結婚式の朝

※「18.傷に触れる」と「19.約束」の間に当たるお話です。

そこまで読まれていない方にはネタバレになりますのでご了承下さい。



 カーテンの隙間から薄らと窓からの朝日が差す薄暗い寝室で、ユタカは目を覚ました。顔を動かすと亜麻色の癖毛がすっと頬に当たった。


 温かいサザの身体がユタカの腕の中にあった。サザは安らかな寝息を立てている。まだ日は上り始めたばかりのようだ。

 ユタカは昨日の夜を思い出し、自分の不甲斐なさに思わず大きな溜息をついた。吐息でサザの前髪が揺れる。

 それでも、こうやって隣にサザがいた温かさが自分の心を支えてくれたか分からない。

 人の温もりに触れて眠っていたのはいつぶりだろう、とユタカは考える。

 ほんの幼かったころは、ハルが抱きしめてくれた。大人になってからは、かつては孤児院で「姉さん」と呼んでいた恋人が一緒にいてくれた。そして今は、自分の妻となった人が腕の中にいる。


 しかし、妻となった人の温もりを感じながら昔の恋人のことを思い出すのは夫として流石にどうかと思う。

 ユタカの心の内の事なので言わなければサザには何も伝わらないのだが、サザが自分に誠実に向き合ってくれたように、その部分のけじめはちゃんとつけておこうと思った。


 そう考えながらユタカは無意識に目の前にあるサザの額にそっと口付けたところで、はっとした。

 この人は会ったばかりだし、ただ傷ついた自分を気遣って隣にいてくれただけで、それ以上を望んでいないだろう。だが悲しいかな、こうやってベッドで女の子に寄り添っているとおかしな気を起こしそうになる自分がいるのだ。

 ユタカは自分の理性が生きているうちにとサザを起こさないようにそっとベッドから起き出した。

 ユタカの腕枕を失ったサザが眠ったまま無意識に枕をぎゅうと抱き寄せ、また寝息を立て始める。それが何だかとても可愛く感じ、思わず笑ってしまった。


 ユタカはクローゼットからシャツと軍服を取り出して着替えた。今日の結婚式のためだ。


 イスパハルの軍人であり、少佐の階級まで付いているユタカは本当は絶対に常に軍服を着るべきなのだが、最後に着たのがすぐに思い出せない。

 ユタカが軍服を着ているとイーサの街の人達は明らかに萎縮するし、剣術学校でも軍に入ってからも「お前は優しすぎて軍人に向いていない、故郷に帰ったほうがいい」と散々言われ続けて来たのだ。

 軍服を着ないことが軍の規則違反なのは重々承知だが、可能な限りは着ていたくないというのがユタカの正直な気持ちだった。

 何故自分が軍人で、領主で、しかも、英雄などと呼ばれる存在になってしまったのか。

 運命というのは、分からないものだと思う。そんな身分が似合う人はもっと他にいるはずだ。ユタカは尊敬する上司の顔を思い浮かべた。


 軍服に着替えたユタカはベッドの横にあった椅子に腰掛け、改めて眠るサザを見た。

 一昨日初めて会った、自分の妻となった人。

 そして昨日、自分の命を救ってくれた人だ。


 サザの寝息に合わせて胸元の毛布が静かに上下している。窓から差す朝日が伸びてきて、サザの毛布にかかり始めた。

 昨日はあんな恐ろしい事件に巻き込まれて、さぞ疲れたことだろう。生憎今日は結婚式だから一日休ませてやることは出来ないが、ぎりぎりまで寝かせてやりたかった。


 二十五までに必ず結婚しなければいけない決まりは領主になるまで知らなかったとはいえ、なってしまった以上は守るつもりではいた。ユタカは国王を尊敬していたし、軍に入る時に忠誠も誓っていたからだ。


 しかし問題はその相手だ。

 恋人が生きていれば何も困りはしなかったが、かつて結婚の約束をしたその人は戦争で死んでしまった。


 結婚の期限の二十五の誕生日が刻一刻と迫る中、仕方ないので求婚してきた貴族や他国の王族の娘にも何人か会ってみた。しかし、どの娘も育ちが良すぎてあまりに話が合わないし、何より、あからさまに自分の地位が目当ての娘と結婚するのは気が引けた。

 相手はいつまでも見つからなかった。


 そこでユタカは考え方を変え、自分が部下を選ぶのと同じ目線で妻を選ぶことにしたのだ。

 イーサの領主として、ユタカが最も優先すべきで取り組めていないこと。それは貧しい人の暮らしを改善することだ。

 その為に必要な人員は、当事者と同じ目線に立って話が聞けそうな実体験があり、その仕事を引き受けて良しと言ってくれる人だ。

 そう決めてからは相手選びは無駄がなくなった。条件を話せばその人が結婚相手としてふさわしいどうかが一瞬で分かるからだ。話をした娘は全員激怒して帰っていった。


 三十人程断ったところで、某英雄は凄まじい面食いであるという非常に不本意な噂が流れたことは把握していた。それでもやり方を変えなかったのは、結婚してから自分のやろうとしていることの真意を汲み取ってもらえれば問題ないと思ったからだ。

 ローラの溜息が日に日に増えていくのだけは申し訳なかったが、サザが来てくれて事は無事に収まったし、少し長めに休暇を取ってもらうべきだろう。


 窓からの朝日が段々と伸び、サザの閉じられた瞼にかかった。眩しかったらしくサザは眠ったまま眉を寄せ、毛布の中でもぞもぞと身体を動かした。

 サザの首筋が毛布から覗き、髪の毛が流れて顕になった首筋に赤く走った傷跡が目に入る。鞭で打たれた跡だ。

 ユタカは昨日見たサザの背中を思い出し、思わず眉を寄せた。

 重なり合った痣の様子を見た限り、鞭で打たれたのは一度や二度では無さそうだ。家畜だってこんなに酷く打たれないだろう。

 何かの仕置なのだろうが、若い娘がこんなに鞭打たれないといけないとは一体どんな生活だったのだろう。想像がつかなかった。

 もちろん理由は気になりはしたが、根掘り葉掘り聞けばそれが彼女を傷つけることになるだろう。そんなことは決してしたく無かった。

 ユタカは「誰にされたんだ」と聞かれて押し黙ったサザの、悲しげに揺らいだ瞳を思い出した。椅子から立ちあがり、露わになったサザの首筋の傷を隠すように顎の辺りまで毛布を引き上げてやった。


 ユタカは同じ孤児だからと安易にサザを理解したつもりになっていた自分を恥じた。彼女は自分よりもずっと辛い人生を歩んできている。

 そして、そんな辛さがあったからこそ、サザは自分の弱さをしっかりと受け止め、理解してくれたのだ。


(サザがこれからの人生で、もう決して辛い思いをしないように。おれは絶対に守らないといけない。

 この人はおれの妻だから。この人を守れるのは、おれだけなんだ)


朝日が差していよいよ明るくなり始めた部屋でユタカは一人、心の中で固く決意した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る