、訊いておきたいとロンも頷いた。

「……見つかったのですね。なら、私にも用はないでしょう。そろそろお暇します」

 その様子を眺めていた律が、静かに告げて頭を下げた。

「律、あなた、ここの片づけを、丸投げで行く気ですか?」

「いけませんか?」

「未成年まで、事情聴取を受ける羽目になってるんですよ。フォロー位してください」

 大きな図体に逃げ道を塞がれ、律は溜息を吐いて誉を見上げた。

「古谷家の面々の、迷惑になると思うのです。この人たち目的の犯行と言う証拠がなければ、裁判沙汰が嫌で暴れに来ただけと、判断してもらえるのでしょう?」

「ええ、そういう事になります」

 高野が頷き、それに笑いかけた律は、また頭を下げた。

「では、失礼します」

「おい、律。オレが問題にしているのは、そう言う公にする部分の問題じゃ、ないんだが?」

「煙に巻く気なのなら、相手を見てやって欲しいんですか」

 しつこい二人の大男を見上げ、律は大きく息を吐いた。

 後ろに、戦力外の二人をつけていては、逃げられない。

 どうするかと考える狐に、気楽な声がかかった。

「そっちの方は、終わったのか?」

 三人の男が、鋭くその声の方へ顔を向けた。

 律も振り向いたが、呆れながらゆっくりと返事する。

「終わりました。あなた、ここまで、どうやって来たんですか?」

 つられてそちらを見たオキが、道路の方からやって来る人影が誰かを見止め、目を剝く。

 凌が後ずさる様を見て、首を傾げていたエンも、目を剝いた。

 オキは、小柄なその少年を見て唸り、エンは少年が抱きかかえている、小さな子供を見て唸った。

「交通機関だ。何されるか分からん人を抱えて、走るのは流石に嫌だったんでな」

「そうですか。では、帰りましょう」

 あっさりと言った律に頷き、水月もあっさりと答えた。

「ああ、帰ろう。……ここなら、倅もいるからいいだろ?」

 抱きかかえていた子供を下ろすと、子供が真面目に答えた。

「何だ、久し振りに会ったのに、つれないな」

「いいじゃないか。滅多に見れない、凌の旦那の用心顔が見れただけでも、良かっただろう?」

 少年は言いながら、律から距離を取った、銀髪の男に笑いかけた。

「久しぶりの悪友に、その態度はないだろう。クリスの旦那には、聞いたんだろ、呪いが消えた事は」

「……」

 ある騒動の後に聞いてはいたが、矢張り用心してしまう凌は、慎重に笑った。

「念には念を入れてるだけだ。お前は呪い持ちでなくても、オレにとっては強敵だからな」

「誰にとってもそうだ」

 思わず言ってしまったオキに、水月はようやく目を向けた。

 目が合った事にたじろいだ男に、少年は前触れもなく飛び掛かった。

 隣に立っていたロンが、思わず飛びのくほどの勢いだった。

「オキ、お前、随分、男前の姿を貰ったんだな。どっちの姿だ? ランか、ジュラか?」

「うわっ、止めろっ。何をするっっ?」

「この辺りの肉付きが……」

 ぺたぺたと体中を触り始める少年に、二人以外の全員が音を立てて引いた。

「私の事は、余り触ってはくれんのだな。残念だ」

 取り残された子供がしみじみと言い、律を見上げた。

「帰らずに、この連中と手を組んではどうだ? その方が、早く片がつくと思うが」

「出来ません。蓮と言う子が、ここに来るんでしょう? 私と顔を合わせるのは、酷です」

 返してから、疑問の目を向ける。

「なぜ、子供の形で、水月と連れ立っていたんですか? カスミの旦那」

「話せば長い。お前、これからどこに戻るんだ?」

「藤原家が所有する、別宅です。森岡家に近い場所にあるので、丁度いいと借りました」

 カスミと呼ばれた子供が、頷いた。

「腰を据えて、早く動いた方がいい。このままでは、出し抜かれるぞ」

「……この人たちにそうされぬよう、動いているつもりですけど」

「そうではない」

 子供は真面目な声で、きっぱりと言い切った。

「セイに、出し抜かれると言ったのだ。その証拠に……」

 カスミは、目を剝いて見下ろす狐を見返し、続けた。

「私が、さっきまでいた場所の連中は、すでに土に返された」

 水月が振り返り、腰を落としたオキの膝の上から、飛び降りた。

「やり兼ねない気配はあったが、果たしてあの子の仕業か?」

「あの子がやったのでなくとも、画策していたのは事実だ。その意に沿った誰かの仕業なのだから、意味合いは同じだ」

「訊きたい事は色々あるが、まずはお前、どこにいたんだ? 連中とは誰の事だ?」

 凌が、ようやく用心を解いて静かに尋ねると、カスミは無邪気な姿のまま、叔父を見上げた。

 そして、世にも奇怪な遊びを、報告したのだった。


 宿泊の家に残された水月は、森岡家のその後の騒動が、気にかかっていた。

「あの子がちゃんと逃げ切れたかも分からんし、律は大丈夫だと言ってはいたが、あの状態できちんと戻れるのか、気になった」

「多分、大丈夫だったとは思う。崖から落ちた時足をひねったようで、立ち去る時少しだけ歩き方が、おかしかったが」

 曖昧ながらもしっかり頷く凌に、目を据わらせたロンが詰め寄る。

「そんな状態で、よく大丈夫と言えますねっ?」

「というか、崖? 落ちたって、どう言う状況ですか」

 エンも、唸ってしまう。

 結局、古谷家の一室に腰を据えた面々は、情報交換を始めた。

 幼い子供たちは就寝し、中学生の少年は刑事の一人に送られて帰宅した。

 警官が、不法侵入した男たちを連行した後、古谷家の夫婦と志門、律と連れの女性を含む数人が、入り組んで来た話を解すべく、自分たちの持つ情報を話し出した。

 律が渋々、森岡家の別邸でセイと会った話をし、水月がその後の事を話す。

「藤原の別宅は、森岡家の本邸に近いんで、主とやらの動向で、あの子のその後も分かるかと思ってな、行ってみた」

 あそこにいた小太りがそうかも知れないと思ったが、律の部下を捕まえて訊いたら違うと言う。

「あれは……長男です。確か、二十歳過ぎたばかりのはずです」

「肌の張りはあったな。息子と聞くまでは、若い当主だと納得しそうになっていたのだが。まあ、そういう訳で、森岡家に忍び込んだ」

 最近は、セキュリティが強化されている豪邸が、多いと聞いている。

 が、死角を見つけるのは、造作もなかった。

 水月は、屋敷の奥の主人の居間に向かい、見つけた。

 スーツ姿の女と、長身の中年男。

「どちらかというと、女の方が苛立って、男を責めていた。あの子を取り逃がし、まだ行方が分からないとな」

 どうやら、やり手の弁護士は、この女らしい。

 セイは、逃げ切ったらしいと安心し、屋敷を出たのだが……。

「戻る途中、妙な気配を感じた」

 獲物を襲う、獣の気配に似た、大きな生き物の気配だ。

 近くの雑木林の中からだ。

 眉を寄せてついそちらに向かったのは、追っている獲物が、人の匂いだったからだ。

 しかも、子供だ。

 追っている獣の気配は五つで、子供は一人。

 どう考えても、分が悪い追いかけっこだった。

 カスミが頷いて、自分の事情を説明した。

「実はな、変質者を揶揄って、遊んでいたのだ」

 誉が、咳込んだ。

 耳を疑う刑事たちと古谷家の面々の前で、水月が爆笑した。

「あんたらしいな。で?」

「獲物を探して放浪していたら、奴らが私を捕まえたのだ」

「成程」

 少年が一人納得し、再び説明した。

「どうも、わざと逃がして狩り気分を味わっているようで、笑いながら五人で追いかけていて、胸糞悪くなってつい、助けてしまった」

 助けてから、気づいた。

 昔馴染みが、化けている事に。

「愛らしすぎて、初めは騙されてしまった」

「そうか。お前に言われると、褒められた気がせんのは、何故だろうな」

「被害妄想はやめろ。ちゃんと褒めているのに、失礼だぞ」

 昔懐かしいじゃれ合いに、誉が溜息を吐き、凌が呆れたように呟いた。

「話しても、長くはないじゃないか」

 そんな二人を見守りながら、律は考え込んでいた。

「女の弁護士、ですか。敏腕だと聞いていましたが」

「……丸め込みが、上手いだけだろう」

「……?」

 一瞬、声が固くなったように感じ、水月の顔を覗きこんだが、少年はすぐに笑った。

「実は、ここまで来るつもりはなかったんだ。旦那と久し振りにあの家で話すのもいいと、思っていたんだが……」

 気を変えた理由があった。

 獣に似た気配の五人は、全員巨漢の男だった。

 全員を相手にするのは苦にならないが、その後が面倒そうで、水月はカスミを抱えて木の枝の上に登り、やり過ごした。

 山奥へと戻っていく大男たちを見送り、地面へと降りた水月は、あの連中とは全く違う気配を感じた。

 知り合いの二つの匂いと、まだ会った事のない鬼の匂いだった。

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