第243話

 東京駅ってクジラだね、とアキラがいった。


 全長およそ335m。

 つまり、クジラだね=規格外だね、と解釈できる。


 ぐるっと駅を半周する。

 バスターミナルが設置されている八重洲やえす方面へ抜けた。


 これから向かうのはブックセンター。

 アキラの誕生日プレゼントを選ぶのだ。


「おおっ! 本屋もクジラだ!」


 8階まであるビルに圧倒されまくり。


「八重洲の書店は初めてなの?」

「うむ」


 東京にはメジャーな本屋の本店が集まっている。

 ここのブックセンターは東京で4番目の大きさ。

(ただし、開業当初は日本でもっとも大きな書店)

 ビジネス書を中心に、だいたいの本なら置いてある。


 入り口の脇には、イベントスケジュールが貼ってあった。

 有名な作家さんのサイン会も、ここで開催される。


 いいな。

 リョウもサインする側の立場になりたい。


「くんくん……本の匂いがする!」


 キョロキョロするアキラが転ばないよう、リョウは手をつないだ。


 輸入した本をそろえているコーナーへ向かった。

 児童文学のような作品から、専門書のようなぶ厚い本まで、英語のタイトルが並んでいる。


 平積みされている本を手に取った。

 アカデミー賞にノミネートされた映画の原作だった。


「アキラは英文科へ進む予定なんだろう。だったら、英語の本をプレゼントしようと思って」

「いいの⁉︎ 実は欲しかったんだ!」

「好きなやつを選べよ」


 アキラは棚から何冊か抜いて、最初の数ページに目を通していく。


「うわぁ〜、難しい〜」


 とか、


「むむむ……単語の意味は知ってるけれども、いまいち納得しにくいな〜」


 とか、あれこれ悩んでいる。


「これなんか、どうだ?」


 リョウが差し出したのは、帽子をかぶった女の子が表紙の本。


 タイトルは『Anne of Green Gablesアン・オブ・グリーン・ゲイブルズ』。

『緑の切妻屋根のアン』という意味なのだが、なぜか日本では『赤毛のアン』として知られている。


 海外の名作には、そういう作品が多い。

『星の王子さま』は、実は『小さな王子さま』とか。


 アキラは表紙をじっくりチェックした。

 そして目次に目を通す。

 最初の数ページを小声で読んでいく。


「おお、これなら読みやすい。内容も知っているから、最後まで読めそうな気がする」


 満足したらしい。

 シリーズ物なので数冊買うことにした。


「もう少し見てもいい?」

「ああ、いいぜ」


 アキラが前屈みになったとき、髪が流れて、きれいなうなじが露出した。


「おもしろいな〜。もっと早くに来店すれば良かったな〜」


 血管が脈打っている。

 あそこにアキラの生命が集中している。


 トクン、トクン……。

 この音はリョウの鼓動か、それともアキラの鼓動か。

 あるいは幻聴の一種なのか。


「この本、かわいい装丁だな〜」


 そこが我慢の限界だった。

 周りの客がいないのを良いことに、アキラを後ろから抱きしめた。


 さっきのお返しだ。

 そう思って、首筋にキスしておいた。


「どうしたの? 急にヴァンパイアになって?」

「アキラの首筋、おいしそうだな」

「ちょっと、リョウくん」


 アキラが体をよじって抵抗するが、その力は弱々しい。


「よさないか、発情しちゃうだろうが」

「なら、やめておく。誕生日をぶち壊しにしたくない」


 アキラが乱れた髪を整えている。

 その仕草が狂おしいほど色っぽい。


「ふぅ〜、不意打ちだからびっくりした」


 リョウもびっくりした。

 アキラのことは好きだし、何回も触れたいと思ったけれども、噛みつきたい、と思ったのは初めてだった。


 これがレンのいう、食べたいくらい好き、なのか。


 アキラはピュアな存在だから、ついつい汚したくなる。

 買ってきたばかりの学習帳に、自分のフルネームを書き込んで、所有権を主張するみたいに。


「わかるよ、公共の場だと興奮するってやつだろう。駅のホームでキスするカップルと一緒」

「すまん、やりすぎた」

「わかってくれたらいい。それに、僕は怒っていない」


 汗をかいたわけじゃないのに、アキラはハンカチで頬っぺたをぬぐう。


「あれだよ。景気刺激策と一緒だよ。そういうイベントも時には必要だったりする」

「すまん、たとえが難しすぎて、理解できない」

「つまり……」


 アキラは、キスの直後みたいに唇をおさえた。


「死ぬほどドキドキした。映画のそういうシーンが頭をよぎった。アメリカのティーンズラブ風に表現するなら、骨盤の内側がむずかゆい、というやつだ。それ以上はいわせるな。恥ずかしいから」


 アキラの目元には赤みがさしており、何よりも雄弁に気持ちを語っていた。

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