第4話 とんでもない男の帰還

 本当にもう嫌になるくらい年を取ったなと思う今日この頃、季節のめぐりもまさに一瞬。

 探し求めた彼を見つけた奇跡から、あっという間に一年。

「何やってんだろう」

 やっと彼を見つけていてもあまりに怖気づいてしまい近づけずにいたのだ。

 近づいたら、自分の人生が大きく変わってしまうのがわかっていた。

 だから、情けなくも目を背けたまま、どこまでも怖気づいていた。

 彼は優秀な戦闘機パイロットであり、その地位からも立派な人だ。

 基地内外問わず多くの人に囲まれてしまうような彼なのだから、独身だけれど愛する人がいないわけがないのだとマニア達のつぶやきを耳にし、自分自身でも限りなく同感だった。


《どうせ、無理だよ》


 幾度となく繰り返されるもう一人の自分の声にひざを折ってきたが、ありったけの勇気を引きずり出さねばならない環境に追い詰められることとなった。

 それは3年という壁の存在を思い出したからだ。

 幹部自衛官は、理由は様々ではあるが同じ場所に最大3年くらいしかいられないのだ。つまり、もう猶予がない。

「こういうルールだけは知ってるんだよね……」

 玉砕覚悟で私はついに彼に近づくことを決心した。

 でもダメだ、怖すぎて手が震える。

 これを始めると私は自分の運命が追い詰められることを重々承知していた。

 こんな時に限って、第六感ってやつが、『本当にはじめていいのか?』と語り掛けてくる。

「ひいじいちゃん?」

 目の端に亡くなったはずの曽祖父が見えた気がしてふりかえった。

 その瞬間、何かに思い切り背中を突き飛ばされた。

 前のめりに飛び出した先は片想いの彼の真正面だった。

「どうしましたか?」

 驚いたニュアンスで、少し上から降ってくる低い声。

 見上げると年の割に若く見える待ちに待っていたあの笑顔がある。

 脳内はちょっとしたパニックだ。

「あ、あの305飛行隊の隊舎ってどこですか?」

 まさに、ちんぷんかんぷん。頬が痙攣するのがわかるほどのうろたえ具合。

何聞いてんだって自分でつっこみを入れそうになる。

「305?? ココだよ」

 当然のように、彼は真後ろの隊舎を指さした。

「305のファン?」

 想定外の彼の救済処置に、私は飛びつく。

「あ、はい!好きなんです!」

「うれしいね~。 ありがとう!」

 満面の笑みで彼が手を差し出した。

 彼の手を握ると心の奥が震えた。

 思っていたよりも大きい手。でも、ごつごつしたものではなく、なんというか優しい感触。

 懐かしいという感覚に近く、この手を待ち望んでいたという自分の魂が満たされるようなそれだった。

 ようやく逢えたのだと、気が付くと、泣きそうになっている自分がいた。

 どうしてしまったのか自分でもよくわからなかった。

「どうした?」

 すごく不思議そうな顔をする彼の顔をなかなか見ることができない。

「ほら、見ないと損だ! ブルーが飛ぶから」

 彼は空を指さし笑っている。

「今日は晴れてるから、一区分飛ぶな、ブルー。 元気がないときは空を見る! ほら!」

 確かに航空祭は天気次第。大好きな飛行機が飛ばないことも多々ある。

 何故か彼は私を変に励ます。

 だから、私はそれにのっかることにした。

「一区分、飛びますか?」

「今日は飛ぶ。 視程は良好。 見てみろ、雲一つないだろう、ほれ」

 航空自衛隊の花形ブルーインパルス。

 正式には航空自衛隊第4航空団第11飛行隊、日本唯一のアクロバット部隊のことだ。

 ブルーインパルスの展示飛行は気候条件が大きく影響する。

一区分とは最高の気候・演技条件で、宙返りや垂直上昇などを含むフルショーをさすのだ。

「ブルー見て、元気出して」

 私のこのかき混ぜられたごちゃごちゃの感情の意味などわからない彼はくったくなく笑った。

「305もまた飛ぶから! ブルーとはまた違うけど、イーグルみていって頂戴」 

 彼はおそらく無意識だったのだろうが、私の頭をよしよしとなでた。

 おそらく私の年齢を読み間違っている。

「あ、あのう」

「うん?」

 頭上ではT4が甲高いエンジン音をとどろかせて飛んでいく。

 ブルーの課目の合間。

 なりを潜めていた勇気がひょっこりと顔をのぞかせた。

「以前、小松基地の303におられましたよね?」

 これにはさすがの彼もびっくりした模様で、一瞬、真顔に戻り、営業用のスマイルが簡単になりをひそめた。

「私、以前、小松でぶっ倒れまして……」

「ぶっ倒れ?」

 彼は目をぱちくりさせて、こちらをみてくる。

「津島さんに助けていただいたというか? 整備の方に引き渡してもらったというか?」

「津島って名前も知ってんの?」

 彼はさらにぽかんと口を開けた。

 しばらく小首をかしげたままで思案し、津島は思い出したようにポンと手を打った。

「ショートカットだった?」

「あ、はい!」

「あのガキっ……おっととと。……女子だったの?」

「あははははは……女子でした」

 おっしゃる通り、病上がりのやせ細った、まさに少年のような頃だった。

 ショックすぎた。これはなかなかに重いパンチだ。

「あ……あの時ですら20歳こえてましたし、一応、女子でしたし……」

 もう泣きたい。泣きたすぎる。

 言うに言われぬ寂しさと悲しさが胸の中で冷たく広がっていく。

「おわっ! すまん、すまん!」

 津島は私の凹み具合にどうしようと本気で慌てている。

 凹んでいたのに、津島が真剣に困っている様子が何とも可愛いわいい。

 40過ぎの男を捕まえて可愛いいいはないわなと急におかしくなり笑ってしまった。

「申し訳ない!」

「……嫁にしてくれたら許します」

 何故そうなるんだと自分でもつっこみたくなったが、とにかく笑ってみることにした。津島を真剣に困らせる気は毛頭ない。

「面白いこと言うな~。 独身なの知ってるんか? 誰の知り合いだ、まったく!」

 津島は面白い冗談だと、本当に受け流すことに慣れている。

「305の整備の佐竹さん、何故か知り合いなんです」

「佐竹!? あいつ、余計なことを……。 あ、そうだ、名前は?」

「名前?」

「君の名前」

「……川村泰子です」

「待てよ、聞いたことあるような」

 再度、津島が考え込んだ。その時だった。

 隊舎の2階の窓から佐竹が暢気な調子のまま顔を出した。


「おう、泰ちゃん!」


 全く悪気のないままに手を振るのが、異様に腹が立つ。

 津島が振り返ったのを良いことに、私は佐竹を思い切りにらみつけた。

 佐竹はようやく事態を把握したようで、しまったという表情をした。

《……遅いのだよ、佐竹君》

「佐竹! 降りてこい!」

 津島に手招きされ、佐竹は二重にしまったの表情だ。

 泰子が津島を大好きなことを百も承知なのはこの佐竹だ。

 何てタイミングで出てきやがるんだと、こちらも脱力だ。

 数段格上の津島に呼ばれた佐竹は素直に駆け足で隊舎前に現れる。


「佐竹、知り合いか?」

 

 津島は長身の佐竹を見上げると、こちらを指さした。

「はい、小松からの不思議な縁といいますか?」

 借りてきた猫。いや、廊下に立たされた小学生という体の佐竹は気を付けのままだ。

「縁!?」

 津島の一般人に対する口調とは全く違うそれに、私はびっくりするしかない。

 ただのジャイアンじゃないか。

「小松で津島二佐が拾ったものといいますか?」

 愛されキャラの佐竹は人好きする笑顔でこたえる。

「……あの時、お前いたっけ?」

「おりました。小松の後、俺はブルーに行きまして……そこでまた再会しまして。それから知り合いといいますか、お友達といいますか……あはははははは」

 佐竹が私も一緒に笑えというように目配せをするので、何故か私も笑う他なくなった。

 津島一人だけが真顔でいるやけに異様な空気感に、佐竹はぽりぽりと頬をかいた。

 空気感が重いのか、何なのかわからな変な状況で、佐竹は津島の顔をじっとみて、緊張感のない笑顔でさらにはははと声に出して笑ってみる。

「お前、いつだったか話してた子って……まさか」

 津島は小首をかしげて不安げに佐竹に言った。

「はい、川村泰子ちゃん。 津島二佐の大ファンです。 で、ご本人です」

 佐竹はあっけらかんとしてストレートに真実を述べた。

 どうやら酒の席で、津島ファンがいるらしいということを話していたらしかった。

 津島は唖然とした顔でこっちをゆっくりと見た。

 それはそれは珍しいものを見る目で。

「なんなんですか! 悔しいなっ、こっちはあの時から好きなんですからね~」

 まるで珍獣扱いじゃないかと勢いのままに言ってみる。

「はいはい。 おっさんは幸せ者です」

 10歳の年の差はデカすぎる。そして、彼は私の命がけの大好きを盛大なる冗談だと受け流した。彼からしたら大きなわんこがじゃれている程度なのだろう。

「どうして結婚しないんですか?」

 この際だとややマジな質問を津島にぽいっと放り投げてみる。

 佐竹も、何故か私の質問に右ならえでききたいというようなそぶりだ。

「もう少し一人でがんばんの」

 鉄壁のにっこり笑顔で津島は答える。まさに営業用のスマイルを再配備して。

「じゃ、縁結びのお守りあげますよ」

 私は今でもなんでそんなことをしたのかはわからないのだけれど、自分が大切にもっていた八重垣神社の縁結びのお守りを彼にプレゼントした。

 彼は朱色と赤の配色で綺麗に作られた御守をまじまじとみて、こう言った。

「効きそうね、これ」

「うん、効くと思いますよ。 で、嫁にしてください」

 間髪入れずに、にっこりと笑って言うと、彼は面白すぎると爆笑した。

「はははは、嫁な。 考えとくわ。 てか、変わり者だな、貴重、貴重」

 再度、見事に受け流された。それでも、構わない。戦闘開始だ。

 みてろよ、津島二佐。

 秋深まった頃、私はもたもたした足取りでようやく恋心と向き合うことにした。

 私は彼を知っている。

 しかし、彼は私をちゃんと知らない。

 それがどうした!と私の精神構造は劇的に破壊されたのか、進化したのかわからないが、急に積極性という武器を備えたかのように頑強になっていた。

 普通ならば、へこたれるところ、何を思ったか、何とかしてやると行動を起こしてしまった。

 わかってもらえないのならば、わかっていただけるまで、お知らせいたします。

 あなたが好きですと!

 これで終わりではなく、何故かつながっていくことを当時の私は知っていたように思う。

 これは後日談だが、当の彼にあの時のお前の行動は無鉄砲すぎると評価されたのは笑い話だ。


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