第15話 デートらしいデートがしたい
朝はどうにも不機嫌らしい津島と何とか待ち合わせをして一路スカイツリーへ。
登ったことがないという私に彼は並ぶけど行ってみるかと私より半歩先に歩く。
「すっごい高いんでしょ? いったことある?」
「ないけど。 いつもそれより高いから」
もっと言い方があるだろうとは思うけれども、そうでしょうねとうなずくしかなかった。
並ぶことには多少なりとも辛抱ができるようで、何かと話して待っていた。
「すっげー風。 ま、仕方ないわな」
津島のこの発言に、私はまだ気づけていなかった。
列は一向に動こうとしない。そのうち、展望台へあがるエレベーターが強風のため運転見合わせというアナウンスが流れだした。
「ま、わかっちゃいたがな」
上がれないのという私の衝撃に比べたら津島のそれはあっけらかんとしたものだった。
彼はすぐに列から外れて、足早に水族館の方へ歩き出す。
「もたもたするな、水族館も人だかりになる」
津島のすぐ後ろをついて歩いて、水族館へ滑り込む。
「ま、この天気じゃ、ああなるわな」
「わかってたの!?」
「まぁな。 でも、そっちが並びたいっていうから」
「意地悪だ」
がっくりと肩を落とす私に相変わらずのポーカーフェイスで津島は聞き流した。
そうだった、失念していた。
津島は航空自衛隊の優秀なパイロットだ。何気なく風の強さや空を見上げていたのはそういうことを察知していた証拠なのだ。
「で、最初から水族館へ行こうとしたのですか? ツリー無視で」
「そう。 人がなだれ込む前に水族館とな。 でも、ツリー行きたいって言うし」
「そうならそうと……ま、いいかっ。 一緒にいる時間は大好きだからノープロブレムだ!」
津島の悪態も意地悪も特に気にはならない私なので、どうということはない。
「……ほんとに前向きなことで」
あららというくらい黙り込む津島に、私は首を傾げた。
「な、本当に水族館好きなの?」
津島は疑いのまなざしだ。本当にこの男はどこまでもわからんやっちゃとため息だ。
「水族館、すっごーい好きですけど? 子供っぽいって笑いたいんでしょう? 好きなんですもん、仕方ないじゃん」
「あんまり乗り気じゃなかっただろう?」
「どこからそうなるんかなぁ。 めっぽう大好きですけど? そういう津島さんは? ねぇ、ひょっとして、大好きなんですか?」
眉毛をピクリと動かして、津島は口をへの字に結んだ。
図星か。わかりやすいにもほどがある。
「どっかいくと、その場所の水族館は一応いく。 海に潜るのも好きだし」
「ほんとに!?」
私は思ってもみなかった津島の言葉に目をぱちくりさせてしまった。
「なんだよ、潜るの好きなんだから仕方ないだろう」
「私も潜りたいんです! 津島さん、Cライセンスとか持ってるんですか?」
今度は津島が目をぱちくりさせて、こちらを見た。
「アメリカにいるときにとったけど?」
「いいなぁ、Cライセンス!」
「欲しいんか?」
「もちろん! オープンウォター欲しいもん。 でも、何かと機会に恵まれずなんですもん。 私も潜りたい。 どこもぐるんです? 綺麗なんだろうなぁ」
「おう、宮古とかきれいだぞ」
「いいなぁ。 連れて行ってください! いいなぁ、ほんとに。 で、Cライセンスどれくらいしたんですか?」
「安いもんだろ、あんなの。 取りに行けばいいじゃないか?」
「日にちかかったりするでしょう? 仕事上、休みまとめてなかなかとれないから、それなりに大変なんですよ。 ……それよりも! 潜るの好きな津島さんが一番好きな水族館って、やっぱり美ら海ですか?」
水族館内のベンチに座りながら話す。
目の前をカップルが通り過ぎていくのをぼんやりとながめる。
いつもなら見たくなくなる光景も今は平気だ。
「そうだな、そんなもんだ。 ……本当は沖縄の部隊に行くはずだったのに、なんだかふた開けてみたら違うしな。 希望出してもいっつも通らねえし」
「まさかとは思うけれど、いつでも潜れるから沖縄なんですか?」
「問題あるか?」
私は面白くて仕方がなかった。
私の大好きな人が、私の大好きなものを大好きらしいことがうれしすぎた。
「昨日、水族館行こうって私言ったでしょう? 本当はもっと色気あること言えばよかったかも、子供っぽいって思われたかもって後悔してたんです」
「別に、嫌いじゃねぇけど?」
「良かった。 んじゃ、プラネタリウムとかも嫌いじゃない?」
「昔は行ってたよ。 嫌いじゃない」
変にガッツポーズをした私に、ため息を漏らして、津島はふわふわ浮いているクラゲ集団の方へ立ち上がっていってしまう。
「気持ちよさそうなことで」
津島は小言をつぶやきながらのんびりと眺めだす。
本当にあの凛とした基地での顔はどこへやらだ。
でも、それはそれで良い。
あれやこれやといろいろ聞くと、彼の口から飛び出すのは博学そのものの海大好きの答えたちだった。
「なめろうにしたい」
アジの集団をみた彼の一言に、吹き出してしまう。
「ここのはダメでしょ、見世物だから」
ひたすらにのんびりとした時間が続いていく。
水族館を終えて、なんか食べるかとスカイツリー周辺を練り歩きながら、彼はお散歩と称して、下町へ歩き始める。
「どこいくの?」
「お散歩」
東京の土地勘ちんぷんかんぷんな私は現在地が全く分からない。
「どっちいくの?」
「前!」
がっくしとうなだれる私を少しばかにしたような表情を浮かべながら、津島はどんどんと歩いていく。
「お、金色のうんこ」
「もう! どこが!」
見上げると、ビール会社のモニュメントではないか。良い大人が本当に何を言い出すかと思えばと突っ込みたくなる。
しれっとした顔で彼は歩いていく。ただひたすらにまっすぐに。
でも、悔しすぎるくらいにこの時間が大好きだ。
「乾燥きっついなぁ……喉やばい」
鳴りを潜めていた小児喘息がきっちりと復活してしまった私にはこのさすような風は大敵だ。 飴を口に入れた。それから、彼にも差し出してみることにした。
「何味?」
味が気になるようで、津島は飴の袋に目をやる。
「ミルクミントだったっけかな」
「食う」
なんじゃそりゃというほどに色気も何にもないが、私にとっては世界で一番の男だ。
「喉弱いんか?」
「喘息もちなんですよ。 でも、水泳選手だったんですよ、一応。 今やこんなに貧弱ですけれども。 オリンピック的な言葉も聞こえそうだったくらいにばっちり泳いでいたんですけどもね。 喘息治療のためだったからムキムキになる前に卒業」
「目指せばよかったのに」
「水泳ではご飯は食べれません。 それに、なりたいものがあったし。 津島さんは水泳得意?」
「水泳は普通。 俺も元小児喘息もち」
「よくそれでパイロットになれましたね」
「治った!」
喘息もち同士は飴をなめながら、颯爽と歩きスカイツリーから離れていく。
隅田川という看板を見て、これが隅田川なんだなと地味に納得していたころ、津島がもうわかるだろうというように私を見た。
「ここまで来たらどこ行くかわかるだろ」
じれったそうにした津島の横で、東京にとんと興味のないまま育ってきた私は首を傾げた。
彼が先に角を曲がり、私もその後に続く。するとそこにはでっかい提灯がみえた。
「見たことある!」
「そ、浅草ですけど」
あまりにすっごい人でびっくりした私についてこいとどんどん仲見世通りを突き進む。
「すっごい人すぎる。 すごすぎる、大都会」
「……京都でも大阪でも神戸でもかわらんだろうが」
「いいや、なんか違う。 関西の人多いとは違うよ」
「かわらねぇし」
先に行かないでよと彼の袖をつかもうかとしたが、躊躇してしまった。その瞬間、ふいに彼が振り返った。
「早く来い」
一応、後ろをついてきているかの確認作業はしてくれているようだった。わかりにくいけれども、彼の優しさのようなものかもしれなかった。
にへらとなりそうになり、私はきゅっと唇をかんだ。
ようやく本堂付近にたどり着き、さっさと拝みに行こうとする彼を私は声で制した。
「待って! 津島さん、煙! 腕に煙巻き巻きしなくては!」
彼の背中を押して、線香の煙が当たるように突き進む。
「治すのだ! ほら!」
風向きが変わって、面白いくらい彼の方に煙が行かない。
「煙こねぇし」
「こさせるし!」
煙を両腕でかき集め、彼の腕に当たるように繰り返す。
「これで治れば医者いらねぇだろ」
「信じる者は救われるのだ」
毎度のあきれ顔の津島だが、大人しくされるようにしているのでよしとした。
その後、二人で手を合わせた。
私の願いは実に現金なものだ。
その①津島さんの腕を戦闘機乗りとしてしっかり活躍できるほどに回復させてください。
その②私の横にいる津島さんとどうかうまくいきますように。
津島が何を願っていたのかはわからないけれど、とにかく私は名前と住所と生年月日まできっちりお伝えした。
そして、またお散歩が始まる。
外国人が多すぎて、日本語ではない言語が飛び交う。境内では記念撮影のラッシュ。
本当に祈りの場だとわかっているのだろうかと私はほんの少しどころではなく苛立ってきた。
すぐ横では、中国人同士が喧嘩をはじめてしまう始末。うんざりしてしまう。
「ここは境内だぞ。 まったく!」
明らかに、津島の背中が殺気立った。
同じことを思っていたことで私は幾分救われたが、しかしながら津島の怒りは私の数段上をいっていそうで、けんかっ早そうな勢いそのものだ。
職業の性質、立場などから津島は実際には動かないにしろ、精神衛生上よろしくない。
私は彼の背を押して、浅草寺の敷地外へ急ぐ。
「なんだ? なんだ?」
「急いで! 急いで! 脱中国人観光客地獄」
津島はむっとしながらも逆らわずに付き合ってくれた。
「はい、ありがとうございました」
いつもの習慣なのだが、神社仏閣を後にする際は必ず一礼してしまう。
緊急事態であっても悲しい癖。
「お、良い心がけ」
お気楽そうに津島が笑う。一体、誰のために急いで外に出たと思ってるんだ。
「津島さんの腕の回復を願ってますからね。 礼節は特に大事なのです」
「自分のことを願えよ」
「仕方ないもん、病だもん」
「入院してこい」
「これが一番の治療です。 つきあってください」
「……はぁ、ほんとになぁ」
危機回避をした後、ひたすらに浅草をお散歩して、天ぷら屋さんに入った。
決めたというので何を食べるのかを何度も聞いても、津島は知らん顔をする。
待ち時間を利用してメニューをみて悩んでいる私の横から、無言で指をさす。
「お子様ランチってか。 頼めるんならそうしてますわ。 で、津島さんは何食べるんですか?」
「言わん」
「はぁ!? 教えてくれたっていいじゃないですか!」
「言わん。 絶対言わん」
この頑固者がと思っていたら席が空いたらしく移動となった。
天丼を食べてやるぞと注文したものの、大好きな津島と一緒にいるだけで胸がいっぱいになりなかなか食べられない。
「もったいないから上の天ぷらだけでも食べないですか?」
あっさりと天ぷら御膳を平らげていた彼に問うと、もう食わんのかと首を傾げた。
「もうおなか一杯」
「……置いとけ、そのままよこせ」
「うん? そのまま?」
私は事態の把握に大いなる大混乱を起こしていた。
今、何か言わなかったか。そのままってどういう意味なのだろうか。
「貸せ」
私の目の前にある器ごと取り上げて、何を気にすることもなくぺろりと食べてしまったのだ。
「食べた……」
私の食べサシなのだが、津島は気にしている素振りも見せない。
自衛隊だから、仲間のものは気にせず食べられるのでしょうかと思考が混乱していたが、泣きそうなくらいうれしくて仕方がない自分もいた。
「休みなのに、ごめんね。 疲れたのでは?」
「こんなくらいで疲れていたら戦争に行けない」
「せ、戦争」
「そう、こんなくらいじゃなんともない。 大丈夫」
こうして二人でいると普通の男性なのに、彼は根っからの自衛官だ。
普通はここで戦争なんて言葉は出てこない。
胸の奥が締め付けられた。
私の大好きな人は日本に何かが起きたとき、躊躇することなく最も危険な仕事をするのだ。
急に現実をぶち込んでくるあたりが、津島だ。
まるで私を試しているような言葉が突如飛び込んでくる。
私に対して、ありのままをぶつけてくるのだ。
『俺はこんな奴ですし、変わる気は一切ございません』
確かに、惚れているのは私の勝手。
でも、津島にとって私は何なのだ。
訳が分からないまま、幸せな時間は過ぎていく。
『18時までは大丈夫』
昨夜のその言葉だけが脳裏に浮かんで消えていく。
タイムリミットはチクタクチクタクと私の胸の奥を突き刺していく。
横顔を見あげると彼の表情には焦りなんてものはなにもない。寂しいのは私だけじゃないか。
浅草から銀座へ移動してお散歩再開。
電車でも隣同士にすわるのも当たり前で、二人で会話するのもごく自然で、楽しい。でも、それは私だけの感情なのだろうかと横顔を見上げてみる。
「……悔しい」
ふいに口を出た言葉に、彼が振り返った。
「なんだ?」
「いや、銀座はじめてなもんで……テレビでよく見た景色!」
慌てて、私は銀座の歩行者天国を歩きながら、松坂屋のビルを指さす。
「大袈裟な」
彼の言葉から聞かれていなかったと、ほっと胸をなでおろした。
「どこにいくの?」
「どっか」
あっけらかんと言い放ちながら、彼はそそくさとお散歩を実行していく。
日中でも冬ど真ん中、風もきついなと思っていた矢先、ふいに彼が入るぞとビルを指さした。
色気がないが電化製品が並んでいるわりには人が少なくて、ゆったりとできるクッションやソファもある。
「すごい、こんなところがあるんだ!」
「そ、お散歩の賜物。 暑いときは涼しいし、寒いときはあったかい。 休憩にはうってつけ」
その瞬間、私ははっとした。
この人はわかっていたのではないだろうか、ちょっと私が疲れていたことを。
あたたかい空間で休憩しながら、大好きな音楽を聴きながら、私は初めて気が付いた。
病気をしてからというもの思い切り体力を失った私は友達と歩いていても足並みがそろわず、少し歩くのが遅いのは日常だ。私はいつもせかされるように一生懸命歩かねばならなかったはずだ。
それが、今日はどうだ。
『たった一度もしんどくなかった……』
自衛官であり、男性でもある彼の歩行速度はきっともっと速いはずなのに、私にあわせてくれていた。
口先では20キロくらい平気で歩くぞなんて言いながら、彼は私のことを見ながら気遣ってくれていた。
「ほんとに……この人は」
なんだろう、この穏やかで心地よい時間はと、ほうと息を漏らした。
津島でなければならないと本能で分かっていたことが全部こうやって具体的な形で痛感させられていく。
しれっとした顔で横に座っているが、とてつもなく優しい人だ。
「すごくよい! こういうの大好き!」
「ソファがよかったんだろ」
「もう!」
素直ではない津島はさっさと出ていく。
大きな液晶画面でミュージカルのアニーの映像が流されていたのをみつけて、鼻歌を歌うと、気が付いたら津島も口ずさんでいた。
「あれ? ミュージカル好き?」
「まーな。 音楽は何でも聴く。 宝塚もたまに観る」
「なんですって!?」
「たまにチケットもらうから、1人で行った」
「誘ってよ! 行きたい!」
「は? お前もみるの?」
「私も大好きだよ、よく観に行ってた。 意外と詳しいよ」
津島はさらりと流し、うんともすんともこたえないまま歩いていく。
「もう!」
フロアを降りていくと、満開の桜の写真が映し出されていた。
満開の桜が色んな液晶画面に映し出されている。
「うわ! 綺麗!」
思わず足を止めてみていると、津島もなぜか背後で静かに見とれていた。
「綺麗だね~。 桜、好きですか?」
「ま~な」
かわいくないんだからと口先を尖らせると、またするりとかわされ歩いていく。
真冬の夕方の外気はすっごく寒いはずなのに、ちっとも寒くない。
津島とただ歩くだけ。
それが一番幸せなんだと、この人はわかっているのだろうか。
小さな飛行機の模型をみつけて、『かわいい!』とみていたら、すぐ横から『可愛くはないだろう』と訂正されても大好きだ。
「俺は部屋になんも置かないから」
「ちょっとぐらいいいじゃないか……」
「いらんもんは、いらん」
「おいてやる」
「捨ててくれるわ」
津島の悪態にも負けないんだからとたまにスキップをしてみせる。
それを横目で見てあきれ顔をする津島がいても平気だ。
「この病気め」
「病気上等」
めいいっぱいこの時間を愛おしんでやる。
有楽町駅の改札前、津島から帰りの道順を教わった後、私は攻撃することに決めた。
「津島さん、耳をかしてください」
にっこり笑ってみると、私に対しての危機管理能力の高い津島は一瞬疑いの目を向けたが、そこは素直に従ってくれた。
この段階で勝敗は決定している。
すかさず「大好きですよ」と頬に口づけた。
「お前な! ……ほんっとな! 早く、乗れ!」
津島は私の襟の後ろをつかむと改札口へと足を向かわせる。
「病気ですから仕方がない」
「あのな、入院しろ、ほんと入院しろ!」
「津島さん、来月はホワイトデーですからね~」
呑気にエスカレーターにのりながら手を振ると、あきれ顔で片手をあげる津島がいる。
見えなくなるまで居てくれるのがうれしかった。
羽田空港へ向かう車内、私は笑みがとまらなかった。
こんなに愛おしい頑固者はいない。
これを幸せといわずして何を言うのだというくらいご機嫌だ。
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