第3話

 ミタケと喧嘩したら停学が待っているかもしれない。

 至極まっとうな考えが浮かぶくらいには、リョウは冷静だった。


「いいのか、キング、停学を食らったらお前はバスケットの練習に参加できなくなる。三年生の先輩に迷惑をかけることが予想される。いまは大切な時期じゃないか。ここは一つ、大人になることをお勧めするが」

「こいつ、人の足元を見やがって……」


 リョウの主張はド正論。

 ぐうの音も出ないミタケは顔をゆがめる。


「俺は部活といっても、ボードゲーム部とかいう、アキラと二人だけの超ユルユルの部活だから、痛くもかゆくもない。どのくらいユルいかというと、ここは日本一ユルい部活だからと、当時の三年生から勧誘されたくらいにはユルい」

「おい、卑怯だぞ!」


 世の中には窮鼠きゅうそ猫を噛むみたいなことわざがある。

 結果論だが、ミタケ相手にマウントを取ったのは下策だった。


「宗像のそういう態度、なんか気にいらねえな! バスケットのことで外野から注文をつけられるのが、俺は一番嫌いなんだよ!」


 ミタケが激昂げっこうした。

 おそらく無意識だろうが、アキラの肩をつかむ手に本気のパワーを込めてきた。


「痛ッ……」


 アキラの唇からの鳴くような声がもれる。

 その瞳に光るものが見えたとき、リョウの中でプツンと切れる音がした。


「ふん!」


 いきなりの頭突き。

 ミタケがのけぞった隙にアキラを取り戻す。


「やりやがったな!」


 今度はミタケの左拳がリョウの額をインパクトしてくる。

 とっさに利き手を出さないのは、スポーツマンらしい判断といえる。


「なんだ! 喧嘩か⁉︎」


 廊下の向こうから大声がした。


「ヤバい!」

「生徒指導の安岡やすおかだ!」


 ギャラリーの生徒がクモの子を散らすみたいに去っていく。


「おい、宗像、須王、二人とも額が赤いな。もしかして、喧嘩したわけじゃないよな?」


 リョウとミタケは顔を見合わせた。

 一時休戦しよう、とアイコンタクトを送り合う。


「違うんですよ、先生!」

「廊下でぶつかっちゃって!」

「そうです。キングが前を向いて歩かないから!」

「はぁ、ぶつかってきたのは宗像だろうが! 俺の方が被害は大きいからな!」


 二人がグルルルルッとにらみあっていると、安岡はやれやれと首を振ってから、近くの第三者に意見を求める。


「不破くん、二人の主張に嘘はないかね。殴る蹴るの暴力は見なかったかい」

「はい、本人たちが言うように歩行中の不注意が原因です」

「そうか、不破くんがいうのなら真実だろうな。まったく、人騒がせなやつらだ」


 安岡の姿が見えなくなった。

 ミタケはほっと息を吐いてから忌々しそうに舌打ちする。


「おい、不破、どうして俺をかばった?」

「えっ? なんのこと?」

「安岡はお前を信用している。不破の口から、須王くんが宗像くんを殴りました、といえば安岡はそれを信じただろうが。俺だけを悪者に仕立てることもできた」

「そんな陰気なこと、できるわけないよ」

「できるわけない、か」


 ミタケはバツが悪そうな顔になる。


「俺が中学のときは、陰気なやつらが多かったぜ。あと、さっきのは俺が悪かった。すまん。謝る。不破のことも勘違いしていた」


 頭を下げるとトイレの方へ去っていった。


 ミタケもミタケなりに苦労してきたのだな。

 喧嘩したのが急にバカらしく思えてくる。


「そうだ、リョウくん、額は大丈夫?」

「平気だ。血が出てないから手当てする必要もない。それよりアキラの肩は大丈夫なのかよ。ちゃんと動かせるか?」

「うん、少し痛みは残っているけれど平気だよ」

「明日になっても痛かったらクレームだな」


 アキラが恥ずかしそうにモジモジする。


「リョウくん……その……」

「どうした? 別のところが痛むのか?」

「ううん、僕のことを守ってくれてありがとう」


 心がむずかゆくなったリョウは、照れを隠すため首の後ろをかきむしった。


「友だちを守るのは当たり前だ」

「そっか。ありがとう。リョウくんみたいな男の子が友だちで良かったな」


 アキラはトロンとした目つきをしており、長いまつ毛に染み込んだ涙が、朝露あさつゆみたいに光っていた。

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