やんちゃな女子高生との初めての対面
「私、専門は声楽で吹奏楽じゃないんですよ」
学校に向かう車中で、
「だから、楽器のことは教えようがなくて。ほとほと困って、誰か専門の方をと思って探していたんです」
「ああ、なるほど」
事情を大体察して、
勝沼は、これから城山が教えに行く学校、山梨
ちゃんとした音楽担当の教師なのに、どうして外部の人間を招くことにしたのか――それは、吹奏楽が彼女の専門外だったからだ。
ひとくちに音楽といっても、細かく分けると様々な分野がある。
作曲、声楽、吹奏楽――楽器にもピアノやサックスなどがあるように、同じ音楽でも多くの分野が存在する。
専門外のことを教えろというのは、ギター弾きの人間にドラムを叩けというのに近い。
けれども学校としては音楽の教師を、そう何人も雇うことなどできず――結果としてちゃんと教えられない先生が、顧問を任せられるという場合もままあるのだ。
「合唱部があればよかったんですけど、うちの高校にはないので……なんとか勉強して一年やってみたものの、無理だなあって思って。もっとあの子たちのこと、教えてあげられる先生がいたらいいなって」
「生徒さんのことを第一に考えてあげられる先生は、立派ですよ」
「いやあ、自分で育てようとすることをあきらめただけですよ」
でも、そう言ってもらえると気が楽です――と、勝沼はハンドルをきった。
車は駅を出て、彼女の勤務する高校へと向かっていく。
山梨の景色は相変わらず山だらけで、素朴なものだった。
その中に、ちらほらと街の姿が混ざり出した頃――吹奏楽部の顧問は、再び口を開く。
「上手くてやる気のある子たちばっかりなので、ちゃんと伸ばしてあげたいんです。私にできるのはそのくらいかなって」
「……やっぱりちゃんとした先生ですね。見習いたいです、僕も」
「お、おだてても何も出ないですよっ!」
照れたように叫ぶ勝沼だったが、顔はまんざらでもないといった笑みを浮かべていた。
外見とは裏腹にやはり芯のしっかりした女性なのだと、城山は運転席の勝沼のことを再認識する。
彼女自身は投げ出したなんて言っているが、自分の至らなさを素直に認めて得意な人に任せようとは、なかなかならないものだ。
大抵は意地を張って自力でなんとかしようとして、結局できなくて周りに迷惑をかける。
その辺りを割り切って行動したのは、本心からすごいと城山は思った。プライドの高さが邪魔をして、自分が同じ立場だったらできたかどうか。
きっとできないだろう。なら、その代わりに――この先生にできなかったことを、自分がやろう。
「これから会う生徒さんと、どんな演奏ができるか楽しみです。がんばります」
「ありがとうございます。みんなちょっとやんちゃですけど、根は素直な子たちですから。きっと仲良くなれると思いますよ」
改めて城山が宣言すると、勝沼はやはり嬉しそうに笑った。
普段彼女が接している生徒たちは、一体どんな感じなのだろうと城山は思う。
話に聞くところによると、山梨鳴沢女子高校は県大会で銀賞、県代表にはここ数年なれていないくらいのレベルだということだった。
ならば顧問の先生の言うとおり、部員たちに地力はあるはずだ。
あと少しの壁を破るために、必要な人材を求めている。ちょっとやんちゃ、という表現は気になるが――まあ、高校生の女の子なのだ。音大の生徒たちのように、酔っぱらってアイアンクローをかましてきたりはしないだろう。
たぶん。飲み会の席で打楽器の先輩に頭を握りつぶされそうになったことを思い出して城山が渋い顔をしていると、運転席で勝沼が言う。
「はい、着きました」
窓の外を見れば、山梨の美しい山々をバックに。
三階建ての校舎がそびえたっていた。
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学校の音楽室は最上階、という例にもれず。
山梨鳴沢女子高校の音楽室も、三階の隅にあった。案内をされて城山は、勝沼と一緒に音楽室、隣の音楽準備室に入る。
「もう少しでみんな来ると思います。それまでここで待っててください」
「はい」
教材用のギターや観葉植物、楽譜や写真などが置いてあって、音楽準備室は全体的に雑多な雰囲気だ。
それら色々なものを見回して、懐かしいなあ、と城山は高校時代のことを思い出していた。
音大に行ったので楽器自体は触れ続けていたが、こうした学校の音楽室というのは久しぶりだ。
きょろきょろと周りを見ていると、勝沼がお茶を出してくる。
「ええと、今日は何をお願いしようかと思っていたんですけど。城山さんには、一度みんなの指揮を振ってもらえたらなと思って」
「指揮ですね。分かりました。確かに状態を見るには、それが一番手っ取り早いですしね」
「わ、わあ。全然慌てたりしないんですね……すごい」
初対面の大勢の人間の前にいきなり立ってください、と言われても物怖じしない城山に、逆に勝沼が気圧されていた。
しかし外部講師として呼ばれた彼としては、とっくに覚悟していたことでもある。指揮というのは人前に立つ仕事だし、頼まれて来たのだから今さら嫌だなんて言わない。
もちろん不安はあるが、できるだけの準備はしてきた。
大抵の曲には対応する自信がある。「ううん、さすがその道のプロって感じです」とうなる顧問の先生に、城山は質問をする。
「今は、どんな曲をやってらっしゃるんですか?」
「ああ、『プスタ』です。生徒たちに聞きました。すごく有名な曲なんですよね?」
「ですね。いい曲です」
吹奏楽としては非常に有名な曲になる。作曲者、ヤン・ヴァンデルロースト――業界では知らない者がいないほどの世界的作曲者の曲だ。
懐かしいな、昔やったなあと、城山はかつて演奏したときのことを振り返っていた。難易度だけ見れば低い方であるものの、エキゾチックな雰囲気がとても魅力的な曲だ。
今は秋から冬になる頃合い。となれば三年生は引退し、残された後輩たちでやっていく時期になる。
じっくり基礎からやっていこうという気概が、選曲から透けて見えた。その方針には非常に好感が持てる。
やる気があるという言葉に嘘はなさそうだ。
「準備ができたら呼んでください。僕も音出ししてますので」
吹いて教える機会もあるだろうと、楽器も持ってきてある。
ケースから楽器を出して練習を始める城山を、勝沼はやはり、尊敬のまなざしで見つめていた。
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準備ができた、と呼ばれて音楽室に行ってみれば、迎えてくれたのは女子部員たちの黄色い声だった。
「やばーい、まじイケメーン!」
「かっこいいー!」
「若ーい!」
きゃあきゃあと騒ぐ女子部員たちに気圧されつつも、城山はぺこりと頭を下げる。今まで散々周囲に言われてきたが、城山匠、見てくれだけは非常に整っているのだ。
もっとも、本人としてはやっかみを受けたりトラブルに巻き込まれたりと、ロクな目に遭ったことがないのでコンプレックスのひとつなのだが。
できるなら顔を隠して過ごしたい、とポロっとうっかり言ってしまい、同年代からリンチにされかけたのは苦い思い出である。
元気のいい女子高生たちに対して頬を引きつらせていると、勝沼が生徒たちに声をかける。
「こらー! みんな、騒がないの! 確かに私も最初に会ったとき、あんまりかっこよくてびっくりしちゃったけど!」
「初めに目が合ったときの妙な間はそういうことだったんですか、勝沼先生……」
駅で出会ったとき、勝沼は驚いたように目を見開いていたが、つまりはそういう理由だったようだ。
本当なら外見ではなく実力で評価してほしいところだが、人は見た目に騙される生き物である。それを利用するくらいの気持ちでいけ――と、大学の先輩は言っていたけれど。
「城山匠です。去年音大を卒業して、今は演奏活動などをしています。専攻楽器はトロンボーン。よろしくお願いします」
この歓声の嵐をだますような真似はしたくない。
下心をもって接したくないのだ。相手は自分より年下の女の子たちなのだから――そう思って、城山は生徒たちに向かって真っすぐに挨拶をした。
若者らしく潔癖だと言いたければ言えばいい。
けれどもどうしても、この一線は守らなくてはならないのだ。人間として、先生として。
これからこの子たちの前で、胸を張って指揮をしていくために、自分に誇れる自分でなくてはならない。
今日がその最初の一歩である。そして何事も、初めが肝心――これから始まる合奏で、彼女たちに『顔がいいお兄さん』ではなく『自分たちに教えに来た指揮者の先生』と思ってもらうのが重要だ。
勝沼の声に従って、部員たちは合奏の準備を始める。指揮台の上からその様子を眺めれば、確かに色々な子がいるようだった。
落ち着きなくソワソワしている子、逆にどんと構えている子、楽譜に目を走らせている子。
これから合奏で、どんな音を聞かせてくれるのかな――と城山が、小さく笑みを浮かべていれば。
「はい、じゃあ早速やってみましょう。『プスタ』ですね。この曲は僕も大好きで――」
譜面台に置かれた楽譜は、表紙がめくれることなくバタンと裏表紙まで、ひっくり返った。
「……え?」
一ページ目が現れず、いきなり背表紙が見えたことに城山は呆然とする。
今、しゃべりながら自分は、確かに
「え、ちょっと城山さん――このスコア、ページがホッチキスで全部とじられちゃってるじゃないですか! もう、誰⁉ こんなイタズラしたの⁉」
「……そうですか。イタズラですか」
様子がおかしいと見に来た勝沼が、置かれた楽譜の惨状を見て怒りの声を飛ばす。
A4ほどの大きさ、冊子状になった指揮者用の楽譜は、ページが全部ホッチキスで留められていた。
ご丁寧に六カ所ほど、簡単に開かないように。さながら雑誌の袋とじ、取らなければ楽譜を見ることはできない状態だ。
やんちゃ。
そう言われていたことの意味を、今さらながら理解する。
「もう! 城山さん、すみません。今からこれ外しますから――」
「――
慌てる勝沼を制し、城山は強い口調で言い切った。
顔を上げて見回してみれば、部員のうちのひとり、打楽器のショートカットの女子生徒が笑いをこらえてこちらを見ている。
――あの子か。
犯人は分かったが、このままおめおめと引き下がるのは大人として
舐められたものだ。そう自覚した瞬間、心の底からの笑いが口の端に出てくる。年下の女の子だからと丁寧にやろうとしたのが、そもそも間違いだった。
この子たちと相対するには、そんなものじゃ足りない。
顔に表れたのは、久しぶりの好戦的な笑みだった。心に火が点いて、闘争心が煽られる。
舐められたものだ。舐められたものだ。舐められたものだ――。
そっちがその気なら、やってやろうじゃないか。
「スコア、必要ありません。
心配そうに見てくる勝沼に、城山はそう宣言する。
紳士的な態度などはぎ取って。
怒りに満ちた、半ば狂気的な笑いを浮かべながら。
「さあ、始めようか合奏を。僕も、本気で振るから――みんな、よろしくね?」
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