イタズラは、これであいこ

 けれどまあ、先生として自覚は出てきたとして。

 音楽的にやらなくてはならないことはある。

 そう思って城山匠しろやまたくみは、用意してきたセロハンテープを鞄から取り出した。


「~~~っ⁉」


 結果、打楽器の部員が、合奏で必死に鳴らないタンバリンを振る羽目になるのだが、それはある意味自業自得である。


「自分のやったイタズラの意味が、これで分かったかな鰍沢瑠美かじかざわるみさん?」

「大人げない先生だった、くそう……」


 合奏の休憩中、声をかける城山に半眼を向けてきたのは、先日の合奏で城山の楽譜を全部ホッチキスで留めた鰍沢瑠美だ。

 打楽器パートの二年生。くせ毛気味の髪をショートカットにした、活動的な雰囲気の女子生徒。

 先月の練習では落ち着いて話す時間がなかったため、今日が面と向かって彼女と話す、最初の機会になる。

 その記念すべき第一回で、城山は瑠美に対して意地の悪い笑みを浮かべて言う。


「トロンボーン奏者っていうのは結構、イタズラ好きが多くてね。この間はお株を奪われた感じだったな」

「しかも案外と根に持つタイプだった……ネチネチしてやがる」

「いや、これでお互いチャラってことで。まあ、もう一回やられたら僕もやり返すけどね?」


 むくれる瑠美に肩をすくめて言うと、一応の休戦協定に納得してくれたのか彼女は反論を止め、楽器のテープを剥がし始めた。

 前回のホッチキス事件にならって、タンバリンのちゃりちゃり部分も丁寧に全部留めてある。

 爪を引っ掛けてひとつずつテープを剥がしていく瑠美に、城山は息をついて苦笑し、問いかけた。


「……なんで、あんなことしたんだい?」

「ちょっとした出来心だよ。からかって楽しみたかったっていうのはあるけれど。それ以上に、あれで怒って帰る先生だったら、来ない方がマシかなって思ってさ」


 ちらりと城山を見て答える瑠美は、その一瞥いちべつきり視線を楽器から動かさなかった。


「東京から来た先生だっていうけど、どんな人かなーと思って。変な人だったら帰ってもらおうと思ったんだ。もしおかしな先生だったら実力的には不満だけど、ボクたちとしては綾子先生の方がずっといい」

「なるほど。キミはキミなりにこの部活のことを考えたってわけか」

「そんな大層なもんじゃないよ。けど、まいっぴから関東のことは聞いてるからさ。怖い先生も来るのかもしれないなあって」

「舞っぴ?」

「あの子」


 言われて指差された方を城山が見れば、そこにはセミロングの髪の女子生徒がいた。

 初めてこの学校に来た日、ソロを吹いていたクラリネットの女子部員だ。

 瑠美の言い方からするに、彼女は純粋に山梨の生まれ育ちではないのだろう。

 どこかのタイミングでこの地にやってきた転校生、といったところだろうか。

 ああ、だからたまに、変に遠慮したように吹くのかな――と、前回の彼女の音を思い出して、城山が考えていると。

 瑠美は続ける。


「去年、埼玉から引っ越してきたんだ、舞っぴは。埼玉は西関東じゃものすごく強いし。厳しい学校にいたみたい」

「そっか。でも僕はそんなにうるさくやるつもりはないよ。まあ、言われればスパルタにやってもいいけど……にしてもまず、信頼関係を築きたい」

「こんなことしておいて?」

「お互い様だって言ったろう?」


 テープで留められたタンバリンを掲げて、瑠美は言う。

 それに対抗して持っていたスコアを持ち上げると、彼女はうっと声を詰まらせた。

 がっちりと楽譜には、ホッチキスの穴が残ってしまっている。

 渋面で城山と楽譜を見ていた瑠美は、やがて「……分かったよ。悪かったよ」とつぶやいた。


「試すような真似をしたのは、確かに失礼だったかもしれない。ごめんなさい」

「うん、僕も悪かった」


 素直に謝ってくる生徒に、城山も先生として謝った。

 彼女と本当にしたかった話は、これなのだ。

 もちろんイタズラの仕返しもしたかったし、仕掛けた理由も知りたかったけれど。

 一番やりたかったのは、ということだった。

 そうすれば今後も禍根を残さず、曲についてスムーズにやり取りできる。

 信頼関係を築ける――全体の合奏だけでなく、こうして奏者ひとりひとりと会話をするのも、指揮者の務めである。

 音楽的に、やらなくてはならないことでもある。外部講師としての務めをひとつ終え、城山は息をついた。練習の休憩時間も、もうすぐ終わりだ。


 今日はもう一度合奏をやって、部活は終わりになる。

 そしてセロテープも、もうすぐ剥がし終わるらしい。瑠美の手元でちゃりちゃりと音をたてるタンバリンを見て、城山はもうひとつ、自分の仕事を思い出した。


鰍沢かじかざわさん」

「瑠美でいいですよ先生。ていうかホント、全部くっつけやがりましたね。なんちゅう念の入れよう――」

「キミ、すごく上手いよ。次の合奏もいい音聞かせてね」

「――」


 思っていたことを言ったら、瑠美はひどく驚いたように目を見開いた。

 口を閉じ、彼女は楽器から視線を外しまじまじと城山を見つめる。

 そのまま初めて珍獣を目撃した、といった様子で瑠美は言った。


「……先生、天然だって言われたことありません?」

「あ、うん……何度か。いやしょっちゅう……周りからは言われたことあるけど。なんで?」

「ふーん。まあ、いい先生が来たなってことは分かりましたよ」


 城山の返答に、以前のように楽しげに笑って、瑠美は最後のセロテープを剥がした。

 シャラララン――と涼しげな音をたてるタンバリンを手に、彼女は言う。


「まあ、なんです。いずれにしよ、面白くなりそうですから――これからよろしくお願いします、城山先生」

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