足跡は、大地を踏みしめて
雪の冠
「うん、そりゃ金賞を取れば自信にもなりますわな」
コンクールで金賞を取る――吹奏楽部にしてみればごくごく当たり前の目標である。
何を今さら、といった感じの瑠美に、城山はもう少し噛み砕いて説明をする。
「少し違う。金賞を取るから自信になるんじゃなくて、金賞を取るために色々努力するから自信になるんだ」
「というと?」
「自分が望む結果のために、こういう練習をしてきた。手ごたえがあって、本番でも成果を発揮できそう。そういう『やってきたことへの自負』が自信になるんだよ」
首を傾げる瑠美に、城山は細かい結果とプロセスの違いを伝えた。
金賞を取ったというと、華々しい戦果ばかりが取り沙汰されがちだが、よくよく見ると順番が逆だということが分かる。
このくらい練習をしたから大丈夫、とか。
今までの努力を信じていこう、とか。
ここ一番の勝負というとき、人間はその先の成果より、積み重ねてきた努力を信じる。
その正しさが結果に表れるのであって、結果があるから自信がつくというわけではない。結果はあくまで元からある、自信の補強材料のようなものである。
周りから下される結論は、全部が終わった後にある、確認のようなものだ。大事なのはそこに向かうまでの足取り――と城山が言うと、瑠美ともうひとりの部員、
思わず、といったリアクションに今度は城山の方が首を傾げる。今の話のどこに、彼女たちがそんな反応をするところがあっただろうか。
しかし城山がその疑問を口にする前に、瑠美が先に言う。
「なるほど。堂々としてるところが往々にして金賞をかっさらっていくのは、そういうことですか。金賞を取るから自信になるんじゃなくて、自信があるから金賞を取れる。道理ですわ」
「そうだね。舞台にあがる前からちゃんと準備をしてて、そこから出る落ち着きが自信になって、結果になるのだと思う」
「結果と自信についての因果関係は分かりました。それで、具体的にどういった方法で金賞を目指すんでしょうか?」
間髪入れずに訊いてきたのは、部長でもある千里だった。
矢継ぎ早な質問に、どうにも誤魔化された感はあるが、ここで話を脱線させるわけにもいかない。
なぜなら千里は、とても真剣な目をしていたからだ。
ならば先生としてこちらも、彼女たちに応じるまで――と、城山は部長の問いに答える。
「甲斐さんたちにやってほしいのは、『
そういえば千里もまた、自らの役割と心の声の不一致に悩んでいた時期があったのだった。
金賞を取りたいと、心の底から言えなかった。
けれども、周りの変化に伴い口に出せるようになった――そう言っていた同じ楽器の奏者のことを、強いなあと思いつつ、城山は続ける。
生徒ばかりをうらやましがってはいられない。
なぜなら今度はこちらが、外部講師として指揮者として、強くならなければならないからだ。
「この学校の音は『山の音』だと僕も思ってる。なら、モンタニャールの詩はとてもよく馴染むはずなんだ。なんせ、タイトルからして『山の民の詩』だからね。
技術的なことは、僕が最大限教えていく。だからきみたちは自分たちの音を磨くことに集中してほしい」
今も校舎の外に見える、南アルプス。
初めて城山がこの地に来たとき目に飛び込んできた山の威容は、そのまま彼女たちの音になっている。
なら、生徒たちの良さと曲の良さが重なって、演奏は非常に印象的なものになるはずだった。
そこに技術的な裏打ちがあれば、コンクールの審査員は身を乗り出して彼女たちの音に聞き入るだろう。どの分野でもそうだが、突き抜けた何かというのはそれだけで評価に値する。
元々レベルが高い子たちばかりである。少し追い風を吹かせるだけで、演奏は飛躍的に向上する――これまでの部員たちの様子を思い出して、城山がそう考えていると。
千里があごに手を当てて、ぽつりと言った。
「『山の音』の完成、それまでの道のりが自信になる、か……」
「そう。そしてそのためには」
曲の完成のためには、あとひとつ、足りないものがある。
むしろ彼女こそ、この計画の要。
外から来た生徒。『山の音』に未だ馴染みきれていない部員。
自信をつけたい、と言った子。
そして、城山の大学の先輩に、かつて傷を負わされた彼女――
「え」
城山と他の部員たちの視線に、驚いたといった風に目を見開いていた。
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「きみの協力が必要なんだ、茅ヶ岳さん。『山の音』はきみが完全にここの一員になって、初めて完成する。だから自分の弱気に負けないで、踏み込んでいってほしい」
「で、でも⁉ わたしなんかが演奏を完成させるなんて、そんな大事な役割を背負って、いいんでしょうか……⁉」
改めて城山が申し出ると、舞は予想どおりというか、卑屈な発言を返してきた。
それはそうだ。ここですぐイエスとうなずけるようなら最初からこんなことになってはいないし、そもそも彼女だって傷つくことはなかったのだから。
「自信のない音だね」――そう前にいた学校で講師に言われたことは、今も棘になって舞の心に刺さっている。
そしてその講師というのは、自分の大学の先輩でもある――その事実を痛ましく思いながら、城山は舞に言う。
自分のしているのは、先輩と同じことではない。
そう自らに、言い聞かせながら――。
「自信をつけたい、って言ったじゃないか。本当にみんなと仲間になって、自信をつけて、金賞を取る。これほどきみの望んだ結末はないはずだ」
「それはそうですけど、でも……」
「いい機会なんじゃない、舞っぴ」
そこで口を挟んできたのは、城山と舞のやり取りを見守ってきた瑠美だった。
県外から来た人間だと、ずっと引け目を感じていた友達。
彼女を守るために、怒られることを承知で振り切ったイタズラを仕掛けてきた瑠美は、今もまた楽しげに笑う。
「ずっと考えてきたことじゃん。気兼ねなくみんなと話せるようになりたいって――これまでのことを踏まえてっていうなら、
「瑠美ちゃん……!」
「おっと、口が滑った。でも舞っぴのためにもやった方がいいっていう城山先生の意見には、ボクは賛成だからねー」
珍しく非難の声をあげる舞に軽く言って、瑠美はぴょこんと城山の元に跳ねてきた。
先生の側についた、という意味らしい。こちらを見上げてにししと笑ってくる生徒に苦笑していると、千里も言う。
「あたしも城山先生に賛成。だって他に方法はないと思うし。最後のコンクールだもん、悔いのないようにがんばりたいじゃない?」
「千里ちゃんも……」
「舞だって同じはずだよ。あたしたちは、すごかった――ちゃんとやりきったんだって。そういう自信つけて終わりたいじゃん。どうせだったらさ」
踏ん切りのつかない部員に向かって、部長は笑って声をかけた。
自分たちのすごさを、形ある証にしたい。そう望んだ千里の、裏も表もない笑顔だった。
そう、立場も心情も踏まえて、さらには期待も背負ってこう言える、この部長のようになりたいと城山も願ったのだ。
でも、自分は違う。
誰かに力を与えたかった。音楽で、演奏で。誰かが喜んでくれるのが好きだった。
だったら、指揮者としてだって。
「ねえ、茅ヶ岳さん」
彼女の力になりたいのだ。少ないけれど、と差し出された謝礼の袋。そして地元の野菜。
それらを手渡してくる人たちの笑顔に価値を見出せないほど、自分は人でなしではない。
「前に、どうすればみんなの音に馴染めるのかってきみが訊いてきたとき、僕は答えたよね」
今までどこか、外部講師として、指揮者として金賞を目指すことから逃げていた。
自分の足で、ちゃんと歩いていくことから目を背けていたのだ。そこをあの先輩につけこまれた――脇が甘かった、ということなのだろう。
けれど、今このときからはそうではない。
指揮者として。先生として。
やっていこうと決めたのだ。
城山は、初めてこの学校で指揮をしたときのように、舞に対して合図を出す。
「『出して合わせなさい』――って。あのとき僕はそう言って、きみもうなずいたはずだ」
「……!」
その言葉に、舞は弾かれたように顔を上げた。
答えはすぐ傍にあって、こちらが踏み出すときを待っている。
自分も舞も、お互いにそうだったのだ。
外から来た者同士――この地に一緒に馴染んでいこうと約束した者同士、一歩先が分からなくとも。
望んだ頂に向かって。
歩いていこうと、決めたのだから――そう思って、城山が、舞を見守っていれば。
彼女はぎゅっと口を引き結んだ後、きっと眼差しを強くして叫んできた。
「やり、ます……!」
それはお互いの名前もよく知らない頃。
ただ音だけで語り合った初合奏の日、崩れかけたソロをなんとか立て直した、彼女と同じ
「やり、ます、やってみせます……! できるかどうかは分かりませんが、やってみます……!」
「大丈夫、できるよ。ちゃんと、できるから」
飛び込んできてくれた舞に、せめて笑って言葉を返す。このくらいしか自分にできることはない。
彼女を導いていくことくらいしか。
あとのことは、同じ奏者同士が解決することだ。合奏の中で――と、舞の返答をうけて、瑠美と千里が言う。
「ようし、そうと決まったらボクは、全力で舞っぴのサポートをするよ。よろしくね」
「あたしもできる限り話を聞いていくからさ。平気へいき」
「瑠美ちゃん、千里ちゃん……」
肩を叩いてくる同い年二人に、舞は涙をにじませてうなずく。その光景は、城山がこの学校に来てからこれまで、何度か演奏中に目にしてきたものだ。
誰かのミスや間違いも笑顔で受け入れ、そのまま合奏を続けていく。
指揮台の上でたびたび見てきたものを、改めて見せてもらっている。大丈夫、この子たちならば――と、三人のことを見つめて、城山は自分がやったことを
金賞を目指す上で舞が中心になることは、彼女が自信を取り戻すことにもなる。
あの先輩が否定した存在である舞が結果を出すことは、彼のやり方を否定することにもつながる。
個人的な感情に生徒を巻き込んでいると指摘されたら、ぐうの音も出ない。
だけども。
「……絶対僕は、彼女を守ってみせる」
だからといって、このままでいいわけがないのだ。
彼女たちを守る、その一点において自分はあの先輩とは決定的に違うはずだった。意のままに操ることを目的としたあの人と違って、こちらは部員たちを育てていくことにしたのだから。
自分の望みのために利用しているといえば、そうかもしれない。
けれど、方向性は絶対に違う。未だに手のひらの上のようで怖い気持ちはあるが、生徒たちが奮い立ったのだ。先生である自分が、先頭に立たないわけにはいかなかった。
「これが、僕の出した結論です。谷田貝先輩」
あのとき先輩は、「おまえはどんな決断を下すのか」と言った。これが答えだ。
どんな困難があっても彼女たちと歩んでいくこと。それを決意して窓の外を見る。
寒くて険しい道の果て。
校舎から見える南アルプスの山々は、今日も頂上に雪の冠を戴いていた。
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