イスパハルに来た日

 ※本編の五年前のお話です。

  本編の核心に触れるネタバレがあるので未読の方はご留意下さい。


 ―


「ねえ、やっぱりおかしくない?」


 くっつけた二つのシングルベッドの上で膝を抱えて車座に寄り添う三人の少女の一人が、口を開いた。

 ここはトイヴォの繁華街にある小さな酒場の二階の居室である。部屋は狭く、どちらかと言うと寝室というよりは屋根裏部屋と呼んだほうが良さそうだ。シングルベッド二つでほぼいっぱいの暗い部屋でオイルランプの光が揺れ、顔を突き合わせた三人の不安に満ちた表情を映し出す。


 少女たちの年は十六、七か。子供と呼ぶには育ちすぎているが、大人と言うにはあどけなさが拭いきれない。三人は寝間着のワンピース姿で、風呂に入った直後のようでまだ髪が濡れている。

 疑問を投げかけたのはその中の一人、胸までの金髪に丸い空色の瞳の少女だ。髪が耳の横辺りから下だけ波打っているのは、どうやらお下げを解いたかららしい。他の二人は少女の質問には応えず、ただ、不安げな顔で俯いた。

 一人は少年の様に短い亜麻色の癖毛に深緑の瞳、もう一人は真っ直ぐな腰までの黒髪に切れ長の黒い瞳だ。

 

 時間はもう真夜中に近いが階下の酒場には随分客が残っているようで、客の楽しげな喧騒が二階にも響いてくる。


 三人の少女は昨日、カーモスからイスパハルに逃げてきた。


 国境の川を死に物狂いで泳ぎきり、イスパハル側の河原で死んでしまった仲間の一人を囲んで大声で泣いていた所を警備に当たっていたイスパハル軍の兵士に保護された。

 仲間の遺体の埋葬の後、移民局では群青色の軍服を着た年配の女性によって魔術の素養の有無の確認と身元の登録が行われた。その後、女性はイスパハルの法律に全て従うことを条件に住居と仕事の斡旋をすると丁寧に説明してくれた。

 しかし、何かを過敏なまでに恐れているらしい三人の少女達はその話を巧すぎるとでも思ったのか、女性の静止を振り切ってその部屋の窓から逃げ出してしまったのだ。


 ぼろぼろの服で行く宛の無いままに町を彷徨い、極限までの空腹の中で食べ物の匂いにつられて少女達はいつの間にか市場に足を運んでいた。パイやスープの露店が並ぶ片隅にぼんやりと立っていたところで、急に声をかけられた。両耳に数えきれないほどのピアスをぶら下げた恰幅の良い年配の女性だ。野菜で一杯の買い物袋を抱え、豊かな黒髪を赤いターバンで巻き上げている。

 その後、女性によって半ば強制的にこの店に連れてこられた三人はトナカイのシチューをお腹いっぱいになるまで振る舞われた。その後はあれよあれよと言う間に風呂に入れられて寝間着と寝室を充てがわれ、今に至る。

 

「あのサーリって人。優しすぎじゃない? お腹が空きすぎて、ご飯に釣られてついてきちゃったけど……カズラはどう思う?」


 お下げ髪の少女が黒髪の少女に投げかける。


「そうだな、アンゼリカ。あの人の目的が分からない。こんな私達を助けても何のメリットも無いだろ。サザはどうだ?」


 黒髪の少女に話を振られた亜麻色の癖毛の少女が、考え込むように顎に手を当てて一呼吸置いてから、口を開く。


「……そうだね。だってただで私達に食事させて、服まで。しかも酒場の仕事を手伝うなら、ここに置いてくれるって」


「おかしいわ。絶対に何かあるわよ」


「私達をカーモスに売り渡す気なんじゃないか? 連れ戻せばそれなりの金になる筈だ」


「……」


 黒髪の少女の発した言葉と同時に俯いた三人の間に、暫しの沈黙が流れる。三人は改めて、その言葉の意味を反芻する。彼女らが考えついた結論は三人共同じだったようだ。

 亜麻色の髪の少女が顔を上げた。


「ここ、酒場だから厨房に包丁あるよね」


「……やるんだな?」


「うん。それしかないわ」


「捕まる前にあの人を殺して、お金と服だけ持って逃げよう」


 亜麻色の髪の少女の言葉に、他の二人は静かに頷いた。


 ―


 三人はベッドの上で身を寄せ合って静かに時が来るのを待った。

 程なくして階下の客のざわめきが落ち着いてきて、遂に殆ど聞こえなくなった。そろそろ店仕舞いのようだ。


「普通の女の人一人を殺すなんて朝飯前だけど、この辺は人が多い。せめて朝までは誰にも気づかれないようにしないと。状況をよく確認しよう」


 まさか少女が発するとは考えられない内容の言葉を、亜麻色の髪の少女はいつものことの様に口にする。慣れた雰囲気で二人の少女も従う。


「賛成。まだ、酒場から少し話し声がするみたい。聞いといた方がいいわね」


「ああ。情報が少なすぎるからな」


 三人は息を潜めて部屋を出て、階下へ続く階段を降りる。酒場のホールに入る木製のドアの前にたどり着くと、三人でぴったりと耳を寄せる。

 食器を片付けているらしい音と一緒に、中年の男女の会話が聞こてくる。どうやらサーリは最後に残った馴染みの客の一人と話をしているようだ。


「明日、臨時休業の張り紙出てたけどどうしたの? 珍しいじゃないか」


 客らしき男の声だ。


「うちね、可愛い居候が来たのよ。十六の女の子三人。

 今日市場でベリーパイ見てよだれ垂らしてたのを見つけたんだけど、服もぼろぼろだしお金も行く当ても無いっていうから拾ってきたの。お店手伝ってくれるなら置いてあげるって言って。上の階で寝てるわ」


「え!? 三人も居候って……

 サーリは世話好きなのは知ってたけど、そんな余裕あるのか? それに、そんな見ず知らずの奴拾ってくるなんて。盗人だったらどうするんだ?」


 サーリは食器を片付ける手を止めずにあはは、と大きく笑って話を続ける。


「私は細かいことは考えないタイプなのよ。直感だけ。

 あの子達、絶対に悪い子じゃないわ。目を見たら分かる。

 私の勘が鋭いのはケサさんなら付き合い長いんだからよく知ってるでしょ。だから私の料理は美味しいのよ」


「まあ、説得力はあるな……」


 男が溜息をつく。会話から察するにこの男はケサという名前らしい。


「で、とりあえず戦争で死んだ娘の服を着せたんだけどね、三人もいると全然数が足りないから、明日は買い足しに行こうと思って。

 それに、何故だか知らないけど三人共、体中傷だらけなのよね。さっき風呂の準備してあげたんだけど、切り傷やら擦り傷やら痣やら、いっぱい。

 女の子だからきっと心も沢山傷ついてるでしょうね。詳しく聞く気は無いけど、本当に可哀想だから見てて泣きそうになっちゃったわ。

 今日常連のノッカさんに、傷の跡を診るのが上手い魔術医師の女医さん教えてもらったのよ。あの人、そういう情報すっごく詳しいから。

 全部消すのは無理なんだろうけど、ちょっとでも治してあげたいわ。だから明日は服屋の他に医者にも行かないといけないわけ。

 そんな訳で、仕込みが出来ないから明日はお休み」


「なるほどな。でも、店だってまだ軌道に乗った訳じゃないだろ。生活苦しくないのか?」


「まあ、正直言えばそうね。

 でもね、それより私、そんなことが気にならない位にすっごくすっごくわくわくしてるのよ。だって、誰かとお店をやるなんて家族がみんな戦争で死んでから初めてなのよ。

 もっとお客さんだってばんばん来て欲しいし、何より、昔みたいに活気のあるイスパハルに早く戻って欲しいしね。

 ケサさんもいっぱい友達連れてきてちょうだいね! これからがんがん稼ぐわよ!」


 ―


 息を潜めてサーリの話を聞いていた亜麻色の癖毛の少女は、急に傍らで水が床に滴る音がしたことに驚き、ドアから耳を離して音のした方を見た。


 金髪の少女がドアに耳を当てたまま、大粒の涙を流している。涙は少女の顎先からこぼれ落ち、木製の床には滴った染みが点々と色を変えて連なっている。


「アンゼリカ……」


 亜麻色の髪の少女はそこで初めて、自分の目にも一杯の涙が溜まっていたことに気が付いたようだ。ドアから耳を離し、両手の甲でごしごしと目を擦る。黒髪の少女も目頭を抑えている。


「なあ、寝室に戻らないか? 明日は色々と出かけるらしいし」


「うん。そうするわ」


「そうだね。早く寝ちゃおう。早く酒場の仕事も覚えなきゃ」


 黒髪の少女の提案に、金髪の少女と亜麻色の髪の少女が鼻をずるずると啜りながら小さな声で答えた。


 三人はもう一度静かに階段を登り、狭いベッドの上で手を繋いで身を寄せ合った。 

 三人にとって、明日の命を心配をしないで一緒に眠れる初めての夜だった。


 ―


「あっはは、怖すぎるわよ! 私下手したら殺されてたじゃないの!」


 厨房のカウンターでシチューの大鍋をかき回しながら、サーリが大きな声で笑いながら言った。

 いつもはイスパハル城内で働いている人でごった返す食堂には、今は四人の他に誰もいない。テーブルと椅子が整然と並ぶ広々とした食堂で、サザとアンゼリカとカズラは軍服で厨房の前のカウンター席についている。

 サザ達は任務の関係で昼食の時間がずれてしまったが、サーリが三人の分の食事を取っておいてくれたのだ。それがあの時食べたシチューだったので思い出話をしていたのだ。


「……サーリさん、ごめんなさい」


「あの時、あたし達まだ、逃げてきたばっかりで」


「サーリさんの優しさを信じられなくて」


 サザとカズラとアンゼリカはばつの悪い顔で俯き、ぽつりぽつりと順番に応えた。


「まあっ、そんな顔しないのよ! やっぱり私の勘は最高に鋭いってことよね!」


 サーリは笑いながら、カウンター越しに手を伸ばして三人の頭を順番にわしゃわしゃ撫で、カウンターの上からシチューの皿を一つずつ出してくれた。端にいたアンゼリカが受け取り、バケツリレーの要領で隣のサザとカズラにも手渡す。

 あたたかい湯気と食欲をそそるブイヨンの香りがふんわりと顔を包む。サザは思わず深呼吸してしまった。

 

「でもこうやってまた、サーリさんの料理が毎日食べらるなんて幸せ〜」


 アンゼリカがスプーンを口に運び、頬に手を当てて言った。


「私も、このシチュー大好き。世界で一番好き」


 サザも一口目を味わいながら飲み込んで、カウンターに肘をついてこちらを見ているサーリに言った。サーリはふふ、と口角を上げて微笑んだ。


「あらあ、誠にありがたいお言葉。王子妃様のお口にはこういう庶民向けの料理は合わないかと思ったわ」


「ち、ちょっとサーリさん、そういうのやめてくださいよー」


 サザがスプーンを握ったまま恥ずかしそうに唇を突き出して言うと、サーリはあはは、と笑った。


「ごめんごめん、イスパハルの王子妃様はそういう子じゃなかったわね」


「王子妃様、お口に合わないのならあたしが食べましょうか」


「いえいえ、私めが」


 カズラとアンゼリカがにやにやしながらサザの両脇からスプーンをサザのシチューの皿に伸ばす。


「もう、二人共やめてよ!! これは私のっ!」


 サザが両脇の二人からシチューを庇うように皿を手で覆い、真剣に声を荒らげた。サーリはその様子に大笑いしながら厨房を出てきて、カズラの隣の席に座った。カウンターテーブルに肘を付いて、三人の様子をにこにこと眺めている。


「私の大好きな三人娘! これからもずっと、笑顔見せてちょうだいね。私の元気の源なんだから」


 揉めていた三人はサーリの言葉にはっと顔を上げると立ち上がって、椅子に座っているサーリに折り重なるように抱きついた。


「あたしもサーリさん大好きです……」


「サーリさんがいなかったら、私達は」


「ほんとのお母さんみたいで」


「あらあら、ちっちゃい子みたいねえ」


 サーリは抱きついてきた三人の隙間から無理やり手を伸ばし、もう一度順番に頭を撫でてくれた。

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