第4話
年齢的に、そろそろ就業してはいけない時刻が、近づいていた。
「最近、こんな状況で、給料もらっていいのかってくらい、暇なんだよな」
今日解散する間際、そんな事をぽつりと言ったのは、中二の少年だった。
家の事情でささぐれ、町をさ迷っていた時に、ある人にスカウトされた。
喧嘩っ早いその少年は、他に集められた少年たちと共に、その人の頼みでバイトをしていたのだ。
基本、学校に行く時間帯を終えた時刻から、二十時前後まで。
時給は、高校生バイトより多い位の金額だ。
仕事内容は、集められた少年たちが得意とする分野で、本来は嫌がられる行動のはずだが、やり方によっては有り難がられることを、思い知ったバイトだった。
「明日は給料日だ。土曜日にでも集まって、打ち上げでもしないか?」
明るく問いかけたのは、高校生の少年だ。
喧嘩三昧の毎日だったが、最近は妙に笑顔が増えた。
「勿体ねえから、安い食いもん持ち寄るってのなら、やらんでもない」
「忘年会の時期に、そんな辛気臭い打ち上げ、出来るかよ」
そもそもそんな年齢でもないと、突っ込みを入れたいが、まとめ役の少年は苦笑したまま、会話を聞いていた。
中一の少年だ。
この中では最年少で、まだ成長期真っただ中だ。
少年は、義理の親が受けた依頼を手伝うため、バイトに見合う人材を探した。
相手を見繕う事から始め、逃げて来るまでの手配も、この少年が請け負っていた。
もし不手際があって、誰かが補導されたとしても、その依頼者がどうとでももみ消すと請け負ってくれているから、気楽な仕事だったが、今のところ補導者を出すことなく、無事今日の就業を終えた。
「じゃあな、
「はい、お疲れ様です」
少年たちが呼びかけ、それに答える少年は、最初の彼らの反応を思い出しながら、その変化にしみじみする。
初めは、この瞳の色や容姿で、目を付けられた。
成長途中の体と、色が違う双眼。
絡まれるようにわざと容姿を隠さず街に繰り出し、引っかかった少年たちを根気よく説得した。
時には乱暴な話し合いになったが、友人との殴り合いに比べれば、どうと言う事はない。
拳での話し合いの後、刑事である義理の父が間に入り、そのバイトを切り出す。
本来の依頼者は、バイトの報酬だけを、出してくれている。
だから少年たちは、その依頼主を知らない。
数年前から街の子供たちを狙う、カツアゲや暴行が増え、それを憂いた大人が団結し、自腹を切る覚悟をしたのだと言う話は、どこからも流れないだろう。
秋の体育祭が終わった頃から始め、今はもっぱら、ある群衆を相手取ることが多かった。
作業は簡単、そいつらが標的にした被害者を、横合いからかっさらって喧嘩を売り、事を大きくして逃げる。
時給制だから、そいつらが現れない日でも、報酬はもらえる。
世間の役に立っていると言う自信がついて来たのか、少年たちの荒んだ目は、日に日に明るくなった。
「後は、就職に触らないくらいには、学業に専念しようと言う気概が出てくれれば、これも更生に使えるんだろうな……」
他校の先輩方を、手を振って見送りながら、
義理の父の
母を幸せにしてくれているその人の役に立つなら、昔の悪い所を利用することなど何でもないと、そう思っている少年は、家に戻る途中に当の男からの連絡を受けた。
本日の成果を報告する前に電話を受け、不思議に思いながらも携帯電話に出ると、男の声は緊迫して言った。
「もう、そっちは終わっているな?」
「ええ。今日は、平和に終わりました」
その短い報告でも、何らかの誉め言葉を返す男が、今日はそれを抜いて続けた。
「よし、すまんが、これから向かって欲しい所がある」
「え、もう他の人たちは、帰しましたよ」
「お前だけでいい、時間を稼げ」
まくし立てるように言い、場所だけ言って切ってしまった。
少し前まであった短気さが子供にも滲むことが、この数か月ほどはなくなっていたから、何か良からぬ事が起こったようだと、伸は察した。
家に向けていた足を、すぐさま言われた住所の方へと向け、走り出した。
目的地の門の前に、黒いワンボックスカーが横付けしているのを見つけ、伸は足を緩めて少しゆっくりと近づく。
背負っていたリュックを下ろして、手に提げながら門を潜ると、そこには数人の人がいた。
「……速瀬君?」
すぐ前に立っていたのは、その家に住む少年だ。
高校一年の、伸の学校の先輩でもある。
背後を怪しい男に取られたまま、伸を見止めて目を見張った。
「ど、どうしたのですか? こんな時刻に?」
「あ、お取込み中ですか?」
玄関先で、家の者が誰かともめている気配があるが、それに気づかぬ振りで伸は笑顔を向けた。
「実は、宿題で解らない所がありまして、古谷先輩になら訊けるかなと。ほら、
目を瞬いてそれに答えようとした古谷
伸の背後に、音もなく近づいた男が、舌打ちして言った。
「後片付けが面倒だが、仕方ねえか」
その手にある拳銃の銃口は、少年の後頭部にあった。
躊躇いなく引き金を引いたが、軽い音が響いただけだ。
「残業分だけでは、割に合わないな、これ」
伸が小さく笑い、リュックサックを振り上げた。
意外にも威力があり、男が声もなく沈む。
玄関を背に立つ少年の後ろで、男が目を剝いた。
その瞬間、志門も動く。
振り向いて男の持つ拳銃を攫むと、鳩尾に反対の手を叩きこんだ。
これも、意外に強く、男は目を剝いたまま失神した。
屋内でももみ合う音が続き、自動車内で待機していた男が舌打ちする。
運転席から、すぐ傍の少年に向けて、銃を発砲した。
声なく立ち竦んだ少年が倒れる前に、家内に声を投げる。
「早くしろっ。ガキと女だけでもいい」
「随分、堂々とした誘拐犯だな」
低い男の声が、答えた。
男のすぐ傍で。
振り返る前に、男の拳銃を持った手首を攫まれた。
そのまま小さな窓から引きづり出され、首を攫まれて宙づりにされる。
目の前に迫ったその顔に、男は喉の中で悲鳴を上げた。
岩のようにでかい、大男だった。
首に手にかかる手の指も、その一本一本が太い。
「私の主の大事な息子に、何をやらかす気だった?」
その姿を見た志門が、つい力なく呼びかけた。
「
一瞬安堵してから我に返り、撃たれた少年を見た。
伸は、目を瞬いて立っていた。
その目の先の石造りの門に、何かが刺さっている。
それが何なのかに気付き、志門が信じられない思いで、それを投げられたと思しき方角を見た。
「若? お戻りに、なったのですか?」
「いや、すまん。ぬか喜びさせる気はなかったんだが、使える飛び道具の持ち合わせが、なかったんだ」
誉が、つい男の首を絞める手に、力を込めた。
声の方を見る大男に、長身の男が苦笑した。
「こら、締め過ぎだ。死なせたら、流石にまずかろう」
暗くなった道路を歩いてくるのは、銀髪の男だった。
誉程大柄ではないが、少年たちが見上げる程の大男だ。
「あなた、この辺りを、縄張りにしていたんですか、いつから?」
無造作に男を落とし、誉が睨みながら男に問うが、問われた方はそれに答えず、刺さった刃物に手をかけた。
「おいおい、どれだけ念入りに研いでるんだ。こんなに深々と、石に刺さるとは。実用性が高いな」
「あんな距離から、石に突き刺せるのは、あなたぐらいです。相変わらず、馬鹿のような力ですねっ」
「馬鹿はひどい」
言いながら、誉の知り合いらしい男は、刃物を引き抜いた。
その下から、石の欠片と共に、何かが零れ落ちる。
見下ろした伸が、思わず目を凝らした。
右手を開いて、そこに乗っている数個の銃弾と、見比べてみる。
二つにへしゃげる様に分かれているが、落ちているその何かも、銃弾のなれの果てだった。
呆然とする少年の傍に近づき、志門が新たな男に問いかける。
「その苦無の持ち主の方と、お知り合いですか?」
「知り合いじゃなかったんだが、数時間前に、知り合いになった」
言いながら笑い、顔を玄関先へと向けた。
引き戸が開かれ、男が出て来る。
警棒を片手に下げたその男は、倒れている者たちを一人一人見回し、立っている少年たちと男たちを見た。
そして、背後に呼び掛ける。
「警察が来る前に、戻りましょう。まだ、時期が早すぎます」
答えて出て来た人物を見て、銀髪の男が目を細めた。
「……ん? どこかで見た顔だな」
「気のせいです」
四十過ぎの女と、十歳前後の子供を背に庇い、男が素っ気なく答えた。
それからようやく、二人の男に挨拶する。
「ご無沙汰していますお二方。誉さんに至っては、数十年顔を合わせていませんね」
「あなたも、ここにいたのか。志門に害のあるこの事態、見逃すわけにはいかないんだが?」
「すみません。私が来た時には、既にその子は、家の中にいなかったもので」
来たのは、伸よりも後だったと答える男に、誉が呆れた顔になった。
「
「縛るわけにもいかないのが、人間との共存の難しい所です。私たちの様に、物事だけで動ける生き物ではないのです」
素っ気なく言い、男は再び背後を振り返った。
「警察が来るまで、あの人たちには知らせないでください。そのつもりはなさそうですが、念のため」
「承知しております」
見送りに来た和服姿の男が、その背後に妻と娘を庇いながら、頭を下げる。
「お手数を、おかけしました」
「いや、こちらこそ、対応が遅れてすまなかったな。命の危険の度合いが高い方を優先してしまって、小さい子供に入らぬ恐怖を、植え付けてしまった」
少し微笑んで綾乃を見下ろし、そのまま親子を連れて立ち去ろうとするのを、銀髪の男が止めた。
「律、お前、今日は一人なのか?」
「いいえ。一度宿に入ったのですが、この人たちがここに向かったと報告を受けまして、急いで来たところです」
「そうか、なら、ついでに会って行ったらどうだ? お前はそうでもないようだが、そいつの方は、会いたかったようだぞ」
何を言っているのかと眉を寄せ、直ぐに気づいて振り返った。
無数の足音が、こちらに近づいて来る。
「律っ?」
身を隠す間もなく見つかり、律は空を仰いだ。
見知った男が数名、古谷家に到着した。
と同時に、サイレンを鳴らさず、パトカーが到着する。
「伸、無事かっ?」
パトカーから転がり落ちるように出て来た男が、少年の姿を見止め、駆け寄って来る。
「……あんな指示で、あんな危ないことさせて、無事かも何もないです。特別手当つくんですよね?」
目を細めて答えながら、伸は男の手に掏り取った銃弾を乗せた。
「後は、よろしくお願いします」
「済まなかったな、疲れてるだろうに」
高野信之に労われ、曖昧に答えた伸は、走って来た者たちの中に、知り人を見つけた。
「……お前、確か、リヨウの……」
オキが目を見張り、伸も慌てて頭を下げた。
「あの節は、本当にご迷惑を……」
「いい、いい。腕は何ともないんだな、もう?」
「はい。意外に、治るのが遅くて難儀しましたが、もうすっかり」
恐縮しながら答える少年の後ろで、河原巧が苦い顔だ。
「……動かすなと言っても、聞かなかったからだろうがっ」
「利き手なんだから、仕方がないでしょう?」
「開き直るな」
小憎らしい事を言う少年の頭を攫み、軽く揺さぶりながら叱る男を見やりながら、松本勝が銀髪の男に声をかける。
「凌、若の手掛かりが、ここにあると言うのは、確かか?」
「社長、運動不足が過ぎるぞ」
「やかましい。幾つだと思ってるんだ。オレはこう見えて、もう中年だ」
「心配しなくとも、そう見えてる」
まだ息切れ気味の上司に軽く返し、苦い顔になった律を見返した。
まだ、逃げ道を探している気配がある狐に苦笑し、オキを見る。
その後ろには、血相を変えた甥っ子と、事態を把握しようと目を細める、甥っ子の息子の姿もある。
「お前さんたちが探している子は、利き手が左なのか?」
唐突な問いに、エンが首を傾げながら答えた。
「どちらと、考えて使っているようには、見えないです」
「? 答えか? それは」
「昔から、手に関しては無頓着なんです。しばらく、付いていなかったもので」
「エンちゃん」
ロンが、声を抑えて呼びかけた。
「今はそう言う話、止めて頂戴。少しでも情報が欲しいのよ」
「いや、よく分かる答えだ。そうか、だから、どうでもいい、か」
あの電話の後、凌はすぐに地元に戻り、忍を家に帰した。
その間に調査したことの裏付けを取ってもらい、ある事実を知って古谷を訪ねた。
まさか、既に拉致寸前にまで、事が動いているとは思わなかった。
「森岡夫人の幼馴染が、まさか古谷家に嫁いでいたとは、知らなかった」
「言う必要ないと思っていた。森岡家とは元々、面識はないからな」
家の嫁の方の、交友関係にまで首を突っ込むのは、礼儀に反するだろうと言われて頷いたが、その顔は律の顔を伺っていた。
「なあ、そのご夫人は、どこの誰だ?」
「言う必要性を、感じないのですが」
「古谷家の面々を、巻き込む事態になったのに、必要性がないか?」
その言葉に、律は警察関係者を見た。
「檀家の方への、信頼問題になりますので、大袈裟には騒がせません」
高野が頷くと、松本が呆れて返した。
「ここまで大事になっては、それは無理だろう?」
「若がいなくなったと、連絡を受けて後より、この家の周りには、皆さまの動きに触らぬ程度の薄さの、壁を張っております。騒ぎになる心配は、ありません」
息切れ気味の声が、オキ達の後ろから答えた。
山から駆け下りた男たちに、ようやく追いついた塚本だ。
「あの方が、今取り扱っている事案には、古谷家が係わったものも、ありましたので」
「それは、この女性が係わった事案か?」
律が、慎重に問うと、塚本は微笑んで否定した。
「違いますので、ご安心を」
「そうか、ではやはり、係わりがないと言う事だな?」
「はい」
初対面のはずなのに、妙に息があっている。
目を細めながら、どこから崩すか考える凌は、古谷の面々とここに集まった男女と少年を見回した。
「……ん?」
その傍で、松本が何かに気付いて、目を細めた。
が、考えた末に、何も言わぬと決めたようだ。
その様子に気付き、凌がもう一度面々を見回した。
そして、一人足りない事に気付いた。
「社長、あんたんとこの、元祖は、ここに入り浸りじゃないのか?」
「あ、ああ。気軽な人だから、いない事の方が多いと聞いてる」
「はい。数日前より、どこかで頼まれごとをして、そちらに行っております」
古谷家の当主が、やんわりと付け加えた。
「若も
「いや、日ごろの行いは、関係ないだろう」
凌は笑い、続けて問いかけた。
「この家絡みの件とは、何だ? 刑事事件か?」
「本来でしたら、ご遺族が訴えるものですが、それでは少々分が悪いようでして、私の方で訴え出る手はずを、取っている事件でございます」
「刑事事件で扱えなくなった事件なんです。だから、この件は、その件で有利に持って行く材料に、使ってもらいます」
高野は、塚本と目を交わして頷き合った。
これは手強いと、凌が小さく唸った時、全く別方向から助け舟が現れた。
誰かの携帯電話が、高らかに受信を告げた。
驚いて電話を取り出したのはオキで、振り返った律が肩を落としながら言う。
「マナーモードにしておいてください。これが内密の仕事中だったら、命がありませんよ」
「分かってる。今は、連絡待ちだから、こうしてるだけだっ」
責め口調に反論しながらその相手を確認し、オキは目を剝いた。
「セイ?」
全員が目を剝き、応対した男を見た。
「無事かっ? ……ん? 何で、お前が、この電話を持ってる?」
気が抜けた声で相手に返し、周囲に顔を顰めて首を振って見せた。
落胆する一同の中に、戸惑う顔を見合わせる者が、数人いる。
そんな空気の中、オキが目を見開いた。
「そ、そうなのか。ち、ちょっと待て。オレは、休んで欲しいと思うが、こいつらがどう言うか……」
目を見開いたまま顔を上げ、ロンに声をかけた。
「蓮だ」
「え、何で、あの人が、セイの携帯を?」
エンが目を見開き、思い当たった。
「まさか……」
「ああ、保護したそうだ」
「怪我はないのっ?」
詰め寄るロンに、オキは身を引きながら答えた。
「ああ。大丈夫だそうだ。今、疲れて眠っているそうだ」
凌は目を細めて見たが、気にする事なくオキは言った。
「すぐに連れて来いと言うならそうするが、どうすると訊いてる。オレは、起きて自分の足で戻って欲しいが……」
「いや、連れて来るように伝えてくれ」
エンが男を遮った。
「いや、しかし、眠っていては、事情も何も話せんだろう?」
「寝起きに訊く。それが一番、話を誤魔化される心配がない」
「それに、蓮ちゃんにも、事情を聞いておきたいし」
一体、どこで見つけたのか。
それを、訊いておきたいとロンも頷いた。
「……見つかったのですね。なら、私にも用はないでしょう。そろそろお暇します」
その様子を眺めていた律が、静かに告げて頭を下げた。
「律、あなた、ここの片づけを、丸投げで行く気ですか?」
「いけませんか?」
「未成年まで、事情聴取を受ける羽目になってるんですよ。フォロー位してください」
大きな図体に逃げ道を塞がれ、律は溜息を吐いて誉を見上げた。
「古谷家の面々の、迷惑になると思うのです。この人たち目的の犯行と言う証拠がなければ、裁判沙汰が嫌で暴れに来ただけと、判断してもらえるのでしょう?」
「ええ、そういう事になります」
高野が頷き、それに笑いかけた律は、また頭を下げた。
「では、失礼します」
「おい、律。オレが問題にしているのは、そう言う公にする部分の問題じゃ、ないんだが?」
「煙に巻く気なのなら、相手を見てやって欲しいんですか」
しつこい二人の大男を見上げ、律は大きく息を吐いた。
後ろに、戦力外の二人をつけていては、逃げられない。
どうするかと考える狐に、気楽な声がかかった。
「そっちの方は、終わったのか?」
三人の男が、鋭くその声の方へ顔を向けた。
律も振り向いたが、呆れながらゆっくりと返事する。
「終わりました。あなた、ここまで、どうやって来たんですか?」
つられてそちらを見たオキが、道路の方からやって来る人影が誰かを見止め、目を剝く。
凌が後ずさる様を見て、首を傾げていたエンも、目を剝いた。
オキは、小柄なその少年を見て唸り、エンは少年が抱きかかえている、小さな子供を見て唸った。
「交通機関だ。何されるか分からん人を抱えて、走るのは流石に嫌だったんでな」
「そうですか。では、帰りましょう」
あっさりと言った律に頷き、水月もあっさりと答えた。
「ああ、帰ろう。……ここなら、倅もいるからいいだろ?」
抱きかかえていた子供を下ろすと、子供が真面目に答えた。
「何だ、久し振りに会ったのに、つれないな」
「いいじゃないか。滅多に見れない、凌の旦那の用心顔が見れただけでも、良かっただろう?」
少年は言いながら、律から距離を取った、銀髪の男に笑いかけた。
「久しぶりの悪友に、その態度はないだろう。クリスの旦那には、聞いたんだろ、呪いが消えた事は」
「……」
ある騒動の後に聞いてはいたが、矢張り用心してしまう凌は、慎重に笑った。
「念には念を入れてるだけだ。お前は呪い持ちでなくても、オレにとっては強敵だからな」
「誰にとってもそうだ」
思わず言ってしまったオキに、水月はようやく目を向けた。
目が合った事にたじろいだ男に、少年は前触れもなく飛び掛かった。
隣に立っていたロンが、思わず飛びのくほどの勢いだった。
「オキ、お前、随分、男前の姿を貰ったんだな。どっちの姿だ? ランか、ジュラか?」
「うわっ、止めろっ。何をするっっ?」
「この辺りの肉付きが……」
ぺたぺたと体中を触り始める少年に、二人以外の全員が音を立てて引いた。
「私の事は、余り触ってはくれんのだな。残念だ」
取り残された子供がしみじみと言い、律を見上げた。
「帰らずに、この連中と手を組んではどうだ? その方が、早く片がつくと思うが」
「出来ません。蓮と言う子が、ここに来るんでしょう? 私と顔を合わせるのは、酷です」
返してから、疑問の目を向ける。
「なぜ、子供の形で、水月と連れ立っていたんですか? カスミの旦那」
「話せば長い。お前、これからどこに戻るんだ?」
「藤原家が所有する、別宅です。森岡家に近い場所にあるので、丁度いいと借りました」
カスミと呼ばれた子供が、頷いた。
「腰を据えて、早く動いた方がいい。このままでは、出し抜かれるぞ」
「……この人たちにそうされぬよう、動いているつもりですけど」
「そうではない」
子供は真面目な声で、きっぱりと言い切った。
「セイに、出し抜かれると言ったのだ。その証拠に……」
カスミは、目を剝いて見下ろす狐を見返し、続けた。
「私が、さっきまでいた場所の連中は、すでに土に返された」
水月が振り返り、腰を落としたオキの膝の上から、飛び降りた。
「やり兼ねない気配はあったが、果たしてあの子の仕業か?」
「あの子がやったのでなくとも、画策していたのは事実だ。その意に沿った誰かの仕業なのだから、意味合いは同じだ」
「訊きたい事は色々あるが、まずはお前、どこにいたんだ? 連中とは誰の事だ?」
凌が、ようやく用心を解いて静かに尋ねると、カスミは無邪気な姿のまま、叔父を見上げた。
そして、世にも奇怪な遊びを、報告したのだった。
宿泊の家に残された水月は、森岡家のその後の騒動が、気にかかっていた。
「あの子がちゃんと逃げ切れたかも分からんし、律は大丈夫だと言ってはいたが、あの状態できちんと戻れるのか、気になった」
「多分、大丈夫だったとは思う。崖から落ちた時足をひねったようで、立ち去る時少しだけ歩き方が、おかしかったが」
曖昧ながらもしっかり頷く凌に、目を据わらせたロンが詰め寄る。
「そんな状態で、よく大丈夫と言えますねっ?」
「というか、崖? 落ちたって、どう言う状況ですか」
エンも、唸ってしまう。
結局、古谷家の一室に腰を据えた面々は、情報交換を始めた。
幼い子供たちは就寝し、中学生の少年は刑事の一人に送られて帰宅した。
警官が、不法侵入した男たちを連行した後、古谷家の夫婦と志門、律と連れの女性を含む数人が、入り組んで来た話を解すべく、自分たちの持つ情報を話し出した。
律が渋々、森岡家の別邸でセイと会った話をし、水月がその後の事を話す。
「藤原の別宅は、森岡家の本邸に近いんで、主とやらの動向で、あの子のその後も分かるかと思ってな、行ってみた」
あそこにいた小太りがそうかも知れないと思ったが、律の部下を捕まえて訊いたら違うと言う。
「あれは……長男です。確か、二十歳過ぎたばかりのはずです」
「肌の張りはあったな。息子と聞くまでは、若い当主だと納得しそうになっていたのだが。まあ、そういう訳で、森岡家に忍び込んだ」
最近は、セキュリティが強化されている豪邸が、多いと聞いている。
が、死角を見つけるのは、造作もなかった。
水月は、屋敷の奥の主人の居間に向かい、見つけた。
スーツ姿の女と、長身の中年男。
「どちらかというと、女の方が苛立って、男を責めていた。あの子を取り逃がし、まだ行方が分からないとな」
どうやら、やり手の弁護士は、この女らしい。
セイは、逃げ切ったらしいと安心し、屋敷を出たのだが……。
「戻る途中、妙な気配を感じた」
獲物を襲う、獣の気配に似た、大きな生き物の気配だ。
近くの雑木林の中からだ。
眉を寄せてついそちらに向かったのは、追っている獲物が、人の匂いだったからだ。
しかも、子供だ。
追っている獣の気配は五つで、子供は一人。
どう考えても、分が悪い追いかけっこだった。
カスミが頷いて、自分の事情を説明した。
「実はな、変質者を揶揄って、遊んでいたのだ」
誉が、咳込んだ。
耳を疑う刑事たちと古谷家の面々の前で、水月が爆笑した。
「あんたらしいな。で?」
「獲物を探して放浪していたら、奴らが私を捕まえたのだ」
「成程」
少年が一人納得し、再び説明した。
「どうも、わざと逃がして狩り気分を味わっているようで、笑いながら五人で追いかけていて、胸糞悪くなってつい、助けてしまった」
助けてから、気づいた。
昔馴染みが、化けている事に。
「愛らしすぎて、初めは騙されてしまった」
「そうか。お前に言われると、褒められた気がせんのは、何故だろうな」
「被害妄想はやめろ。ちゃんと褒めているのに、失礼だぞ」
昔懐かしいじゃれ合いに、誉が溜息を吐き、凌が呆れたように呟いた。
「話しても、長くはないじゃないか」
そんな二人を見守りながら、律は考え込んでいた。
「女の弁護士、ですか。敏腕だと聞いていましたが」
「……丸め込みが、上手いだけだろう」
「……?」
一瞬、声が固くなったように感じ、水月の顔を覗きこんだが、少年はすぐに笑った。
「実は、ここまで来るつもりはなかったんだ。旦那と久し振りにあの家で話すのもいいと、思っていたんだが……」
気を変えた理由があった。
獣に似た気配の五人は、全員巨漢の男だった。
全員を相手にするのは苦にならないが、その後が面倒そうで、水月はカスミを抱えて木の枝の上に登り、やり過ごした。
山奥へと戻っていく大男たちを見送り、地面へと降りた水月は、あの連中とは全く違う気配を感じた。
知り合いの二つの匂いと、まだ会った事のない鬼の匂いだった。
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