第12話 呼び出し成功の奇跡

春の夜風を思う存分に浴びて帰ってきたはずなのに、体は一向にほてりがおさまらない。怒涛の展開に、私の頭はまったく機能していなかったのだ。

 佐竹に、【彼が同じホテルにいる、どうしたらよい?】ときいたら、速攻で返ってきたメールがこれだ。


【夜這いっきゃないでしょう?】


 スマホを片手にベッドに倒れこむしかなかった。

「こいつに聞いたのが間違いだった」

 聞く相手が悪かったのだ。

 まともな回答がえられるはずがなかった。

 飛行機を最高の状態で飛ばせることにかけてはぬかりのない人間なのだが、それ以外は実にいい加減の極み。何よりも、奴は実のところ、私のピンチをネタとしか評価しかねない男だ。

 体中の空気が抜けてしまったのではないかとさえ思えるほどの脱力感だ。

 いけしゃあしゃあと【今夜は良い夢見れるっすね】などとスマイルマーク付きで追加で送られてくるあたりが面白がっているに違いない。

 メールの字数が多い。それだけで、お酒が入っているのはよくわかった。

 お酒が入るとテンション高めでやけに口数が増えるのだ。

 レセプション後の二次会をしているらしく、部下は部下で飲んでいる様子はよくわかった。

【偉人たちは偉人たちで二次会っしょ?】

「あ~なるほどね~。 お偉いさんたちだけホテル宿泊なわけですね」

 唯一、役に立った情報だった。

 佐竹よ、もっと機能してくれとうなだれる。

「ほんとに! どうすんの!?」

 ベッドに寝転がり、バタバタするしかできない。

「なんか、聞こえるね~」

 冷静な加絵が、陸に上がったマグロ状態の私の体を抑え込むなり、にやりと微笑んだ。

「やっぱり、部屋はそんなにはなれてないんじゃないの?」

 耳を澄ませると、それなりに陽気な親父たちの声がする。

 しかも、その一つは間違いなく彼の笑い声だ。まったく、わかりやすい。

「……ほんとだ」

「この声がやんだ段階が宴会終了なんじゃないの?」

「ブレークスルーだよ、加絵ちゃん!」

 加絵の手を押しのけて、ベッドに座りなおす。

「しかしな……部屋が特定できんとなぁ」

「そうですよね~」

「しかも、年頃の女子が部屋を訪ねるのはなぁ」

「ですよね~」

 再び、ベッドの上でバタバタするしかない。

 ビッグチャンスなのは間違いないのだ。

 ここで、告白する他、私の未来は皆無なのだから。

 約1時間半、私と加絵の間に会話はなかった。

 声がやむのをなぜか二人ともじっと寝ころびながら待っていた。

「声、やんだけど?」

 加絵は静かに私の方をみた。

 全身が震えていた。

 間違いなくラストチャンスのリミットがせまっていた。  

「吐きそう」

 あまりに考えすぎて、胃が痛くなった。

 トイレへ駆け込み、嘔気と戦うが吐くものはあまりない。

 ホテルの蛇口から流れ出る冷え冷えの水で顔を無造作に洗ってみた。

 びしょ濡れのまま鏡の中の自分の顔を見る。

 ノーメイクだ。

 そこにはありのままの私がいる。

「加絵ちゃん、ここで告白しなけりゃ、きっとおしまいだ」

 思ってもみない勢いのある言葉が自分の口からこぼれ出た。

「ここでぶつかっても、この先ぶつかっても結果は同じだ。 私はここでいかなきゃ、未来永劫、後悔して生きることになる。 告白しに行く!」

 タオルでごしごしと顔を拭き、靴を履いた。

「で、どうすんの?」

 加絵が落ち着いてというように肩を抱いて私をベッドに腰かけさせる。

「フロントにきく。 で、呼んでもらう」

 加絵は呆然として私の顔を見つめる。

「一人で行ってくるよ。 待ってて!」

 自分でもわけがわからない勇気が突き動かしてくる。

 水を一口含んで、ゆっくりと目を閉じる。喉を流れ落ちていく水が心地よい。

「ここで行かなかったら、私は負ける!」

 いつもなら、加絵に来てくれとせがんだはずだったが、この度は部屋を一人で飛び出した。

 エレベーターのボタンを押す指が震えている。

 心臓の音がきこえてしまうんじゃないかというくらい、速くなっていた。

 乗り込んだエレベーターが1階にたどりつくまで、やたらと長く感じる。


「行くぞ、私」


 ふうっと息をはき、エレベーターをおりて、フロントを目指す。

 フロントにいた優し気な青年がこちらに気づき、微笑んだ。

「どうされましたか?」

「あ、あの!あの……その……」

 うまく言葉が出てこない。

 フロントの青年は『大丈夫だよ』というようにじっと私の言葉を待ってくれた気がした。

「5階に津島潤史さんがお泊りだと思うのです。 川村がロビーで待っていると、どうしても、話したいことがあるとお伝え願えますか?」

 一世一代の大勝負だと自覚した上の一生懸命だった。

 半ばすがるような気持ちで伝えると、フロントの青年はにっこりと笑った。

「きいてみましょうね」

 断られたらどうしようと、こぶしを握り締めながらフロント前でうつむいていると、フロントの青年が『はい、よろしくお願いいたします』と電話を置いた。

「降りてこられるそうですよ。 よかったですね」

「本当ですか?」

 声が裏返り、瞬きするのを忘れてしまう。

「ロビーでお待ちくださいね」

「ありがとうございます!」

 すると、フロントの青年は、がんばれ!とガッツポーズをした。

 その瞬間、ばれていたのかと恥ずかしくなったが、その好意に胸が熱くなった。

 それもそうだ。

 ホテルのフロントがこんな形でつないでくれるはずがないのだ。

 津島潤史は公の人であり、ホテルの部屋番号など知られてはならないはずなのだから。

「どうなるのか、これで決まる」

 神様はすべてを整えてくれた。

 後は私の頑張りだけ。震えがとまらないくらい緊張していた。

 5階にエレベーターがあがっていく。

 そして、ゆっくりと待ち人を載せて降りてくる。

 エレベーターの扉が開くのを静かに待っていた。

 安い鐘のような音がして、扉が開く。


「どうした?」


 頬には枕の跡。

 どこにでもあるような黒のジャージに、ホテルのスリッパ姿。

 フライトスーツを着たあの凛とした姿はない。

「なんだ? どうした? なんか、あったんか?」

 首をかしげながら、津島が歩み寄ってきた。

 完全なるオフのプライベートそのもので、営業用の仮面はどこにもない。

「で、どうした?」

 声色は優しく、本当に心配しているような含みのあるものだった。

「津島さん、こんな遅い時間にごめんなさい!」

 あまりの緊張感に、もうまともに顔が見られなかった。

「気にせんでいい。 で、どうした?」

 彼は一応真剣に話を聞こうとしてくれていた。

 早く話せという雰囲気が何となくさらなる緊張感をあおってくる。

 津島がこうして降りてきてくれただけでも奇跡だ。

 ここで引いたら確実に終わる。

「勇気出します! 基地じゃ言えないから! ……きいてください。 真剣に言いますからね!」

 私は覚悟を決めて、真正面から彼を見た。

「お、おう。 なんだ?」

 津島は首をかしげている。

 この鈍感めと私は軽く唇をかんだ。そして、意を決した。

「嘘偽りなく! 津島さんが大好きです! そばにおいてください!」

 告白が体から一斉に吐き出された。

 津島は面食らったように、普段の彼からは考えられないくらいぽかんと口が開いている。

 互いにわずかな沈黙。

 我に返った津島は困ったような顔をして、眉を寄せた。

 そして、思い切り目を背けられた。

 まだまだ伝えたいことが山のようにありすぎて、何から言えばよいのかもうわからない。

 目を背けられたくらいなんだ、頑張るんだ、私!と自分自身を叱咤する。

「津島さん、小松にいた時から……自分でも意味わからないんですけど、とにかく大好きなんです! これまでも、手紙では書いていたけど、冗談なんかじゃないんだから! ずっとずっと直接言えなかった! ……もうダメだって思ってたけど、同じホテルだっていうし! ここで言わなくちゃって……でも、部屋に行くわけにはいかないし! 頭もうぐちゃぐちゃで、すっごい勇気がいったんだから!」

 支離滅裂ながらも、一生懸命にぶつかる。

 変な汗もでてくる始末で、本当に可愛げがない。

「私、こんなこと、苦手でできるタイプじゃないけど、もう今しかないって思ったから! 頑張ってるんだから!」

 津島は小さなため息の後、髪をかるくかきむしった。

「ほんとにこんなおっさんのどこがいいのやら。 変わり者だなぁ、お前。 でもな……いったん、おちつけ、な?」

 あくまでも冷静な津島は私をなだめるように言った。

「だって! この先、もう津島さん、どこにいったらあえるの? 連絡先だってわかんないのに!」

「おちつけ! な?」

「そばにおいてください~」

「そばにおくってのはまずここに一回おいとけ。 急すぎる! な? 友達なら今からでも大丈夫。 わかったか? ……お前、本当に勇気ありすぎ。 無鉄砲にもほどがあるぞ? 俺は本来は連絡先なんて教えるつもりは毛頭ないんだぞ?」

「教えてくれるの?」

 私は目をぱちくりさせたまま津島の顔をまじまじと見返してしまった。

「あぁもう! お前の勇気に免じて教えてやる。 手紙に書いてた連絡先でいいんか?」

 再度、困ったように眉を寄せ、ため息交じりに彼は私を落ち着かせるように言った。

「本当に?」

「ただし、異動して落ち着いてからな。 それまで、首を長くして楽しみに待ってろ。 おりこうさんにできるか?」

「本当に?」

「おう、本当に!」

「約束したよ?」

「あ~はいはい」

 負けたというように彼は笑った。

 そして、津島はどうして自分の部屋がわかったのかをきいた。

「部屋なんてわかんないよ、だからフロントに頼んだ!」

 私の回答に、今度は津島が目をぱちくりとさせ、肩を落とした。

「どこまで勇気があるんだ、お前は……」

 全力で肩を落として脱力する津島が愛おしくて仕方がない。

「ははは、愛は強しなのだ。 それにたぶんね、津島さんの部屋、私の部屋の下あたりだよ」

 津島がきょとんとした顔でこちらを見た。なんと緊張感のない。

「宴会してたでしょう? その声が聞こえてたの。 だから、声がやんだから、宴会終わったな~と思ってね。 フロントに降りたの」

「きこえてたわけね」

 エレベーターにのれと津島に促され、二人してエレベーターにのりこむ。

「5……6なわけね」

 スイッチをおしながら、津島が大きなため息を漏らす。

「お前の勇気には負けたよ。 連絡するから、待ってて。 で、もう、静かに寝なさいよ?」

「はい!」

「声、大きいから! ……んじゃ、また、連絡するから、楽しみに待ってなさい」

「うん!」

「声! ……首を長くして楽しみにしてな」 

 5階で彼は片手をあげて、エレベーターを降りて行った。

「信じてるからね!」

 後ろ姿にそう声をかけると、津島は振り返らずに片手だけをあげた。

 彼を下ろした直後、エレベーターが私だけを連れて1階上へあがる。

 今更ながら、自分に何がおきているのかがわからなかった。 

 6階の扉が開き、エレベーターから降りると、なんだか足がもつれそうになった。

 部屋番号がわからなくなる手前で、ようやく部屋番号を思い出し、扉をノックすると、間髪入れずに扉が開いた。

「どうだった!?」

 加絵が私の両肩をつかむようにして、部屋に招きいれた。

「あ……あのね~、連絡先教えてくれるって」

 がくんと足の力が抜けた。

 私の体の力が抜け落ちるのを加絵が支えてくれた。

 そして、そのまま抱きしめられた。

「なんで一人でいかせたんだろうって。 ……帰ってこないから、泣いてるんじゃないかっておもって、今迎えに行こうと思ってたところよ! よかった!」

 加絵はむせび泣いていた。

 抱きしめられたまま、一番近くのベッドに座らされ、何度となく背を撫でてもらうと、ようやくちゃんと呼吸ができた。

 加絵によると、私が大勝負に出ていた時間は実は30分近くあり、その間中、ホテルの部屋をうろうろ落ち着かないままに行ったり来たりしていたそうだ。

「連絡先ゲットしたと思う。 約束は守る人だから」

 私はこの報告をしたまま、ぶっ倒れてしまった。

 究極の緊張と安堵が同時に大暴れをした結果、知恵熱にノックアウトされたのだ。

 勝ちか負けかはコンティニュー。

 しかしながら、この夜のやりとりがなければと思うとぞっとする未来の私がいるのは確かだ。

「確かに、間に合った……」

 うれしすぎて、笑いながら、変な涙が出ながら眠りに落ちた。

 怒涛の展開の結果、私と津島の不可思議な関係性は再度、延長戦に突入していくのである。


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