外から来た者同士

「わたしの音、浮いてないでしょうか……?」


 そう城山匠しろやまたくみに訊いてきたのは、クラリネットの部員である茅ヶ岳舞かやがたけまいだった。

 茶色がかったセミロングの髪に、色素の薄い肌。

 どこか儚げな瞳は、浮かべた表情と口にした不安のせいか、薄く曇っている。

 音が浮いていないか――合奏の中で、自分の音が悪目立ちしていないかと問う生徒に、城山は頬をかいた。

 確かに、先月と今日の演奏で、舞の音はたまに不安定になることがあった。

 しかし、それは――と、城山は思い当たる理由を言う。


「それは、自分が転校してきた人間だからだと思ってる?」

「あ……もう聞いてたんですね」

「打楽器の鰍沢かじかざわさんから。去年、キミが関東から転校してきたって」

「そうですか。瑠美るみちゃんが……」


 城山がやってきた初日に、盛大なイタズラを仕掛けてきた部員。

 彼女からある程度、舞の事情は聞いている。埼玉からこの山梨に引っ越してきたということ。以前もどこかの学校で楽器を吹いていたということ。

 ただ、直接こうして話すのは初めてなだけに、城山としてはもう少し詳しい話を聞きたかった。

 本人から出てくる情報もまた、彼女の持つ疑問を解決する手掛かりになるだろうだから。そう思って先を促す先生に、舞は続ける。


「はい。去年、両親の仕事の都合で引っ越してきました。部活にも入って、みんなとも話せるようになって――でも時々、みんなの音と自分の音が、全然なじんでないように聞こえるんです」


 合奏をしていると、自分の音が浮いて聞こえる。

 それがとても、不安になる――ちゃんと周りに溶け込めているか。演奏の邪魔になっていないか。

 自分はいつまで経っても、異物のままではないか。

 頭の中にそんな考えがかすめるのだ、という舞は、問いを重ねてきた。


「城山先生には、この学校の音がどんな風に聞こえますか?」

「何か、と例えるならば、やっぱり『山の音』だね。澄んだ空気の漂う、大きな山みたいな」


 普通の人間だったら答えに詰まるような質問に、城山は即答した。

 そして彼は、窓の外を見やる。山梨の美しい山々の景色は、初めて来たときと同じく身近にあった。

 県民性という言葉があるように、人は生まれ育った環境に少なからず影響を受ける。

 それと同じで、音というのもどうしても地域性が出るのだ。気候、話し方、気性にもよるというが原因は定かではない。

 しかし確実なのは、やはり生まれ育った地方によって違いはある、ということで――。

 山梨鳴沢女子高の音は、どこか身近にある南アルプスを連想させるものだった。険しく冷たく、だがどこまでも澄んだ空気を吹かせる綺麗な山。

 思えば部員たちの性格も、そんなようなものである。存在感は非常に大きく、ずけずけと物を言ってくるが根底にある思想はひたすらに素直だ。


 だが舞は、そうではない。

 うつむきがちに質問をしてくる態度は、城山がこの学校に来てから会った誰とも違っていた。

 山の音になりきれない転校生。

 未だその位置から抜け出せない舞は、城山に「やっぱり、先生にもそう聞こえますか」と言う。


「生まれ育った環境って、やっぱり関係してくるんだと思います。でも、だとしたらわたしの音はどうしても違っていて……教えてください城山先生。わたし、どうしたらみんなとなじめますか?」

「うーん、そうだねえ」


 生徒のすがるような質問に、城山はどう返したものかと宙を見上げた。

 色々な考え方があるだろう。そんなの気にしなければいいというのもアリだし、違いは違いで受け入れればいいというのもアリだ。

 だが、舞はそれでは納得しないのだろうとも思った。

 そのような答えは出し尽くして、できなかったから彼女はこうして質問をしに来ている。

 そもそもそんな風に開き直れるなら、最初からこんな悩みなど抱えないものだ。

 だとしたら、他に何か――言い方がありそうなものだが、さて。

 しばし考えていた城山は、頭の中の言葉をまとめて舞に言った。


「僕の行ってた大学ってさ。結構いろんなところから、人が来てたんだよね」


 城山にとって多種多様な人間が集まる場、といえばやはり、通っていた学校だった。

 四年間通っていた音大。そこであったことを、彼は目の前の生徒に語る。


「関東だけじゃなくて、東海とか関西からも人は来てた。けど、案外とみんな馴染んでいて、学校での催しなんかでも違和感なくやれていたよ」

「でもそれは……みなさん、とても上手いからではないですか?」

「確かに技術的なものもあると思う。けれどそれだけじゃなくて、精神的なものも影響していたと思うんだ」


 思い返せば変人だらけではあった。

 今考えても頭が痛くなるほどの面子だ。だがそれだけに、変な遠慮というものが存在しなかった。


「キミもそうだよ、茅ヶ岳さん。技術的には十分なのだから、あとは気持ちの問題なのだと思う」


 崩れかけたソロを立て直すくらいのことができるのなら、基礎的なことはしっかりしているはずだ。

 ならば、あとは技術を支える気持ちの問題だ。自分は外部から来た人間なのだという引け目。それをどう捉えていくかの話になってくる。


「最初に、自分の音が浮いて聞こえるんじゃないかって僕に訊いたね、茅ヶ岳さん。答えはイエスだ。けれど、それはキミが臆病になって周りから引っ込んでしまったとき」

「え……」

「怖がって動けなくなってしまったとき、キミは本当の意味で悪目立ちしてしまう。だから、僕の答えは『出して合わせなさい』。そういうことになるのかな」


 この回答が開き直れというアドバイスと、どのくらい違っているのかは分からないが。

 ただ単に言葉を投げるよりは、受け入れる余地があったのではないか。目を見開いた生徒を見て、城山はそう思っていた。


「出して、合わせる……」

「そう。そしてもうひとつ、付け加えるならば」


 不思議そうにつぶやく舞の前で、城山は人差し指を立て、他の部員たちを指差した。

 音楽室で、合奏終わりにしゃべる生徒たち。

 その中にいる舞の同い年たちを――打楽器の鰍沢瑠美かじかざわるみと、部長の甲斐千里かいちさとを目で追って、城山は言う。


「彼女たちは、キミのことを既に仲間だと思っている」

「……あ」

「鰍沢さんはキミのことを気にかけていた。あと茅ヶ岳さん、僕にカノジョがいるかなって、冗談でも言った?」

「……言いました」

「じゃあ甲斐さんも確定だね。さっき僕に、部員が気にしてたから代表して聞いてみました、なんて言ってたし。

 まあ――なんだ。つまり、あの子らは結構、キミのことを気にかけてるんだよ。その気遣いがキミを逆に無意識にでも追い込んでしまったかもしれないけど。それでも、受け入れられていることは確かだ。あとは彼女たちの気持ちをキミがどう受け取って、返していくかってことじゃないかな」


 そうすればちょっとずつ、この部活にもなじんでいけるんじゃないかな――と城山が言うと、舞は「はい……!」と涙をこぼしそうになりながらうなずいた。

 みんな結構、言わないだけで考えてることや、悩んでることがあったんだなあ――と、舞や部員たちの姿を見て城山は思う。

 特に舞の悩みは、同じ外から来た人間として分からないでもない。

 順調にきているように見えても、城山もまだ来て日の浅い外部講師である。ちゃんと信頼関係が築けているか、そこまでの自信はない。

 自分は、本当にこの場になじめているのだろうか。

 そう己のことを振り返る城山に、吹奏楽部顧問の勝沼綾子かつぬまあやこが話しかけてきた。


「あ、いたいた城山さん! 今日言った、音楽関係のお仕事の話なんですけど、一件見つけましたよ!」

「えっ」


 思ったより早くやってきた機会に、むしろ城山の方が驚いた。

 この山梨で、音楽関連の本番がありそうなら紹介する――勝沼には、ほんの数時間前にそう言われていたわけだが。

 まさか、こんなにもすぐに声をかけられるとは。唖然とする城山に、勝沼は続けた。


「来月、この学校の体育館でクリスマスバザーが行われるんです。そのとき舞台で出し物をやったりする人もいるんですけど――主催者さんに生演奏どうですかって訊いてみたら、是非って言われて。お金も少しなら出せるっていうお話なんですけど、どうですか? やりません?」

「いやいやいや、それって思いっ切り地元の行事じゃないですか⁉」


 手を尽くしてくれたのはありがたいが、果たしてその本番は自分が出ていいものなのだろうか。

 東京から来た得体の知れない音楽家が、謎の楽器を吹くというのはアリなのだろうか。受け入れてもらえるものなのだろうか――そう言いかけて、城山は横からの視線にぐっと言葉を飲み込んだ。


「……気にかけてくれているという事実を、どう受け止めて、気持ちを返していくかではないかと……」

「ぐっ……」


 先ほど城山自身が言ったことを、舞がそのまま口にしてくる。

 とんだブーメランである。腹に突き刺さるくらいの衝撃を受けて、城山は声を詰まらせた。確かに、自分がこの地になじんでいくのに、この本番は避けてはならないものなのかもしれない。

 むしろ受けた方がいい。山梨鳴沢女子高の吹奏楽部に、ちょっと変わった先生がやってきた――そんな自己紹介をするくらいのノリで。


「わ、分かりました……! その本番、お受けします……!」

「本当ですか⁉ じゃあ私、連絡しておきますね!」

「よろしく、お願いします……」


 ほぼ勢いのままに返事をしてしまったが、それでよかったのかもしれなかった。

 悩み過ぎては、かえって返事もできなくなってしまうものだから。苦笑いで城山が隣を見れば、舞もまた苦笑いで隣の先生を見返していた。


「僕たちは、似た者同士なのかな……」

「かもしれないですね。変に遠慮しちゃうところなんか、特に」


 外から来た人間同士、妙な連帯感が芽生える。

 偉そうなことを言っても、自分のことになるとどうも、客観的には見られない。先生としてどうかと頭をかく城山だったが、舞にとってはそうでもなかったらしい。

 心強い味方を得た彼女は、先ほどより少し明るく笑い、言葉を紡ぐ。


「じゃあこれから、一緒にここになじんでいきましょうか。ね、城山先生」

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