第333話

「なつかしいな〜、この匂い。僕たちの聖域って感じだよね」

「変わらねえな」


 ボードゲーム部の部室へやってきた。

 担任が職員室に残っていたので、あれこれ事情を説明したところ、こころよく鍵を貸してくれた。


 物の配置はまったく変わっていない。

 電気ケトルとか、マグカップとか、紅茶のティーバッグとか、私物が一掃されただけ。


 昔の先輩が残していった賞状がある。

 囲碁の団体戦、関東大会、準優勝となっていた。

 もう25年近く前のものだから、すっかり色あせている。


「なんか壁に落書きしていこっか」

「おい、お前……」


 アキラがペンのキャップを外して考え込む。

 しばらくして、キャップを元に戻した。


「やっぱり、やめておく。もう十分だから」


 アキラは椅子を一つ引いて、腰かけるようリョウに促してくる。


「今日って、タブレット持ってきている?」

「マンガにつかうやつか? いちおう」

「だったらさ、ここでマンガ描くふりしてよ。記念撮影するから」

「しゃ〜ね〜な」


 アキラが写真を一枚撮って、見せつけてくる。


「ほらほら、マンガを描いているリョウくん、格好いい。職人さんみたいに、キリッとした目つきだよ」

「アキラに格好いいって褒められると、少し調子が狂うのだが……」

「いいじゃないか。素直に受け取りなさい」


 この場でたくさんマンガを描いて、たくさん上達してきた。

 アキラと一緒にボードゲーム部に入って正解だった。


 もし、アキラと出会わなければ……。

 冗談でも誇張でもなく、現在のリョウはなかった。


 そういう意味ではアキラとボードゲーム部に大きく感謝している。


「この部屋もいつか無くなるのかな?」

「ここは旧校舎だから。そのうち取り壊すだろうな」


 鍵を返しにいったあと、次はプールを見にいった。

 いまは3月だから、落ち葉がたくさん浮いており、プールサイドは寒々としている。


「リョウくん、一回溺れたよね」

「あったな。水球のときに」


 あの時、アキラが人工呼吸してくれた。

 唇が触れたわけだから、厳密には2人のファーストキスになる。


「アキラはちゃんと覚えているのか?」

「それなりには。必死だったし。リョウくんは?」

「ぼんやりとしか……。気づいたら、アキラの顔が目の前にあった」

「やだ……恥ずかしい」


 フェンスに手をかける。

 あの日の気温や日差しが体の奥からよみがえってくる。


 それから保健室を見にいった。

 養護教諭(保健室の先生)がいたので、どうも、とあいさつしておく。


 アキラがよく座っていた椅子がある。


「今度はアキラが座れよ。読書ポーズだ」


 リョウは携帯のカメラを向けながら指さす。


「仕方ないな」


 アキラが取り出した本の背には『レ・ミゼラブル』と書かれている。

 フランス革命に参加した文学者ヴィクトル・ユーゴーの代表作で、直訳すると『哀れな人々』という意味がある。


 撮影が終わったら、今度はグラウンドへ向かった。

 下級生がやっているサッカーの試合を離れた位置から観察する。


「体育祭がなつかしいね」

「あったな」

「リョウくんがリレーで走ってくれたとき、僕は嬉しかった」

「俺は口から心臓が飛び出て死ぬかと思ったがな」

「でも、ちゃんと生きているじゃないか」

「走りすぎで死ぬやつは、基本いない」

「勉強のやりすぎで死ぬ人がいないように?」

「そうそう」

「マンガは?」

「たまにいる。寿命が短い職業のワンツーがマンガ家と相撲取りまである」

「それは大変だ⁉︎」


 急にアキラが慌て出す。


「僕、リョウくんとかレンちゃんを看取るの、嫌だよ」

「そうならないように努力する」

「リョウくんのために健康お守り買ってこないと」

「心配性だな〜」


 リョウはアキラの頭をナデナデしておいた。


「アキラを残して簡単に死ぬわけないだろう」

「よろしく頼むよ」


 マンガ家が短命なのは睡眠不足。

 相撲取りが短命なのは太りすぎや怪我による疾患。

 少しずつでいいから、改善されるといいな。


 それから図書室とか、昔の下駄箱とか、校舎裏を見にいった。

 下級生の女子に見つかって、不破せんぱ〜い! と声をかけられる一幕があった。


「ヤバい……なんか卒業したくなくなってきた」

「おいおい、もう明日だぜ」

「でも、本当。これからの大学も楽しみだけれども、高校でリョウくんと過ごす時間も楽しかった」

「そんなこと言われたら、アキラとキスしたくなる」


 誰もいないのを良いことに、リョウはあごクイをかます。


「なんで⁉︎」

「高校生アキラをもっと味わいたい」

「はぅ……」


 アキラの瞳が揺れた。


「あの……お家まで我慢できる?」

「本当にかわいいな、お前。いいのか? まだ受験の結果が出ていないのに?」

「違う。僕がしたい気分なんだよ」


 本当にかわいい……。

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