another short stories

サザの永い夢

※「64.ユタカの決意」と「65.暗殺者サザ・アトレイド」の間に当たるお話です。

そこまで読まれていない方にはネタバレになりますのでご了承下さい。


 —


 サザはふと気がつくと、深い森の中にいた。


 前後に道らしい道もない。

 木漏れ日も殆ど届かない暗い梢に、もやもやとした白い霧が立ち込めている。足元は苔むした岩と朽ちた木が広がる。サザが足を運んだことがあるイーサの森ではないようだ。


(ここ、何処……? それに私は、どうなったんだろ)


 サザは自分の身体を確かめる。ヴァリスの剣が突き刺さった肩は陥没した穴が開いて、そこから大量の血が流れ、服をほぼ余す所なく真っ赤に染めている。

 しかし、不思議なことに痛みは全くない。苦痛は何も無く、むしろ身体は軽ささえも感じる。


(あ。私、死んだのかあ)


 そうに違いない。イスパハルでは『死者は森に還る』という信仰があるから、ここがその『森』なのだろう。


 しかし、死後の世界ではこういう身体の傷や流血の跡というのは勝手にきれいにしてもらえるものだと思っていたがそうではないらしい。血で濡れた服が身体に纏わりつく感覚はどうにかしたかったが、こんな森の中では着替えも無い。

 しかも、道案内も全く無い。サザは死んだとして、これからどうしたらいいのか見当が付かなかった。


(死んだ後にどうしたらいいかなんてみんな知らないんだから、看板でも立てておいてくれたらいいのに)


 サザは森の中で一人、ため息をついた。


「来たね」


「わっ」


 サザが突然の人の声に驚いて振り向くと、すぐ後ろに一人の女が立っていた。後頭部にに組んだ両手を当て、にこにことこちらを見ている。暗殺者という仕事柄、背後の人の気配には敏感な自負があったが、全く気が付かなかった。


 女は歳はサザと同じか、少しだけ歳上に見える。

 緩く波打った腰までの栗色の髪。それと対照的に、切りすぎた様な眉上の前髪と、その下のまあるい愛嬌のある瑠璃色の瞳。細身の体型の一方で、女にしてはかなりの長身だ。

 イスパハルの軍服を着ているが、女が華奢すぎるせいか、上着の肩が余っているように見える。規定のサイズでぴったり合うものが無かったのだろう。


「サザ・アトレイド、だね」


 サザは唐突に名前を呼ばれ、狼狽えた。サザはこの女のことを全く知らなかったからだ。

 サザは一瞬、イーサの近衛兵かと思ったが、女性は人数が限られているから顔と名前は全員一致している。こんな人は居なかったはずだ。


「……ええ。でも、あなたは誰です?」


「悪いけど、名乗れない。ほら。『     』って。声に出しても、聞こえないでしょ? 死者は名前を失うんだ。森の乙女様が決めたルールみたい」


「へ?」


 サザは女の言っていることが信じられず、声を出して自分の名前を言ってみた。


「サザ・アトレイド。……言えますけど」


「それは、君が正確にはまだ死んでないからだね」


「まだ死んでない……?」


「そ。それで、私は死人。ここは死人が死後の世界に行く前に通る森」


 女は相変わらずにこにことしてそう言うと、後頭部に乗せていた両手を、伸びをするように上に伸ばした。

「正確には死んでない」の意味が良く分からないが、この、自分は死者だという女についていけばいいのだろうか。死者の世界の案内人にしては緊張感のなさすぎる感じがするが。


「君がここに来そうなのが見えたから、こっそり死者の世界を抜け出してきたんだ。

 君の話をしたらぐりんぐりんのくせ毛の女の子が門番をうまく誤魔化してくれてさ。あの子すごいね。さすが暗殺者。楽勝だったよ」


「……」


 サザが女の話がよく理解できず黙っていたが、女は一方的に話を続ける。


「しかし、サザ。とんでもない怪我をしてるな。

 今、君を治療してる魔術医師達は必死こいてやってるけど。戦場なら君みたいな怪我の人が来たら悪いけど、私は諦めさせてもらうね。

 私は戦場で魔術医師として働いてたんだけど。君一人を生き返らせるだけで、軽症の剣士なら五十人は回復出来る位の魔力使うからね」


「……ええ。だから、私は死んだんでしょう? 早く連れてってもらえませんか?」


 サザは要領を得ない話に段々と苛立ってきて、ぶっきらぼうに返した。死んでもなお苛々することがあるなんて思ってもみなかった。

 だが女はそれには特に応えず、相変わらずにこにことした表情で話を続ける。


「死後の世界だと魔術は使えなくなるんだけど、私は死ぬ直前に回復魔術の呪文詠唱までやって、発動させる前に斬られて死んだみたいでさ。

 死ぬ直前まで働いてて偉い!ってことで死後に少佐まで昇進しちゃっててびっくりなんだけど。まあ、それは置いといて。

 ここで、回復魔術が一回だけだったら使えそうなんだよね。

 本当はユタカが死にかけた時に使ってやろうと思ってたんだけど。君の方がユタカより先に来ちゃったね」


 サザは唐突に女の口からユタカの名前が出てきたのでたじろいだ。


「ユタカの知り合いなんですか?」


「まあね」


 女は意味ありげににかっと笑うと、指先で鼻の頭を掻いた。

 そして唐突にサザのすぐ近くまでまっすぐに歩み寄って、サザの肩の傷に手を当てた。


「でも、その一回を、私は今、君に使おうと思って」


「え?」


 女の言葉にサザは驚き、思わず声を上げた。サザはそんな貴重な一回を使うべき相手ではない筈だ。


「どうして? あなたは知らない人なのに。何で私にそんなことをしてくれるんです?」


「それは、君がここで死んだら、ユタカがこの世の終わりみたいに泣いちゃうからだよ。

 昔っからユタカは男のくせにすぐ泣くんだ。まっ、そこが可愛いんだけどさ」


 女がサザに当てた手と逆の手を素早く複雑に動かし、魔術の発動の紋を切った。サザの傷に当てた女の手から、温かさを伴った薄い光が放たれる。


「ユタカ・アトレイドの妻にふさわしいのはこの世でたった一人。

 サザ。こんなに酷い怪我をして、自分の命を捨ててまでユタカを助けようとした、君だけだ。

 あの世まで含めたら、私といい勝負だけどね」


 女はそう言いながらサザの傷に当てていた手を少し浮かしたので、サザも自分の傷を見た。傷は周囲から少しずつ少しずつ狭まってどんどん小さくなっていく。

 元々ここに来た時から傷の痛みは感じていなかったが、それ以上にもっと力が漲るような、力強い温かさに身体全体が包まれているようだ。


「言っとくけど私、ユタカがこっち来たら周りが引くくらいすんげーいちゃいちゃするから。

 それが嫌だったら絶対に自分より先にユタカを死なせちゃ駄目だよ」


「い、いちゃいちゃ……?」


 その言葉にサザは、この女が誰なのかをやっと理解した。


「あなた、もしかしてユタカの……!」


 女はそれ以上は言うなという風に、唐突にサザの口を手で塞いだ。美しい瑠璃色の瞳がいたずらっぽく笑う。


「ちなみに、ここでのことは目覚めたら全部忘れます」


 その瞬間、森の景色が一変した。女の身体を含めてすべてが消え去るように全部が白い光に包まれる。女はサザの口から手を離した。


「現実世界の方に引っ張られてる! ちゃんと回復できたんだ。あっちに戻れるよ」


「待って、教えて……」


 女はサザの問には応えずに、花が咲いたような満面の笑顔で、怪我の治ったサザの肩をばしん、と強く叩いた。


「じゃあね、サザ! 犬死にすんなよ! 絶対に生きるんだ。

 私が守れなかった代わりに、ユタカを守ってやってね!」


 女の言葉を最後に、辺りの全てが眩い光に包まれて真っ白く消えた。サザは自分の意識が温かさの中に溶けていくような感覚とともに、ふっと途切れるのを感じた。

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