第84話

 そして翌朝。

 顔を合わせるなり、アキラが、


「今日は学校へいきたくない」


 とワガママを言い出した。

 リョウは驚きのあまり、3秒ほどフリーズする。


 聞き間違いかな?

 学校を休みたいアピールなんて。


 理由を訊いてみたら、さらにびっくり。


「今日はお肌のコンディションが最悪なんだよ」


 えっ⁉︎

 マジかよ⁉︎

 予想外すぎたから、申し訳ないけれど、笑いそうになった。


「おい、冷静になれよ。お肌のコンディションが良くないから、学校にいきたくない男子高校生は、基本、この国にいない」

「だって……だって……」


 アキラは涙目になって、しょんぼり。


 優しい不破ママのことだから、休みたいなら休んでいいのよ〜、と許可してくれたけれども、やっぱり登校するもん! と家を出てきたはいいが、それは一時的な虚勢きょせいであり、すぐに嫌気がさして、後悔している最中だと思われる。


 このワガママ姫め。

 素直じゃないな、ホント。


「リョウくん、エスケープしよう。反対方向の電車に乗って、ショッピングモールへいくの。二人で映画を観て、それから食事して、本屋でゆっくりして……。動物園や水族館でもいいよ。平日だから空いているし、修学旅行生のフリをしたら怪しまれない」

「小学生の野望かよ。そりゃ、エスケープしたら楽しいだろうけれども……」


 女の子と二人でズル休みとか。

 青春ドラマみたいだしね。


「神楽坂さんはどうするだよ? 裏切るのか?」

「うはっ⁉︎」

「テーマパークで同盟を結んだ仲じゃねえか」

「いや……別に……これは背信行為ではなく……戦略的な撤退であり……」

「戦略的なズル休みがあってたまるか」


 そもそも、なぜお肌のコンディションが悪いのか。


 いや、理由は訊かなくても分かる。

 盆場チエルのせいだろう。


 アキラの夢に出てきた。

 言葉にするのもはばかられる行為をされた。

 そんなところか。


「すっごい悪夢だったんだよ! そのせいで、30分くらいしか寝つけなくて、僕のお肌はボロボロだよ!」

「よしよし、辛かったんだな。夜中に一人で苦しんじゃって。大変だったな」

「うぅぅぅぅ〜。高校生なのに、ママのお布団に侵入しちゃったよぉ〜」

「マジかよ。甘えん坊だな、おい」

「心の傷だよ……」


 どんな夢だったのか。

 手短に教えてもらった。


 アキラは夜道でいきなり襲われた。

 次に気がついたら、手術室みたいな部屋にいた。


 手足が動かない。

 金属の器具で固定されているのだ。


『ぐっふっふ〜!』


 魔女の格好をしたチエルが登場してくる。


『お目覚めかしら〜! もう逃げられないわよ〜! 私のアキラちゃ〜ん!』


 チエルが手にしているのはフラスコのガラス容器だった。

 怪しそうな紫色の液体がブクブクしており……。


『アキラちゃん、嘘はダメよ。性別を偽って学校に通うなんて』

『どうして僕の秘密を⁉︎』

『オバサン、完全にだまされちゃったわ。悪い子にはお仕置きが必要ね』

『イヤです! お家へ帰してください!』


 手術台のアキラはバタバタもがく。


『この薬を飲んだらね、あなたは正真正銘の男の子になるの!』

『ッ……⁉︎』

『ヨコヅナちゃんと一緒に、死ぬほどかわいがってあげるわ! 今日から私のペットになりなさい!』

『きゃあああぁぁぁ!』


 ここまでが夢の導入シーン。

 この後、もっと大変なことが起こってしまい、アキラのメンタルは崩壊寸前なのである。


 ハンパねえな。

 自分の想像力に殺されかけるなんて。


「ぐすん……」

「よしよし」

「本当ならリョウくんに会うのも辛い」

「えっ……?」

「僕のお肌がボロボロだから、リョウくんに見られたくないってことだよ!」

「……おう」


 あれ? なんだろう?

 ほんの一瞬、胸がキュンとなった。


「やっぱり、エスケープする? 俺だって、辛そうなアキラを、学校で見ていたくはない」

「えぇ……でも……」

「1日くらい平気だろう。風邪を引いて休んだと思えばいいんだって」


 アキラが恥ずかしそうに前髪をいじくる。

 迷っている仕草が、ちょっと嬉しい。


「ダメだよ。リョウくんに迷惑かけちゃうもん」

「別に、俺は迷惑だなんて」

「いいの! その気持ちだけで、僕は救われるの!」


 かわいい……。

 いつか絶対アキラに求婚しよう。


「朝からブルーな気持ちでごめんね」

「気にするな」


 そこから先は普段のアキラだった。

 いつもの電車に乗り、いつもの道順で学校へ向かう。


「昨日ね、おもしろい動画を見つけたんだよ」

「おいおい、また動物系のやつか?」

「それは観てからのお楽しみ」


 いつものテンション。


「不破先輩、おはようございます!」

「うん、おはよう」


 ロミオ補正も完ぺき。


 学校へやってきた。

 用務員のおじいちゃんが犬のフンの後片付けをしている。

 水でゴシゴシしないと跡が残るから大変そう。


「あれは……もしや……」

「うはっ⁉︎」


 いた!

 盆場チエル!

 下駄箱の入り口に陣取って、登校してくる生徒の顔をチェックしている。


 まさか、アキラが狙いか?

 いや、しかし、夢の中の話だし……。


「リョウくん、あの人、怖いよ」

「俺の背中に隠れておけ」


 これなら気づくまい。

 何食わぬ顔で通り過ぎようとしたとき。


 バウッ!


 なんとヨコヅナが吠えた。

 こいつですぜ、マダム、と視線で飼い主に訴えている。


 ちょ⁉︎

 このっ⁉︎

 眠そうな顔したワンちゃん。

 バクダン女と違って、なかなかお利口じゃねえか。


 チエルはポケットから写真を取り出した。

 忍者みたいな俊敏しゅんびんさでリョウの後ろに回り込むと、アキラと写真を見比べている。


「あなた、不破アキラくんね」

「え〜と……」


 アキラはパニックになって目をぐるぐるさせる。

 周りの生徒たちも、何だ、何だ、とざわつき始める。


 マズいな。

 アキラは学園のトップアイドル。

 お肌のコンディションが最悪なのに、生徒たちから注目されるわけには。


「違います、彼は明智あけちくんです」


 リョウは強い声でいった。


「あら、そうなの」


 チエルは責めるような視線をヨコヅナに向ける。


「あなたの鼻センサー、全然ダメじゃない」


 きゅ〜ん。

 落ち度がないのに叱られたヨコヅナはしょんぼり。


「では、失礼します」


 リョウたちは、さっさと歩き出した。


「なあ、明智、今日の体育、かったるいよな」


 わざと聞こえるように会話しながら。


 階段のところで一息つく。

 アキラがクスクスと笑いはじめる。


「リョウくん、君ってやつは、天才なんじゃないかってくらい機転をきかす日があるよね」

「さっきのは何となく思いついたんだよ」

「たくさんマンガを読んだり、映画を観ているから?」

「そうだな。似たようなシーン、どこかで目にしたんだろうな」

「すごい、すごい、すごい! 応用力だ! 人類の叡智えいちだ!」


 アキラは嬉しさのあまりスキップする。


「さすが僕のリョウくんだよ」


 太陽みたいなキラキラの笑顔がまぶしい。


「まだ勝った気になるなよ。バクダン女との本当の勝負はこれからだ」

「でも、初戦は鮮やかすぎる一本勝ちに終わりました。リョウ選手の感想は?」

「あれくらい朝飯前ですね。まだ60点って感じです」

「ふふ、頼りになるよ」


 盆場チエルから一勝をもぎ取ってやった。


 あとでキョウカに聞かせたら手をたたいて喜ぶだろう。

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