第306話

 リョウは冷蔵庫からびんビールを取り出した。

 グラスと栓抜きと一緒に父の前に置いてあげる。


「明日、お仕事お休みでしょう。たまには家で飲みなよ」

「おっ、気が利くな」


 プシュ。

 炭酸の抜ける音に、父がにんまりする。


「俺が大学にいっちゃうと、お父さんとお母さん、2人暮らしになっちゃうね」

「なんだ、リョウ。一人前に親の心配か?」

「まあね」


 おでんの卵を分けてもらった。

 ゆず胡椒こしょうをつけると、びっくりするくらい旨い。


 ちょっと寂しい。

 18年一緒だった家族と離れ離れになるのは抵抗がある。


 そういや5年前。

 服飾の大学へいくため、姉のカナミが1人で上京したときも、似たような気持ちだったな。

 一家4人でいるのが当たり前だったのに、カナミだけ遠いところへ去ってしまい、家族って何だろう? とわりと真剣に考えた。


 カナミはあんな性格だから、滅多に連絡してこない。

 たまに連絡を寄越したかと思えば、


『急だけど、明日の朝に里帰りする』


 みたいな内容だったりする。


「カナミが東京いくとき、お父さんは反対しなかったの?」

「しなかった。カナミは本気だったからな。一本気なところはお母さんに似たな」

「ふ〜ん」


 リョウは子どもだから、両親の気持ちはわからない。

 子どもが生まれた嬉しさとか、成長を見守る楽しさとか。


「リョウも好きに生きればいいさ。たまには帰ってきて、母さんに顔を見せてやれ。あと、20歳になったら一緒にお酒を飲もう」

「もちろん、帰ってくるよ。同じ関東圏なんだしさ」


 話はアキラのことにも及んだ。

 仲良くしているのか、と。


「まあね。目下の問題は、俺がちゃんと大学に合格できるかという一点だけかな」

「じゃあ、死に物狂いでやらないとな。受験まであと2ヶ月だろう」

「そうそう。勉強漬けだからノイローゼになりそう」

「はっはっは」


 父の顔がほんのり赤らむ。


「アキラさんの方は余裕なのか?」

「アキラは最初から勉強できるから。今日も家でゴロゴロしているよ」

「すまんな、リョウ。もう少し頭のいい子に生めればよかったな。俺も母さんも勉強はそれほど得意じゃなかった」


 思いがけない謝罪にリョウはびっくりする。


「いやいや。俺の集中力に問題があるんだよ。マンガを描くときの半分でも勉強に集中できたら、もっと成績が伸びていたと思うよ」

「そうか。勉強よりマンガか」


 屈託くったくのない笑顔を向けられる。


「俺がマンガを好きなのは……」

「ん?」

「たぶん、お父さんが転勤族だから。たびたび学校が変わって、新しい友だちをつくるとき、マンガがきっかけになったから」

「たしかに、マンガは人と人をつなげる」

「俺がアキラと出会ったのも……」


 お父さんが転勤族だったから。

 小声でボソッと告げる。


「それは違うぞ」

「そうかな?」

「アキラさんがリョウのことを好きになったのは、リョウの人柄の賜物たまものだろう」


 胸の内側がキュッとした。

 電気ショックでも受けたみたいに。


「お父さんは、お母さんと結婚してよかったと思っている?」

「ああ、よかったと思っている」


 父はビールをあおる。


「カナミとリョウが生まれたから、お母さんと結婚して正解だったな」

「酔っているよね? お風呂のお湯、追い焚きしてくるよ」


 リョウは心がポカポカするのを感じながら、追い焚きボタンを押した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る