第12話
柴田が帰ってから俺は柴田の言葉を思い出していた。
「……お前本当に母親から愛されていたのか?」
その問いに対する答えを持っているのは当の母親しかいない。もう母親が死んでいる以上それを確かめることは不可能だし、普通に考えて今さらそれについて考えることは意味がないだろう。
普通であればだ。
普通であればこれからの目的だけを考えて生きていけば良いのだろうが、普通の人間と違い俺には『今後』というものがなかった。だからなのかは分からないが、今はどうしても過去と向き合いたかった。どんな過去が俺を導いてきたのか、少しでも真実に近づきたかった。
(……ああ、そうか。そうかもな……)
色んな場面が浮かんでは消えていった。脈絡などないようにも思えたが、どれも実際に俺が経験したものばかりなのだから関連しているのかもしれなかった。
母親は理性的な人間であったと思う。俺を「ちゃんとした大人」に育てようという意識は強かった……と今になって振り返ればそう評価出来る。
だがその意識が強かったがゆえに、少しでも俺が母親の基準から外れたときはすぐに感情的な叱責が飛んできた。手が出ることもあった。片親としての不安や気負いが彼女にもあったのだろう。幼い頃からそうだったから、物心ついた時にはいつも母親の顔色を伺って行動するようになっていた。自分の判断基準だとかやりたいことなど存在しなかった。
「……お前本当に母親から愛されていたのか?」と柴田は問うたが、母親に愛がなかった訳ではないと思う。
ただ母親の表現の仕方が間違っており、彼女に母親となるに足るだけの資質がなかったのだとは思う。
大人になっても俺の悩みの要因はいつも母親だった、と今振り返れば分析出来る。当時はそんな風には思わなかったが。
だから母親が死んだとき、悲しみと共に途方に暮れたのも確かだ。
突然25才にして自由にされて、これから何をすれば良いのか、全然見当もつかなかった。
本当の意味で世間というものに目を向けるようになったのはその時が初めてである。
職場の歳の近い人間を観察したり、ネットやマスコミからも情報を取り入れたりした。
分かったのは多くの人間が俺とは全然違う人生を歩んでいるということだ。それはとても豊かなものに思えたし、もう決して埋めることの出来ない差だった。子供の頃の5年間と25才からの5年間とでは、全然意味の違うものなのだ……と嫌になるほど分かった。
今さら信じている人間もいないとは思うが、「人は生まれながらにして平等だ」というのは嘘だ。
単に綺麗事というよりも、そういう言説を信じこませた方が為政者にとって都合が良かったのだろう。
東京には色んな人間がいる。夢ややりたいことの為に上京してくる人間も多い。
そういう人間と接するうちにすぐに自分と彼らとの差が埋めがたいものであることを知った。自分も彼らを真似て「何か目標を持って生きてみよう!」と意気込んだこともあったが、まあ長続きはしなかった。土台となる経験がまるで違うのである。どんなに無謀な夢だろうと夢を見れるのは恵まれた人間だ。
自分が決してそうなれない……ということは俺は何の為に生きているのだろうか?という疑問へと当然続いた。
そう続いたのは現代があまりに情報に溢れているからだ。昔の人間はそんなこと考える暇もなくその日を生きるので精一杯だったのだろう。
そして俺と同様に、空虚に生きている人間が思っていたよりも多いことも見えてきた。
俺や彼らは何の為に生きているのだろうか?何十年もの残りの人生、ほんの僅かの快楽の為に100倍の退屈と苦痛を味わって、人生とやらは本当に割に合わないものだ。
そう思うと今度は、目標を持って充実した人生を送っている奴らも胡散臭く見えてきた。まあ若いうちに本気で何かに打ち込んでいる奴らは良いだろう。彼らは美しい。でもそうじゃなくて、何とか充実したフリをしている奴らが何と多いことか。
(……彼らを救ってやらねば!)
それが本当の動機だ。
今までは動機の後半部分……いわば結果にばかり気を取られ、それを自分がさも発見したように思っていた。前提となる自分の生い立ちとは切り離して考えていたのだ。
結局俺もステレオタイプの産まれに問題を抱えた犯罪者だったということなのだろうか。
「それでもそうなったのはお前の責任だ」
と柴田は言った。柴田だけでなく多くの人間がそう言うだろう。そういうことにしなければ恐らく社会は成立しないからだ。
でも本当のところは……法律だとか社会だとかの建前を超えた部分では……どうなのだろうか?
人は自分の意志でどれだけのものを選べるのだろうか?
俺がもう一度俺の人生をやり直せるとしても、この記憶を持っていけないならばもう一度同じ選択をするだろう。……いや、記憶を持ってやり直せたとしても何も変えられないのではないだろうか?
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