第263話

 雑談している最中のこと。


 女の子のお母さんがカットしたリンゴを運んでくれた。

 リンゴアレルギーは大丈夫でしょうか? といってリョウとレンに勧めてくる。


 ありがたく頂戴ちょうだいすることにした。

 リンゴは冬の果物だから、旬とは真逆のはずだけれども、たっぷりとみつが入っており、上品な甘さが口いっぱいに広がった。


「ほら、あなたも食べなさい」


 レンはフォークに突き刺したリンゴを女の子の顔に近づける。

 気恥ずかしそうに笑ったあと、女の子はガリッと歯を突き立てた。


 お姉さんと妹みたい。


 女の子が新品のノートを広げる。

 スポーツ記者みたいにペンを構えて、レンにインタビューしていく。

 マンガの技術的なことだったり、マンガとまったく関係ないことだったり、根掘り葉掘りという言葉がぴったりだった。


 レンは嫌そうな顔をしなかった。

 あらゆる質問に1秒で反応していく。


「四之宮先生の好きな食べ物は?」

「アーモンド小魚よ」

「それはインタビュー記事で知っています。他には?」

「そうね。ミルクレープね」

「どうして?」

「私の好きな人が好きな食べ物だから」


 女の子はノートに書き込んでいる。


「次の質問。四之宮先生の好きな動物は?」

「そうね。猫かしら」

「どうして?」

「私の好きな人が好きな動物だから」


 今度は一瞬戸惑ったあと、ノートにペンを走らせる。


「次の質問。四之宮先生の好きなマンガは?」

「好きなマンガは……ないわ」

「えっ? ないの?」

「本当はたくさんある。でも、1つに絞れないの。この感覚、わかるかな?」

「ううん、わからない」

「だよね」


 レンは自分の能力不足をなげくように肩を落とす。


「たとえば、料理人。舌って商売道具よね。自分の好きなものを食べる、というわけにはいかない。フレンチ、イタリアン、中華、インド、ロシア、タイ……たくさん食べてたくさん研究するわよね」

「うんうん」

「それと一緒。私にとって、マンガとは、研究の対象なの。どうしても批評家目線で読んじゃうの。純粋に楽しむための読書は、あなたくらいの年齢で捨てたわ」

「ほぇ〜」


 女の子は11歳なので、いま聞かされた内容を、半分くらいしか理解できないだろう。


「もう1回話してください。あと、批評家目線ってどういうことですか?」

「ごめんなさい、私にもっとコミュニケーション能力があれば……」


 レンは女の子からノートを取り上げて、先ほど話した内容を書き残していった。


「批評家目線というのはね、採点しながら読むということ。他の人が描いた作品に点数をつけていくの」

「マンガの赤ペン先生ってこと?」

「そうなるかしらね」

「格好いい!」

「けっこう大変な作業よ。人の悪いところを探すから」

「でも、四之宮先生になら、怒られちゃっても平気だな〜」


 女の子はアハハと白い歯を見せて笑った。


「その代わり、小説なら楽しんで読める。私は小説を書かないから」

「どんな本を読むの?」


 レンはカバンから一冊の本を取り出した。

 赤毛のアンの翻訳本だった。


「この作品を知ってる?」

「テレビで観たことならある。でも、本を読んだことはない」

「本が原作なのよ。一度でいいから読んでみなさい。これをあげるから」

「もらっちゃっていいの?」

「四之宮レンに二言はない」


 渡された小説を、女の子は宝の地図みたいに、頭上にかかげている。


「やった!」

「物語がスタートしたとき、アンは11歳よ。あなたと同い年ね」

「これって本当にあった話なの?」

「架空の物語よ。でも、作者の故郷と幼少期の実体験がベースになっている」


 いよいよ最後の質問。


「マンガを描くのに一番大切なことって何ですか?」


 これはリョウも気になった。


「そうね。自分の作品を読ませたいと思える誰かを見つけることかしら。その誰かは1人でもいいし、2人でも3人でもいい」

「いるの? 四之宮先生にも? そんな人が?」

「いるわ。1人だけ。むしろ、その人のためだけにマンガを描いているといっても過言はない」

「どんな人なの? どうして仲良くなったの? 男なの? 女なの?」

「女性よ。私が死にたかったとき、側にいてくれた人だから」

「四之宮先生でも死にたいと思うことがあるんだね」

「よくある。私が死んだあとの世界を想像する。両天秤りょうてんびんにかけてみる」


 自分が生きてきる世界。

 自分が消えてしまった世界。


「生きていた方が少しはマシだと思えてくる。ゆえに、私は生きることを選択する」

「その人のことが好きなの?」

「好きよ」

「その人は四之宮先生のマンガを読んでいる?」

「いつも読んでくれるわ」

めてくれる?」

「毎回感想を送ってくれる。8割くらいは褒め言葉が並んでいる。次はもっとおもしろい話を描こうと思える」


 女の子は泣いていた。

 たった今涙に気づいたらしく、大慌てしている。

 それをレンのハンカチが優しくぬぐう。


「たった1人のためにやっていることが、その他大勢の役に立つってこと、この世界ではよくあるわ」

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