僕たちは、プロの先生なのだ

「なるほどー。プロの奏者さんといってもなかなか厳しいんですねえ」


 学校への道すがら、城山匠しろやまたくみが車内で事情を話すと。

 山梨鳴沢なるさわ女子高の勝沼綾子かつぬまあやこは、納得したといったようにうなずいた。


 生活が厳しくて、学校に来るまでの電車賃すら事欠く状況だということ。

 さすがにキセルをしようとしたとまでは言わなかったが、困っていることには変わりなかった。

 ハンドルを持つ勝沼に、城山は沈痛な面持ちで言う。


「お恥ずかしい姿をお見せしました……」

「いえいえ! むしろそういうことでしたら、早く言っていただければよかったのに」


 この顧問の先生が来てくれたおかげで、無賃乗車をすることは免れた。

 学校からの指導料には、交通費も含まれている。前回は事後精算だったが、今回は先に払ってもらったのだ。

 おかげで改札越しにお金を受け渡しする、などという間抜けなやり取りをする羽目になったのだが。思い出して城山が顔を押さえてため息をつくと、勝沼は言う。


「城山さんくらいの実力があれば、引く手あまただと思うんですけど。そうでもないんですか」

「あるところにはあると思うんですけど……どうも僕は自分で仕事を見つけるのが苦手というか。世渡り下手なんですよね」

「ふうむ、そうなんですか」


 正直なところを答えると、音楽の先生は何かを考えるように首を傾げた。

 こんな不景気な話をしてしまって申し訳ない。そう城山が言いかけたところで。

 それよりも早く、勝沼は口を開く。


「じゃあ、私が城山さんの仕事探してきますよ!」

「は⁉」


 予想外の申し出に、城山は驚いて勝沼を見た。

 運転をしている顧問の先生は、もちろん若き音楽家のことなど見ていない。

 けれども、意識だけはばっちり向けられていて――向けられているのが分かって、戸惑う城山に勝沼は言う。


「山梨で何か音楽関係の本番がありそうでしたら、紹介します。できるだけうちの学校に指導に来てくれる日の前後とかに。そうすれば交通費の心配もいらないでしょう?」

「それはそれで、宿泊費とかの問題も出てくるのでは……?」

「その辺りは主催者の方と相談しましょう。まあ、あんまりお金を出せないのは事実ですけど……城山さんのお話を聞いていると、少しでも何かやっていた方がよさそうだから」


 家で生活に不安を抱え悶々としているより、謝礼は少なくても音楽に触れている方が良い。

 勝沼の言うことは、確かに正しいのかもしれなかった。動いているだけで気は紛れるし、家計の足しになる。

 しかし『ひとりでプロとして生きていく』ことにこだわっていた城山にとって、この提案は妥協というか、甘えではないかという気持ちもあった。

 わざわざ他人に動いてもらうのが、申し訳ないと思ったのもある。

 だが、背に腹は代えられぬ――ほんの数分前に電車代ですら払えなかったことを思い出し、城山は遠慮がちに勝沼に言った。


「……頼んでしまっても、いいんでしょうか」

「もちろん! 私は教師です。誰かの成長の手助けをするのが仕事ですから」

「……ありがとうございます。よろしくお願いします」


 お世話に、なります――と小さいながらもはっきりと言うと、勝沼はにっこりと笑って「はい。おねーさんにお任せください!」と返してきた。

 そういえば先日話していて分かったのだが、この顧問の先生は城山よりいくつか年上らしい。

 とはいっても、勝沼だってまだ二十代だろうが。教師という仕事を選んだだけあって、世話好きなようだった。


 城山を乗せて、勝沼の運転する車は山梨鳴沢女子高へと入っていく。

 前回と同じように受付を済ませ、音楽室に向かい。

 扉を開けたら、部員たちが城山のもとに笑顔で駆け寄ってきた。


「せんせー。今日も『プスタ』やるんでしょー?」

「あれから練習したから、この間よりは上手くなってるはずですよ」

「先生、この部分が吹けないんです。どうやったら吹けるようになるでしょうか?」

「……先生?」


 口々に言われるのに、城山は驚いて目をぱちくりさせた。

 中でも気になったのは、生徒たちが「先生、先生」と呼びかけてくることだ。

 きょとんとしていると、隣で勝沼がくすくすと笑って言う。


「先月、城山さんが来て合奏をしたとき、この子たちびっくりしちゃったみたいで。『すごい先生が来た!』って大騒ぎでしたよ」

「はあ。まあ、それは……よかった、です」

「だから、がんばってくださいね? 先生はみんなのヒーローなんですから」


 生徒たちみんな、次は城山先生はいつ来るんだ、いつ来るんだって楽しみにしてたんですから――という勝沼の言葉に、城山は改めて部員たちを見た。

 彼女たちは目をキラキラさせて、こちらを見ている。

 前回も不安や希望に揺らぐ眼差しを見せてくれたが、今日はそれをはるかに上回る眩しさに満ち溢れていた。

 そんな部員たちを前にしていると、キセルなんてしないで本当によかったなあ、と思う。


「先生、かあ……」


 こんな甲斐性のない男をそう呼んでくれるのであれば。

 期待には応えなければ。そう感じさせる光景だった。

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