第9話 魂送りはやっぱり見ちゃダメ
鹿屋への慰霊訪問の翌日。
その朝、私は重い体を引きずり、何とかベッドからはい出した。
まるでマラソンの次の日のようだ。
「眠っていたような。 眠れなかったような……」
眉間の奥が重苦しく、たまに痛みが残る。風邪ひき中の鼻の奥の痛みのようなそれはさらに疲労を私に痛感させる。
「身体重すぎる」
ベッドの端にようやく座ったのに、また二度寝したい気分になる。
私のすぐそばで、何故か私より疲労困憊な様子の加絵がため息を漏らした。
「今までで一番やばいと思ったわよ!」
鏡の前に座って眉を整えていた加絵が、くるりと振り返り、私の顔をじっとみた。
「地の底を這うような唸り声あげおって! びっくりして、たたき起こしたわ」
加絵に昨夜の一連のことをきき、私はおぼろげながら昨夜の出来事を思い出していた。
そうだった。私は昨夜人生最大の悪夢を見た。
しかも、あまりに全身びっしょり汗をかき、一度着替えていたことも追加して思い出した。
「怖かったわ、死ぬかと思ったもんね」
「そりゃ、こっちのセリフだ!」
「そりゃ失礼しました……」
まったくだぞと加絵は口を尖らせた。
「悪夢としかいえんもんなぁ」
悪夢と一言で表現するのはそれしか形容すべき言葉がないからだ。
ホラーという表現よりは、神様の触れてはいけないナイーブな部分に触れてしまい怖い思いをしたというのが正しい気がした。
夢の内容はこうだ。
背後に迫る断崖絶壁、その崖下の岩場に自分はいた。
ごうという音を立てて、うねりある波が何度も岩場に押し寄せている。
その岩場の奥に、ほんの少し光る場所があり、私はなぜかそこをじっとみているのだ。
その岩場の光る部分をめがけて、魂の塊を投げ込んでいる小さな精霊のようなものがいて、その様子をひたすらに見ていた。
場面をたとえるとしたら亡くなった方々の魂をあの世へと送っている、そんな人間がきっと見てはいけないものの気がする。
ところが、私はどうにも素直だったようで、思わず喜びの声をあげて隠れていたはずの岩場から姿をさらしてしまったのだ。
おそらく歴資料館であった中佐殿の魂がどうやらちゃんと送ってもらえたことがうれしくて、『やったー』と大声をあげてしまった。
一斉に振り返った精霊のようなものが『誰だ』『あいつだ』『みたな』と口々に言いながら追っかけてくる。
私は必死に逃げて、自分が滞在しているホテルの自分が寝ているベッドの上までたどりついた。
「早く戻らなくちゃ!」
そう言いながら、私は私に返った。
でも、精霊たちは許してはくれず、眠っているベッドの周りを取り囲み、何かを一生懸命に言っている。
私といえば、『連れていかれる! 助けて、加絵ちゃん』と必死に叫び続けていたのだが体が動かない上に声が出ない。
しばらくその攻防が続いたとき、大多数の中のわずか数名の精霊がこう言ったのだ。
『君は許してあげないといけない魂だった。 ねぇ、今度は間に合ったよ』
その途端、周りにいたすべてのものが、今度はなぜか喜びの舞をしだした。良かった、よかったと口にして舞うのだ。そして、パッと一斉に姿を消した。
そして、私を加絵がたたきおこしたのだ。
「なにが間に合った!?」
夢を詳細に思い出してみると、良い夢なのか、悪い夢なのかがよりわからなくなった。ただ、私はそう言われて泣いたのだ。
『本当に?』
夢の中の私は、精霊たちにそう尋ねた。
そして、子供のような女性のような声で口々にこう言われた。
『間に合ってるんだよ』
『今度は追いついた』
『良かったね、間に合ってる』
『追いついたんだよ、今度は間に合う』
それをきいて、私は強烈な安堵感から嗚咽が出るほどに泣いた。
「わからん」
ベッドの上であぐらをかき、私は髪の毛をぐしゃぐしゃにかきむしる。
鹿屋に来たには意味があったのは確かだけど、きっとこのメッセージの意図に気づけなかったならば私は人生最大のミスをしてしまうだろう。
それが私の直感だった。
「早く支度しなさいよ。 このまま引き続き、新田原まで大移動しなきゃならんのだから」
加絵の声にはっとした。
そうなのだ。
ラストチャンスというか、明日が私の人生の岐路なんだろう。
鏡の前に立ち、自分の顔をみつめる。
「浮腫んでる?」
「許容範囲だ。 はよ、顔を綺麗になさいな」
まったく、加絵の言いようときたらと頬を膨らませてみたが、加絵は知らん顔をしている。
甘い砂糖菓子のような女性になれない悔しさはあった。
大抵の問題の自己解決能力もそれなりに身についてしまっている切なさもある。
それでも、大好きな人から可愛いと思われたいいじらしい部分はあるのだ。
悩みに悩んで、彼に逢うためにワンピースを買った。
濃紺の麻でできたロングワンピースに白のスニーカー。
色気はないけれど、自分なりの精一杯だ。
泣きそうになるくらいの大好きは、見えている世界の色を変えてしまう威力がある。
『好きになっても良いですか?』
そんな質問をする前にもう大好きだった。
考えてみたら、どこかどう好きなのかなんか自分でもわからない。
ただ、自分の胸の奥にある私という魂がこの人なんだよと意思表示してきた結果だ。
津島以外の男にここまで苦労するなんてことは考えられそうにない。
元来、私はめんどくさがりやなのだから。
そして、津島はまだ知らない。
興味のない男への私の扱いは冷酷の極みなのだから。
「あなたが私の最後の努力を知る人」
この苦労をするために、この気持ちを知るために、この心の声をあの人に訴えるために私はきっと産声をあげたのだろうから。
ソウルメイトは知らず知らずに引き寄せられ、何もかもがすんなりと運ぶ相手のようなイメージでよく耳にする。
出会いや別れは本当の運命の人を引き寄せるステップなのだとか、2年以上がんばってもどうにもならないものは違うのだとか。
心をざわつかせるような言葉の数々にいちいちドギマギさせられたけれど、そんなことはもうどうでもよいのだという悟りに到達。
津島にドキドキするかといわれたらわからない。
私がドキドキするのは色んな意味で津島を見失うことだけだ。
津島以外の男が津島と同じことをしたら、私はきっとイライラするだろうし、けんか腰になるだろうと思う。
でも、津島にはそうならないことを知っている。不思議な感覚だ。
「よし!」
膝を叩き、ベッドから立ち上がる。
動かないものに未来はない。
開かずの扉もノックし続ければ開かれるかもしれないのだから。
鹿児島から宮崎へ。怒涛の移動劇だ。
きっと意味があるから私は動く。
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