風の設計図
『プスタ』と同じ作曲家、ヤン・ヴァンデルローストの作った曲であり、ヨーロッパのある地方が舞台になった曲である。
豊かな自然と闘いの歴史、そしてこの地を統治した、ひとりの女性をモチーフにしたものである――と
「もんたにゃーる? 可愛い名前ですね」
「フランス語で『山に住む民』という意味です。しかもこの曲のモデルになった山というのは! アルプス山脈のことなんです!」
自らの思い付きが天啓のように思えて、城山は学校の間近に見える南アルプスを指差した。
山梨鳴沢女子高がコンクールでやるのに、これほどふさわしい曲はない。凛として気高い山のような音を出す部員たち。女性主導の強い雰囲気。
難易度的にもある程度背伸びをしなければならず、これから取り組んでいくのにちょうどいいものである。コンクールでもよく演奏され、金賞を目指すのにも申し分ない。
そして部長もきっと気に入るであろう、厚みのある響きが出る曲――まさに全ての条件を満たした、パーフェクトな選曲だった。
これ以外にない。そう勢い込む城山に、勝沼はうなずく。
「なるほど。お話を聞くに、うちの学校にぴったりの曲ですね」
「そうなんですよ! 今年のコンクールの曲はこれでどうですか? 次の練習で音源も持ってきますよ!」
「いいですね。よろしくお願いします」
急にテンションが上がった城山に驚いているようで、勝沼は始終きょとんとした様子だった。
だがそれでも有用性は伝わったらしく、彼女は外部講師である城山の提案を受け入れてくれる。勢いに押されただけ、という取り方もできるが、それでも城山にしてみれば了承がもらえただけでありがたかった。
初めての指揮者としての本番で、自分の好きな素晴らしい曲ができる。
それだけでも、とても嬉しかったのだ。これからどんな練習をしようかウキウキしながら考え、城山はその日帰路についた。
そして、次の練習で――
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「城山さん、モンタニャールの詩、無理です。別のになりませんか……」
勝沼は机に突っ伏して、泣きそうな声で城山にそう言ってきた。
彼女の前には、一台のパソコンがある。どうも、それで曲について調べていたらしいが――画面の一点を指差して、勝沼は城山に言った。
「楽譜を買おうと思って私も調べてたんですけど……一部この曲、楽器の中に特殊なものが混じってるじゃないですか。うちの学校には改めてそれを買う余裕がありません……」
勝沼が指したのは、モンタニャールの詩で使われる楽器が記述された部分だ。
フルート、トランペットといった通常の吹奏楽編成に混じって、その楽器の名前はさらりと記されている。
ウインドマシーン。
布を擦ることで風の音を表現する、打楽器の一種である。
確かにあまり使われる機会のない楽器なので、持っていないのも当然だった。あ、しまった、そこまで考えてなかった――と城山は、内心で汗を流した。
「他にもリコーダーって書いてありますけど、まあそれはなんとかなるとして……でも、ウインドマシーンは無理です。この曲のためだけに楽器を一台買うの、うちの学校には無理……」
「で、ですねえ。それなりにお高いですし……」
あれば他の団体に貸し出して、レンタル費用を稼げるレベルの楽器だ。
名の知れた強豪校ならともかく、山梨鳴沢女子高では購入は難しい。勝沼の言いたいことは生活の苦しい城山にも痛いほど分かったし、部活の予算に対して外部講師が口出しなどできようはずもなかった。
だが、諦めたくない気持ちはあるのも事実なのだ。せっかくふさわしい曲があるのだからやりたいという思いはあるし、経済的な問題で見送るには、あまりに『モンタニャールの詩』は良曲すぎてもったいない。
なんとかできないか。その一心で、城山は勝沼に食い下がる。
「毎回練習で用意できなくてもいいんですよ。本番とリハーサル、あと何回かの合奏で使用できれば。そうすればレンタルで費用は安く抑えられます」
「でも……山梨にその楽器を貸してくれるところがあるかどうか」
「東京なら何件か、貸し出しをしてくれるところはありそうなんですけどね。電車で持ってこられるかなあ……?」
物にもよるが家具レベルに大きな楽器なので、城山が東京から持ってくるのはなかなかに厳しい。
最悪なしで本番をやるという選択肢もないではなかったが、風のない山など山ではない。どうしたものかと城山と勝沼がうんうん唸っていると、そんな教師二人に話しかけてくる人物がいた。
「やめるんですか。『モンタニャールの詩』」
憮然とした口調で言ってきたのは、打楽器の
城山が持ってきた音源を音楽室で聞いて、彼女としてもやる気でいたらしい。ウインドマシーンは打楽器の部類になるので、もし曲をやるとしたら楽器は瑠美が管理することになる。
そこまで考えていたのかどうなのか。考えていたからこそ、大人の都合で却下されることが腹に据えかねたのか。
彼女は城山と勝沼に半眼を向けつつ言ってくる。
「さっき音楽室で、
「う……」
「まあそれは……確かに」
「用意できない楽器があるっていうのは、ボクも分かります。打楽器にはそういうの多いですから」
叩くものならなんでも楽器扱いになる。そんな特性を持つ打楽器を扱う奏者は、きっぱりと言い切った。
効果音として、普段合奏で使用しないような鉄塊なども使うパートである。こういった事態は初めてではないらしく、瑠美は落ち着き払った態度で言ってくる。
「なければ作りゃあいいんですよ。買えないんだったら作る。クリエイターの基本でしょう」
「できるのかい?」
「パソコン貸してください」
城山が問うと、瑠美は身を乗り出し、勝沼の机にあったパソコンを操作し始めた。
ウインドマシーンの素材、構造、動かし方。
それらを調べてメモし、ざっとした設計図を書き始める。そんな生徒に、城山はぎょっとして声を上げた。
「鰍沢さん、なに、きみ天才なの?」
「先生に言われたくねえっすよ。父親が日曜大工とか好きでしてね。ボクもその影響で、それなりにDIYとかやります」
「さすがホッチキスで楽譜をとめる生徒は一味違う……」
「根に持ちますねぇ⁉ ずっとそのネタ引っ張る気ですか⁉」
文句を言いながらも手は止めない。
大まかな図を描き、瑠美は手元のそれとパソコンの写真を見比べてひと息つく。
「こんな感じでしょうかね。あとはウチの親父と相談して、できそうだったら言いますよ。まあ、ダメでも作りますけど」
「鰍沢さん、僕、きみのこと尊敬するよ」
「褒めても何も出ませんよ」
ドライに言ってくる瑠美だが、口元は城山がイタズラを仕返したときのように笑っていた。
やんちゃだけど根は素直な子たちだ、とかつて勝沼が言ったことを、城山は改めて思い出す。瑠美はあのときも、そして今も友達のために動いたのだ。
多少やり口は荒っぽいが、仲間思いの優しい子だった。頭を撫でると噛みつかれそうな気がしたので、笑ってうなずくだけにしておく。
今度何か、瑠美にも打楽器奏者のCDでも持ってきてやろうか。
そんなことを考えながら、城山は瑠美の描いた設計図を見た。直線の軸に曲線の波。弧を描く盛り上がりは、そのまま山の稜線のようである。
「風が吹いてきた、と」
生徒たちにあおられて、大人二人もまた動き出す。
モンタニャールの詩。
山の民たちの曲が、この設計図と共に始まろうとしていた。
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