悩める友達

第8話

 受験とは過酷なものだ……とか、世間の親達は愚痴を零している様だが、うちの親はそうでもない。

 塾に行っていれば小言も文句も無いし、夜食の心配などもしない。……どころか、早く寝なさいと釘をさす。

 確かに高校受験の時の私は、かなりの危機感を持っていて、ひたすら勉強をしていたので、その時はよく鍋焼きうどんを作ってくれた。

 その時の事があるから、母親は心配するのだろうと思う。

 だがそれとは反対に、私の方は然程の危機感は無い。

 なぜなら、そんなに高みを目指しているわけではないし、魅力と感じている学校があるわけでもない。

 やるだけやって、入れた所に行ければ良いと思っている。

 そんな事を考えていたある日、私はなぜか島津と、放課後の教室に残っている。

 一緒に帰っている後藤も橋無も、今日は点でに帰ってしまった。

 彼氏ができた女友達は、何だかんだと言った所で冷たいものだ。


「なっちゃん、彼氏に盗られたかぁ……」


 窓から下校の様子を見ながら、何時もの様に私の爪を指で摩りながら言う。


「春日……意外と良い男だよ」


「へぇ?なっちゃんって、男見る目あるんだ?」


「ああ見えてね……」


「いがいだ……」


「うん……あの二人はだったね」


 島津の擦り擦りは終わらない。

 島津は某美大を、推薦枠で決めていた。

 チャラっぽいがやる時はやる。の一つだ。


「かーずぅ、私さ……」


「ん?」


 親指を摩っていたのを、人差し指に変えながら島津は言った。


「高校卒業したら、義兄あにと結婚するかも?」


「兄?島津お兄さんいたっけ?」


「あれ?言ってなかったっけ?母親が再婚したの……」


「えっ?何時?」


「一年の終わり?」


「それで、お義兄さんと結婚すんの?」


「うん。再婚同士の子供って結婚できるだよ」


「知ってる」


 従兄弟と結婚できるかどうか調べた時に、いろいろググッた。


「ああ……あの時の眼鏡イケメン?」


 私は後藤と本屋で偶った時に、島津を呼んだ眼鏡イケメンを思い出した。

 さすが後藤だ。彼氏かと言っていた。


「私さぁ。ガチで、可愛い子好きだったじゃん?」


 ………とか言われても、ガチのところは私には分からない。ただ言葉と態度ではそう理解していた。どこまでガチかはわからないけど………


「だから男の人と、そんな感じになるとは思っていなかったのね。だけど義兄の事は、会った時からもうズキュンってなって……」


 ちょっと興奮気味の島津を見つめて、こんな女子高生に迫りまくられたであろう、義理のお兄さんを気の毒に想像した。

 島津のスキンシップで、ドキドキしない同性異性はいないだろう。


「義兄が親に言ったから、高校卒業したら家を出て一緒に暮らす事になって。こんな間柄だから、判然としときたいって……」


「良いお義兄さんだね?幾つ違い?」


「六つ……社会人だからね、変な噂立つ前にちゃんとね……」


 島津はそう言うと、人差し指から中指に擦り擦りを変えた。


「ああでも……可愛い女の子と、Hできなかったのは残念だけどね」


「島津、それ本気で言ってる?」


「えっ?本気だよ。可愛い女の子抱きたかったな……」


 爪の擦り擦りを止めずに言う。


「……それって、お義兄さんには言ってないよね?」


「えっ?言ったよ。初めてHした時」


「げっ、なんで?」


「何でって……義兄の次にしたいから……」


「お義兄さんなんか言った?」


 もはや興味以外の何物も無い。


「笑ってたよ〜」


「あー……」


 お義兄さん大人だ。本気にしていないのか、相手にしていないのか……。

 男と……の世界だろうか?それとも島津を真実ほんとうに知っている?


「母親が再婚する迄は、ちょっと複雑だったな……父親とはとっくに別れていたけど、私偶に会ってたし……向こうには、母親の違う子供がいるけど、父親は可愛いがってくれてたからね。違う人を父親だと思えないじゃん?母親とはちょっとギスギスしてた」


「ぜんぜん、わかんなかった」


「強がってたからね……」


「………でも本当におとうさんになったんだ、お義父とうさん」


「えっ?」


「日本語って上手くできてるよね?舅の義父も継父の義父も、おとうさんって呼ぶじゃん?都合いいよね」


「あー?ほんとだ。お実父とうさんと同じ?」


「島津がお継父さんの事をお舅さんと呼んでも、お継父さんには〝おとうさん〟なんだからさ」


「なるほどね……お父さんとは呼びたくないけど、おとうさんなら呼べるか?かーず頭良い」


「へへへ……こういう事には頭が回る」


「……じゃさ、キスしようか?」


「………ぜんぜん、キスの流れじゃないんだけれども?」


 とか言って島津は、私の頬にチュッチュッと、音を立てて口付けた。

 以前一回だけ、島津とキスをした。

 遊びの様に何時もと変わらずに、島津はチュッと唇に唇を付けた。

 異性ともキスをした事のない私は、島津が初キッスの相手という事になる。何もファーストキッスに、拘りを持つタイプではないが、島津の唇は物凄く柔らかくてフワフワしていた。一瞬触れた感覚が、きっとフワフワというイメージで残ったのだろう。

 その時の感覚が、ちょっと蘇って島津を見つめた。


「かーずの事好きだったよ、マジで」


 言われた私は一瞬、島津に抱かれる姿を頭に浮かべる。

 全く私の脳内はしかないのか!自分で自分に突っ込みを入れて呆れるしかない。


「抱く対象じゃなかったけどね」


 島津はそう言って笑って、爪を擦っていた手で私の手を握った。


「そろそろ帰ろうか?」


「彼氏ができたんだから、今までみたいに、可愛い子にしちゃダメだよ」


「……うん。もうキスはしない」


「………じゃなくて……」


「卒業したらしないよぉ〜」


 その日島津は駅迄、ずっと手を繋いでいた。

 ホームの階段を別れて登る時、島津は何時もの様に可憐に投げキッスをした。その姿の美しさは、今でも忘れられない。

 高校を卒業してから、島津がお義兄さんと二人だけで暮らしたのかは私は知らない。

 成人式の時に、島津が大学を中退して地方に行った事を、風の噂に耳にした。だが島津が結婚したという話しは、誰からも聞かなかった。

 ただ卒業してから何となく……否、島津の新生活の邪魔になっては……と思い、私から連絡する事はなかった。

 そう……誰からも聞かない話し……。

 私は島津が義兄と幸せな新婚生活を送っていると、そう確信していたから、だから連絡は遠慮したのだ。


 二学期が過ぎて行くと、進路が決まった学生と、これからの学生とで醸し出す雰囲気が違ってくる。

 島津や後藤は二学期の内に大学を決めたが、クリスマスも正月も関係なく過ごす受験生が大半だった。

 そんな中でも春日達は、可愛い彼女達との時間も大事にしていた様だ。

 無論私は、麻知子との時間を持つ事があった。

 クリスマス前に麻知子が、下級生男子に告白されてた事を打ち明けられた。だが麻知子は〝受験に忙しい〟を口実に、その下級生とは付き合わなかった。

 たぶんその理由は真実だろう。

 だけどそれだけでは無いと、そう思ってしまう。

 そう思ってしまっても、ただ思うだけで時だけが過ぎて行った……。

 この時期に頑張る学生達は、二つに分かれると思う。

 真に自分の将来に、夢を描いて頑張る者。

 未だその将来を、描けずにただ大学を目指す者。

 麻知子は前者であって、私は後者だ。

 麻知子は未来の自分の有り得たい姿を追っていて、私はただ漠然と大人達が勧める未来を見つめている。

 どうなりたいか、どうしたいかなど、まったく姿として描けていない。描けていないまま、時は平等に過ぎて行き幾つかの大学を受験し、そして行き場の無い自分の姿を見たく無くて、行ける大学に進む事になった。

 受験が過ぎた学生達は悲喜交々だ。

 麻知子達の様に、自分が描く未来の扉が開いたと喜ぶ者もいれば、惰性で行ける大学に進む者もいれば、もう一年頑張ると腹を括る者もいる。

 そう言った思いを経験して、私達は受験を終えた。


「春日、凄い頑張ったよね?」


 マッチ棒こと春日は、本当に頑張った。

 驚く事に、かなり難関大学に進路を決めた。

 それもコケテッシュ美少女の後藤のお陰……と、春日の両親からは、それは物凄く好意的な目で見られているから、交際すらも親公認という事になっているらしい。絶対あり得ないだろうが、春日が他の女の子に目移りする事は、春日の親が許さない域だそうだ。

 そんな事をあっさり可愛く言うのだから、後藤は意外と魔性かもしれない。

 さてそういう訳で、後藤はリアル彼氏との甘い毎日に忙しくなった。

 ………といっても、学校では相変わらず私にベッタリだが……。

 当然ながら、品行方正な学級委員長の角は、大好きな先輩の大学が決まり、早々と先輩にお祝いをしてもらう事を漕ぎ着けている。

 たぶん幸せな大学生活が、待っている事だろう。


 そんな或る日、偶然時藤と街で遭遇した。

 時藤も目指した大学に、進む事ができたという。

 そしてザマァな木村は、時藤と受けた大学を落とされ地方に行くという。


 ……やはり神は存在したか……


 溜飲が下がるとは、この事だと思った。

 たぶん私は一生、木村の不幸を願って過ごす。

 ……そしてもっとザマァな事に、金沢とは遠距離になるという。


 ……神はやっぱり見ているのだ……


「まっ、木村もこれでよかったろ?」


 そんな人の不幸をウハウハと喜んでいる私を他所に、時藤はボソリと言った。


「……木村だって、森岡さんが嫌いで別れた訳じゃないからな……少し離れた方がいい……」


「えっ?木村君麻知子ちゃんの事?」


「いや……そこまでじゃないだろうけど……あいつにとったら、理想の彼女のままだからね……」


「あ〜」


 麻知子は清く別れた。それも本当に潔くだ。

 綺麗な思い出しか残らない、木村が傷つけた儚い思い出だ。

 木村の中では、可憐で可愛い麻知子しか存在しない。

 従順でそれでいて、決して木村の思い通りにならなかった高潔な存在。


 ……男の方が女々しいって聞くしな……


 麻知子にとっても木村にとっても、決して忘れられない存在……たぶん理想の中の存在だ。


「金沢さんとは、付き合ってたんでしょ?」


「ああ……いろいろありながらもね……」


 時藤の歯切れの悪い言い方が、私の悪魔の気持ちを昂ぶらせた。

 自分でもゾッとしたが、微かに口元が緩んだ。


「……俺さぁ……竹下さんと話したんだわ」


「えっ?」


 唐突に出た、時藤の言葉に凝視した。


「向こうが落ち着いた頃……」


「………………」


「彼女凄く真剣に答えてくれてさ……」


「えっ?」


 驚嘆する私を見つめて、時藤は真剣な表情を作ったまま


「彼女の事……山中の言う通りだった……ほんとの処話してくれた……」


 そう言うと、フッと俯いて笑った。

 その姿が今まで感じた事無かったのに、凄くカッコ良くて、女子に人気がある事に納得した。


「俺さ……竹下さんの見た目だけで、好きになった訳じゃないんだわ。クラス替えして席近くなっただろ?考え方とか仕草とか、クールに見えて実は優しかったり可愛かったり……ほら女子のカッコ良いは、女子それぞれだろ?男子の可愛いもそれぞれで……とにかく好きになった……凄え好きになった……でフラれて……綾瀬と付き合って……諦めきれんで話しして、それでもっと好きになった……」


「時藤って一途なんだ」


「いや違う。竹下さんだけが特別なんだ。中学の時だって付き合った女子いたし……そんで……山中が言う通りなんだって思った。竹下さんだからきっと、こんなに好きでいるんだって……ほんと、マジで無理な相手だから……それがきっと解ってるから……だから……」


 時藤は結局、結果を導けない言葉を繰り返す。

 結局竹下とは相入れない、相互の歯痒さに苦しんでいる。

 たぶん〝嫌い〟と、言われた方が諦められるのだろうか?

 たぶんそう言われても、きっと諦められないのだろう。


 ……木村の麻知子の様に、時藤の竹下なのだ……


 たぶん生涯の理想なのだ……。


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