第16話 じゃれている犬扱い

 何をしていても腹が立たない心というのは無敵だ。

 どんな仕事を与えられても苦にすらならない。

 プライベートの充実というより、心の朗らかさは潤いだ。

 ホワイトデーの約束をしぶしぶしてくれた津島に逢えるまでは日々精進なのだ。


「しっかしながら毎度のことながら約束の前日になっても連絡してこないとか」


 妹のマンションでとりあえずは待機。

 本当に約束は成立しているのかと疑念が脳裏にあふれかえりそうになるが、あの連絡不精のこと、メールは業務連絡としか思っていないだろうなと必死に納得しようと試みていた。

 季節の変わり目というやつで、自前の喘息が風邪とともに襲来しており、それとも戦いながら連絡を待つ。

 少し前のメールでは一応、八景島シーパラダイスの桜ナイトに行ってみたい旨を一方的に意思表明してみたが、まるで無視だった。

 なんとなく腕のケガのことや飛行機の時間のことや色々とメールではやりとりしているが、面白いぐらいに淡白だ。

「う~ん。 何時に、どこよ~」と私が唸った途端だった、彼から連絡が入った。


【明日、13時くらいからならなんとかなりそうです。 その前の用事次第で行先は変更するかもしれないけれど、まずは行きたいところで考えたいと思います。 京急の品川で待ち合わせします】


 ほんの少し前のもやもやが吹き飛んでしまう。

 実に簡単な自分の脳みそと乾杯した。

 約束はどうやらちゃんと覚えていてくれたらしく、それがこんなにうれしいとはと頭はお花畑だ。

 メールの返信が届いたことで、妹もひと安心してくれたようだった。とりあえずの安堵を引き連れて、妹と一緒に食事へでかけ、東京で一人頑張っている彼女の愚痴や悩みに耳を貸すことにする。

 津島が東京へ異動にならなければ、こんな時間をもち、妹とここまで腹を割って話せたのだろうかと思うことがある。

 津島は私にとって、やっぱりラッキーパーソンでしかない。

 当日の朝、妹に見送られて少し早めに品川について待っていると、その前の用事がおしたらしく少し彼が遅れてくることになった。

 それでも、平気。すべてが楽しくて仕方がない。また、口悪く何かを言われても気にもならない。

「津島さん!」

 やっぱり私は天才だと思う。どこにいてもわかってしまう。

 今度は見つけてもらおうと思っていても、我慢できないのだ。

「おう、金沢八景までいくぞ」

 品川集合だったからてっきり品川シーパラダイスにでもいくのかと思っていたが、来るや否や彼は京急にそそくさと歩いていく。

「行くの? 八景島?」

 きゃっきゃとする私をしり目に、さらりと知らん顔。

 どこへ行くかは相変わらず口にしない。

 でも、きっと八景島だとわかり私は一人でルンルンだった。

 京急に乗り込むと、彼は盛大にため息をついた。

「あんなもの送ってきおって。 入院しろ。 重症にもほどがある!」

「治らないもん、不治の病」

「あんなの全部行けるか! 他の奴といけ」

 この数日前に、東京るるぶに付箋をたっぷりつけて、『津島さんとおでかけしたいるるぶ』を作成して、笑いのコメントつきで送っていたのだ。

 彼は私が知っているであろう自分の部下の名前を次々にあげて一緒に行ってもらえというが、その度に私は全力で否定した。

「あんね、津島さんじゃないと意味ないってご存知?」

「あ~はいはい」

「笑えたでしょう? 張りつめてばかりでは人生面白うないのだ!」

「笑う前に、呆れるわ!」

「ゆとりもって生きなくちゃ~」

 戦闘意欲をそがれたのか、もうそれ以上は口にしなくなった津島に、待っている間に買っておいたお茶を差し出すと、無言でそれを飲んで一息ついた。

 どうやら風邪をひいていたらしく、電車の中で眠そうにしはじめる。

 そして、津島は本気でうつらうつらしはじめた。

 右腕に目をやると、指先が浮腫んでいる気がして、何を思ったのか自分でもびっくりだったのだが、彼の袖をまくり、傷を見ようとしていた。

「こんなところで脱がすなよ、すけべ」

 寝ていなかったのかとため息が出る。

「ここでは脱がしませんけどね、誰がスケベてか」

 ひじから約20㎝の大きな傷跡にテーピングがなされている。

「浮腫んでるよ、痛いでしょう?」

「ロキソニン飲まなくても、我慢してりゃのりきれるのわかった」

「そこはわからなくていいでしょうが! ああ、もう!」

 ちょうど彼の右側に座っていたこともあり、目的地に着くまでハンドマッサージしてあげることにした。そして、その結果、彼は面白いくらい爆睡した。

「普通さ、爆睡する?」

 愚痴るけれど、響きはどこか愛おしい。なかなか眠れないと話していた彼が眠れているのならいいかと笑みがこぼれる。

 最寄り駅から八景島シーパラダイスへ向かう最中、私は勇気を振り絞ることに決めた。

「津島さん、手をつなごう。 勇気を振り絞っているのです! これでも!」

「すご~く自然でしたけれど?」

「緊張しまくりですよ! こんなの、私、津島さん以外に絶対しないからね」

「はいはい」

 怪我をしていない左手をさしだしてくれる。

 握り返してくれる手があまりにあたたかくて、泣きそうになった。

 もうこれだけで十分だった。

 だが、ここからの彼は機敏だった。

 桜ナイトパスをフル活用してやるぞと言わんばかりに分刻みに全イベントに手をつないだままで連れていってくれた。

「これで気が済んだか?」

 もっと言いようがあるだろうが!とは思うが、全く腹が立たないのがおかしい。

「満足した! ……あのさ、津島さん、風邪ひいてるでしょ?」

「そっちこそ」

「はい、ティッシュ。 鼻に優しいやつだから」

「うん、ありがと」

 こういうところは素直なんだよなと津島をみると、彼は片眉をあげた。

「お前、体調悪いときは遊びに来ちゃならんだろうが」

「さっきのを言っておるのですか? これは季節の変わり目の喘息だからノープロブレムなのだ」

 激しくせき込んでいたことをちゃっかりみられてしまった。

「津島さんこそ、ひょっとして熱あるの?」

「生きてるからな。 風邪ひいたら、じっとこらえていたら治るだろ、そのうち」

「もう!」

 私はピルケースからロキソニンとガスター、アミノ酸のサプリをとりだした。

「はい、手を出す。 これ飲む」

「これなに?」

 津島の聞き方が恐ろしく可愛い。

「ロキソニンと胃薬、アミノ酸」

 津島の掌に一つずつ薬を取り出しておいてやる。

「俺、痛くね~ぞ。 ロキソニンってさ、痛み止めだろ?」

「甘いな。 ロキソニン様は痛みをとるだけじゃなく、熱を下げる、炎症を抑える効果があるの。 喉の腫れにもきくのだ」

 有無を言わせずに口に入れろと促す。さすがにPLを持参していなかった自分を若干せめてしまう医療関係者の後悔など、津島はわからんだろう。

 津島はまだ信用していないのか、考え込んでいた。

「毒ではない。 ハイ飲む、すぐ飲む、今飲む、NOW飲む!」

「飲むの?」

「つべこべ言わない」

 10歳上とは思えない従順さをチラつかせた彼はようやく飲み込んだ。

 その結果、帰りの電車も爆睡。私は彼のゆらゆらしている体を支え、かたくなりすぎた首と肩をひたすらマッサージする。

「これ、なんじゃ?」

 それでも、なんて愛おしい時間なんだとまったくもって色気のない彼の寝顔を見る。

 品川に戻り、手をつないだまま堂々と歩く彼の横顔をみると、本当にこの人が好きなんだなと思い知らされた。

 私の食事の残り物も相変わらず綺麗にたいらげてくれる。

 毎度来る別れ際も、回を重ねるごとに離れがたくなる。

「帰りたくないなぁ。 ……ハグする」

「なんじゃそりゃ」

 何やかんや言いながらハグをしてくれる余裕のある彼にたまにイラっと来る。

「ほっぺ貸してください」

「またすんのか?」

「する! ほっぺ貸して」

 津島は困った顔しながらもしぶしぶ頬を差し出してくれる。

「電車乗りたくない」

「は? 電車止めるなよ、皆様にご迷惑」

「もう! ……津島さん」

「俺はこれから家に帰って、明日四時起きだぞ! はい、乗る。 人生なるようにしかならんのだ」

 電車に乗せられると、津島はあいかわらずのポーカーフェイスで片手をあげる。 

 彼の心はどこにむいているのだろう。好きなのは私だけだ。

 彼の姿がみえなくなると、急に涙があふれてきた。



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