切り開かれた道
湧き立つ周囲の中で、
山梨県吹奏楽コンクール、金賞。
ここ数年目立った成績のない山梨鳴沢女子高にとって、それは紛れもない快挙であった。
城山が指揮者になって一年目。少ない時間でここまでたどり着いたのは、周囲からすればとんでもないことのように思えるかもしれない。
けれど、ある意味では当たり前の結果といえるのかもしれなかった。傲慢にもそう言えてしまうほど、部員たちはがんばってきたし、城山自身もそれに応えられるよう試行錯誤を重ねてきたのだから。
問題は、この先――山梨県代表の権利を与えられるかどうかである。
吹奏楽コンクールというのは金賞を受賞した学校の中から、さらに県代表が選ばれる。上位の大会に行く団体は絞られる――大学の先輩の学校は、ここで落ちた。
逆に言えば、県代表になれば、かの学校の成績を上回れるということである。
まあ県が違う以上、評価基準が違うと言われてしまえばそうなのだが。しかし就任一年目で結果を叩き出すというのは、その言い分を打ち負かすほどの力があるはずだった。
なにしろ向こうは講師として、経験を重ねているのだから。
知識も技能も未知数の新人がより高みに登れるというのは、客観的に見てそれほどのインパクトがある。
あの先輩の誤った方向性を、正すきっかけになる――同じ外部講師として指揮者として、城山が結果発表を続ける舞台をじっと見つめていると。
動きがあった。
『ではこれより、西関東大会への推薦校を発表します』
会場全体が息を呑むのが聞こえる。
騒いでいた学校も落胆していた学校も、等しく声を押さえ、客席全てが
未だここは、高山の頂ならぬ道の途中。
階段の踊り場のようなもの。
見上げればまだ、雲にかかってさらなる上が待っている――
『山梨県立』
そこに差し込むのは天使の梯子。
雪の冠を戴いた、この地に根付いた領主の手――
彼女がくれた靴を履いて。
『山梨鳴沢女子高等学校、吹奏楽部』
さらなる高みを目指しにいこう。
やまなしなるさわ、の『な』の辺りで、既に歓声が起こり始めたのが分かった。みんな、クレッシェンドが早いよ――と待ちきれずに飛び出した生徒たちを微笑ましく見ながら、城山もまた笑う。
部員たちの手前、大げさには表現できないが先生だって嬉しい。
今だって嘘偽りない高揚が、しっかりと表に出ているくらいなのだから。小さく拳を握り、生徒たちとハイタッチを交わし。
城山はスポットライトに照らされた舞台を強く見据える。
これまでの日々が認められた――形になって返ってきた。
だったら、また次のステージで新しいものを届けにいこう。
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「やりました! やりましたよ先生!」
「うん、がんばったがんばった。やったねえ」
はしゃぐ生徒たちに穏やかにそう呼びかけ、城山は通路を進んでいた。
あたりは人でごった返している。閉会式と結果発表が終わり、ホールにいた人々が一斉に外に出ようとしているためだ。
その中で山梨鳴沢女子高の面々は、固まって移動していた。興奮冷めやらぬ中――大ホールの中に残ってはいられないので、とりあえず外に出ようという話になった。
ロビーに集まって帰ってくる部長を待つか、それとも建物の外に出て夕焼け空の下で再び喜びを噛みしめるか。
できれば外に出て、見える南アルプスに報告をしたいなあと城山は考えていた。『
県大会を越えて次は西関東大会となるが、自分たちの演奏の根幹はこの地の自然なのである。
初めて山梨に来た日と同じだ。ここから出たときの景色も忘れないようにしよう――と城山が思っていると、傍にいた
「もう、城山先生リアクション薄くないですか? せっかく金賞取ったのに」
「いやあ。気が抜けないというか、ついこの先のことを考えちゃって。西関東大会に向けてどうしようかなあ、とかさ」
県代表になったはいいものの、今日の演奏が完璧だったわけでは決してない。
取りこぼしたものはいくつかある。詰め切れなかった細かい部分もある。
それらに挑む時間的な猶予が与えられたのだ、考えないわけにはいかなかった。
指揮者として、指導者として――答えると、瑠美は唇を尖らせた。
「はあ。もうちょっと今のこの気持ちを味わっておいた方がよくないですか? いくらなんでも切り替えが早すぎでしょう。ちゃんと実感を持っておいた方が、次の本番もそれを踏まえて振れると思いますよ」
「先生には、金賞を取れるっていう自信があったってことなんですかね」
そんなに落ち着いてられるのは――と言ったのは、瑠美の隣にいた
埼玉からの転校生。自分は異物なのではないかと、ずっと怯えていた生徒。
そして、その呪縛を破ってこの地に生きる者となった生徒――自信を取り戻し、本番で見事な演奏をした舞に、城山は声をかける。
「自信があったとしたら、茅ヶ岳さんと、みんなのおかげだよ。ありがとう」
お世辞でもなんでもなく、彼女が一歩踏み込んだおかげで本番は上手くいったのだ。
『山の音』は完成した――しただけで、それを安定して出していくには、まだまだ訓練が必要だろうけど。
それでも、感覚が掴めただけで相当な前進だろう。なにしろ、自分の殻を破っての演奏だ。やれといってもなかなかできるものではない。
そして、舞を受け止めてくれた瑠美や他の部員たちにも敬意を払いたい。
指揮者と偉そうなことをいってみても、要は指示を出すだけで実際に曲をやるのは奏者たちだ。
彼女たちがいなければ、自分はこんなところには来られなかった。
その点に関して最大級の感謝を込めて、城山が生徒にそう言うと――舞はくすぐったそうに笑って、言葉を返してくる。
「わたしが吹けたのも、城山先生のおかげです。先生のおかげで、自信を持って吹けたんですから」
がんばってる誰かがいたおかげで、わたしもがんばろうって思えたんです――と指揮者冥利に尽きることを言ってくる舞は、本当にいい生徒だった。
それまでやってきたことが、演奏になって表れるのだとしたら。
自分たちがやってきたことは、決して間違いではなかったのだろう――そう思わせてくれる笑みだった。
これからも彼女のくれた靴で、上り坂に挑んでいくことができる。
お互いに、自信を持って。二人でうなずき合うと、瑠美が言う。
「はいはい、イチャイチャするのはもうちょっと後にしてくださーい! 早く行きましょうね、後がつかえてるから!」
「ちょ、瑠美ちゃん、押さないで……」
「そうだね、早く出ようか。
「だから先生、ちょっと気が早すぎだって」
生徒に突っ込まれながらも、城山は通路を進んでいく。
自分でもどうして、ここまで頭の隅が冷静なのかと城山自身も疑問に思っていた。舞が素晴らしい演奏を見せてくれたのは嬉しいし、もちろん金賞県代表になったことも嬉しいのだけれども。
それ以外に、何か――油断してはならない、
『モンタニャールの詩』、最後の戦い。
山の麓、
「――ああ」
終わっていないことに気づいて、城山は足を止めた。
不思議そうな顔をする舞と瑠美に、なんでもないと首を振って先に行くように促す。
自分にはまだ、やらなくてはならないことがあるのだ。
指揮者として、先生としてまだ――。
「すぐ行くから、茅ヶ岳さんも鰍沢さんも、みんなと一緒にいて」
その視線の先には、行き交う人々に紛れて見知った人物の姿がある。
彼女たちに
越えなければならない壁。
踏み越えるべき障害。この先の白き山に向かうため――挑まなくてはならない一歩。
なんとなく、ここにいるような気がしていたのだ。
「よう。金賞おめでとうだな――城山センセイ?」
もうひとりの外部講師、
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