第8話 中佐とエンカウント

 新田原の特別公開がわかった時、シフト変更を願い出れなかったには実は大きな理由があった。

 それは鹿児島の鹿屋航空基地への慰霊訪問だ。

 私の曽祖父は戦時中に海軍の航空隊にいた。その戦友達が眠る鹿児島の鹿屋航空基地へ本人の体が動く限り慰霊訪問を続けていたが、曽祖父が自分が通えなくなった年から、私にそれを託した。

 曽祖父が亡くなった今でも、私はそれを続けている。だから、その日だけはどうしてもキャンセルすることができなかったのだ。

 夏季休暇や結婚式でもないのに引き続きで4日間も休みをとるというのは同僚に申し訳なくてできなかった。

 先輩の機転で救われたものの、この約束事を宮崎へ行く前に果たさねばならない。

 日本全国津々浦々の航空祭へ足を運んだ経験はあるが、鹿屋への道のりは比にならない。

 予想以上に遠く、実にここは日本なのだろうかと思うような場所なのだ。

 鹿屋基地は航空自衛隊の基地ではない。今は海上自衛隊の航空基地だ。

 語りだしたらきりがないが、海上自衛隊は護衛艦だけの組織ではない。航空自衛隊と役割は違っているが、今でも航空部隊はしっかりと残っている。


「今年もまいりましたなぁ、鹿屋基地」


 曽祖父が必ず足を運んでいた基地はこの鹿屋と松山、横須賀だ。

 中でも曽祖父の最も敬愛する人が最期を迎えた鹿屋は特別なのだとよく話をきいた。

 息子や孫、ひ孫まで血統がつながったのはその敬愛する人のおかげなのだと。

 曽祖父の戦後はそう簡単には終わらなかったのだとわかってしまうくらい男泣きするのを幾度となく見てきた。

 だが、曽祖父はどこへ行っても、零戦や紫電、紫電改にだけは近寄ろうとはしなかった。

 憎んでいる、恨んでいるというような感情ではなく、ほんの少し遠くからただ眺めている、そんな感じだった。

「戦争ってなんだったんだろうなぁ……」

 鹿屋はドラマによくとりあげられる神風特攻隊の基地の一つだ。

 敷地内の歴史記念館には曽祖父が近寄ろうとしなかった零戦が威風堂々と座している。

 不思議な想いを抱かせる零戦。

 日本海軍屈指の精鋭343部隊の紫電改も美しいとおもうのだけれど、この鹿児島湾沖で引き揚げられた零式艦上戦闘機52型も負けず劣らず美しいと感じてしまう。

 もちろん、イーグルも好きだ。

 しかしながら、この鹿屋にいる零戦には日本人の魂を引き込む何かがある。

 膨大な数の写真が壁を覆いつくす歴史記念館のど真ん中にソレはいる。

 たった一機。

 引き上げられた複数の零戦から復元されたそれはめいいっぱいに翼をひろげて、まだ行ける!まだ飛べる!まだ護れるんだ!そんな声が聴こえてきそうだ。

 この零戦の戦争はきっとまだ終わっていないのだろう。

 ぼんやりとみつめていると、目頭があつくなってきた。

 私は本当に同じ夢を繰り返し見ることがある。

 その繰り返し見る夢の中には戦闘機に覚悟を決めて乗り込む男の人が決まって出てくる。機体は紫電改なのか零戦なのかはわからないが、太平洋戦争中であるのははっきりとわかる。

 そして、毎回、最後にその人はこう言うのだ。

『行ってくるよ』

 不思議と私は自分自身が死んでいることを自覚していて、その人の背中からじっと見下ろしているのだ。

 顔はよく覚えていないのだけれど、とても大切な人で、そんな悲しい顔をしないでと言って手を伸ばすけれど絶対に届かない。

 曽祖父の昔話をよくきいていたせいだと思うけれど、私が見る夢には決まって零戦と紫電改が出てくる。そして、最後はいつもこの場面だ。

『お前はこれから日本に起こる悲惨な光景を見ないで済んだんだよ。 ちょっと先に行っておいてくれ。 俺もそう待たせることはなかろうよ』

 そう言って優しく死んだ私を抱きしめてくれる誰かに、私は『中佐、行かないで』と言いたいのに死んだ自分にはもう言葉がない。胸を引き裂かれるような痛みのまま見送り、目が覚める。

 だからなのか、零戦の背負っている悲喜こもごもの想いはどこへ向けて放たれるべきなのだろうかといつも深く考えてしまう。

「もう休んで良いんだよ?」

 どうしてか、零戦にそう言ってあげたくなった。

 何度見ても、魂が揺さぶられるような気持になる。

 その翼に手を伸ばして触れてみたくなる。

 もう戦争は終わっているんだよとなでてあげたくなる。


「コレがそんなに好きか?」


 背後からの突然の声に、私はその声の主がそうだとわかっていながら無視をすることができなかった。

 ダメなパターンの相手であれば無視を貫くが、まともに受けあってもよい相手だと直感した。

「大好きです」

 本来ならば、何かひとりごとをぶつぶつ言うているぞと奇異の目で見られるところだが、不思議なくらいそこには私一人だった。

「そうか。 これが悪魔にはみえんか?」

 穏やかで、知的な響きを持っている声。

 津島にどこか似た話口調だなんて思っている自分が不思議だった。

 そして、声の主はおそらくパイロットだと何故かわかってしまった。

「悪魔だなんて思いません」

「だが、これが多くを奪ったとは思わんか?」

「確かにこれで失ったものもあるのかもしれません。 でも、奪おうと飛んだわけじゃないでしょう? 護ろうとして飛んだ。 だから、こんなに美しい」

「戦闘機を美しいというか。 変わっているなお嬢さんは」

「私の曽祖父にも同じことを言われました」

「戦闘機乗りか?」

「そうです。 運良く……いいえ、本人は運が悪くと言っていましたが特攻を免れたみたいです。 戦後、生き残ってしまったからにはと自衛隊創設にも関わったみたいです。 私が戦闘機にのりたいと話したら、ただ飛びたいなら民間へ行けと言われてしまいました。 そんな曽祖父です」

「なるほど、なかなか骨のある曽祖父殿だ」

「若い時に自分もこっぴどく怒られたみたいですけどね。 『ただ飛びたいだけならよそでやれ!』って。 もう亡くなりましたが楽しそうに話していましたよ」

 背後から聞こえていた声は一瞬止まってしまう。

 振り返ってみると、そこには呆然とした顔の中年男性がたっている。

 中肉中背のそれほどまでに大柄ではないけれど、すっきりとした顔立ちで、やはり知的な印象のある男だ。

 立派な軍服を丁寧な着こなしているあたりに地位が高い人だとわかる。

 私はよくよく偉い軍人さんにご縁があるらしい。

「君の曾祖父殿も変わり者だな」

 不精髭を軽く指でなぞって、困ったように、でもどこか嬉しそうに笑っている。

 この笑顔の作り方を私はよく知っている。津島を彷彿させるには十分すぎた。

 そして、そこに立っている男性の顔に見覚えがあった。

 まったくもってあの写真の人に瓜二つだ。

「零戦の崇高さはあなたが一番ご存じなのではないのですか?」

「これは、これは……。 なかなかの物言いだな」

「零戦は、飛行機は美しい。 それに空に一番近くにいられるんですよ? いつだって特等席で青空にいることができる」

 魂を奪われたように驚いた顔をして、その男は私のことを見た。

「驚いたな。 私の大切な人も同じことを言っていた。 綺麗な空をいつも特等席でみてくるのはずるいってな。 いっそ飛んだなら空の一番きれいな部分を持って帰ってきてくれなんてな」

 愛おしそうに言葉を紡いでいくあたりに、うらやましさを覚えた。

「本当にあっぱれな奴だったよ。 俺にはもったいない。 ……後悔ばかりだ。 最初からそばによせなければよかったと、まぁ、積年の後悔ばかりで、気が付いたらここに居座っている」

 しょんぼりと肩を落とし、零戦を見上げている横顔が悲しい。

「さっさとその大切な方の魂を探しに行けばよいのに。 受け入れてくれた事実、あなたが必要だと抱きしめてくれたことこそ、一番の宝物のはず。 彼女はあなたを恨んでなんかないですよ。 むしろ、誇りにして自慢したいはずです」

 私だったらそう思うという一言は省いておいた。

「そんなものなのか? 女がわからんよ。 俺たちの仕事は国家大事で目も当てられない。 何が良いのやら……」

 表情に影が落ちる。愛されたことに後悔なんてされたら、愛した女性はもう立ち直れないだろうと私はむきになってしまった。

「国家大事は誰のためですか? 国に住む人間を護ってくれているんですよね? それに家族も入っているじゃないですか! ……それに、軍人さんは国を護ってくれますが、軍人さんを誰が護ってあげるんですか? 私が護りたいのはそんな軍人さんです。 軍人さんだから惚れたわけではないですしね。 好きになった男が軍人だった。 それだけのことです。 私もあなたを愛した女性もきっと同じことを言いますよ。 絶対に同じことを言うに決まってる!」

「そんなものなのか? わからんものだな……」

 不思議そうに首をかしげている彼の顔があまりにも真剣だったので、私はふっと笑ってしまった。この男の人が良いと生き抜いた女性の気持ちが痛いほど伝わってくる。

「若輩のくせに笑うとは失礼な奴だな」

 不機嫌そうな表情を浮かべたかと思ったが、すぐに彼はわずかな微笑みをたたえて、じっと私の目を見て、こうきいた。

「何のために来た?」

「何のためか知るためにここへ来るようにしています」

 男はゆっくりと腕を組んだ。

 私の頭の中も心の中も見通してみたい、そんな雰囲気だ。

「禅問答だな」

「そんな高尚なものでありません」

「では、なんだ?」

「あなたにそっくりな生き方しかできない男をつかまえるには、理解するにはどうするべきか知りたいから来ているのかもしれません」

「自分で言うのもなんだが、そりゃご苦労なことだな」

「大変すぎて、半ば白旗です。 でもやるしかないのでやりますよ」

「諦めないのか?」

「諦めることができないんだとわかってしまったんです。 あの人の手のぬくもりを誰にもとられたくないって欲があるから。 ……笑ってください。 この人に近づいたら苦労する、近づくな、だめだ~ってわかったのに、止められませんでした」

 私の回答をきき、少し考えて、彼は優しい微笑みをたたえた。

「落ちるよ、きっと」

 今度は私が唖然として口を開いてしまう。

 何を言い出すのだ、このお化けさんは。

「私は君にそっくりの何を言ってもへこたれない彼女にほとほと呆れてそばにおくことにしたもんだから」

 どこか楽しそうに降参だというように肩をすくめて見せる。

「根っこからまっすぐな気持ちで来られると、男はいつか受け取らざるを得なくなるんだよ。 他の女性があまりに軽く思えてしまうからな。 それに、飛行機乗りにとって一番わかってほしいことを、君はきっともうわかってしまっているから、余計に手放せなくなるはずだ」

「お化けに励まされるとは……」

「光栄に思え、これでも中佐だぞ! ま、いいか。 飛行機を愛してくださるお嬢さん、ようこそ、聖地たる鹿屋へ」

 男は愛嬌ある笑顔で敬礼している。

「明言しておく。 ここへ来る人間は必ず意味があって引き寄せられてる。 しかも、とことん飛行機に縁があるってことだ。 そうでなければ、私が君に声をかけるなんてことはなかったと思うぞ? 参考までに君の曽祖父殿の名前は?」

「川村宗一郎です」

 名前を聞くや否や男はそれはそれは嬉しそうに笑う。

「お知合いですか?」

「さぁ、どうだろうな? それは秘密だ。 そうか、そうか……」

 男は意地悪な笑顔のままで、繰り返し、秘密だと笑った。

「さぁ、もう時間切れだ。 いいか? 最後まで粘ってやってくれ。 心に届くまで、何度だって粘ってやってくれ。 きっと気づくから」

「あなたも早く彼女のところへ行ってくださいよ? きっと待ってるんだから!」

「そうするとしよう。……あぁそうだ、最後に一つきいていいか? 君は、この日本が好きか?」

「私は何度生まれ変わっても日本人がいいです!」

「そうか!」

 大人の男性があんなに可愛らしい笑顔ができるのだというくらいのほほ笑みで、彼は大きくうなずいた。

「尾上さん、曾祖父を生かしてくれてありがとうございました!」

 男は驚いたように目を丸くして、津島のようなどこか憎たらしい笑みを浮かべた。

 じゃあなと彼はすっと零戦の方へ歩き出し、あっという間に姿を消した。

 餞になっただろうか。

 彼のような人達が命をかけて護りぬいてくれたこの日本に生まれた幸せを私はちゃんと伝えられただろうか。

「私限定の特殊アトラクションだな。 すっごい汗かいたなぁ」

 こういう出会いもたまには悪くはないが、体力の消耗が著しい。

 頭痛がした上に、息が上がる。加絵を探さなくてはピンチという奴だ。

「加絵ちゃん……」

 勝手に下がってきそうになる瞼を必死にもちあげて、周囲を見回した。

 その瞬間、背後から加絵の声がした。

 やっぱり頼りになる。タイミングは抜群だ。

「もう無理」

「ちょっと、あんた! 顔真っ青よ! だから、歴史記念館なんて大丈夫なのかってきいたじゃない!」

 加絵が飛んできて、私の腕をつかみ、すぐそばにあったベンチに座れと促す。

「急にいなくなるから、どこに行ったのかと思っていたら!」

 バッグの中から取り出した水を飲めと差し出す加絵の顔をじっとみつめた。

「零戦がみたかったんだもん」

「あんたの飛行機好きは重症だわ。 こうなることはわかってたでしょうが!」

「わかっていても、みたくて。 そしたら、海軍航空隊のパイロットさんにあった」

 身体はきついのに自然と笑みがこぼれる。

 嬉しかった。

 今も昔も日本を純粋に護ろうとしてくれた人は変わらずにいることがよくわかったことに加え、その言葉が嬉しかった。

「で、良い話だったの? なんかうれしそうだけれども」

「励まされたよ。 頑張れって」

「まぁよかったって言うべき? ま、一回、ホテルに帰ろう」

 加絵は私の体を抱えるようにして、記念館を後にした。

 記念館の外に出ると、気持ちがすっとするような海風が頬を撫でた。

「零戦の基地って、なんでこんなに穏やかなんだろうね。 体がきついのに、全く怖くない」

「そりゃそうでしょ。 日本を純粋に守りたいという清い魂の人ばかりがいた場所だもの」

「加絵ちゃんのその感性、嫌いじゃない」

「その言い方! このあまのじゃくめ」

「加絵ちゃん、零戦は悪魔じゃないよね? あんなに魂の美しい飛行機が他にあるわけない。 私は国を護るっていう矜持をもつ戦闘機が好きなんだよ」

「わかった、わかった」

 歴史記念館からホテルまでの道のりのことを私はまるで覚えていない。

 加絵曰く、私というはた迷惑なデカい荷物を引きずりながらホテルへ戻ったらしい。

 慰霊行事は無事終了するも、疲労困憊のまま、私は深い眠りに落ちた。



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