第2話 楽でない恋愛
見た目は平凡。
身長はそれほど高くなく、お世辞にもスマートとはいえないぽっちゃり気味のようであるが筋肉質の頑丈そのものの体格。
世間一般論的に男前というには程遠いが、顔のパーツは幾分整っている。
戦闘機パイロットだと説明がないとその容姿からはそれが想像できそうにない男。
自衛官らしく短髪で、血色の良い肌の色をして、実年齢より一回り若く見える恐れがある。
性格は気難しく、頑固。真面目なのに、めんどうくさがりや。
行動は大胆なのに、優柔不断。
おおざっぱだと公言する割に、神経質で繊細。
仕事はできるのに、食を楽しむ他に全く興味なし。
自衛官であることが彼のすべて。彼の恋人は仕事。
だけど、彼の手のぬくもりから伝わるものは誰にも知られたくないほどに独占したくなる。
手は嘘をつけない。手は人間そのものを表現したものだと私は思う。
手を握った瞬間に、私は全身が総毛だったのを覚えている。
魂をこうガツンっとやられたような、鼻の奥がツンとしてすぐに涙がでそうになってしまうほどに感情がかき乱された。
そんな私の事情を理解できない友からは口々に『どこがよいのか』とか『残念すぎる』とか散々な評価される彼なのだが、どうにも私には彼以外が見えない性質が備わっているようで、悩みが尽きない。
片想いでしかないのだけれど、私はこの人以外にはきっと愛情をもてないだろうと思う。無償の愛と言うやつを学習してしまったようだった。
でも彼に惚れてしまった私の人生は、大嫌いすぎた私のこの人生を蘇らせた。
感情が自由に羽ばたき、肉体の温度を自覚することができた。
生きている感覚だ。
だからこそ、感情の波はストレートに私の心を揺さぶる。
それは弱さであり、脆さであり、強さでもあるのだけれど。
「どんなだたっけ……」
現代の日本における職業軍人の彼のそばにいられるヒントがあるのならばと、私は曾祖父の部屋にあった桐箪笥の引き出しから、懐かしい包みを取り出した。
埃と湿気、古いもののにおいが鼻をかすめる。
一番に目に飛び込んできたのは黄色に変色した和紙につつまれている例の代物だ。
そっと手に取ると、そこには消え入りそうな文字で『護りぬくもの』と曾祖父の文字で記されていた。
「護りぬくもの」
あまりに仰々しい一言。
だが、その消え入りそうな文字からは不思議と愛おしいと似た響きの想いが隠されている気がした。
和紙にくるまれていたのはあの時よりさらにパラパラと今にも破れそうな2枚の写真だ。
写真に目を凝らすと、パイロット姿の曽祖父が写っていた。
その隣に立っている男性は曾祖父のお師匠さんである尾上中佐と私は知っている。
曽祖父はいわゆるイケメン。嫁さんはひと苦労どころではなかったらしい。
曽祖父本人の意思とは関係なく、既婚であろうとおかまいなしで、女性からの恋文たるや半端なかったらしいのだ。もはや伝説だったといつだったか一人息子の亡き祖父から聞いたことがある。
「戦闘機乗りか……」
いつの世も戦闘機乗りはおもてになる。
そして、もう一枚には曾祖父の初恋の女性である曾祖母の姉が写っている。
そっと写真を裏返すと、これまた流れるような優美な曾祖父の文字で『もう一度、お二人が逢えますように。昭和19年12月』と記されている。
短いこの言葉にはどれだけの想いがこめられているのかを私は曾祖父からきいたことがある。
「すごい言葉だな」
写真のほかに、複数枚の手紙が一緒に眠っていた。
【先日の言葉、撤回してください。
ひどく頭にきております。
自分の幸せを考えてほしいとは何ですか?
あまりに神妙な顔でおっしゃるので、余計に腹が立ちました。
私の気持ちを馬鹿にしているのですか?
ご都合が悪くなると無口になる癖はよくありません。
少佐殿ともあろうお方がお逃げになるのですか?
私の幸せはあなたが決めるものではありませんので、あしからず】
すぐにこの女性、高野燈子さんの手紙だとわかってしまった。
そして、ひどく自分の置かれた状況と重なり息をのんだ。
「今も昔も戦闘機乗りが言うセリフは同じってか」
ふっと笑いがこみあげてくると同時に、頬を温かなものが流れた。
胸の奥できりりと痛みを発していた元凶が何であったかようやく思い至った。
どうして、こんなに心が痛くて、辛くなりすぎていたのかを。
そう、私はずっと泣けていなかった。
泣くと悪いことばかりを引き寄せてしまう気がして、がむしゃらに耐えていた。
「あなたと同じように私も勝てますか?」
この女性と私は同じ宿命にあるような既視感から、思わず写真のその人に話しかけてしまう。
この女性の物語は、曽祖父の『もう一度、お二人が逢えますように』という文言のように幸せが長くは続かなかったことを私は知っている。
曾祖母の姉である高野燈子さんは大病を患い、尾上中佐の奥さんになったものの終戦を待たずに夭折した。その尾上中佐も後を追うように殉職した。
曾祖父は涙を流しながら、話してくれた恋物語だ。
そんな恋物語をきいていた当時二十歳そこそこの私の前にとんでもない男が現れた。曾祖父とその恋物語に登場していた同士の小泉さんは大笑いしていたことを思い出す。
本当に何と表現しようもない感情しか残らず、うなるしかない。
あれからの私の人生はまさに生き地獄だ。
他の手紙も読んでみたくて、そっと封筒から便箋を取り出すと、わずかにお香の匂いがした。
【お声をかけてもよいものだろうかと悩んでおりました。
帝國軍人の殿方にどのようにお伝えしたらよいのかとも。
飛行機にのってしまわれると人がかわってしまうように精悍なお顔をされるとのことですが、私はあなたの笑顔が大好きです。
お怪我をされておられても、いつも部下の方々のことを案じる姿を尊敬いたしておりました。ただあなたの手に触れた時にそれがそれだけではすまなくなってしまいました。
私はあなたでなければどうしても嫌なのです。
すぐにでもお仕事へ行くなどとおっしゃられるから、私は悔しくて、もう一度、ほんの少しだけお怪我ならさないかしらと願ってしまいます】
最後の一文におもわず声をあげて笑ってしまった。
怪我をすれば病院に来る。つまりは看護師である自分のもとへ戻ってくる。
実に短絡的な思考回路ではあるものの、どこか共感できる変なシンパシーを覚えた。
逢うためのきっかけは必要だけれど、相手のことを思えば大怪我はこまる。
今も昔もさほどかわらない恋愛事情のようで、なんだかこの高野燈子という女性が急に身近に思えておかしくなってきた。
【少佐が、海が大好きだとお話を伺ったから、お誘いしてみてよかったです。
いやいやながらも、一緒にでかけることに同意してくださったことにも安堵いたしました。
でも、私がそばにいてはいけないのかと聞いてみた時、あなたは少し考えてから、きかれてすぐにこたえられることではないと静かにおっしゃいましたね。
どうしてですか? 私はあなたが良いのです。
どうしていつも最後にあなたは突き放すのですか?
あなたの心をどうか私にください】
「戦争か……」
終戦間際の飛行機乗りの運命。
語るまでもなく特攻の2文字がくっきりとうかびあがっていく。
少佐といえば、現代で言うところの三佐なのだから、かなり上位の士官ということになるのだろう。
それでも、職業パイロットならば、特攻という歴史の渦にのまれなかったはずがない。
古ぼけた写真にうつるその男性はけしてイケメンではない。
だが、わかってしまう何かがある。
きっとこの男の人は不器用にしか生きることができない人だったのではないだろうか。
ただ男と女が向き合って、『好きだ、嫌いだ』と遣り合えるほどに物事を簡単に考えない人だったに違いない。
この手紙の主の想いに触れながらも、私は自分の想いを重ね合わせていた。
人間の想いは理屈ではない。
自分のために生きるより、誰かのために生きる方が変なエネルギーが生まれるのだと私は知っている。
自分のために頑張ったところで、それは上限がしれている。
星の数ほどいる中で、互いを認識する位置に立ち、ここまで心を揺さぶられ、言葉を交わし、感情をぶつけ合う。
それをたった一人の存在として私は受け入れる。
彼がまだそのことに気が付けていないのならば二人分の想いを私が持てばよい。
打算のない、見返りのない想い。もう、恋の域ではないのだけれど。
「軍人さんは今も昔も変わらないな。 一般論的な恋愛をすることだけが女の幸せだと思ってる。 本当にバカすぎる」
『あなたとじゃなくちゃ意味がない。 たとえ、一生一人であったとしても!』
ふいに耳元で手紙の主の声が聞こえた気がした。
私の両肩に彼女が手を置いたような感覚が続く。
「そうだね、その通りだ」
いっそ、気分は爽快。
相手からの想いが返ってこなかったとしても、私が愛情を注ぐのは勝手。
私の生きる時代に特攻はないけれど、国を守るために命を張っている人間はいる。
私の彼は現代に生きていながら、戦時中の人間そのものだ。
かつて手紙の主が一生懸命にぶつかっていった姿が、今の私だ。
「女の本気をなめてくれるな。 馬鹿たれが……」
諦めろとめろと言われてすんなり諦められるものは本物じゃない。
だから、奴の死角を必ずおさえる。
戦闘機パイロットになりたかった女を甘く見ないでいただきたい。
強気にならなきゃ、私の心はすぐにでも撃墜されてしまいかねない。
だから、信じる。
私の気持ちを、私の心の感覚を信じてやろうと思う。
古い古いラブレターは私に『まだやれる』と力をくれた気がした。
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