聖者の行進
マイクは自分で用意してください、と言われたのでセッティングをし、電源を入れる。
教えに言っている学校の、体育館。そこで
周囲には観客。物珍しそうに地元の人々が、舞台にいる城山を眺めている。
大半が今日初めて会う人たちだ。だがその中に、ここ最近でよく話すようになった人間がいるのを城山は知っていた。
そして、
クリスマスも間近に迫った時期の体育館は、とても寒い。
だけど、雰囲気はとても温かい。外から来た人間にも平等に、風は流れていく。
まるで澄んだ高山のような空気の中、城山はマイクのセットを終えて立ち上がった。まあ、このマイクは演奏のためではなく、しゃべるとき用に使うのだけれども――今回は、完成度の高い演奏をするのではなく聞き手に楽しんでもらうのが目的なのだ。盛り上がる本番になるよう、ギアを切り替えて心の中で話すことを確認し、前を向く。
少しだけテンションを上げて。
不器用ながらもなじめるよう、笑顔を浮かべて。
城山は集まった人たちに、改めて挨拶した。
『みなさん、こんにちは。僕は城山匠といいます。これからみなさんに、楽しい音楽をお届けしたいと思います』
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スイッチが入ってしまえば、あとは本番モードで進んでいくのが音楽家である。
なので城山は、目の前にいる多くの人々に向かって淀みなく自己紹介をした。
『僕は最近この学校の吹奏楽部に呼ばれて、指揮者を始めました。元々は演奏をやっている身でして、こうしてこの場にお呼ばれすることになったわけです』
相手が何者かも分からないうちにいきなり演奏を繰り広げても、音は耳に入ってこない。
なので最初のしゃべりは念入りに。身近に感じてもらえるように――未知の何かにも、興味を持ってもらえるように。
こちらのステージと、相手のステージをつなげるように。そう思って城山が自分のことを口にすれば、観客からは「ああ、綾子ちゃんのとこの」「ちょっと前にものすごい男前が来たって聞いてたけど、この人がそうなんだねえ」「うちの子がそういえば、話してたなあ」と声があがる。
どうやら少しは、この二か月で自分もこの地に
存在を認めてもらえていたらしい――それが分かって、少し嬉しく思いつつ城山は持った楽器を軽く掲げる。
『そして、これが僕の楽器、トロンボーンです。伸びたり縮んだりして音程を変える楽器です。どんな音がするかというと――っと』
いったんマイクをスタンドに置き、楽器を構えて城山はスライドを動かした。
びゅおーん、と爆音を出す。わりと音出しも兼ねている。
『車の通り過ぎる音』
と言うと、少し笑いが漏れた。
単純な構造をしているだけに、割れた音から教会音楽まで様々な音色が出せるのがこの楽器だ。
それだけに、吹ける曲も幅広い。今回はその中から、かなり親しみやすい部類の曲を選んできた。
『では、クリスマスも近いですし、まず今日は「サンタが街にやってくる」を。タイトルと結びつかなくても、聞けば絶対分かる曲です。さあ、鈴の音が聞こえてきました――』
遠くからソリがすべってくるような音が聞こえる――わけではないけれども、そんな雰囲気でもって。
城山は、楽器を吹き始めた。
この辺り、打楽器の瑠美に演出を頼めばよかっただろうか。まあ、次の機会があればやってみよう。
イタズラをした子にあげるプレゼントはないけれど、手伝ってくれるなら考えてもいい。そんなことを、英語版の歌詞を思い浮かべながら城山は考えていた。この曲は元々アメリカで作られたものであり、歌詞にも英語版と日本語版が存在する。
二つの言っていることは少し違うが、どちらでも好きな方を思い浮かべてくれればいいだろう。受け取る人間の数だけ正解があって、城山にはそれを強制する権利などない。
ただこの曲を聞いて、何かを感じてもらえればそれでいいのだ。価値があるとすればそこにある。
仕事でもあり、好きなことでもある――とチラリと城山は、同じ楽器の吹き手である千里を見る。彼女にしてみればこの演奏は、それこそクリスマスプレゼントのようなものかもしれない。
同じ楽器のプロ奏者の生演奏などなかなか聞けないと、わざわざ足を運んでくれた部長だ。参考にしたいらしく千里は、城山のことをじっと見つめていた。
あれ、すると僕がサンタという扱いになるのか、と城山は内心で首を傾げた。そんなつもりはなかったが、彼女は自分が赤い服を着た聖人に見えているのだろうか。
こちらはただただ、勉強熱心だなあ、と生徒の眼差しに感心するばかりなのだが。しかし仮に自分がサンタのような存在だとしたら、彼女たちには何を届けに来たのだろうかとも思う。
コンクールでの金賞。
それ以上の、『いい演奏』。
はたまた、もっと別の何か――誰かの心を動かすものを携えて、城山は曲を吹き続ける。
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ひとりでずっとしゃべっては吹いては大変だが、それだけにやりがいもあった。
自分だけでステージひとつを続ける重圧は、ひるがえせば空気感がダイレクトに伝わってくる楽しさでもある。
その中で城山は、最後となる曲を演奏していた。『聖者の行進』。クリスマスソングとは少し違うが、陽気でジャズチックな曲調はこの場にふさわしいものだ。
少しアレンジを加えて自身も楽しみつつ、観客へと音を届けていく。既に硬い空気は微塵も漂っておらず、会場の人間は曲に聞き入っていた。
賑やかな演奏の中で、誰かが手拍子を入れ始める。ありがたいことだ、と思いつつ城山はスライドを動かした。昨日まで知らなかった人たちが、この本番を通して自分のことを気にかけてくれる。
長い音は伸びやかに、短い音は歯切れよく。
存分に聞かせたところで、演奏は終わった。
拍手の中で、城山は晴れやかな気分で息をつき、礼をする。久しぶりの、満ち足りた本番だった。
吹き続けてこんなに寒いのに汗まみれだが、それでもやってよかったという気持ちにあふれている。
「先生、おつかれさまー!」
「よかったです。マジで」
「かっこよかったです……!」
生徒たち三人も、それぞれ城山の元に駆け寄ってきた。目の輝きとはしゃぎっぷりから、彼女たちが本気で感動してくれたのだと分かる。
城山の口からも素直に「ありがとう」という言葉が出た。喉はカラカラで、なかなか大きな声も出せないけれど言えてよかった。
そして未成年の手前言えないが、今ビールを飲んだらとんでもなく美味しいんだろうなあ、とも思う。今日くらいは買って帰ろうか。帰りは電車だし――と、城山が、駅まで送ってくれる顧問の先生の方へと顔を向けると。
顧問の勝沼は、知り合いであろう女性としゃべっていた。
「……あれ?」
しかも勝沼は、笑顔で城山の方を指差している。
何事か――と彼が首を傾げれば、勝沼と話していた女性は、ずんずんとこちらに近寄ってきた。
そして。
「よかったわぁー! 感動しちゃった!」
「あ、ありがとうございます……」
見知らぬ女性に大声で詰め寄られて、城山は驚いて身をのけぞらせた。
もう少し距離感が近ければ、握手でも求められそうな雰囲気である。ああ、そんなに喜んでくれたのか、嬉しいな――と思いつつ、同時に驚きすぎて城山は、女性の勢いに固まっていた。
「もう、なんていうの? 素敵! 綺麗! いいわね~楽器って。また聞きたいわ!」
「はい、そのときはぜひ……」
「あ、これそこで売ってたクッキーなんだけど、よかったら食べて! これ!」
「あ、ありがとうございます……」
嵐のような言葉と純粋なる好意に、差し出されたクッキーを受け取るしかない。
おまえはご婦人方にウケがいい――と、大学の先輩に言われたことが頭をよぎる。ただ、ここまで直接的に来られたのは初めてだった。
なんだったんだとクッキーを片手に城山が呆然としていると、さらに別の演奏を聞いていた人々が話しかけてきた。
「おう、よかったよ兄ちゃん。来年もよろしくな」
「すごかったです! いつもはどこで演奏されてるんですか?」
「しっかし細いわねえ。ちゃんと食べてる? これ、あげるわ」
「あ、ありがとうございます……」
次々とかけられる言葉に、もはやそんな反応しかできない。
ついでに強引に渡されたちまきに、きょとんとするしかない。帰りに電車で食べよう――とパックに入った笹の葉おにぎりを見つめていると、他の人たちも色々と持ち出してくる。
「なんだ、食い物足りてねえのか? じゃあこれやるよ。ウチでとれた大根なんだけど」
「は、はい」
「若い人にはたくさん食べてもらわないとね! はい、ウチのイチゴ」
「ごぼう」
「にんじん」
「白菜」
「かっ……勝沼先生ー⁉ 勝沼先生ー⁉ 助けてくださいー⁉」
あれもこれもと渡される地元の品にさすがに助けを求めた。だが勝沼は、そんな城山をほっこりした目で見て言ってくる。
「大丈夫です。駅まで送ってあげますから」
「そういう問題じゃない⁉ そういう問題じゃないんです⁉ ああもう、二人とも品物の受付を始めないで⁉」
渡されるものの整理と受付を始めた千里と瑠美に、突っ込みを入れざるを得ない。
まるでアイドルの握手会ではないか。いやまあ、もみくちゃにされるより、行列に並ぶように言ってもらえる方が非常にありがたいのだが――と城山が別の意味で焦っていると、舞がクスクスと笑いながら言ってきた。
「いいじゃないですか。ありがたく受け取っておきましょうよ」
「そうだけど……いいのかな、こんなに」
「わたしはその分だけ先生が、ここに受け入れてもらえたみたいで嬉しいです」
外から来た人間でも、この学校の人だって思ってくれたんだから――と、同じく山梨の外からやってきた彼女は言う。
既に持ちきれないほどの量のプレゼントが、城山の足元に詰まれていた。持ち帰るとしたら確実に宅急便を使うことになるだろう。段ボールで野菜が届くとか、どこの実家からの仕送りだろうか。
「ああ――でもそうか、実家みたい、か」
土の匂いのする品物を見て、城山は降参して苦笑した。
そのくらい受け入れてもらえたのなら、演奏者冥利に尽きる。
温かい空気の中、向けられる笑顔を気恥ずかしく思いながらも礼を返していく。
今はただ、この地の一員になれたことを素直に喜ぶべきだろう。
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