山びこのきもち
クリスマスコンサート当日。
今回は城山個人で引き受けた依頼なので、案内をしてもらう顧問の先生以外に、知り合いはいないはずだった――のだが。
「まあ、やっぱりキミたちも来るよね……」
「当たり前じゃないですか。せっかくの同じ楽器のプロの先生の生演奏聞ける機会ですもん」
目の前に吹奏楽部部長の
千里の隣にはもちろん、彼女と同い年の
「ボクはなんか、面白そうだったから来ました」
「わたしはちょっと責任を感じてしまいまして。見届けようかと……」
「ああもう。分かりました分かりました。どうぞ聞いていってください」
能天気に遊びに来た瑠美と、この依頼を引き受けるきっかけになった舞に、城山は半ばヤケクソになって返事をした。好きにすればいいのだ。どうせ見せる仕事なのだし、満足いくまで思う存分見学していけばいい。
遅かれ早かれ、彼女たちの前で演奏する機会はやってきたはずなのだから。なら、この山梨での初本番を見られても別にいいじゃないか――と、少しだけ気恥ずかしい気持ちで城山が思っていると。
今のやり取りを見ていた顧問の
「では、主催者の方に挨拶をしに行きましょうか。ご案内しますね」
「よろしくお願いします」
ぺこりと一礼して、城山は勝沼の後についていった。
後ろにはもちろん、女子高生三人もついてきている。
「あー。先生の靴ボロボロじゃないですか。だめですよ、できる男は靴からっていうじゃないですか。仕事がほしいならせめて靴は綺麗にしとかないと」
「足元を見られるっていうのかな。服は安物でも靴はいいものを履いた方がいいっていうよね」
「いつもは音楽室でスリッパだから、気づかなかったねー」
「キミたち、応援しに来たのか邪魔しに来たのか、どっちなんですか?」
バザーが行われているという話は聞いてたが、会場は城山が想像していた以上に賑わっていた。
床にはシートが引かれ、各ブースでは服や雑貨等、様々なものが売られている。
体育館用の暖房も使われていて、隅の方では野菜販売も行われていた。
行き交う人々も多い。年末のアメ横とかはこういった感じなのだろうか、と城山がきょろきょろと辺りを見回していると、勝沼が言う。
「学校の防災用品の点検も兼ねてるんです。あとは野菜を直売したい農家さんとか、年末前に掃除して出てきたものを片づけたい人たちとかが集まって、いつの間にかこんなに大規模に」
「なるほど」
地域に密着した行事とは聞いていたが、それは本当だったようだ。
そんなところに東京から来た若造が飛び込んでいいものか、という思いは未だ抜けないが、頼まれた以上はやるしかない。
一応事前にどんな曲がいいかは聞いてある。誰もが一度は聞いたことのあるような、親しみやすい曲を中心に選び、練習してきた。
あとは本番に臨むのみだ。肩にかけた楽器を担ぎ直す。すると、千里が話しかけてきた。
「城山先生、ひょっとして緊張してます?」
「シてません」
声が裏返った。
やってしまったと思わず城山が口元を覆うと、千里はカラカラと笑って言ってくる。
「プロの人でも緊張するんですね。てっきりしないのかと思ってました」
「いつだって緊張しますよ。しない人なんていません」
観念して正直なところを告白する。腕には自信があるので演奏の失敗についての心配はない。
ただしその演奏が受け入れられるかといえば、また別なのだ。初めての場所というのはそういう意味で空気が読み切れない分、どうしても緊張する。
お金をもらって演奏をするのだから、なおさらだ。プロというのはそういうものである――と、いつか誰かから聞いた責任感についての言葉を思い出していると、千里は笑って言った。
「そんなに緊張しなくても、あたしたちは楽しいから大丈夫ですよ」
「そうそう。楽しいの大事。そうだ、先生の本番用の楽譜もホッチキスで留めてやろうかな」
「瑠美ちゃん、やめてあげなよ……」
「……楽しいのが大事、か」
三人娘のやり取りを聞き、城山は気になった単語をぽつりとつぶやく。
楽しいのが大事。それは、期待に応えなければならないという責任感よりも大きく、胸にせまる言葉だった。
この場にいる人に楽しんでもらうのが、今回の仕事の一番のミッションだ。
演奏の出来不出来に関わらず、自分がこれから為すべきことはそれである。ちなみに全部楽譜は覚えているので、またホッチキスで楽譜が閉じられたところで問題はない。
だが、そんな他愛ない会話で少し、緊張がほぐれたことは確かだった。
あたしたちは楽しいから。そう言ってくれる彼女たちに喜んでもらえるように、今日の本番は吹けばいい。
何もなかったはずの場所に、小さな足場ができた気分だった。「平気ですよ」と声をかけてくる舞に小さく笑ってうなずき、城山はさらに会場を進む。
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イベント主催者に挨拶を済ませ、時間まで会場を見て回ることにした城山に。
「なんだか無理を言って引き受けてもらっちゃって、すみません」
そう声をかけてきたのは、勝沼だった。
「この前は、なんとかしなくちゃと思って勢いで、城山さんに話を振ってしまいましたが……ひと月経って冷静になってみると、ちょっと強引だったかなあ、と」
「あ、いえ。とんでもないです。むしろ連れ出してもらってありがとうという感じです」
対して城山といえば、もうすっかり状況を受け入れて野菜を買おうかなあ、なんて考えていたくらいだった。
白菜が安いが、電車では持って帰れないのでさすがにどうか、と思っていたところである。名残惜しいが諦めることにして、城山は息をつく。
「強引にでも違うものに目を向けさせてもらったこと、感謝してますよ。やれることをひとつずつやっていこうって、そういう気持ちになれましたから」
人間扱いされない本番や貧乏暮らしが続いて、知らない間に自分は焦っていたのかもしれない。
プロとして結果を出さねば、という思いに取りつかれて、聞く人の気持ちを考えることを忘れていた。
本来音楽というのは、受け取り手がいて初めて成り立つものだ。誰もいない場所で小さく口ずさむ歌も乙なものだが、それだって自分で自分に向けているようなものである。
出した音が誰かの心に届き、何かの変化が起きたとき、音楽の意味が生まれる。
反応までもらえれば万々歳だ。拍手でも罵倒でも、何かが返ってくればそれだけで、やった価値はあったと思えるのだから。
まるで山びこのように、返ってきた声で自分の居場所を確認する。
「勝沼先生と、甲斐さんや鰍沢さん、茅ヶ岳さんたちのおかげです。お先真っ暗だった僕は、みなさんのおかげで多少はマシになれました」
「城山さん……」
「だから今日は、その恩返しをしようと思うんです」
そう言って城山は、少し離れたところにいる三人の部員たちを見た。
彼女たちは何やら凝った手作りアクセサリーらしきものを前に、ああでもないこうでもないと話し合っている。箸が転んでもおかしい年頃というのだろうか。あの子たちはいつも、ああして笑っている印象があった。
その中でも城山が気にしたのは、やはり転校生である舞だ。
先日周りとのズレを感じる、と相談してきた生徒。だが彼女は、今は友達と屈託なくしゃべっていた。なんだ、大丈夫じゃないかとその笑顔を見て城山は思う。
ひょっとしたら舞も内心ではここになじんでいこうと一生懸命なのかもしれないが、傍から見た感じそういった雰囲気はない。
むしろごく自然にそこにいるように見える。山の音――この間、この学校の音は例えるなら南アルプスだと彼女と話したが、今ならその音が出せるのではないか。そう思わせる光景だった。
「『気にかけてくれているという事実を、どう受け止めて、気持ちを返していくかではないか』――」
ならば、負けてはいられない。
共にこの地になじんでいこうと言ったのだ。生徒ばかりに先を行かれてはたまらない。
そして、自分がどうやってこの気持ちを返していくかといえば。
それはやはり、音楽によってなのだ。
「僕、今日の本番ちょっとがんばってみようと思います。だから四人で見ててください」
仕事として、先生として、何より『城山匠』個人として。
この先を一歩一歩踏みしめていこうと、これから登るステージを、城山は真っすぐに見据えた。
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