第17話 嵐は突然に

 いつでもあえる人ではないから、ほんの数時間のチャンスでも私にとっては宝物だった。

 交通費がかかるから回数減らせだの、3か月に1回くらいでちょうどよいだの憎まれ口は届くが聞く耳持たず。

 当初予定していた約束の日に都合が悪くなったらしい津島から日程変更の業務連絡があり、またもや行き先不明のデートの当日がやってくる。


【12時過ぎに越谷に来られるのなら何とか時間作れそう。 無理しなくていい】


「まったくもう! 行くにきまってるでしょうが!」

 スマホに怒鳴りつけてみるが、すぐににやけてしまう。

 行きますと返事をすると、本当に念を押すように別に無理をしなくてもいいけどと憎まれ口が返ってきたが、こんなことくらいであきらめる私ではない

 関西生まれの私は、まず、越谷が埼玉だという現実を把握することから始まった。

 びびりながら、乗り継ぎをしてようやくたどり着く。

 駅に着いて周囲を見回すが彼の姿は見えない。

 どこにおるのだとメールをすると、銀行前にいると短いメールが返ってくる。

「車?」

 以前に基地であの高級車が津島さんのだよと佐竹に教えてもらった車に似ている気がした。

 恐る恐る近づくと、津島がふいにおりてきた。

「おう、びっくりした!」

「車、のれ」

「あい!」

 助手席にのせていただき、緊張感たっぷりの私を無視して、さっさと例のごとく目的地不明で発進する。

「すごいな、パイロットの運転うますぎる」

「普通だろ」

「それにすごいね、この車も。 びっくりびっくりです」

「国産車、普通」

 相変わらず可愛げのない口調だが、それすら腹も立たない。

「どこいくの?」

「どっか」

「でしょうとも! はい、いただきました!」

 わかりきった会話だったが、これも慣れてくると心地よい。

 津島は変わっているが、とことんかわっているが、やっぱり心地よい。

「論文はできたのですか?」

「やっつけ論文、すぐできる」

「やっつけはできんでしょうが」

「適当にちょいちょいだ」

「もう! ……あ、そうだ、海外の研修っていついくのですか?」

「もうすぐ」

「成田?」

「そ、成田」

「成田いきたい。 お見送り、お出迎えしたい」

「あほか! 他にもたくさんメンバーいるんだぞ?」

 ちっと舌打ちして、そんなに全力で否定せんでも良いだろうと窓の外へ目をやる。

「お前な~」

 運転しながらあきれ顔の津島に本音をお伝えする。

「津島さん、国外は何があるかわからんですから、帰国したら絶対に教えてくださいよ。 心配だからね!」

「あ~はいはい」

 津島は小さくうなずいて了承の意だ。

 どうにも色気が出てこないこの雰囲気に女子としての才能のなさを抜群に感じてしまう。

「お腹減った。 寿司食べる」

 ふいに津島が回転すし屋にはいっていく。

「……行きましょうとも」

 毎度の津島のペースだ。この愛おしい40おっさんは本当に自由きままだ。

「食いたいもの食えばいい」

「あい」

 どうやら食事の量を調整できる場を選んでくれていたらしかった。

「ほんとに、気持ち良いくらい食べるよね」

 目の前に重ねられていく皿の量があまりにも多すぎて笑ってしまう。

 綺麗に食べてしまう津島のペースをみているだけで楽しくなる。

「おう、いくらでもいける」

 津島は気づいてはいないだろうけれど、とっても食べ方が綺麗だ。

 育ちが良いのがすぐわかる。

「お前、そんだけか?」

「一緒のレベルは無理だよ」

 津島はあっそっかというようにうなずく。本当になんなんだ、この可愛いおっさんはとにやけてしまいそうになる。

「あのね、津島さん手を出して、つけたいものがあるのだ」

「やだ、今、手がふさがってる」

 わざと両手に皿をもって見せて、あからさまに反抗する。

「じゃ、この後!」

「だめ、だし巻き来る」

 完全に馬鹿にされている。

 くそう、引き下がるかと思いながらも津島との時間を楽しむ。

 食事が終わると、またさっさと車を出そうとするところを、あえて攻撃する。

「手を出せ」

「運転する、いやだ」

「手を出してください!」

「あ? もう、なんだよ」

 『gfifty』という三重県伊賀の組紐で作られたコードブレスレッドを取り出す。

「ふはははは、おそろなのだ。 結構高いんですから引きちぎったりしないでくださいよ~」

 おとなしくされるままになってくれている津島が愛おしい。

「はい、完了」

「もう、運転していい?」

「いい、いい」

 ご機嫌な私に大ため息を放り投げた後、津島は運転を始める。

 埼玉ののどかな風景をながめていたら、急に何かに道をふさがれ、車が止まる。

 二人して同時に顔を見合わせる。

「胸糞悪い」

「……でしょうとも」

 一時停止の注意らしかった。だが、一時停止などどこにもなかった。

 津島はどこに一時停止があるのかときいて、新人警官はしどろもどろになる。

 笑顔がかわいい津島だが、いらだった時の無表情は本当に怖すぎる。

 津島と新人警官の戦いの火ぶたが切られてしまった。

「免許みせてください」

「はい、どうぞ」

 津島は悪いことは何もしていないのだからと免許を差し出す。


「名前の意味は?」


 新人警察官の質問の意図がよくわからない。

 津島同様、私も助手席でぽかんと口を開けた。

 隣にいる津島から盛大に何かが切れた音がした。

 そして、世にも恐ろしい津島の低い声がお返事をしてしまう。


「名前の意味なんて俺が知るか! 親に聞きやがれ!」


 ごもっともである。熾烈なまでにごもっとも。

「何でそんなことを答えなくちゃならんのか? 意味あるのか? 上を呼んで来い」

 私は隣でもはや苦笑いをするしかない。


《新人君、きっと名前の読みはとききたかったのだろうけれど……早くごめんなさいしてくれ》


 春の交通安全週間で、新人警察官の教育のための取り締まり練習は大失敗だ。

 当然のことながらすぐに上司らしき人が来て、平謝りされた。

「ちゃんとしてもらわんと!」

 普段から部下の教育なんて場面が山のようにある津島の怒りたるや半端ない。

 その後の劇的にご機嫌が斜めな津島の横で、必死に会話の糸口を探すが無言の壁は恐ろしく高かった。


「お、道の駅!」


 空気を換えようと必死な私の言葉に、乗っかる様子で、津島は車をとめた。

 道の駅で色々を見ながら歩いていると、急に彼が足を止めた。

「コレ、お前が食べそびれたものな」

「うん?」

 彼が指をさした先にはイチゴがあった。

「なんと!?」

「胸糞悪くなったからいちご狩りなし。 とちおとめ、残念でした。 苦情は埼玉県警まで」

「え~、今から行こう! ねぇ、行こう!」

「もう遅い、通り過ぎた」

「ちょっと、津島さん!」

 津島はにやりと笑いながら知らん顔をする。

「なしなし。 はい、トイレ休憩」

 私が盛大にため息をもらすと、苦情は県警に言えと津島に二度目の悪態をつかれた。

 でも、落ち込むよりも何よりも、津島がいちご狩りに連れて行こうとしてくれたことがうれしかったことは内緒だ。

「もう、どこいった? ……ん? 何してるんだ?」

 トイレから出てくると彼の姿がない。

 神出鬼没、じっとしていられないのか、本当に。

 それでも、やはりすぐみつけられる才能はある。

 甘いものが好きではないのに、現地のミルクたっぷりという売りのホイップクリーム満載のパイを購入している。

 足早に駆け寄るとそっと声をかけてみる。

「甘いもの大丈夫なの?」

「うまいらしいから」

 なんとなくこの先のことは見えていたが、それでも買うというのだから買うのだろう。ベンチに座ると一口ほおばり、彼の表情が凍り付く。

「おいしいの?」

「あまりうまくない」

「でしょうね。 どうして、せめて、いちご入り買っていればよかったのに」

「なんで?」

「甘いだけじゃないでしょう?」

 私の回答に『あ、そっか』というような表情するあたりがこの人の可愛らしさだ。

 一口所望すると、素直にわけてくれるあたりも大好きだ。

「甘いね。 私すらギブアップだよ。 これ残り食べられるの?」

「食ってしまう」

 無理して食べなくても良いのに、一気に食べてしまう彼がかわいらしい。

 その後はお茶をがぶ飲みしている。言わんこっちゃない。本当にかわいげのない飲み方。

「よし、完了」

 無造作に立ち上がると、車の方へ行こうとする彼を呼び止めた。

「まだ、今日は手をつないでない」

「は? いるか、それ」

「いるのだ」

 呆れたような顔をしながらも手を差し出してくれるのがわかる。

 手をつなぐのは車までのわずかな時間。それでもよかった。

 どこへ行くのかもわからないけれど、そばにいられるだけでこんなに自分が穏やかでいられる。自分の中の魂がここにいなくてはならないのだと訴えかけてくる。

 ちっとも関係性はかわらないけれど、この人の傍が居場所だとわかる。

 ご機嫌斜めだというわりに枝垂桜の綺麗に見える川沿いをドライブしてみせてくれたり、その地域の美味しいものをちょっとつまみ食いしてみたりと、嫌いになれる要素が何一つ見当たらない。

 終電を気にしながらも、ちょっとだけでも東京よりの駅へと連れてきてくれるあたりも大好きだ。

「明日、何時ですか?」

「明日、毎度の4時起き」

「そっか。 次は予定はたつのですか?」

「一週間前にならなきゃわからない」

「じゃ、聞いてみますから。 その都度」

 津島はゆっくりとうなずいた。

 なんとなくだが、津島の日常が忙しくなってきているのは肌で感じていた。

「あ~……もうやだ」

「何がだ」

「可愛い女の子ならもっとうまくやれるんだろうな~って」

「なんだそりゃ」

「津島さん、私じゃだめなんですか?」

「そんなことを聞かれても、すぐに言えるもんじゃないだろ」

 真顔で答える津島。

 私の勇気を何だと思ってるんだ、この男は。

 あまりのもどかしさに爪が食い込むまで掌をにぎりしめる。

 でも、私には私らしくぶつかるしかない。

 重苦しくなったのならぶっ壊す。

 こんな時にも色気がない自分が情けない。

「……よし! チューするぞ!」

 空気をかえてやるんだと、明るく言い放ってみる。

「は? 前もしただろ。 それに、そんな気合がいるのか? 挨拶がわりだろうが!」

「誰があいさつ代わりでするんですか!」

「挨拶程度だ」

「あのね……ほっぺじゃないからね!」

「はい?」

 津島に考える暇を与えずに、ありったけの勇気をつめこんで、唇にふれる。

「ほんとに……」

 津島はもう何も言えないというように心底あきれ顔でため息を絞り出している。

「はい、終電にのる!」

 いつなんどきもこの校長先生のような冷静沈着な津島が憎たらしい。

「おでこにチューしてくれたらのります」

「なに子どもみたいなこと言ってんだ?」

 自分の前髪を持ち上げて、津島に額を突き出すとかなり抵抗されたが、最終的にはため息とともにキスをくれた。

「のれ!」

「らじゃ~」

 車を降りると、津島が駅を指さす。

 でも、ご機嫌な私はにっこりと手を振る。

 がっくりと肩を落としながらも、早く乗れというように指さした津島を横目でみながら、私は駅の階段をかけあがる。

 どんなテーマパークも高価なプレゼントも必要ない。

 津島といる時間があればそれだけで良かった私はこの後に来るとんでもない試練など知る由もなかった。

 海外研修から戻ってきた時も短く【帰国しました】と業務連絡が届いていたし、予定があわなければそれはそれでだめだという連絡も届いていた。

 津島が忙しくしている間に、私はスキューバーダイビングを一緒にできるようにCライセンスをばっちり取得した。今の自分ができることをして待つのだと前向きに。

 しかし、そんな私の気持ちをあっさりと打ち砕く暗い現実が視界を覆い隠すことになった。

 恐るべきは幕僚監部への転属だった。

 本当の意味で、津島のいる世界の怖さを思い知ったのだ。

 彼の転属先が激務過ぎて、彼のメールもいらだっているような感じが漂うようになった。

 相変わらずのちんぷんかんぷんな理解っぷりで、文面をどうしたらそうとれるのだというような誤解の返信にも、ストレートに傷つけられ泣いてしまうこともあった。

 まともではない環境にいるせいだと佐竹は励ましてくれたけれど、もとから言葉のセレクトに優しさが感じられない津島のメールは淡白なだけに心をえぐるのがうまい。

 顔が見えていての言葉ならば受け取り方は違うだろうが、スマホに表示される文面は死刑宣告のようで、心が壊れそうになる。

 そして、彼の顔を見ることができない時間があまりに長くなっていた頃、ふいに届けられたメールに、私は眩暈がした。

「なんでこうなる……」

 曖昧な関係のまま、薄い氷の上に立っているような不安の中にいた私はたった一人の彼にもっとも恐れていた言葉を告げられた。


【私のために一生一人でいるなんてことはしないでほしい。 両親や家族を安心させたり喜ばしたりする幸せを考えてほしい。 私以外をも候補に入れて考えてほしい】


【君の気持はよく伝わってる。 真面目すぎてバカにすることができない。 でも、それを受け入れられない自分がいる。 何かが始まる可能性も低いと感じる。 私には重すぎるのです】 


【泰子さんの人間性が素晴らしいからこそ、厳しいことを言っています。 幸せになってほしいから。 ちゃんと考えてください】


 『私以外をも』『可能性が低い』という彼の曖昧な表現に、私はすがるしかない。

 絶対にダメなのならば、私の知っている彼ならば、ばっさりと切り捨てるはずだ。

 それをしないのは彼の弱さ、私をほんの少し惜しんでくれていると信じたい。

 仕事人間の彼はきっと恋愛に時間を割けない自分をよくわかっている。

 それでも、大変な状況の中、筆不精の彼が私の未来について考えてくれた証拠だった。

 どうでもよいと思っているのならば、あの彼のことだから、必殺の音信不通でなかったことにするのだろうし。

 これまでふんわりと受け流していた彼がようやく私と向き合った気がしている。

 号泣したし、食事ものどを通らない。

 一気にダイエット成功してしまうほどに堪えたやりとりだったのだが、私は私でしかいられないことにようやく気が付いた。

「私の愛の大きさを知るがいいよ」

 自分に嘘はつけない。

「軽い気持ちで、あなたが好きだと宣言したわけではないもん。 重いなんてあたりまえだ。 真剣に愛するってことなんだから!」

 生涯一度の恋だったとしても、後悔はしたくない。

 重いといわれたくらいであきらめるくらいなら、秘めておくはずだった恋心を体の外へ出す勇気など最初から出していない。

 そんな時に、曽祖父がもっていたあの手紙と写真に再会出したというわけだ。



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