嵐と共に歩む道

立ち込める暗雲

「それで、結局ものすごい量の野菜が家に届くことになったんですよ」


 仕事前日の飲み会で、城山匠しろやまたくみはここ最近起きた出来事を周囲にしゃべっていた。


「食費が浮いて、大助かりでした。白菜とか、鍋にしてもよし漬物にしてもよしで、重宝してます。聞いてます? 谷田貝やたがい先輩」

「聞いてる、聞いてるよ。というかおまえ、料理とかしたんだな」

「僕だって一人暮らし長いですもの。料理くらいします」


 酔っぱらって軽く絡み酒っぽくなってしまったが、谷田貝慊人やたがいあきとは迷惑そうにしながらも相槌を打ってくれた。

 今日は、以前に谷田貝から頼まれていた本番の打ち合わせだった。

 その帰りに景気づけとして飲み会が設定され、メンバー総出でやってきたのである。城山、谷田貝、その他にもいつも顔を合わせる面子がそろっている。

 わりと城山は酔っぱらっているが、本番の前の日に深酒をして大丈夫かと心配する者はここにはいない。音大時代の飲み会はもっと激しかったし、このくらいで演奏に支障が出るようならそもそもプロになどなっていないからだ。

 楽器をやっている人間に酒好きが多いのも理由のひとつである。一説によれば、酔っぱらったときの酩酊感が、楽器を吹いているときの感覚に似ているとか、なんとか――とにかく、飲み続ける城山を止める者は誰もいなかった。

 そして彼の立て板に水がごときしゃべりを止める者も。若干のうんざりした空気は漂っているが、城山は構わず上機嫌で続ける。


「あれ以来、山梨で小さな本番をいくつか頼まれたりもして、ありがたい限りです。額は少ないですけど、やっぱり野菜とかもらったりしますし。件数をこなせばそれなりの収入にもなりますし。この間、久しぶりにお肉を買って鍋にしたんですよ。あれ美味しかったなあ」

「順調なようで何よりだよ。おまえにあの学校を紹介したかいがあったってもんだ」


 ふにゃふにゃと笑いながら言う城山に、グラスを傾けつつ谷田貝が応じる。

 山梨鳴沢女子高への指導の話は、谷田貝が後輩の城山へと譲ったものだ。その後輩が地道ながらも着々と信頼を築き上げている様子は、先輩として祝福すべきものだろう。

 少なくとも、表向きは。口元に笑みを浮かべつつも目が笑っていない谷田貝に気づかないまま、城山は頭を下げた。


「そうですね。谷田貝先輩のおかげです、ありがとうございます。おかげで年を越せました」

「おう、何よりだ」

「あ、僕ちょっとトイレ行ってきますね」

「……ああ」


 酔って顔を赤くしたまま城山は、ふらふらと席を離れていく。

 そんな後輩を見送って谷田貝は、またグラスを傾けた。無言で酒をあおる彼に、その場にいたメンバーのひとりがボソリと言う。


「……谷田貝さん。最近あいつ、生意気じゃないですか?」

「まあな」

「ヘラヘラしやがって。なにが鍋が美味かっただよ……」

「立場ってもんを思い知らせてやりませんと。ねえ、谷田貝さん。明日の本番ですけど――」


 そして、残された面々は計画を練り始める。

 ひとりだけ抜けた若き音楽家に恥をかかせてやろうと。

 明日の本番について、再度の打ち合わせが始まった。



 ###



 翌日、本番を迎えた城山が覚えたのは、かすかな違和感だった。


 ――あれ?


 トロンボーン四重奏の本番。

 決められた曲をやる公演。だからこそプログラムに載っている曲に変更はない。

 だが、他の三人の吹き方が昨日とはまるで違うのだ。

 城山以外の三人は、ニュアンスをそろえて吹いている。ただ、その動きはリハーサルとは違う――聞かされていなかった音が聞こえて、スライドを動かす城山の手に戸惑いが生まれた。

 打ち合わせにない内容。

 しかも、自分だけがそれを知らされていない。

 四人で吹いてはいるが、実質的には三対一だった。聞く人が聞けば、客席では城山の音だけが浮いているように感じられるだろう。

 この分だと、他の曲もスタイルを変えられているに違いない。下手をすれば全員が呼吸をそろえるべきところで、ひとりだけが飛び出すといった大事故も起きかねなかった。


 昨日の飲み会のときか――と唯一席を外した時間帯を思い出し、城山は息をつく。

 タイミングがあったとすればあそこだろう。なんらかの理由で、先輩方は自分をつまはじきにしたのだ。


 普通だったら慌てる場面ではある。

 ただ幸いなことにというか残念なことにというか。

 城山匠は、普通ではなかった。


 ――よし!


 しばらく他の三人の演奏を観察していた城山は、迷いを振り切ってスライドを動かし始めた。

 伊達にこちらもプロとして活動しているわけではない。周りの彼らの音を聞けば、どんな主張に基づいてどう吹こうとしているのか、ある程度の察しはつく。

 時代、背景、作曲者、編曲者。

 ベースとなる知識が同じなら、リアルタイムに寄せていくことは不可能ではない。そして可能にできるだけの実力が、城山には備わっていた。

 ルールが変えられたのなら、次のルールを読み取って吹いていくまで。

 彼らも素人ではない。必ず一定の法則に従って動いている。

 ならば自分の吹き方をその解釈どおりにし、あとは最後まで気を抜かず、演奏を続けるだけだ――というのも少しつまらなかったので、お返しに城山はアドリブの動きを入れた。

 ところどころ、こうしたら面白いだろうな、という茶目っ気をプラスして。すると一緒に吹いていたメンバーのひとりが慌てて、吹くべきフレーズをひとつ落とす。

 吹きながら睨まれるが、城山としてはしてやったりである。教えに行っている学校の打楽器の部員に言ったように、トロンボーン奏者というのはイタズラ好きなのだ。このくらい許してもらわないと困る。


 生き物のような演奏は、嵐のようにうねり。

 スリリングな中を、火花を散らして進んでいった。



 ###



「あいつなんなんですかマジで……! ムカつく……!」


 そして、演奏が終わった後の舞台裏で。

 城山を抜いた三人は、荒れた雰囲気で話し合っていた。


「こっちに合わせてくるならまだしも、アドリブ入れるだと⁉ ふざけやがって……」

「まあ、あいつの実力からすれば予想してしかるべき結果だったな」


 椅子を蹴り飛ばしかねない勢いで怒鳴るメンバーに、谷田貝はタバコを吸いつつ冷静に返していた。

 紫煙のくゆる先に目をやりつつ、谷田貝は続ける。


「この中で一番上手いやつっていったら、まごうことなく城山匠だよ。それは認めようぜ」

「けど、谷田貝さん……!」

「あいつが引っ掻き回してくれたおかげで、今日の演奏は盛り上がったよ。次もよろしくって言われてる。俺たちはプロだからな、そのくらいがちょうどいいのさ」


 悔しげにメンバーのひとりが食い下がるのを、谷田貝は一蹴した。昨日、こうなることを承知の上でスタイルを変えることを見逃した理由はここにある。

 城山のように生きのいい奏者がいれば、おのずと仕事が回ってくるのだ。

 やっかみの自業自得で怪我をした人間になど、興味はない。谷田貝はまだ文句を言っているメンバーから視線を外し、城山が去っていった扉を見やる。


「実力もある。才能もある。外見もいい。性格も悪くねえ」


 後輩のことを評し、谷田貝は笑みを浮かべてそう言った。

 それは城山の正当な評価であり、彼なりの賛辞でもある。音楽的な実力であれば、後輩の方がはるかに上だ。谷田貝自身、とっくにそのことは認めていた。

 だが――人間との付き合い方であれば、どうだろう?


「だから今まで一緒にやってやってたんだがよ――こりゃ、付き合い方を変えていかなきゃならねえなあ」


 野菜をもらった、などと無邪気に言っていた後輩の顔を思い浮かべ。

 谷田貝は顔を歪め、そして持っていたタバコの火を消し潰した。

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