9.イスパハルの慣習
「でもさ。本当にサザが来てくれて良かったよ」
ユタカは椅子に座った膝に両膝を投げ出すように置いて、相変わらず笑顔で言った。
「サザは孤児なんだろ? おれもだからさ。ありがたいことに結婚の申し込みはたくさんあったけど、申し込んでくれる人はみんな貴族や他国の王族とか、とんでもなく身分の高い女性ばかりだったから。結婚する決まりがあるのは仕方ないとして、おれとは絶対に釣り合わないだろうから、本当に困ってたんだ。しかもカーモスからの難民で路上育ちなんだろ? 同じ孤児でも孤児院にいたおれより苦労してそうだから尊敬したし、この人とならやっていけそうだと思ったんだ」
「そ、そうですか……ありがとうございます」
(別の人と取り違えた訳じゃ無かったのかあ)
ユタカの素直な言葉にサザは少し照れて目を伏せた。確かに、孤児の平民が領主に結婚を申し込んで受けてもらえる可能性など通常なら億に一つもないほど無理のある話だから、他にそんなことをする人は皆無だったのだろう。
カズラとアンゼリカは「ダメ元で申し込んだ」と言ったが、ダメ元にも程がある。
(しかし、カズラとアンゼリカ、そんなことまで書いたのか。本当のことだからいいけど、私の育ちを包み隠さず書きすぎでは……)
暗殺組織の所は路上に変換されてはいるが、生活の酷さで言うならおそらく同じくらいだ。孤児であることは普通、求婚状に書く内容ではないだろう。
(でも、私について暗殺のことを書かないなら他に書けることなんか、何も無いな)
サザは心の中で大きく項垂れたが、そうとは知らないユタカは笑顔のままで話を続けた。
「でさ。それが、サザに頼みたい仕事にも関係してるんだ」
「仕事と孤児であることが、ですか? 私には何の特技も無いですが」
「詳しくは明日領地を案内する時に説明するよ。その方が分かりやすいから」
「はあ……」
全く見当がつかないが、教えてもらうには明日までは待つしかなさそうだ。
「で、明日からの予定なんだけど。明日はイーサを一通り案内して、その次の日に町の教会で結婚式を挙げる。結婚式の後は、その一週間後におれと一緒に国王陛下に謁見してもらうことになってるよ」
「こ、国王陛下にですか?」
(めっんどくさ……)
結婚式だけでも気が重いのにそんなものまであるとは。しかし、国王陛下が相手では断る訳にもいかない。
「謁見は形式的なものだから、不安がらなくていいよ。おれもいるし。陛下の前で『真実の誓い』を立てたら終わりだ」
「『真実の誓い』ですか?」
「結婚するにあたり、陛下に対して欺瞞が無いことを誓うんだ。サザはおれと結婚すると、おれが死んだら領主になることになる。領主は国の中でも大きい責任がある職務だから、一応、結婚の時に法的に有効な誓いを国王の前でとらせるんだ。昔からの慣習に近い儀式だけどな」
「法的にというと、何か罰則があるのでしょうか」
「アスカ国王は法律で、国王との直接の誓いは最重要に扱うことを決めているから、もし嘘だったら死刑にはなるな」
「死刑!?」
驚愕して大きな声を上げたサザに、ユタカがなだめるように続けた。
「死刑と言っても、普通に領主夫人をしていれば絶対に違反しないよ。欺瞞のないことと引き換えに国王はおれたちを直接の庇護において守る誓いを立ててくれるんだ。そのメリットの方がずっと大きい。それに、サザが来て早々にこんなこと言うべきじゃないけど、あくまで国王とサザの間の誓いだから、おれとの離婚や不貞を罰するものでもないし」
「そうですか……」
確かに普通の領主夫人ならまず違反しないだろうが、サザは普通ではないのだ。
今は暗殺者だとばれても後ろ指を刺されるだけで罪人にはならないで済むのに、この誓いをした後は死刑になってしまう。イスパハルにこんな決まりがあるなんて知らなかった。知っていたらさすがにカズラとアンゼリカも躊躇しただろう。
(大変なことになっちゃったな……)
今更ながらナイフを持ってきたことを後悔しつつ、サザは考えた。
だが、今だって暗殺者であることはしっかり隠して生活できているのだ。普通にやっていればまずばれることはないだろう。
「ま、そんな感じで色々やることがあって悪いね。一応夫婦にはなるけど、まだ完全に他人だからな。少しずつ慣れていきたいと思ってるよ。宜しくな」
ユタカはそう言うと屈託のない笑顔を見せた。それにしてもよく笑う人だと思う。
「え、ええ。こちらこそ。ありがとうございます」
(ちょっと変わってるけど、悪い人じゃなさそうだ)
こんな優しそうな人に剣士が務まるのだろうかという疑問は残るが、サザは結婚に対しての不安が少しだけ和らいだ気がした。
「今日は疲れただろうから早く休んで。ローラに風呂の準備を頼むね」
「はい」
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