目指す山はそこに

「コンクールの曲をどうするか、ですか?」


 二月を迎え、暦の上では春を迎えつつもまだまだ寒い山梨鳴沢女子高の音楽室で。

 城山匠しろやまたくみは、顧問の勝沼綾子かつぬまあやこから相談を受けていた。

 今年のコンクールの曲を何にするか――夏の大会で演奏するのは、どんなものにすべきか。

 新入生が入ってこないと人数の面でなかなか厳しい吹奏楽部ではあるが、楽譜の手配の関係上、そろそろ何をやるか決めないといけない。

 そしてこの部活の関係者で、最も曲に詳しいのは城山である。それを見込んで相談してきた勝沼に、城山はふぅむと考えて言葉を返す。


「方針的には、部員たちがちょっとがんばらないとできないような曲で、かつ生徒たちの良さを出せる曲――ということでいいんでしょうか?」

「そうですね。できれば金賞を狙えるような曲でもあるといいです。せっかく出場するんですもの、あの子たちにはいい思いをしてもらいたいですから」

「すると……どれがいいかな」


 顧問の先生からの注文に、城山は頭の中で曲目リストをひっくり返していた。

 知っているというのも考え物で、候補がありすぎて絞り込むのが大変である。勝沼の言い方には少し引っかかるものがあったが、彼女自身がまず、去年生徒たちを上手く指導できず上位入賞を逃しているのだ。

 その裏返しで、金賞を取れるもの、というオーダーになったのだろう。部活として金賞県代表を目標に掲げるのは悪いことではない。

 というか、むしろ自然なことだ。かつてはその自然さに、不自然さを覚えた人間もいたが――

 するとその存在であった、部長の甲斐千里かいちさとがハイハイと手を挙げて言ってくる。


「城山先生、あたし『カンタベリー・コラール』やりたいです!」

「確かにあの曲で全国大会に行った学校はあるけど、その選択をして同じ結果になるとは絶対に言えないと思うよ?」


『カンタベリー・コラール』。シンプルで誤魔化しの効かない譜面がゆえに、かの曲で全国大会に行った学校は伝説になった。

 それほどまでにしっかりとした地力を問われる、とても難しい曲である。非常にいい曲ではあるのだが、譜面のせいで生徒の実力が透けて見えすぎて、まるで裸で舞台に上がるような状態になりかねないのだ。

 だからこそ仕上げるのが大変な、別の意味で難易度の高い曲だった。今からやってもコンクールに間に合うとは思えない。なので今回は却下だ。

 そういえば、これも『プスタ』と同じ世界的作曲家、ヤン・ヴァンデルローストの作品だったっけか――と思いつつ、城山は千里に問う。


「甲斐さん、ヴァンデルロースト氏の曲好き? 僕も好きだけど」

「もちろん! 同じトロンボーン奏者が作った曲ですもん、好きじゃないはずがありません」

「あ、やっぱり知ってたんだね」


 相変わらず勉強熱心な部長に、感心させられる。

 クリスマスコンサートを聞いてからというもの、千里の意欲はますます高まったようだった。今では城山にくっついて、あのCDがよかった、この吹き方に感動したと会うたびに話してくるくらいである。

 もちろん彼女は、今現在も熱心に城山に訴えかけてきている。


「どうせコンクールで吹くんだったら、好きな曲をやりたいです。長い付き合いになるんだし」

「数ヶ月は同じ曲を練習することになるもんねえ。そうすると好きな曲じゃないと続かない、か」


 もっともな部長の意見に、城山もうなずいた。吹奏楽コンクールは七月下旬にあるので、新一年生が入って練習をしだすとしても、四か月は同じものをやる流れになる。

 それだけの期間やるのだから、せっかくだし好きな曲をやりたい。

 それもまた、当然の意見だった。となると選ぶべきは、生徒たちにとって勉強になる曲であり、この学校の良さを引き出せるような曲であり。

 かつ彼女たちの好きそうな、上位入賞を狙える曲、という風になるのだが――


「うーん。なかなか難しいねえ」


 すぐには結論が出せず、城山は宙を見上げてうなった。

 候補になる曲はいくつか出てくるが、どれもピンとくるものがない。

 そして、この場ですぐに結論を出さなければいけない話でもない。外はもうだいぶ暗くなってきたので、城山は今日はいったん、帰ることにした。


「では、次の練習までに考えておきますね。勝沼先生、駅までお願いしてもいいですか」

「はい、分かりました。千里ちゃん、私は城山先生を送ってくるから、みんなのことお願いね」

「ちょ……ちょっと待ってください城山先生。もうちょっと話し合いませんか?」

「え?」


 なぜか焦ったように引き留めてくる千里に、城山は首を傾げた。

 部活の時間は終わっており、今日の合奏についても話したため、城山としてはもう帰るだけだ。

 あまり遅くなると勝沼の帰りも遅くなるし、これ以上ここで話したところで結論が出るとは思えない。城山がそう言うと、千里はうっと言葉に詰まり、「……分かりました」と引き下がった。

 なんだったのだろうか。音楽室を出て階段を下りつつ、城山は勝沼に話しかける。


「どうしたんでしょうね甲斐さん。なんだか様子がおかしかったですけど」

「城山先生ともっと話したかったんじゃないですか。最近のあの子たち、みんな先生に恋しちゃってるみたいですから」

「やめてくださいよ、冗談でもそういうのは……」


 何気ない質問から来たとんでもない返事に、城山は顔を引きつらせた。

 顧問の先生はクスクス笑っているが、外部講師としてはそれどころではない。六歳差と考えれば確かにないこともないが、さすがに女子高生はマズい。

 世間一般とは少し離れた常識を持つ城山でも、一応そのくらいの良識はあった。苦虫を嚙み潰したような顔で城山は階段を下りていき、勝沼も後に続く。

 と――学校の来客用玄関に、見知った人影があった。


鰍沢かじかざわさん?」

「……っ!」


 千里と同い年の部員、打楽器の鰍沢瑠美かじかざわるみが、玄関にうずくまり一足の靴を眺めている。

 見ればその靴は城山のものであり、彼女はその靴に手を伸ばし何かをしていたようだった。


「ちょっと、やめてくれよ? 靴に画鋲とか仕込むとか、そういうイタズラは」

「……してませんよ。そんなタチの悪いことは」


 声をかけると瑠美は立ち上がり、そのまま風のように走り去っていく。

 逃げるようにいなくなった生徒の背中を見送り、城山は念のため靴を逆さに振った。特に何をされた形跡もなく、画鋲も石も入れられた様子はない。

 本当に何も、瑠美は仕掛けていないらしい。ひょっとしたら、これから何かするつもりだったのかもしれないが――部員の行動に嘆息しながら、城山は靴を履いて外に出た。全く、困ったものだ。初めて出会ったときから変わらず、彼女たちには振り回されっぱなしである。

 それも含めて、どこか楽しいと思ってしまう自分もいることも、事実なのだが――その辺りについては苦笑しつつ、城山は外の空気を吸い込んだ。

 山梨の風は相変わらず冷たい。凛として澄んだ空気は、最初に来たときと変わらない。

 そして、間近には変わらぬ南アルプスの威容が――


「――!」


 と、そこで『ある曲』が閃いて、城山は息を呑んだ。

 生徒たちが目指さなければならないほど難易度が高く。

 雰囲気に合っており、コンクール向きの、部員たちの好きな曲。

 それらの条件を満たす曲が、ひとつあった。

 きょとんとする勝沼をよそに、城山はつぶやく。


「……『モンタニャールうた』」


 それは『プスタ』と同じ作曲家。

 ヤン・ヴァンデルロースト氏の描いた、山の民の曲だった。

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