形に残るもの

 新学期に入って学校に行ったら、音楽室の部員はかなりの数になっていた。


「いっぱい入ったねえ」


 わいわいと騒がしい山梨鳴沢女子高の音楽室を見て、城山匠しろやまたくみは言う。

 彼の発言に、部長の甲斐千里かいちさとは胸を張った。


「そりゃあ、イケメンの先生がいますよっていっぱい宣伝しましたもん。城山先生の写真とか見せたりもしました」

「やめてよそういうの……」

「あはは、冗談冗談。でも、城山先生目当てで入ってきた子が多いのは本当ですよ? なにしろ最近、先生は山梨こっちで本番を結構やってますからね。それを聞いて入ってきた子もいます」


 ここ数ヶ月、城山は頼まれて何度かこの地で演奏を行っていた。

 時と場所は様々だったが、狭い地域なだけに噂が広まるのは早かったらしい。図らずしも部活の宣伝になっていたことに、城山は照れ笑いを浮かべる。自分の演奏がこうして実を結んでくれるなら、それほど嬉しいことはない。


 少ないけれども、と渡された謝礼の袋と共に、気持ちだと言われて野菜の袋も差し出されたことを思い出す。

 地元産の品を受け取るたびに、城山はどこかで自分がこの地に受け止められていくような気がしていた。東京から来た得体の知れない人間だ、と言われる心配はもうない。

 ここまでの人が集まったことがその証だ。おらが町の吹奏楽団――山梨鳴沢女子高の吹奏楽部は、地元の人々の応援によってできているといえた。


 そして、これほどの人数がそろったら何をすべきなのかも決まっている。


「これくらいの部員がいれば、『モンタニャールのうた』も演奏できそうですね。いやあ、人数がちょっと足りないかなとも思ってましたけど、これならなんとかなりそうです」

「最低限のパートはそろっていたけど、迫力のある演奏をしようと思うとやっぱりね。お役に立ててよかったですよ」


 今年のコンクールで演奏する曲の名前を出して、千里は安堵の笑みを浮かべた。

 部長の発言に、城山もほっと息をつく。『モンタニャールうた』――大会で演奏する楽譜の手配はもう済んでおり、あとは届くのを待つのみだ。

 その名前のとおり、この曲は山々と、そのそばで暮らす人々のことを描いたものになっている。

 城山が顧問の先生に勧めたのも、曲の内容がこの学校に合っていたからだ。山の民たちの詩。地域の人々が集まった団体に、これほどふさわしいものはない。

 すると部長である千里が、城山に訊いてくる。


「そういえば城山先生。あたし参考にと思って、モンタニャールの詩について調べてきたんです。合ってるかどうか聞いてくれます?」

「お、いいよ」


 コンクールに向けてやる気満々の生徒に、城山はうなずいた。

 これまでの経緯はともあれ、城山も外部講師である。本番でどれほどいい結果が出るか、彼女たちを指導していく義務がある。

 まして生徒側から声をかけられたのだ。応じないわけにはいかない。聞く姿勢になる城山に、千里は「ええと」とメモ帳を取り出し言ってきた。


 モンタニャールの詩は大きく、五つの場面に分けられる。

 最後はそれまでのダイジェストのようなシーンになるので、正確には四つかもしれないが――ともかく、曲の各場面について千里は語りだした。


「ひとつめ。山の風景。風の音と共に、アルプス山脈――確か、マッターホルンだったと思いますが。その威容が示されます」


 雪深い山。寒々しくも澄んだ空気。

 気高き頂――そんなものを想像しながら、城山は部長の言葉を聞いていた。

 自然と視線が、窓の外を向く。

 そこには城山が初めて来たときと変わらない、南アルプスの山々がそびえ立っている。


「ふたつめ。アオスタの戦い――アオスタっていうのは、この曲の舞台になった地名ですね。イタリアとフランスの中間にある都市だとか、どうとか。そこで起きた戦いと、受け継いできた文化を表しています」


 歴史の中でアオスタという都市は、数々の戦火に見舞われてきた。

 アルプス越えの要所という土地柄。紀元前から続く価値ある歴史。

 それらをめぐって幾多の侵略が繰り返されてきた場所でもある。静かに暮らすだけでなく、攻め込まれれば応じる気概――大軍を率いて激突をするなど、決して屈しない強い姿が描かれている。

 そんな曲の内容と、部員たちの気骨のある立ち振る舞いがだぶって見えた。

 クスリと笑う城山を不思議そうに見つつ、反応を続行の合図と取ったのか、千里は続ける。


「みっつめ。ルネッサンス・ダンス。この曲である意味一番印象的なところ、リコーダーが使われる部分ですね。エキゾチックな変拍子の民族舞踊は、やっぱりこの作曲家さんて感じです」


 争いの中にあろうとも、人々の生活にあるものは変わらなかった。

 素朴な音の中にある営み。吐けば息が白くなるほどの気温の中でも、歌われるものは温かい。

 高山の衣装をまとい、踊る少女の姿が浮かぶ。彼女の声はいつしか周りにも届き、大規模に歌われることになった。


「よっつめ、カトリーン・ドゥ・シャランの愛。アオスタを治めた領主様、だったのかな? 絵が残ってるらしいですね。民衆には人気だったみたいです。その人のテーマ」


 民草に慕われていた女性も、いつかはそんな少女だったのかもしれない。

 山の民に囲まれた、歌を歌う女性。曲調にはどこかもの悲しさが漂うが、気高く生きた彼女の姿。

 現存する絵画と同じで、想像の中の女王もまたどこかおぼろげだ。顔の像が結びにくい。

 立ち姿も、背を向けたものだったり横からのものだったりで、正面からはっきり捉えられるものはひとつもなかった。

 だが存在感だけははっきりと伝わってくる。なんとなく、微笑みを向けられていることも――そんなことが分かる音楽。

 この女性がどんな人物だったのかは不明だが、城山には彼女が、この部活にいる女性たちの要素を全部混ぜ込んだもののように思えた。

 だからこそ、この曲を選んだというのはある。

 山と、そこに生きる民。愛し愛された女性。

 それら全てを混ぜ込んだものが――


最後フィナーレ。それまでの全部の部分がミックスされて、ラストに向かいます。順番を入れ替えて、シメは戦いのテーマ。まあ、盛り上がって終わりたいですもんね」

「パーフェクトだよ甲斐さん。その情報、みんなにも広めておいてね」


 この部には詰まっているように思えて、城山は千里に笑顔でうなずいた。

 地元の人に応援されて、音楽室には多くの人たちが集まってきている。まるで、日々の営みの中で歌っているかのような。

 しかしいざ危機が訪れれば、戦いにも赴くような――そんな部員たちを率いる千里は、城山の言葉に照れ笑いを浮かべた。


「了解です。あのね先生。この曲を聞いて、いっぱい入った一年生のことを見てたら、あたしちょっとやる気が出てきちゃったんですよ」


 音楽室を振り返って、部長は騒がしい部員たちを見て目を輝かせた。

 新学期になって千里たちは三年生になった。高校生としては最後のコンクール――それを前に、何か思うことがあったらしい。

 彼女の心をより強くするだけのものが。以前よりさらに真っすぐにこちらを射抜いてくる千里の眼差しを受け止め、城山は「どんな風に?」と訊いてみる。

 これは、この先の練習もやりがいが出てきそうだ。指揮者として城山が考えていると、部長は答えてきた。


「いろんな人が応援してくれて、先生もいい曲を持ってきてくれて。だったら――って。期待に応えたいって思ったんです」


 あたしたちがここでがんばった証が欲しいなって思ったんです、と千里はくすぐったそうに笑う。


「せっかくだから、形に残したいんです。あたしたちの演奏がすごいんだってことを、全然知らない人にも認めてほしい。そう思ったらなんか、金賞がほしいって言えるようになりました」

「いいんじゃないかな。そう思えるようになったってことは、確実に音にも出てくるだろうから。もちろん、僕も協力させてもらうよ」

「当ったり前じゃないですか、そのための城山先生なんですから!」


 外部講師として指揮者として、城山は部長と一緒に笑い合った。

 気持ちを形として残したい。

 そう言った千里は、以前のような苦笑いではなく、挑むような強い笑みを浮かべる。


 そして――彼女は、集まっている部員たちを振り返り、城山に聞こえないようこっそりとつぶやいた。


瑠美るみと舞、うまくやってるかな……」


 木を隠すなら森の中、というが。

 逆に『いないこと』を隠すかのように、千里の同い年二人の姿は、音楽室にはなかった。



 ###



「舞っぴー。どう? 先生たちまだ来てない?」

「まだ、来てないよ。千里ちゃんがうまくやってるみたい」


 そして、鰍沢瑠美かじかざわるみ茅ヶ岳舞かやがたけまいといえば。

 二人で、学校の正面玄関にて言葉を交わしていた。

 前回は上手くいかなかったが、今回はもっと綿密に計画を立てている。瑠美が目的のものを探し、舞が見張りに立ち、千里が城山を足止めするというスリーフォーメーションだ。

 元々この計画は、舞が立案し、あとの二人も賛同したものだ。

 ならば、行動するときも三人一緒――リスクもメリットも共有するのは、当然といえる。


「あんにゃろ。この間のボクの行動を警戒して、ちゃんと下駄箱に靴をしまいやがったな。どこにあるか探すから、舞っぴは引き続き見張りをお願い」

「分かった」


 片っ端から靴箱の蓋を開けていく瑠美に、舞はうなずいた。

 この間のクリスマスコンサートのときに、城山の足元にうず高く積まれたたくさんの品物を見て、彼女は思ったのだ。

 恩返しがしたい、と。


「『気にかけてくれているという事実を、どう受け止めて、気持ちを返していくかではないか』――」


 誰かから認められているという証。

 外から来て同じような立場だったからこそ、あの指揮者の先生には目に見えるものが必要だと、舞は感じていた。もちろん音楽も大切だが、それ以外にも人として。

 形に残るものを送りたい。そんな流れの中で、瑠美は楽器を自作することにした。千里は金賞のトロフィーを持つことにした。

 それらの思いは、元をたどれば舞の発言から生まれたものだ。


「わたしたちは、今年で終わりですけど。先生はこれからもこの場所にいるわけですから――」


 ならば、せめて足跡を。

 自分の気持ちを形に。この先も、山を歩いていけるように。

 願いを込めて、彼女たちは歌い続ける。

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