風に混ざる煙
「
瑠美には先日、特殊な楽器の作成を任せたのだ。ウインドマシーン――布をこすって風の音を表現する、打楽器の一種である。
今度の大会にはなくてはならない楽器のため、彼女が自作すると言ったときは本当に助かった。イタズラっぽい笑みを浮かべる生徒に、城山は目を輝かせて応える。
「お、できたんだ。見せて見せて」
「こっちです」
瑠美に案内されるまま城山が音楽室の奥に行くと、そこには円筒状の機械があった。
ドラム式洗濯乾燥機くらいの大きさの、丸い木枠。
そこに布が巻きつけられ、すれると音がするようになっている。
横についているハンドルを回せば円筒が動き、風の音が出る仕組みだ。ハンドルを動かす速度を早くしたり遅くしたりすることで、音の緩急をつける。
強く吹きすさぶ風、柔らかく解けていく風などを表現することができるのだ。想像していた以上に立派なものが出来上がっていて、城山は感嘆の声をあげた。
「すごいねえ。こんなにガッチリ作ってくれるなんて、ありがたい限りだよ」
「ウチの親父とボクとで、がんばりましたからね。今度のコンクールだけといわず、また違う曲でも使ってください」
「そうさせてもらうよ。触ってみてもいいかい?」
「いいですよ」
得意げに笑って言う瑠美に、城山はうなずく。
興味があって訊いてみれば、彼女はあっさりと許可を出してきた。渾身の一品を自慢したい職人のような――抑えた口調であっても隠し切れず小鼻を動かしている生徒をおかしく思いつつ、城山はハンドルに手を添えた。
ウインドマシーンは明るめの色の木材で作られ、布は対照的に暗めの色が使われている。
どことなく、クリスマスコンサートをやった体育館を思わせる配色である。床に敷かれていたシートが、こんな感じの色だったなあと記憶をたどりつつ、ぐいと城山はハンドルを動かした。
しゅるり、と。
しっかりした手ごたえと共に、楽器から風の音がした。
くるくると回るウインドマシーンはまるで水車のようで、出る音も自然なものだ。
手にかかる負担も軽すぎず重すぎず、絶妙に調整されている。高山に吹きすさぶ風、荒々しく吹きつける風から止んでいく様子まで、色々と試して。
城山は、楽器から手を離した。
「文句なし。すごくいい感じだ。ありがとう鰍沢さん、お父さんにもよろしく伝えておいて」
「どうも。がんばったかいがあったってもんです。わざわざ地元の木材店から、材料を選んできたくらいですから」
「そうか、山梨で取れた木を使ってるんだね……」
瑠美の言葉に改めてウインドマシーンに手を添え、城山はつぶやいた。
今度演奏する『
城山にしてみればこの山梨で生まれ育った木を使っているというだけで価値がある。この曲は、山にほど近いこの学校にぴったりだと思い選んだ曲なのだから。
地元の素材を使うだけで、楽器というのは不思議なことにその場所の音が出るのだ。
同じ銅鑼を十セントコインと十円玉でこするのとでは、出てくる音が違うのである。曲によっては細かく使い分けたりもする。
その点、このウインドマシーンは完璧だった。住んでいる大地を表す曲に、身近にあった材料を使うのだから。
まあ、ひょっとしたら輸入物の木材かもしれないが。この内陸地でその心配はないだろう――と、城山は音楽室の窓の外を見た。初めて来たときに印象に残った南アルプスの山々は、今も変わらずすぐ傍にある。
これで『モンタニャールの詩』は一歩完成に近づいた。
楽譜も届き、練習も始まり、コンクールに向けてあとは努力していくのみである。
あとは、大切なことがもうひとつ――瑠美の手に目をやり、城山は言う。
「恩に着るよ、鰍沢さん。あと、これは僕からのお願いなんだけど――これからは、あまり無茶はしないでね。手を怪我するような真似は」
楽器を作る際に負ったのか、瑠美の手にはいくつかの怪我の跡があった。
ひとつひとつは小さなものだが、重ねられた絆創膏が痛々しい。打楽器は読んで字のごとく、楽器を叩いて音を出すものだ。当然手を使うことになる。
「打楽器奏者にとって、手と腕は大事なものだ。僕も腕を使う楽器だから、本番前はなるべく包丁を使わない。演奏ができなくならないよう、気をつけるように」
「……はいはい。ご忠告ありがとうございます。ていうか先生、料理できるんですね」
「僕だって一人暮らし長いんです。料理くらいします」
真剣に城山が言うと、瑠美は少し照れたように目を逸らして返してきた。
そういえば、この間も同じことを言ったような――料理ができる云々、と話したような。
居酒屋でよく出る、パスタの麺を揚げて塩をかけるアレとか好きで、よく作る。といってもまだ高校生の瑠美には分からないんだろうなあ――と苦笑しつつ、城山は言う。
「とにかく、自分のことを大切にしなさい鰍沢さん。今は一生懸命になって突っ走っちゃうかもしれないけれど、肝心なときに何もできなかったら、どうしようもないからね」
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「そうですか。瑠美ちゃん、ちょっとがんばりすぎちゃったんですね」
ウインドマシーンのくだりを瑠美と同い年の
さすがの舞でも、友達が怪我をしたことは看過できなかったらしい。「わたしからも注意するように言っておきます」とため息をついて言ってくる。
指揮者の城山とクラリネットを吹く舞は、合奏上の席が近いためなんとなく話す機会が多かった。
同じく県外から来た存在だから、というのもある。親近感があるというか――そんな舞に城山も、やはり苦笑して言う。
「彼女はそういう風にやりすぎちゃうところがあるから、釘を刺しておかないとちょっと心配だよね。瞬間的に振り切っちゃうというか。じゃないと人の楽譜をホッチキスで留めたりなんかしないだろうけど」
「そういう先生も、やりすぎちゃうところはあると思いますけど……じゃないと瑠美ちゃんに対抗して指揮を振ったりしないと思いますし」
人のことを言えないのではないか、という生徒に、城山はうっと言葉を詰まらせた。振り返ってみれば、心当たりがないでもない。
こうと決めたらやり遂げるまでがんばってしまうところはあるし、気が付いたら倒れる寸前になっていることだってある。
けれど、だからこそこの場にいるともいえるのだ。プロになって指揮者としてここにいるのも、どこかで無茶をしてきたからだった。
城山がそう言うと、舞はクスリと笑って言う。
「やっぱり、何かを成し遂げるためには無理をしなきゃいけないこともあるんですね。わたしもがんばらないと」
「ほどほどにね、ほどほどに」
コンクールに向けてやる気満々の山梨鳴沢女子高吹奏楽部だが、身体を壊しては元も子もない。
金賞県代表にはなりたいが、それ以上に自分たちのことだって大切にしなければならないのである。無理をしたなら、その分休むことだって必要だ。
しかしそうは思わなかったのか、舞はわずかにうつむいて言ってくる。
「……でも、わたしは人より下手ですし。他の人よりがんばらないと、何もできないというか」
「そんなことないよ。茅ヶ岳さんは結構上手い。自己評価が低すぎると思うけど」
出会ったときからそんな雰囲気はあったが、彼女はどうにも卑屈なほど低姿勢になるときがある。
演奏にもそれが出ていた。せっかく綺麗な音なのに、もったいない――城山がそう思っていると、舞は続ける。
「前、埼玉にいたとき『自信のない音だね』って先生に言われたときがあって……楽器を吹いてると、ふとした拍子に思い出すことがあるんです。嫌だなって思うけど、でもその通りだなとも思って」
「ひどいこと言うやつがいたもんだね。そんな言葉忘れた方がいいよ」
「すごい先生だったものですから。それはそれで、受け止めていかなくちゃというか……」
自信のない音がする。それは正しいのかもしれなかったが、城山には順番が逆のように思えた。
初めからそんな音だったわけでなく、そう言われたから自信のない音になったのではないか。そんな経緯が透けて見えるのだ。
そういえば舞は、この学校に来る前もどこかの学校の吹奏楽部にいたということだった。
瑠美から聞いた話だったが、その学校はどうも厳しいところだったとか、どうとか――ひどい同業者もいるものだと思いつつ、城山は言う。
「どこのどいつだよ、そいつ。同じ関東圏内にいるやつだ。ひょっとしたら知り合いかもしれない。がつんと言ってやる」
「大丈夫ですよ先生。これはわたしがなんとかしなくちゃならないことですから」
でも、怒ってくれてありがとうございます――とやはり困ったように笑いつつ、舞は言う。
「ああ、でもひょっとしたら名前くらいは聞いたことがあるかもしれませんね。世間は狭いっていいますし」
「そうだね、この業界は意外と狭いんだ。楽器を吹いていればどこかでつながっていることだってあるさ」
「学校の名前は、知ってると思います。県立の学校で――」
彼女が告げたのは、城山もよく聞いたことのある学校の名前だった。
吹奏楽の強豪校と名が通っているところである。そんなところに舞はいたのか、と彼が感心していると、彼女は続けて講師の名前を口にする。
「指揮者の先生は
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