第186話

 リョウが目を覚ましたとき、アキラは本を読みながら、ハミングで歌っていた。


 曲名は忘れちゃったけれども、2年くらい前に流行ったボーカロイドの曲で、『音域・リズム・高速早口、凶悪すぎてカラオケで歌えない!』と話題になったやつだ。


「やっほ〜。お目覚めかい」


 アキラが読みかけの本を伏せる。

 時計を見ると、およそ1時間が経過していた。


「よく寝られた?」

「ああ、だいぶ頭がクリアになった。アキラのお陰だな」

「どういたしまして」


 リョウは本棚のところへいき、四之宮レンの『斬姫きりひめサマ!』を手にとった。


 もう10回以上読んでいる作品だ。

 だから、内容は完ぺきに頭に入っている。


 次のページがどういう会話で、どういうコマ割りで、どういう展開なのか、知っている情報しか出てこない。


 それでも……。

 レンがこの作品に込めている想いは何なのか。

 少しでも知りたい、というのが本音だ。


 作品のジャンルはダークファンタジー。

 あるいは、和風剣劇アクションにカテゴライズされる。


 主人公は斬姫。

 徳川とくがわ家の第4代将軍、徳川家綱いえつなを父に持つお姫様だ。


 生まれつき視力、反射神経、運動センスに優れていた斬姫は、めきめきと剣の才覚をあらわした。

 幕府の指南役、柳生やぎゅう一族に手ほどきを受けたのも大きかった。


 そんな斬姫には一つのうわさがつきまとっている。

 江戸初期の剣豪、佐々木ささき小次郎こじろうを母方の祖父に持つのではないか、と。


(歴史に明るい人は、小次郎は1612年に死んでいて、当時、70歳くらいのおじいちゃんじゃないの? と思うかもしれないが、作中では、小次郎の年齢を50歳くらい下げて、しかも長生きさせている)


 斬姫は、女性ゆえ小柄なのだけれども、身の丈ほどある日本刀を軽々と振りまわす。

 また、佐々木小次郎の『巌流がんりゅう』を研究し、自分用にマイナーチェンジした『あおい一刀流』で戦う。


(女性ならではの柔軟さがないと、この葵一刀流は使いこなせない……らしい)


 あと、斬姫には婚約者がいる。

 柳生家の坊ちゃん、柳生飛華流ひかるで、こちらも剣術の天才である。


(やはりというべきか、飛華流の母方の祖父は、あの宮本みやもと武蔵むさし。二天一流に手を染めたことが原因で、飛華流は柳生家から放逐ほうちくされてしまい、かといって仏門に入るわけでもなく、諸国放浪の旅に出てしまう。父からは『最強の剣士になったと思ったら帰ってこい』と送り出された)


 斬姫と飛華流。

 ともに天才、剣の道に生きるもの。

 婚約者、かつ、ライバル。


 そして物語の始まりは108星の呪い。


 斬姫や飛華流のような武芸者たちに、呪いのあざが発現して、日本を舞台にしたデスゲームが幕を開けるのだ。


 斬姫の場合は、天殺星てんさつせいの呪い。

 飛華流の場合は、天剣星てんけんせいの呪い。


(たぶん、水滸伝すいこでんの108星からとっている)


 デスゲームの終了条件は、秘密のベールに包まれているが、107人が死なないと終わらないのでは? という情報がそれとなく明かされている。

 あと、呪いの保有者が一定距離まで近づくと、互いの痣がうずく。


 斬姫と飛華流は、ときに共闘する。

 婚約者らしくイチャつくシーンもある。


 しかし、いずれは片方が散る運命にある。

 そこら辺をどう料理するのか、ハッピーエンドの道を用意するのか、四之宮レンの腕の見せ所といえよう。


 ハードな人生を歩む斬姫には、いくつか決めゼリフが用意されている。


『徳川の民草たみくさを殺すやつは私が殺す』


(私は徳川の姫なので、殺人の罪に問われない、でもお前は違うだろう、という意味)


『私をりたくば私を怒らせるな』


(斬姫は怒ると血圧が上がって、動体視力と頭の冴えが増す、スカッと逆転勝利する、相手が悪人であるほど実力を発揮できる、逆に善人の相手をするのは苦手……らしい)


 全国ぶらり旅。

 人情味あふれるエピソード。

 迫力のある殺し合い。


 この3点をうまいバランスで組み合わせて、ヒット作品に仕上げたのが、レンが天才と呼ばれる理由ゆえんである。


 あと、10代の女の子が考えたのも大きい。

 消費者はいつだってセンセーショナルな話題を求めている。


 でもなぁ……。

 斬姫様はなぁ……。


 明らかにサイコパス女なんだよ。

 いや、農民とかには優しいんだけれども!


 あと、ものすっご〜い上から目線。

 徳川のお姫様だから仕方ないけれども!


 こんなマンガ、並の神経の持ち主なら描けない。

 それがリョウの率直な感想である。


「ん?」


 携帯が揺れた。

 氷室さんから。


「はい、無量カナタです」

「カナタ先生、急にごめんね。ちょっと時間、大丈夫かな?」

「ええ、大丈夫です」


 なんだろう。

 忘れ物はしていないはずだが。


「まず確認なんだけれども、助手くんって近くにいる?」

「アキラですか? いますよ」

「本当はね……電話で話すべき内容じゃないんだけれども……四之宮レン先生が大変な状況なんだよ」

「えっ……四之宮先生が?」

「あのね、助手くんと口論したとか、そのことで責めたいわけじゃないんだ。むしろ助けてほしくて」

「もちろん、協力できることがあれば」

「ありがとう。まず、こちらの状況から伝えると……」


 レンが2時間くらい号泣している。

 もう筆を折る! と言って聞かない。

 というショッキングなニュースを知らされた。


「うちの竜崎ががんばって慰めている」

「それって、うちのアキラが原因なのでしょうか?」

「分からない、そこが分からないんだ。でも、四之宮レン先生のご両親、どちらも大御所マンガ家だろう。ひじょ〜にマズい。絶対にブチ切れる。俺らとしては死活問題なんだよ」


 さあ〜〜〜っ!

 リョウの全身の体温がみるみる下がる。


「これは俺の勝手な憶測なんだけれども、四之宮レン先生と助手くん、古いときの知り合いじゃないかな?」

「ああ、俺もそんな気がしています」

「そして助手くんを参考にして、『斬姫サマ!』を描いたんじゃないかな。つまり、四之宮レン先生の中では、斬姫と助手くんが同一人物じゃないかな。助手くんに冷たくされたということは、あの子にとって、斬姫に冷たくされたと同義じゃないかな。そうじゃないと、筆を折る理由が納得できなくて……」


 ええっ⁉︎

 斬姫のモデルがアキラ⁉︎

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