第2話

 誰かが小走りしてくる。

 ウレタン樹脂の床材がキュッキュと鳴り、廊下のコーナーから人影が飛び出してきた。


「きゃ!」

「ごめん!」


 一年生女子だ。

 バランスが崩れた体を、アキラが支えてあげる。


「痛かった? 怪我はない?」

「えっと……はい……すみません」

「ほら、ハンカチを落としているよ」

「ありがとうございます……ちょっと急いでいて」

「いいよ。僕は平気だから。次からは気をつけてね」


 アキラに優しくされた女子生徒は、金魚みたいに口をパクパクさせる。


「あの! 先輩のお名前を教えてください!」

「えっと……不破アキラ……再起不能の不に、破綻の破と書いて、不破と読むんだ」

「不破先輩! 私は大丈夫です! お気遣いいただき、本当にありがとうございます!」


 感謝のセリフを残すと猛ダッシュで去ってしまった。


「あれ? もしかして嫌われたのかな?」


 リョウは頓珍漢とんちんかんなことをいう友人の額にデコピンを食らわせる。


「バカ、逆だろ。嫌いなやつの名前をわざわざ記憶に残したい物好きはいない」

「ああ、なるほど……」

「あの子が今日、電柱にぶつかるか、階段を踏み外したら、アキラの責任だな」

「まいったな」

「罪な男め」


 これだから二枚目は得だよな。

 喉元まで出かかった感想を、リョウは10秒後に撤回することになる。


「……」


 こっちにガンを飛ばしてくる男子生徒がいる。


「…………」


 アキラの前までくると、何もいわずに顔を寄せてくる。


須王すおうくん、僕に何か用かな?」

「………………」


 向こうが無言のプレッシャーをかけてきたので、リョウは横槍を入れることにした。


「おい、キング、アキラが人気者だからって、嫉妬しっとしてんじゃねえよ」

「宗像は黙っていろ」


 須王ミタケ。

 仇名あだなはキング。

 名前がタケミカヅチに似ているのと、存在感がキングコング並みなので、王=キングというわけだ。


 バスケットボール部でパワーフォワードを任されるくらいの巨体だが、リョウだって背丈は負けていない。


「うちの妹がよ、先週あたりから不破先輩、不破先輩とうるさいのだが……」


 ミタケの言い分は実に微笑ほほえましいものだった。


 この学園にはミタケの妹が通っている。

 学年は一個下。

 友だちグループ内で格好いい先輩のことが話題になっているらしい。


『ねえねえ、お兄ちゃんのクラスに不破さんっているよね』


 妹の発言にミタケはイラッときた。

 男子のやっかみといえば聞こえは悪いが、文句の一つくらいは言いたいのだろう。


「おい、不破、好きな女性のタイプとかあるのか。あと、付き合っている彼女はいるのか」

「いきなり質問されても……」

「うちの妹がしつこいんだよ。間接的に迷惑かけているんだから、少しくらい教えてくれてもいいだろうが」

「おい、キング、アキラが困っている。やめろ」

「だから宗像は黙っていろ」


 ミタケがアキラの肩に手をかける。

 その手首をリョウはつかむ。


「いいや、黙らない」


 近くにいた女子が、きゃ、と短い悲鳴をあげた。

 リョウが怒るのは珍しいので、他の生徒までザワザワしはじめる。


「汚い手でアキラに触るな。ゴリラ菌が移るだろうが。あと、アキラに難癖つけるということは、この学園の女子生徒半分くらいと、プラスアルファで俺を敵に回すという解釈でいいよな」

「何だと。お姫様のナイト気取りかよ」

「いいや、アキラは王子様だ」


 ミタケの性格上、俺が悪かったです、と引き下がってくれる可能性は低そう。

 リョウだって向こうが詫びるまで許す気はない。


「手を離せ」

「お前が先に離せ」


 一触即発のムードになった。

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