第264話

 レンはカバンからプラスチック容器を取り出した。

 女の子の前に置いたのは、贔屓ひいきにしているメーカーのアーモンド小魚だった。


「あなたって、煮干しとか好き?」

「う〜ん、好きでも嫌いでもない」


 と女の子。

 レンは、今から伝えるエピソードは本邦初公開なのだけれども、と前置きして次のような話をはじめた。


「ある日、私の夢の中にマンガの神様があらわれた。青いメーカーが販売しているアーモンド小魚を食べろ、と言い残して消えた。その助言によって、鉄・ビタミン・食物繊維・カルシウムを完ぺきなバランスで摂取した私は、プロのマンガ家になることができた」

「えっ⁉︎ 本当⁉︎」

「四之宮レンは嘘はいわない」


 絶対に嘘だろう、と突っ込みかけたけれども、レンがいうと何でも真実っぽく聞こえるから不思議だ。


「マンガの神様って、どんな見た目をしているの?」

「この世に存在するあらゆる生物と異なる。だから、この世に存在する言葉で表現するのは難しい」

「それでもあえて表現するとしたら?」


 女の子の声はさっきから踊っている。


「そうね。猫かしら」

「猫? あの4本足の猫?」

「大きな猫に似ている。全身の毛がふさふさしている」

「私も会えるかな? マンガの神様に?」

「会おうと思っていたら会えるかもしれない。神様を信じない人間の夢には絶対にあらわれない」

「なんか、四之宮先生の話し方って独特だね」

「よくいわれる。ロボットみたい」

「神様みたい」

「それはない。私は神様じゃない」

「でも、ロボットでもないよ」

「あぁ……たしかに。その若さで私を論破するなんて大したものね。見込みがあるわ」

「ロンパってなぁに?」

「一本取ることよ。あなたは私に1回勝利した」

「やった!」


 女の子が大げさに喜んだので、レンの口元が笑った。


「これもあなたにプレゼント」


 斬姫サマのサイン本だった。

 女の子は実物のサンタクロースを目にした時のように大はしゃぎした。


 さらに、とっておきのサプライズがある。


「描きかけている話に、あなたくらいの年齢の少女が登場する。あなたの名前をその子につけてあげる」

「コマリが四之宮先生のマンガに登場できるの⁉︎」

「そうなるわね。腹ペコになった斬姫が道中で倒れていて、干し芋を恵んであげる役回りね」

「やった!」


 粋なアイディアじゃねえか、とリョウは思う。


「マンガが発売されるまで、ちゃんと生きなさい。そのためにも目の前の手術を乗り越えなさい。うっかり死んだら許さないわよ」

「うぅ……四之宮先生……」


 女の子の……コマリの震える手が、レンの腕をつかんだ。


「私、手術が怖い」

「誰だって怖いわ。私でも怖いと思う」

「コマリの体の一部を切り取るんだって。前にも1回手術したけれども、お医者さんが思っていたよりコマリの状態が悪くて、その時は諦めたんだって」

「そう……とても辛かったのね」


 そういってコマリの背中に腕を回した。

 服が涙でれていたけれども、レンは少しも気にしていなかった。


「生きるっていうのはね、ただ食事してトイレで用を足して寝ることじゃないの。それだと窓の向こうに生えている草木と変わらない。本当に生きるっていうのは、今日を生きてやる、と自分で選択することなの」

「四之宮先生の話、難しいな」

「ごめんなさい。小学生には難しいわね。でも、いつか理解できる日がくる。あなたにはその資格がある」

「うん、忘れないうちにメモしておく」


 コマリの手は震えており、うまく字が書けない。

 代わりにレンが書いてあげた。


『本当に生きるっていうのは、今日を生きてやる、と自分で選択すること』


 リョウは自分の目をゴシゴシした。

 知らないうちにもらい泣きしていた。


「生きるとか、死ぬとか、四之宮先生はいつも考えているの?」

「いつも考えるようにしている。マンガ家はキャラクターの生死をコントロールできる。そこには一定のルールが存在しないといけない。交通事故のようなランダムの生死は許されない」

「ほぇ〜」


 リョウにとっては耳が痛い話だ。

 人を殺すストーリーは上手く描けない。


 面会の時間が終わった。

 バイバイと手を振ってから席を立つ。


「アーモンド小魚を食べ過ぎると太るから。その点は注意ね。もっとも、あなたはもう少し太った方が良さそうだけれども。あと、勢いよく食べると小魚が歯茎はぐきに刺さって痛いから。その点も注意ね」


 それが最後のメッセージだった。

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