第203話

 次は発声トレーニング。

 きれいな声を出すためのレクチャーが始まった。


 まずは正しい姿勢と正しい呼吸法から。

 思いのほか難しく、たくさんのレッスン生が指導されている。


「あなた……」


 アキラの肩を叩いたのはエミリィー。

 アーモンド型の瞳がにらみつける。


「ちょっと力が入りすぎ。肩の力をもう少し抜いて」

「こうでしょうか?」

「よろしい」


 微修正された。

 ちゃんと指導してくれたことにリョウは安堵あんどする。


 それからは実際の発声。

『あ・え・い・う・え・お・あ・お』とか。

『赤パジャマ・青パジャマ・黄パジャマ』とか。


 これで準備は完了。

 団員がセリフを読み上げるので、それを真似ていく。


 まずはレッスル生全体で。

 それが終わったら一人一人。


「腹よ、腹! 腹から声を出せっていってるでしょうが!」


 バシバシバシ!

 エミリィーの拳がアキラのボディに連続ヒットする。


「あぅあぅ……」

「その調子よ。もっと力を込めて」

「はい」


 サンドバッグ状態のアキラは顔を真っ赤にして苦しそう。


 えげつない。

 一人だけ要求のハードルが高い。


「はぁ? その程度? あんたが本格的な指導を望んだのだから我慢しなさいよ」


 アレに似ている。

 継母ままははにいびられるシンデレラの図。

 やられっぱなしのアキラに、周囲からはあわれみの視線が注がれる。


「今日のところはギリギリ合格。来週までに鍛えておきなさい」


 アキラは手でOKサインをつくった。

 返事をするエネルギーすら残っていないようだ。


 リョウは自販機でスポーツドリンクを買っておいた。

 休憩時間のとき、ヘトヘトのアキラに手渡す。


「ありがとう、リョウくん」

「大丈夫かよ。このあと、もう一つレッスンが残っているんだろう」

「うぅ……正直しんどいけれども……ここは根性を見せないと」


 アキラは自分の頬っぺたを叩いて気合いを入れた。


「よしっ!」

「がんばれ。アキラは負け犬じゃない」


 次は演技のレッスン。

 エミリィーは5分間だけ様子をチェックしにきた。


 バシバシバシ。

 またグーパンチが炸裂している。


「なによ、その腰。へっぴり腰じゃない。スタミナがないから、姿勢が崩れるのよ。わかった? わかったでしょう? あんたも女なら、腰で魅せなさい。腰よ、腰、腰、腰!」


 ぐうの音も出ないアキラは、


「しゅみましぇん……」


 と返すのが精一杯だった。


「私がお手本を見せてあげるわ。こうよ、こう。あなたとは体のラインが全然違うでしょう」

「はい……」

「泣きそうな顔をしない! レッスン中も表情を意識しなさい!」

「はい!」


 アキラは泣かなかった。

 これは小さな成長といえる。


 にしても、エミリィー先輩、厳しいな。

 アキラが怒鳴られたり、殴られたり、学園では考えられないことだ。

 もどかしい気持ちをリョウはぐっとこらえる。


「このあと、ステージで若獅子シンバのリハーサルをやるから。元気があるなら見にきなさい。無理にとはいわないけれども」

「いきます……絶対に……」

「ふ〜ん、負けず嫌いなのね」


 レッスン終了後、大慌てで着替えをすませる。

 そっとドアを開けて、昨日と同じシートに腰かけた。


「おお、来た来た」


 トオルが手を振っている。


「ほらよ、アッちゃんにやる」

「これは……」


『亡国の皇女と円卓のオオカミ』の台本だった。


「俺は全部頭に入れたから。アッちゃんが持っておけ」

「もらっていいの?」

「欲しくないの?」

「いや、欲しい……です」


 アキラは台本で口元を隠した。

 ひどく腹を立てていた兄貴に向かって、


「ありがとう」


 と感謝を口にする。


「俺が台本を譲ったんだからな。ちゃんと読み込んでおけよ」

「はい!」

「いつチャンスが降ってきてもいい。そのくらいの気持ちで見学しろ。明日は自分がステージに立つくらいの意気込みでな」

「はい!」


 トオルは短く笑ってからステージに戻った。


「よかったな」

「うん」


 アキラは台本をパラパラとめくりはじめる。

 至るところにトオルの書き込みがある。


 ほろり、ほろり、ほろり。

 大粒の涙が落ちてきて止まらなくなった。


「リョウくん、僕、ここまできたよ」

「そうだな。がんばったな」

「一人じゃ無理だった」


 涙にだって、良い涙と、悪い涙がある。

 今回のは良い方だろうな。


「ほら、タオル。顔をけよ」

「ありがとう」


 リハーサルの開始を告げるブザー音が鳴り響いた。

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