第85話

 ゆっくりランチを食べているとき。


「む〜な〜か〜た〜りょ〜う〜!」


 教室のドアがぶっ壊れそうな勢いで開いて、妖怪ババア……。

 じゃなくて、盆場チエルが入ってきた。


 ドシドシドシッ!

 鼻息を荒げながら、リョウのところへやってくる。


 その右手にはヨコヅナのハーネスが、左手にはアキラの写真が握られている。


 ふむふむ。

 さすがに朝の嘘はバレたか。


「このクソガキ! 私に嘘をきやがったな!」

「失礼ですが、どちら様でしょうか?」

「シラを切るつもり⁉︎ 忌々いまいましい!」


 いきなりのヒステリーにクラスは騒然となる。

 アンナなんか、食べようとした玉子焼きをポロッと落としちゃった。


「あの……盆場さん……お昼休みですので……その〜」


 隣の担任をやっている女の先生が顔をのぞかせて、遠慮がちにモゴモゴいう。


「黙らっしゃい! クビにするわよ! あんた!」

「ひぇ⁉︎ すみません、すみません、すみません!」

「名前は?」

野原のはらです」

「今すぐ失せろ! 3秒以内に失せろ! でなけりゃ、野原の給料はカットだ!」

「はひ……」


 人事権なんて、チエルは握っていないけれども。

 プレッシャーと給料カットの恐怖に負けた野原先生は、泣き出しそうな顔で去ってしまった。

 かわいそうに。


「次はお前だ、宗像! お前は絶対に許さない!」

「すみませんが、俺の罪状は?」

「私を騙したことよ!」


 リョウはお茶を一口飲んだ。

 ベテルギウスのように真っ赤なチエルの顔を見つめる。


「証拠は?」

「はっ⁉︎」

「だから、俺が嘘を吐いたという証拠は?」

「そんなの……そんなの……」

「言いがかりは困ります」

「なんですとッ!」

「被害者側には立証責任があります。これは私個人の見解ではなく、この国のルールがそのように決まっています。じゃないと、言ったもん勝ちの社会になりますから。アンフェアなのです」

「ぐっ…………」


 リョウは食事を再開させる。

 全員がポカンとする中、キョウカだけが脚をバタバタさせて笑っていた。


「キイッ! この猪口才ちょこざい! クソ生意気な!」


 チエルは地団駄を踏んで悔しがる。


「もし文句がおありでしたら、生徒指導の安岡先生を通して、私に注意してください。あなたから直接指導される筋合いはございません」

「ムッカァァァァ! そのバカ丁寧な口ぶりが尚更なおさらムッカァァァァ!」


 ざまあみろ。

 教員免許すら持っていないくせに。

 お前に耳カスほどの権力もないのはお見通しだ。


「いいか、宗像! お前の家の住所を絶対に突き止めてやる! そして郵便受けに腐りかけの生卵をぶち込んでやる! 1個じゃないぞ! 一度に10個だ! お前がこの学校からいなくなるまで、毎週毎週ぶち込んでやるからな! 大事なことは一度しかいわない! 一度に10個! 絶対に忘れるな! 一度に10個だ!」


 いやいや……。

 三回いったけれども。

 とかいう、高度なギャグはスルーするとして。


「返事は⁉︎」

「はいはい」

「はいは一回でしょ⁉︎」

「…………はい」

「これだから最近の子どもは! 学校教育の怠慢たいまんだわ!」


 チエルがギャーギャーわめく、すぐ真横で、


「ほ〜ら、ヨコヅナちゃん」


 アキラがサンドイッチから具材のハムを抜いた。

 2本の指でつまむと、ヨコヅナの鼻先でぶらぶらさせる。


「食べたいかい?」


 ヨコヅナはごくりと喉を鳴らす。

 近ごろ、エサ代を削られているのかな。


「ほら、お食べ」


 アキラが空中にリリースしたハムを、ヨコヅナは器用にキャッチ。

 その様子がおもしろくて、チエルの暴言がちっとも頭に入ってこない。


「こら、宗像! 大人の話を聞け! あと、ヨコヅナちゃん! 知らない人から食べ物をもらったらダメでしょう!」

「きゅ〜ん!」


 これにはクラス中が大爆笑。

 顔に泥を塗られちゃったチエルは、入ってきたとき以上のドシドシドシッ! を響かせて出ていった。


「いいか、宗像! 腐りかけの卵10個だ! 覚えとけ!」


 知らんがな。

 まあ、怒りの矛先が、アキラでもなく、キョウカでもなく、リョウに向いたから良しとすべきか。


「そんで? けっきょく、バクダン女は、なぜアキラにこだわっているんだ?」

「う〜ん、わかんない」


 しかし、教室の位置がバレちゃったな。

 これからはチエルの先制攻撃にも警戒する必要がありそう。


「ヨコヅナちゃん、腹ペコって顔をしていた」

「わかるのか?」

「なんとなく。以前よりも覇気に欠けていた。かわいそう」


 ふ〜ん。

 チエルの財布もお寒いってことか。


 金か?

 やっぱり、金が目当てなのか?

 それでアキラに接近を?


 でも、不破アキラ=女の子、はトップシークレット。

 盆場チエルに悟られる、なんてミス、あの理事長が犯すとは思えない。


 いや、発覚したら発覚したで、『知りすぎた人物』のチエルは、消されるのが必至だろうが。


 事情がありそうだ。

 あとでキョウカに相談してみよう。


「でも、リョウくん、大丈夫?」

「ん?」

「郵便受けに腐りかけの生卵だってさ」

「そんな行動力、あの妖怪ババアにはないよ。弱い犬ほどよく吠える、てやつだ。口先だけの人間だから心配すんな」


 本当に嫌がらせする気なら、予告しない方が効果的だしね。


「なら、いいけれども。僕のせいで宗像家に被害が出たら嫌だな」

「大丈夫だって」


 アキラはハム抜きハムサンドを完食する。


 次の休み時間。

 ふらっとキョウカが寄ってきた。


「宗像、格好いいところ見せてくれるじゃん。不破キュンの安全は俺が守るってやつか」

「まあね。それと、あのオバサンに腹が立ったのもある」

「さすがプリンス様の番犬」


 それから声を落として、


「放課後、部室でね」

「おう」


 短く会話した。


「あ〜あ、ババアの吠え面、もっと見たかったな〜」


 キョウカが笑いながら去っていく。

 その足取りは、心なしか、弾んでいるように思えた。

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