第222話

 芸というのは、実力がモノをいう世界。

 スポーツも、音楽も、演劇も、マンガもそう。


「はぁ……最悪」


 アキラはこの日、10回目のため息をついた。

 トオルから『アーサー姫の代役』を指名されて、20時間ほど経っている。


 昨日は大変だった。


『ぼけぇ! あの野郎〜! 絶対に許さない!』

 と電車内でずっと怒っていた。

 周りの乗客がびっくりして、アキラの半径3メートルは、無人の空間みたいになっていた。


 でも、リョウは知っている。

 アキラは本番に強い、びっくりするくらい強い。

 口では文句をいいながらも、


『最悪のシチュエーションというのは、逆説的にいえば、最高のシチュエーション』


 みたいなことを平気で考える前向き人間なのだ。


「着いたぞ」

「うむ」


 公演の長さは2時間半ある。

 休憩をのぞくと2時間くらい。

 アーサー姫がステージにいるのは半分の1時間。


 アキラにとって幸運なのは、アーサー姫は動きが少ないから、セリフさえ間違わなければ、なんとか乗り切れることか。


 片足を引きずっているエミリィーと会った。


「いっとくけどね、私の足の心配はしないでよ。あんたは自分の心配だけしなさい」


 いきなり先制パンチを放ってくる。


「返事は?」

「はい、わかりました」

「こっちに来なさい。衣装に着替えるの、手伝ってあげる。私のための衣装なんだからね。うっかり転んで破かないでよね」

「善処します」


 その返事が気に入らないのか、エミリィーはアキラの頬っぺたをつまんで、ぐぃ〜、と左右に引っ張った。


「いたい……でしゅ……エミリィーしぇんぱい」

「違うわね。生意気じゃないと、あんたじゃないわ。従順なんて、絶対に変よ」

「そんなこと……ありましぇん」

「どうだか」


 解放されたアキラが赤くなった部分をスリスリする。


「どうなの、昨日トオルさんがいったやつ。自分の方が才能あるって、本気で思っているの?」

「それは……」

「答えあぐねるってことは、自信があるんだ?」

「あのですね……誤解を恐れずにいうとですね……」


 意地悪なエミリィーの手を、アキラはつかんで持ち上げた。


「我こそは一番だ。そう思っているメンバーで構成されているチームが、一番強いんじゃないですかね。理屈の上では。もちろん、勝ちたい気持ちは胸の奥に秘めておきますけれども。エミリィー先輩が挑発してきたので、あえて口にしましたが……」

「へぇ〜」


 真剣なときのアキラの目つきは、兄貴にそっくりだ。

 エミリィーはバツが悪そうに顔をそらす。


「皆さんがトオルくんの下で安穏としているのなら、僕が勝ちます。何があっても勝ちます。なぜなら、僕がトオルくんに勝つからです」

「わかった、わかった、手を離しなさい。あなたにレアな才能があるってことは、女の私が一番わかっているから」


 ここでアキラとお別れ。

 最終リハは見学できないので、大人しくカフェテリアへ向かう。


 今日も5Pやろう。

 アキラが全力だから、リョウも全力になる。

 たったそれだけの理由。


 アキラはずるいな。

 階段を100段飛ばしで登りやがった。

 最終リハが成功したら、さらに100段先にいくだろう。


 たぶん、あっち側の人間。

 レンと同じ匂いがする。


「あれ?」


 ふいに……。

 世界の色が変わるみたいに……。

 リョウは自分のマンガが退屈なものに思えてきた。


 なんだろう。

 おもしろい話を描いているつもりだが。

 自分のアウトプットが、想定よりも平凡に見えてしまう。


 意外性? 爽快感? 優しさ?

 まんべんなく欠けている。


 氷室さんに風に表現するなら、お湯の量を間違えちゃってクソ不味くなったカップ麺みたいな。


「う〜ん、どう直したらいいのか分からん」


 まあ、いいや。

 氷室さんに訊いてみよう。

 どうせ完成させても、ボロクソに指摘されるしな。


 前進あるのみ。

 話を完結させるのが一番の上達方法というではないか。


 あ〜あ。

 レンの画力が欲しい。


 あの子、目ん玉描くの、信じられないくらい上手いから。

 目ん玉だけで芸術作品みたいな。


 ラブコメは目と太ももが肝心。

 これさえ上手けりゃ、いい感じの作品に見えなくもない。


「あ、折れちゃった」


 やけに静かなカフェテリアの隅っこに、えんぴつをカリカリ削る音が響いていた。

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