8.結婚の理由

 サザは言われた通りに他のメイドの娘に案内された二階の部屋に入って、足元に鞄を置き、ベッドに腰かけた。


 案内されたのは石積みの暖炉と、城の前の景色が見渡せそうな大きな窓のバルコニーがある広々とした部屋だった。二人用のベッドと簡素なテーブルセット、クローゼットがある。


 調度品は豪奢な飾りはなく、どちらかというと教会で使われるようなシンプルで実用的なものだ。恐らく領主と領主夫人が使うものにしてはかなり地味だろう。しかし、サザはその方がかえって落ち着くと感じた。


(この部屋で暗殺するなら……ドアから入るには一階の広間の真ん中の階段を登らないと無理だから、窓から侵入の方がいいか。でも窓も大きくて外から目立つ場所にあるな。やっぱり領主は暗殺されにくい部屋に住んでるんだなあ)


 職業病でついそんなことを考えていると、服を着替えたユタカが入ってきた。

 先ほどと変わらず、町の人が着るような綿のシャツとズボンだ。ユタカはベッドに腰掛けたサザの傍らにあった椅子に腰掛けた。


「荷物、メイドにも触らせたくない程大切なものなのか? 何を持ってきたんだ?」


「……私の荷物など運んでもらうのは悪いと思ったので」


 本当は、暗殺者として長年使用していたナイフがどうしても捨てられず、洋服にくるんで持ってきてしまったのだった。クローゼットの奥の奥に隠して鍵をかけておけば、ばれることはないと踏んで荷物に入れた。

 もう使うことは無いのだから、サザの死後に荷物を整理した相続人の度肝を抜くくらいしか用途はないだろう。


「ふーん……? 別にそんなこと無いから気にしなくていいよ」


「はい、ありがとうございます」


 こんな所でぼろを出している場合でない。


(気をつけなけきゃ)


 ユタカは膝に頬杖をついてサザの顔をまじまじと見つめた。こちらを見透かされているようで落ち着かなかったが目を逸らすのも悔しいので、サザはそのままじっとユタカの顔を見つめ返す。ユタカは微笑んだ。笑うと笑窪のできる人だ。


(でも、こんなに優しそうな人が国一番の剣士なんて本当なのかな?)


 サザはユタカと出会ってから、この人が敵国の王を討った英雄であることは元より、そもそも剣士であることすら信じられなかった。大体、何で英雄が普段着で農作業しているのだ。

 体格にしてもそうだ。上背があるのは剣士としては有利な筈だし、肩や胸の感じから身体を鍛えているのは伝わってくるが、身体の線はどちらかというと細いほうだ。

 同じ程度の体軀の男は珍しくない。サザはもっと筋骨隆々とした感じの人を想像していた。


(農家って言われたら絶対信じちゃうな)


 サザが思いを巡らせていると、笑顔から少し真剣な表情になったユタカが口を開いた。


「悪いんだけどさ。結婚する前に二つだけ。確認させてほしいんだ」


「確認、ですか?……何でしょうか」


 サザは思いがけない質問にぐっと身構えた。

 『結婚する前に』ということは、返答次第で帰されるのだろうか。とんぼ返りになってしまったらアンゼリカ達に合わせる顔がない。


「まず一つ目。結婚式を挙げるのは、イーサの町の人達が式を挙げている庶民的な教会だよ。本当なら領主の結婚式は王都トイヴォで盛大にやるものらしいけど、イーサはまだ復興の最中で余計な出費は避けたいから、豪勢な式にはしないことにしてるんだ。それはいいか?」


「え? はい。承知しました。その方が私もありがたいです」


 サザはそもそも結婚する気など全く無かったのだから、結婚式にもまるで興味がない。簡単に済むならその方がいい。しかしユタカはその答えが意外だったらしく、少し慌てた様子で付け加えた。


「本当にいいのか? 庶民と変わらない内容だけど」


「ええ。というか、そんなに出費が気になるなら別にやらなくてもいいです」


「ふうん……まあ、流石にやらない訳にいかないからやるけど、大丈夫そうなら良かったよ」


 ユタカは微笑んでもう一度まじまじとサザの顔を見ると、話を続ける。


「二つ目なんだけど、さっき言ったようにイーサは復興の最中だから、領主夫人でも、ちゃんと働いてもらうよ。イーサの人々が散々苦労しているのに上の人間が悠々と暮らす訳にいかないからな。だから普通の領主夫人みたいに、洋裁や料理の手習いとか、近所の貴族の娘とおしゃべりばかりするような生活を望んでいるんだったらそれは無理だと思って欲しい。ただ、領主夫人になってもらった以上は、相応の暮らしは絶対に保証する。それに、働いてもらうと言っても決して馬車馬のようにやれという訳じゃない。無理の無い範囲でだ」


「はあ……」


 サザはそもそも仕事が見つからなくて結婚したのだ。生活するためにならどんな仕事でもやる気だし、むしろ苦手な料理や洋裁の練習の方が苦痛な気がする。

 ユタカが何をさせようとしているのか分からない不安はあるが流石に暗殺ではないだろうし、暮らしは保証すると言っている。


「ええ、それはごもっともです。もちろん働きます」


「……なら良かった。本当に。さっきローラが言ってたの聞いたと思うけど。本当は、サザの前に求婚状を送ってきた女性の中でかなりの人数に来てもらったんだけど、この話をしたら全員帰ってしまったからさ。みんな豪華な結婚式と領主夫人らしい生活は譲れないみたいでさ」


 ユタカは少し皮肉るように眉間に皺を寄せて笑った。


「はは……まあ、貴族の方ならそういう人は多いでしょうね」


 とりあえず帰されなさそうだ。サザも心の中で安堵のため息をついた。

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