魅惑的な友人

第3話

 コケティッシュ……

 その言葉を覚えてから直ぐに、私は高校三年生の新クラスで、その言葉に似合う彼女と出会った。

 彼女は窓側の一番前の席に座り、後ろの友達と楽しそうに話していた。

 その可憐で可愛く、そしてその魅惑的な唇に釘付けとなってしまった。

 後藤奈津と云う名は、直ぐに覚えた。

 小柄だが女性的な曲線の美しい、少し甲高い声音で可愛く笑う。

 鈴を鳴らす様な笑い声とはこう云う声だ……と思った。


 一年生の時からずっと一緒だった麻知子とクラスが別れ、私はちょっと寂しい気持ちで鬱仏としていたが、一年生の時に一緒で親しかった、橋無果穂と一緒になった。

 橋無果穂はどう云うわけだか、私に好意を寄せている。

 たぶん好きとか嫌いとか……そう云うヤツでは無くて、ただお気に入りと云うヤツなのだろう。とにかく私を見かければ側に来る。

 二年の時、別クラスでも遊びに来ていた程だ。それも友達を連れて来るから、その友達とも親しくなった。

 まっ、その友達は時藤目当てであったらしいが、何故か橋無は時藤とか木村とかには興味がない様だ。

 その橋無と同じクラスになったので、私は麻知子不在の寂しさを紛らわせるには事欠かなかった。

 とにかく四六時中側に居る。

 麻知子もトイレ迄一緒に行きたがったが、それと同レベルの存在だ。

 無論昼食も一緒に食べているのだが、橋無はこの学校名物で、OBがやっているパン屋のパンを注文して食べている。

 このパン屋のサンドイッチが抜群だそうだが、二年の時ちょっとだけ時藤からお裾分けで貰ったパンが、美味かったのを覚えている。

 木村とも時藤達とも別クラスになったから、その後の彼等の彼女達の幸福は見ないで済んだ。

 あの後も時藤は、気軽く私に声を掛けて来るから、さすがに無愛想な態度をとっていたら、その内側に来なくなってしまった。

 第一学校で金沢が、木村と楽しそうにしているのを見るのは、腹立たしかった。

 その時麻知子は見ていたのか、見ない様にしていたのか……。

 だが、麻知子から寝取った金沢は、あのクラスでは知らない生徒はいなかった。だから余計に金沢は、木村と楽しそうにしていた。

 クラスの皆んなに見せびらかしていたのか、それとも麻知子に見せびらかしていたのか……。

 とにかく腹の虫の治らない私は、彼らグループの全てを見ないで過ごした。だからクラスが変わる迄の間の、彼らの動向は全く覚えていない。

 まっ、時藤は何故か親しげにして来ていたが、私は特別親しい感情は持ち合わせていなかったのだから、彼らがその後も幸せであったか、いろいろ揉めていたのかは、全く知る事も無く過ぎたのである。


 ある日私もその日は、パンを注文していた。

 母親が暫く遠くの親戚の家に行っているので、弁当など作れない私は毎日美味いと橋無に聞かされていたから、当然の様に注文書を書いて、クラスの入り口のパン屋専用箱に入れておいたので、楽しみにしていた昼休みにちゃんと届けられたパンを取りに、教壇の上に置かれたトレーンに取りに行った。パンは名前の書かれた袋毎に、几帳面にトレーンの上に置かれてあった。自分の名前の書かれてあった袋に手を持って行くと、その隣の袋を取ろうとした後藤の手と重なった。


「あ、ごめん」


「ごめんね」


 後藤は私の顔を見て言った。

 黒く形良い眉毛に、大きく黒目がちな瞳には、釘付けになる程に長い睫毛が在った。

 ……あー、誰かに似ている……

 そう思ったが、直ぐには思い浮かばないまま、サンドイッチと菓子パンが入った袋を持って、橋無達が待つ席に戻って座った。


「美味しいでしょパン……」


 橋無が聞く。


「うん。……ねぇ、後藤さんって誰かに似てない?」


「ああ、今人気の女優の……?」


「あー?あの………」


 今ドラマとかで人気の、凄く可愛くて歌なんぞも歌って売れている彼女だ。

 私はウンウンと頷いた。

 確かにあの、コケティッシュな魅力のある女優、と評された女優だ。

 それで私は〝コケティッシュ〟と云う、言葉を覚えたんだもの。


 そんな或る日……

 その日は雨が降っていた。

 梅雨にはまだ早いのに、シトシト雨が降っていて、放課後の校舎はちょっと暗くて湿っぽかった。


 私は、部活前の麻知子の所に行ってお喋りをして、帰りがかなり遅くなってしまっていたから、教室には誰も居なかった。と、そう私が思った時、窓際の前の席に座って、泣き声を圧し殺している後藤を見つけた。

 シクシクと……ちょっと苦しそうに泣いている後藤。

 物凄く痛々しくて、私は暫く佇んで息を殺して見入ってしまった。

 すると後藤は、一瞬俯いていた顔を擡げて、それは静かに振り向いた。

 その仕草と顔の美しさに、私は息を呑んでしまう。


「山中さん今から帰るの?」


 少し鼻声で聞く声が、妙に色っぽい。


「あーうん……後藤さん大丈夫?」


「えっ?」


 後藤はちょっと顔容を歪めて、笑って首を振る。


「大丈夫……じゃない……」


 ………よなぁ……


 私は、後藤の様子を見て自答する。

 大丈夫じゃなさそうだから、だから声を掛けるのを躊躇ったんじゃないか?


「………なんか悲しい事あった?」


 側に寄って躊躇った事を聞く。

 すると後藤は、視線を向けてジッと見つめた。


「………えっ?なに?」


「………なんだろう?山中さん見てるとホッとする」


 ……へっ?………


 まぁ……確かに、麻知子ちゃんにはよく言われるけれども……。


「私ね、叔父さんが好きなの」


「オジサン?」


「あー……オジサン達のオジサンじゃなくて……お母さんの弟の叔父さん」


 ………って言っても、かなりの年の差だよね?………


「凄く凄く好きなの……だけど……」


 後藤は再び、視線を落として涙ぐむ。


「叔父さん離婚して今独りなんだけど……私が好きだと言っても相手にしてくれない……」


「ふつう、相手にはしないと思うけど……」


「……でもずっと好きだったんだよ?子供の頃から……」


「まっ、凄く昔なら結婚できたかもだけど、今はダメでしょ?3親等内の傍系血族は、結婚できないんだよ?」


「………………………」


「私もさぁ、従兄弟のお兄ちゃんが可愛がってくれるから、もしかしたら……って思って調べた事あるんだ」


 後藤はジッと私の方を見て、その先の答えを待っている。


「従兄妹同士は、結婚できるんだけどね……。ちょっと期待なんかしてたら、大学の頃から付き合ってた彼女と、できちゃった婚だって……それも年上……五つもだよ。もうガッカリさ」


「山中さん、従兄弟のお兄ちゃんの事、好きだったの?」


「ぜんぜん。だけど某良い所大学出て、友達と起業してさ、かなり業績良い会社の重役だよ。背も高いしイケメン」


「山中さんって面食い?」


「まぁ……。欲を言えばシュッとした顎で、切れ長で笑うと糸みたくなって、皺くちゃになって、背が高くて腕と足が長い人……」


「そんなひと、存在しないよぉ」


 後藤は、目を真ん丸くして言った。


「欲を言えば声は甘めで高め?優しくて私だけ好きなひと……大体この条件に合うんだけど、残念な事に丸顔なんだ。私丸顔ダメなのよ……」


「えっえ?何で?私丸顔好き。叔父さんも丸顔で、だから凄く若く見える」


「絶対ダメ。丸顔でチビでデブ」


 すると後藤はプッと笑った。


「山中さん、幸せにはなれな〜い」


「うん。親にも言われてる。自分を見て寝言を言えって……だけど、めちゃくちゃ高い理想言えるの今の内だよ……そんな事言ってたら、相手されないのわかってる


「本当だよ〜」


「はぁ……言える立場じゃ無いのは分かるけど……思う分には自由だから……絶対自分より背の低い男と丸顔はダメ。丸顔イコールデブ?……だから彼氏ができない……」


「山中さん、彼氏欲しいんだ?」


「べつに。白馬の王子様なら欲しいかな?」


「白馬の王子様?」


「理想の全部当てはまる人……」


「いないよそんな人……」


「……だよねー」


 後藤は私の微妙な理想に衝撃を受けたのか、涙も乾いた様に鞄を持って立ち上がった。


「山中さん面白いね?」


「そうかな?凄くふつうだと思うけど?……確かに理想は揺るがないかな?従兄弟のお兄ちゃんより、将来性のある相手を探す」


「チビデブ丸顔以外?」


「男子に聞かれたら、マジで殺される……つーかバカだと罵られる」


 私の頭に木村が思い浮かんだ。

 アイツはチビで丸顔だ……私の量りの中で……。だからギタギタのけちょんけちょんの、ズタボロにしてやり込めてやりたい。

 だから必要以上に、言葉となって出てしまったのだった。


 帰り道……

 後藤とは、いろんな事を話して歩いた。

 彼女も少し変わった思考の持ち主だ。

 大して仲良しでもない私に、叔父さんの事を語るなんて……なんて思っていたが、駅迄の道すがらどんなに自分が叔父を好きかと言う事を、滔々と語りつくして駅のホームで電車を待った。それを私は、ただ根気よく黙って聞いていた。

 電車に乗る時後藤は、凄くスッキリした表情を見せて、それは可愛らしい顔を向けて笑った。その厚く少し小さめな唇が、物凄く艶めいて見えた。

 こんな可愛く魅惑的な姪に、大好きだと言われた叔父さんは、きっと心底困惑しているに決まっている。

 ドラマや漫画ならば、姪の押しに叔父さんは屈服してしまうのだろうが、現実的にはそんな事はあり得ない。叔父は叔父で姪は姪だ……。


「山中さん連絡するね」


 電車を降りる時に、後藤はそう言った。


「……もっと山中さんと話したい」


 彼女はそう言って可愛いく微笑んで電車を降りて、窓の外から手を振った。

 当然私も手を振ったが、周りの男子達の視線が、彼女に注がれているのに気がついた頃電車が動き出し、彼らの視線が私に注がれる事になったのは言うまでもない。

 そしてなぜだか、私は後藤と仲良くなった。

 そんな後藤を受け入れて、橋無とその友人と四人で過ごす様になった梅雨の頃、廊下で偶然遭遇した綾瀬が私を呼び止めた。


「私と時藤君の事聞いた?」


 綾瀬が意味有りげに言う。


「ぜんぜん全く……」


「…………………」


「私興味無い事は、マジで知らない」


「私達別れたのよ」


「マジで?……って、木村なら嬉しいけど、何で時藤と綾瀬さんの事気にかけなきゃいけないの?」


「時藤君の事、好きだったんでしょ?」


「はぁ?何で?」


「時藤君の手を握ったって……」


「は?こうやって?」


 私は、綾瀬の手を取って握った。


「私は、綾瀬さんが好きなんですか?」


「……じゃなくて……遊園地で……」


 ………あー……


 一度だけ麻知子と木村と時藤と、遊園地に行った事があった。

 あの時手を繋いで歩いたわ……

 麻知子とする様に……

 ……えっ?それってアウト?……

 ……あれって麻知子が木村と付き合い始めて直ぐだった。えっ?でも時藤は気にしてなかったはず……あーダメじゃん!アイツ竹下さんに玉砕した後だったか……待てよ?綾瀬が焦ったのって、竹下さんに告って玉砕したからじゃなくて?えっ?えっ?ええ???……

 ………私か………

 ……そういや、いろいろきつい顔向けられてたっけ。一度些細な事で、難癖付けられた事があったけど、あれって、木村と麻知子の関係で絡まれたのだと思っていたけど………


「だけど時藤は時藤は……丸顔じゃないけどチビだし……」


 私が呟くと、側で知らん顔を決め込んでいた後藤が吹き出していた。


「時藤君、チビじゃないけど?」


 ……ああ、時藤はちょっとだけ私より背が高い……だけだ。高身長じゃないから腕も足も長くない。第一麻知子ちゃんに付き合わされて遊園地に行った時、時藤とだとスニーカーくらしか履けないと思った。

 私はヒールを履いても、ぶら下がれる程のひとが理想だ。

 そんな相手には、決して気に入られた試しはないが……。

 だから腕を組むより、手を繋いだんだろう?

 好きな相手だったら腕を組んでいる。ただの理想だが……。


「………とにかくオタクらが、別れようがくっ付こうが関係ないんですけど……木村達は別れてないんだ?」


 私が言うと綾瀬は、グッと息を止めて見つめた。


「木村が別れたんだったら、凄く気になるけど」


「残念ながら二人は別れないわ」


 綾瀬はそう言うと、足早に歩いて行ってしまった。

 時藤は本気で竹下さんが、好きだったのかもしれない……。

 だけど彼女は、この学校の男子の誰のモノにもならない。

 そんな彼女だから、きっと時藤は彼女に恋い焦がれたのだ。

 猛アタックした綾瀬が、別れる決意をする程に……。




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