第221話

 4Pを目安にやっていたネーム作成は、目標値をクリアするどころか、1Pも余分にできてしまった。


 これが喫茶で作業する効果なのか。

 自宅より20%増しで集中できる。


 ここには本棚がないから。

 作業をストップさせて、ついついマンガに手を伸ばす、という選択肢がないのだ。


 レンの発破はっぱも効いた。

 人間、本気になれば、あのくらい仕事できるらしい。


「リョウくん、お待たせ!」


 レッスンを終えたアキラが戻ってくる。


「お疲れさま。どうだった?」

「うむ、今日も着実に進歩しました。最盛期の僕のテクニックを取り戻しつつあります」

「へぇ〜。まだピーク時には及ばないんだ」


 リョウは鼻を近づけて、汗を吸ったアキラの髪を、クンクンしてみた。


「お、アキラの匂いがする」

「やめろ、恥ずかしいだろうが」

「いい匂いなのに。アキラだって、俺の布団の匂い、クンクンするだろう」

「あのねぇ……」


 逃げようとするアキラの肩を、リョウは押さえつけた。

 真剣そのものの目つきで、瞳を直視してみる。


「アキラ、愛してる」

「あっはっは! どうしたの、急に?」

「四之宮先生のときは即答なのに、俺のときは笑うんだな」

「だって、リョウくんの言い方、なんか変だもん」

「そりゃ……まあ……」


 アキラは頬っぺたにキスしてくれた。


「僕もリョウくんのことを愛している。どう? これで満足した?」

「とても満足して、お腹いっぱいになったよ」

「今日のリョウくん、おもしろいな〜」


 アキラには言われたくないけどね。

 そんなことを話しながら、若獅子シンバのメンバーが練習しているステージへ足を運んだ。


 いつものリハーサル見学。


 アキラいわく、見るのも勉強らしい。

 エミリィーの動きを脳内でトレースしているのか、時々、アキラの手や足が動いている。


「お待ちなさい、ランスロット卿!」


 エミリィーのセリフに、アキラの小声が重なる。

 台本は完ぺきに覚えているようだ。


「アキラって、早くステージに立ちたいの?」

「うん、立ちたい!」


 迷うことなく即答。


「やっぱり、場数を踏まないと、伸びない才能ってあると思うんだ! レッスン室だと、張り合いに欠けるっていうか! あ〜あ、この調子だと、あそこに上がるまで、1年以上かかるかな〜。うっかり、エミリィー先輩が、風邪を引いてくれないかな〜」

「そんな不謹慎な……」


 チャンスの切符を、神様はさっそく恵んでくれた。


 リハーサル終了後。

 危ない! 危ない! という声に続いて、ガシャン! と重そうな物の倒れる音がした。


 リョウとアキラは顔を見合わせる。


「事故かな」

「気になるな」


 ステージに駆け寄ると、エミリィーが床にうずくまっていた。

 トオルがコールドスプレーを取り出して、足首の患部に応急処置している。


「アキラが悪魔に祈ったせいだな。代償として、寿命を1年くらい取られたんじゃねえか」

「いやいやいや⁉︎ あれはほんの冗談だって!」


 エミリィーは顔を真っ赤にして強がっている。

 全然平気! 問題ないから! と。


 しかし、トオルが手を触れると、小さくうめいて顔をしかめた。


「たかだか足首よ! 骨の一本や二本、折れていても演技するのが役者ってものでしょう! 私は絶対に出るわ!」

「あのな、エミリィー。万全の状態でステージに上がれ、と俺はいっている。とりあえず3日は休め。無理にリスクを背負うような時期じゃない。公演は長いんだ。悪化したら、俺が困る」

「でも……だって……」

「これは座長命令だ。上には俺から伝えておく」


 リーダーの決定には逆らえないのか、エミリィーは悔しそうに唇を噛んだ。

 その頭をトオルは優しくなでる。


「というわけだ、アッちゃん、明日の最終リハ、お前が出ろ」

「はっ?」


 これには全員の目が点になった。


 アキラ本人はもちろん。

 カトリも、エミリィーも、信じられないという顔つきに。


「どどど……どうしたの⁉︎ トオルくん⁉︎ ご乱心⁉︎」

「聞こえなかったのか? 最終リハのアーサー姫役、お前がやれ。エミリィーを休ませなきゃならない」

「いやいや⁉︎ 言葉の意味はわかるけどさ〜!」


 パニックのあまり、アキラの声が裏返っている。


「そうよ、トオルさん! いくら代役といっても、レッスン生になって1ヶ月しか経っていないような、おたんこなす……に毛が生えたレベルの新人には無理だわ! 嫌味でも何でもなく! まだ、私が突っ立っていた方がマシよ!」


 ざわざわざわ。

 いきなり湧いてきた二択にステージ上はどよめく。


 手負いのエミリィーか。

 ペーペーのアキラか。


 トオルの意見は絶対だろうが、はい、そうですね、と決まる雰囲気ではなさそう。


「まず、お前らにいっとくけどな……」


 トオルは雄ライオンみたいにメンバーを睥睨へいげいして黙らせた。


「アッちゃん、今はこんなだけど、キャリアは長いから。練習時間の総和でいうと、俺とエミリィーの次くらいに長いから。ただの新人じゃないってことを、ここにいる全員に明日証明してやる……そうだよな、アッちゃん?」

「ちょっと、トオルくん⁉︎」

「素直にいえよ。僕の方が上手いもんって」

「はぁ⁉︎ お前なぁ⁉︎」


 アキラの頓狂とんきょうな声が、天井にバウンドして、メンバーたちの鼓膜に突き刺さった。

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